第14話 隻眼?の少女―忘れられた婚約者―

 見れば執事が入ってきたのと同じ扉に手をかけていた。扉の向こうから眩い光が差し込む。

 やはり、想像通りだった。

 想像通り徹底的に隠されていて、潔白な雰囲気で痛みを彷彿させる胡散臭さがあって、好きじゃない。光の中は上の階と似て非なる構造をしていた。廊下のサイズ感は変わらないが、窓があったりなかったり、部屋と部屋の間が等間隔でなかったり、霊安室というより研究棟と言った方がしっくりくる。

「へえ、つまり第四霊安室はただのエレベーターだったわけだ」

「『ただの』って……部屋が丸々400メートル地下に降りたのよ? もっとびっくりしなさいよ」

「別に、この業界じゃよくあることだろう?」

 肩を竦めてみせると、千鳥は不貞腐れた顔をして先に歩いていってしまった。

 手前から1、2、3、と番号の振られた扉の前を過ぎ、間隔が広くなる。4番目の部屋は体育館ほどの広さはありそうだ。と思うのはきっと、九頭龍分家(ナンバーズ)が抱える研究施設は大抵、似たような構造だからだろう。あるいはそれは予感だったのだと思う。数歩先を行く千鳥が4の部屋に入ったことで予感は確信に変わる。4の部屋は、一対一の実戦の部屋だったはずだ。

 スライドドアの先には大きな窓と大量の計器類、窓の向こう側には低めの天井、床が建物二階層分程度低く作られている。バスケットボールのコート二つ分ほどの空間を観測できる構造になっているらしい。昔は、4の部屋に入ってすぐの観測のための部屋が〈4A〉、奥の体育館じみた空間――通称〈環境可変式模擬戦闘場〉――が〈4B〉と呼ばれていた。

 ほぼほぼ記憶通りの空間に特筆すべき点は一つだけ。

 物憂げな表情で4Bを見下ろす車椅子の少女にだけは、見覚えがなかった。

 扉を開くなりこちらを振り向いた少女を見つけて早々に、千鳥は彼女に抱き着いた。

「みーちゃんおっまたー」

 どうやら覚えがないのは俺だけらしい。みーちゃんと呼ばれた少女は驚いたように。深い緑色の左目を見開いてこちらを見ている。右目は眼帯に覆われていて色を確かめることは叶わない。俺もあたかも知り合いであるかのように嘘っぽい笑みを浮かべてひらひら手を振って見せる。抱き着かれたみーちゃんは「だいじょうぶ、待ってなどいません」と頬を微かに緩めて恐る恐るといった様子で小さく手を振った。

 どうやら最後尾で扉を閉めていた執事も手を振っていたらしい。

 きっと、嘘っぽい笑みを浮かべている。

「それより聞いてよみーちゃん」

「どうされました?」

「ゆっきーがウチに意地悪するの。どー思う?」

「千鳥さんは、待雪さんのことを、ゆっきー、と呼んでいるのですね」

「そーなの。ヒドイと思わない?」

 訂正しよう。千鳥は抱き着いたのではなく泣き着いたのであった。肯定されることしか想定していない口ぶりに、みーちゃんは何も言わずに千鳥の頭を撫でた。えへへへへへ、と。頬と頬をすり合わせている。入院着同士とはいえ暑苦しそうだ。どちらも淡いピンク色だからだろうか。肩を竦める。

「まさか、馬鹿になんてしていないさ。嫌いじゃないよ、エレベーター。いいよね、 エレベーター。自動で降りる所なんて文明的で最高だ」

「わかってない! ゆっきーは全然わかってない! もっとあるでしょ隠されたスイッチとか! 手のひらの絵と手のひらを合わせることでのみ起動するスイッチとか! あ、っていうかアレでしょ? ほんとは好きだけどゆっきーったら素直じゃないんだから。よ、天邪鬼系男子。ううん、中二病? まーいっか、どっちでも! 兎にも角にも好きって言っちゃいなよ、ユー!」

