そこにいるもの

 机の上にごろごろと転がされた柿はまるで小ぶりな首のようだった。


「来るときにさ、こないだもらったやつが積んであるの思い出したから。お裾分けのお裾分けってことな」


 人んち来るなら手土産はいるだろうとそれなりに社会性のあることを言いながら、田舎では目立つどころではない黒シャツ──何せ模様に大ぶりな木蓮が咲き誇っている──という盛り場のちんぴらと大差ないような格好で、厚宮さんは出された茶を啜った。


 秋の土曜日、天気は秋らしい快晴だ。出かけるには最適な天気ではあるが、だからといって外出先に弊家を選ぶのも分からないし、そもそもこの人が頻繁に入り浸っているのも分からない。いい大人ならもっと遊び場の選択肢ぐらいあるのではないかと思いながら、流石に直接聞くのは行儀が悪いだろうと、俺は思い浮かんだ疑問をそのまま沈めて黙ることにした。

 台所で先程まで貰い物の柿を剥いていた叔父が大皿を抱えて戻ってきた。皿の上にはいやに均等に切り分けられた柿が雑に乗っている。


「私としてはこうやって柿貰えるんなら、別にお前がどういう頻度で来たってどうでもいいけど、他に行くとこないのか」

「あんまりない。街まで出ればいい感じに暇も潰せるけど……土日だと混むしな」

「映画とか見に行かないんですか」

「ないもん映画館。なあ高槻」

「ないね」


 にべもない答えが返ってきて、俺は湯呑を抱えたまま叔父を見る。叔父は柿の刺さった楊枝を手にしたまま、僅かに左目だけを眇めてみせた。


「映画館ねえ、高校の頃は私もよく行ってたけど。何年前だっけか潰れたの」

「十年くらい前じゃないか。あの時期映画館以外もゲーセンとか根こそぎなくなったから、学生が学校帰りに寄れるとこ全滅したんだよな」

「バス乗って行くしかなくなったもんな。時間も金もかかる。そんなん学生じゃあやってらんない……」


 溜息が混じってか細くなっていく語尾を手元の茶で流し込んで、叔父はまた皿へと手を伸ばした。その様子を見ながら、この人は本当に果物だけやたら執着するんだなとどうでもいいことを再確認した。


「俺らの頃も映画館あるったって、あそこも普通の映画しかやんなかったから選択肢としては狭かったけどな」

「そりゃあ需要の問題だろ。今時雛壇流して喝采上げるようなやつはそんなにいないからね」

「結局ホラーとか変なもん見たかったら店行ってレンタル品借りてくるぐらいしかなかったし。配信だって充実してきたのはここ最近だし……あ、お前んちは有料チャンネル入れてたっけ」

「入れてる。松竹映画チャンネルで時代劇見てる」


 厚宮さんが何かしら怪訝そうな視線を俺に向けたので、とりあえず事実だと頷いてみせる。叔父は基本的には生活をおろそかにしつつ本か映画を見ている人だが、観る分には大概何でも見る。

 ここ最近では毎日夕方になると時代劇が流れていて、その素朴なのに殺気が溢れる題字に衝撃を受けたのは記憶に新しい。内容がひどく物騒な俳句になっていた。季語がないのに血と愛憎の臭うような、忘れ難い代物だった。


「店もな、今じゃもう随分レンタル商品のスペースが狭くなったよ。文房具と書籍となんかよく分かんない雑貨置き始めたし」

「今の若い子、DVDわざわざ借りにいくやつあんまりいないだろ」

「現物借りに来んのは年寄り連中が大半だよ。けど配信サービス、あれも本当に暇があったら映画を見たいぐらいのやつじゃないとラインナップで胸焼けするしな」

「厚宮さんはDVD派なんですか」

「んー……俺はなんかこう、レンタルショップの棚眺めるのが好きでさ。ずらっとジャケット並んでるの見るの、楽しいんだよな。配信も使うけど、そういう暇潰し目的でよくふらふらしてる」


 駄目なホラー映画のジャケット裏とか楽しいからなと厚宮が笑う。

 楽しみ方がろくでもないあたりはやはり叔父と長く付き合えるだけのことはあるなと、その口の端から覗くやけに大きな犬歯を見て思う。最初に会ったときも思ったけれども、この人は凶暴な口元をしている。


「ただまあ、あそこの店舗はちょっと気をつけるとこあるから」

「何ですかそれ」

「近寄んない方がいい棚があるっていうか、あれよ。


 お化けの単語に俺は身を強張らせる。

 別段意図や悪意があるわけではないだろう。ただ世間話の延長として口にしただけといった様子だ。この辺の連中はそうやって日常生活の中に当たり前のように恐ろしいものを紛れ込ませてくるのが本当にたちが悪い。

 厚宮さんは俺の返答の淀み具合には気づいた様子もなく、お茶を啜ってから話を続ける。


「どこの棚ったら邦画の棚、端の方ね。十八禁コーナーとホラー映画にその他スポーツ系、みたいなやつの隣に辛うじてあんの。古い、再放送も今じゃあんまりかかんないようなやつがいっぱい置いてある」