「それで、彼女が双葉家の?」

 と俺が言ったのと、みーちゃんが、

「仲がいいのですね。お二人は」

 と何の面白味もない(何なら悪寒さえ感じ得る)窓の外に目を投げたのはほとんど同時だった。

「別にそういうんじゃないし、5年間連絡の一つも寄越さない男のことなんて誰が好きになるもんですか。ホント、そういうんじゃないから、ホント」

「そう? 俺は割と好きだよ。千鳥」

「だから、すぐ、そうやって、もう!」

 しかも割とって何よ、と頬ずりしたままブツブツと続ける千鳥を押し退け、みーちゃんは小さく咳払いをした。心なしか姿勢を正し、薄い唇から細く、深く息を吸い、白金色の頭を下げた。

「お久しぶりです。覚えていますか。わたしです。双葉ミアです」

 自分の膝に顔を置くような所作だった。毛先で緩やかに波打つボブカットほどの長さの髪は後頭部を囲うように鎖のように編まれている。折り畳まれた小柄な身体はいっそう小さく見えた。

 彼女は嘘を吐いているようには見えなかった。二重瞼と一緒に柔らかく放物線を描く緑色の左目は俺や執事とは似ても似つかない、それに引っ掛かりを覚えるのは、今にも泣き出してしまうのではないかというほど安心しきった表情に久遠を彷彿とさせたかもしれない。

「ああ、久しぶりだね。みーちゃん」

「ほんとうに、ほんとうに、生きていらっしゃったのですね。待雪さん」

 え、知り合いだったの? という4人分の一人の声は無視する。

「何とか無事に生きてるよ。みーちゃん」

 昨日、もしかしたら死んだ方がマシだったのかもしれないけど。

「あの、申し訳ありません。待雪さん、ひとつだけ、お願いをしてもいいですか?」

「いいよ。何でも訊こう」

 それだけのことで、感極まったとでもいわんばかりの顔をされしまった。みーちゃんは小さく咳払いをして細く、細く、息を吸った。

「待雪さんには、わたしのことは『みーちゃん』ではなく、『ミア』と呼んでほしいのです。『双葉』というのはお母様とお父様も同じですし、『みーちゃん』というのも幼い頃に戻ったようで嬉しいですが、やはり待雪さんには、わたしの名前を呼んでほしい。なにせ、わたしたちは婚約者なのですから」

 一語一句が明瞭かつ威圧する感のない喋り方、読み聞かせに近いそれに思わず頷いた。

 ところで、俺に双葉家の知り合いはいない。ミア、などというドイツの血が混ざった知人も、記憶にない。婚約者などという忘れるわけもない大切にすべき記憶でさえ、初耳だった。

 呆気に取られて笑うことしかできない俺の代わりに、例によって執事が双葉ミアのプロフィールを読み上げた。

 双葉ミア。十八歳。双葉家の長女。精神科医志望の医学生。

 能力名〈双葉血脈・鎮魂の目視録クオンタムアイズ・レクイエムエメラルド〉。

 双葉の血脈は一様に眼に異能を宿し、分家の中でも特に超能力らしい超能力を持って生まれることから〈魔眼使い〉と呼ばれる。または表立って妖怪や異形の類への対処を任される点から〈人外殺し〉と呼ばれることもある。

「こう言うと随分と攻撃的な印象ですが、双葉様の眼はむしろサポート向きの能力を宿しています。特に、十六夜様と八叉様におかれましては大きな力になって頂けるはずです」

 執事が緑色の瞳に視線を投げると、ミア小さく咳払いをして細く、細く息を吸った。

「わたしの眼は〈見たものの神経に作用する〉能力です。たとえば……待雪さん、手を」

 見上げる瞳に他意はない。目が合うと俯いてしまったが、青白い頬を耳まで赤く染めている。ムダ毛の一本もない手を俺に差し出して、俺も言われるがまま手を掴んだ。細い指は見ている分には作り物のようだったが、いざ触れてみるとその色と遜色ないくらい柔らかく雪のようだった。指先は冷たいのに、ぎゅっと包み込んだ手のひらは温かった。