 一瞬、机に伸びた日差しに影が過る。少し間を置いて、ぎちぎちと鳥の声が聞こえた。


「で、そこに近寄れない。だってお化けが出るから」


 二度目の断言に俺は目を伏せる。

 いつの間にか大皿の上の柿は半分ほどに減っている。叔父の方を見ると、その手元の皿に取り置きのように幾つかが転がっていた。

 嫌だったが、客との会話を放り出して黙殺するのも失礼なことだろう。とりあえず俺の身辺には直接関わりがないことだと言い聞かせながら、会話を続けるために口を開く。


「何が……何が、どう、出るんですか」

「大したこっちゃないよ。けどまあ、人によっては気にするよねみたいな」


 手元の柿を噛んで、特段声色を作るでもなく厚宮さんは続けた。


「いやね、めちゃくちゃシンプル。そこの棚の前に行ってしばらくすると、棚の上から覗いてくるんだよ」


 しばらくその顔を見つめる。冗談だよと種明かしがあるなら、この辺りで落とした方がしつこくなくていいはずだ。

 ただどうもそんな気配はなく、いつもと同じにこやかなのに真意が掴みづらい真顔のまま言葉が続いた。


「店員さんのね、格好はしてる。そこの制服がわりのエプロン着けてて、ちょっと長めの黒髪を後ろで束ねてて、口元にほくろがあって、左耳にイヤーカフつけてる」

「詳細な描写じゃないですか」

「俺だって十年通ってるからね。馴染みだよ……それもどうなんだって気がするけど、しょうがねえじゃん競合店が一向にできねえんだもん」


 文化的僻地ってことだなという呟きに、叔父が深々と頷いた。黙って柿を食べていても話はそれなりに聞いているのだろう。


「目が合うとね、もうその日は駄目だね。どう移動しても店内のどっかしらにいる。棚のあたりとかうろうろしながらね、にゅっと首だけこっちに向ける」


 擬音を真似るように、厚宮さんが首を突き出す。その店員の仕草が脳裏に一層はっきりと浮かんで、俺は慌ててそのイメージから意識を逸らす。


「別にね、いつも同じ店員さんってだけなら特に困んないよ。シフト一緒なんだなとかそんなんでいい。でもね、付き纏われたらどうしようもない」

「それは、その、どこまでついてくるんですか」

「大体ねえ、車乗るまで。ちょいちょい物陰に隠れながら、首だけそうっとこっちにぎりぎり見つかるくらいに出してね。嫌だろ」


 想像するだに嫌だ。生身であってもそれ以外であっても、絶対に体験したくない。


「何なんですかそれ」

「知らない。変なもんではあるけど、別に詮索するほどなんかされたわけでもないしな……」


 付き纏われるのはなにかされたうちには入らないのだろうか。

 確認を取る気にもなれず、俺はようやく冷めて飲み頃になった紅茶に口をつける。


「何回か行って、遭って、どうも邦画のこの辺に来ると駄目っぽいなってのは分かったんだよ。で、もうそれ以上絞り込むの面倒になって邦画棚はまるごと見なくなった」

「それで不便とかないんですか」

「邦画も新作棚のあたりは平気っぽいから、観たいやつはそっちで探してる。基本的にはドラマ棚が生きてれば不自由ないし」

「どういうの見てるかってのは聞いても」

「ホラーとサスペンスにコメディ」


 サスペンスはともかくホラーだけなら普段の生活で事足りるのではないかという疑問が浮かんだが、その辺りの問いが不毛だというのは俺もこの数ヶ月で学んでいる。分かっていても納得するのが辛いというだけだ。


「配信されないけどDVD買うのも微妙だしでも年一くらいに仕事中に思い出して見たくなる、みたいな立ち位置のやつ。心霊バスガイドとか。俺あれの特殊メイクが無双する回がめちゃくちゃ好きでさあ」


 心底楽しそうな顔で、厚宮さんは自分の好きなドラマについて説明を始める。その語りの隙間に滑り込むように、叔父が口を開いた。


「お前の言ってるレンタルショップってあれか、凝橋駅の西口から国道の方に行くとこにあるやつ」

「そこ以外にないだろ。競合先がないんだよ田舎だから」

「いや……あの辺はまあ、市内だしな。


 叔父の言葉に厚宮さんが眉を寄せた。


「まあねえ。だから本当に気にするだけ仕方がない」

「市内ってなんかあったんですか」

「暴動とかあったよ。あとデカい火事」

「暴動」


 教科書でしか見ないような単語に不意を打たれて、呆然と繰り返す。

 厚宮さんが一度頷いてから口を開いた。


「明治のあたりだったかね。なんか俺地域学習みたいなのでやった記憶があるぞ」

「ふるさと学習な。あれやる地域を考えた方がいいと思うんだがね。昔話調べた連中なんか『なんでこんな陰気な話ばっかまとめなきゃいけないんだ』ってげっそりしてた」

「まー、昔っから土地ごと貧乏だし治安も実はそんなにって感じだしね。人が少ないから件数少ないってだけで、昭和のあたりなんかむごい話が結構ある……」


 叔父は手元の柿からじろりと目を上げて、呟くように言った。


「過去の話するとね、人でも土地でも色々あるもんだよ。気にしたって大概、どうにもできないしならないけどね」


 昔のことを気にしてもどうにもならない。それは分かる。起こってしまったことはどうあがいてもなかったことにはならず、ただその過去を踏まえて現状をどうするかということだけ──それでさえ手段は限られるが──が、過去から地続きの世界に生きている人間にできることだろう。

 そう考えると、何もかもが手遅れで、俺たちはその失策の後始末を延々としているだけなのかもしれない。 人肌程度に温くなった湯呑に縋ったままそんなことを考えていると、厚宮さんが口を開いた。


「そんなもん見ないふりしてのうのうと生きてられるんだからさ、意外とどうにかなんだよな世間って」

「見なくて済むもんは見ないでおけばいい、それだけの話だよ」


 叔父は大皿からいつの間にか最後のひとつになっていた柿を取って、いつものように表情の薄い顔のままそんなことを言う。

 厚宮さんはそれに一度だけ頷いてから俺の方を向いて、どこか投げやりな笑みを浮かべてみせた。

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