 ぞっとした。驚きの余り、びくりと震えてしまった。

 同時に離された手で首と肩の間を押さえた。

 久遠に噛まれた傷が、痛んだ。

 胸は今にも張り裂けそうだ。

「今度こそ、わたしは、あなたの役に立てるでしょうか?」

 今度こそ、真っ直ぐに向けられた控えめな笑顔から、目を逸らした。

 俺は、何から、何に目を逸らしたのだろう。久遠に対する申し訳なさ、ミアに向けた不誠実、二人に吐いた嘘、失われた記憶。どちらからどちらか、本当に失われてしまったものは何だったか。思い当たる節はいくらでもある。

 久遠だけ、だと思っていた。

 俺に生を与えられる存在は、他にもいた。

 目を逸らした先には嘘っぽい笑顔があった。

「では次に十六夜様の能力についてですが、何せこちらに資料がありませんので何らかの形で見せて頂きたく思います。そこで提案なのですが、実戦形式というのは如何でしょう?」

「ちょっと六花、どういうつもり?」

「言葉通りの意味です。一人だけ手札を伏せたままというのはフェアじゃない。そうでしょう?」

「おいおい、俺は怪我人だぜ? 説明なら幾らでもするし、どうせなら万全の態勢でやらせて欲しい。九頭龍迦楼羅相手にせよ、ただ試されるにしてもね。じゃなきゃフェアじゃない、だろう?」

 嘘っぽい笑顔はやはり俺に向けられていた。喜びも怒りも哀しみも楽しさも全てを混ぜて均一化したような、自信ありげでその実、自信のなさの裏返しである卑屈な笑顔。同族嫌悪、という言葉がこれほど相応(ふさわ)しい相手はなかなかいない。

「ひひっ、そうじゃなあ。一時的に味方になる、その一点に関しては執事のお嬢ちゃんからあらかじめ聞いていた」

 ワーキングチェアに前後逆に大股開きで座るなり、くるくると回っていたミコトは胸の内側からスマホを取り出して弄んだ。挟むほどの胸はない。

「じゃが実際、能力がわからないのは困る。お主の親父殿は極めて双葉に近い能力じゃったが、お主自身はどうなのか。お主は九頭龍の補欠なのか、それとも八叉の補欠なのか、あるいは四月朔日の補欠なのか、またもや双葉の補欠なのか。それは説明されるより実際に見た方が早い、というのは先の儂とミアちゃんの例を見ての通り」

 ミコトはスマホを胸の内側にしまい(だからどこにしまってんだ)、目を閉じた。

「それに執事のお嬢ちゃん、一人じゃなくて二人じゃろう? 四月朔日のお嬢ちゃんの能力は交渉材料として教えてもらっておるが、お主の能力は聞いていない。四月朔日の執事ともあろう人間が、まさか無能力ってわけじゃなかろう? のう、ミアちゃん」

 呼ばれた彼女は小さく咳き込み細く、細く息を吸った。

「ここは病院。わたしも、ミコトさんも、千鳥さんも、能力の応用で治療できる。だから、わたしも反対はしません」

「……お嬢様」

「もう……仕方ない、許可します。でも、なるたけ私情は挟まないでヤってよね」

「かしこまりました。では十六夜様、武器は隣の3の部屋に御座います。十分後、〈4B〉にてボクらの能力を披露致しますので、万全の態勢でお越しください。自動小銃でもパイルバンカーでも、お好きなものを。それでは――」

 いかにも執事らしく恭しい最敬礼、上げた顔にはやはり嘘っぽい笑みが張り付けられていた。あとから思えば、待ってましたと言わんばかりの良い笑顔だったように思う。


「四月朔日家執事、長女側近、コードネーム【ムラサメ】――十六夜六花。推して参ります」

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