山吹

 あとどれだけ歩かせるつもりだろう。冥界には果てがないという突拍子のないというのは、よく聞く話で。ここまで長い距離に苦労するとはまさにそういうことか。体感する時間で、もうかれこれ一日か二日は歩いている。

 地獄に夜が訪れることがないとはじめて知った。それもまさに道理で、夜とはそもそも人が身体を休めるために与えられるものだからだ。前世罪を犯した者にそのような配慮は与えてはならない。彼らの罪の清算は、日中獄卒に痛めつけられてなされるべきだ。心身ともに休まるいとまを与えてはならない。

 盈とムシャは休憩を挟みながら、ひたすらの徒歩を続けた。足に軽い血豆ができたが、金棒で殴打されたときに出来た盈の背中の出血は、すでに止まっていた。

 とはいえ、獄卒に振るわれた暴力の痕、特に乾いた血や痣は隠し切れようがない。でも進んで冥界に入ったのだから、致し方ない。すべてはシノギの馬鹿を連れ戻すためだ。

「あいつめ、まったく世話を焼かせやがって」

 盈が悪態を吐いて、ムシャが気がかりそうな目をする。

「大丈夫かな?」

「大丈夫なわけないだろ、俺以上にぼこぼこにされてるに決まってる」

 これみよがし大袈裟に親指を立て、盈が自分自身を指す。

「すまんのう」

 獄卒の元締めが足を一瞬だけ止めて、頭を軽く下げる。

「いや、それがお前らの役割だろ。その役割はきちんと果たされなければ、善人たちは報われねえよ」

「でも、もうちょっとやりようがあると思う」

 ムシャがそう語ってくる。すると元締めがますます困惑した表情を浮かべる。

「話をややこしくしないでくれよ、ムシャ」

「ごめんなさい」

 だがそれはさておきだ。元締めに何時間、もしかすれば何日間も、彼についていくことに。それで本当にシノギに会うことが叶うだろううか。地獄の空間は広さはおそらく無限。下手すれば年単位の時間を捨てることも覚悟しなければ。

 まさかこの元締め、俺たちを騙そうとしているのではなかろうか。そう盈は疑惑の念を浮かべてきた。そのまなこ、その様子を元締めが見る。その不安感が元締めに伝わったようだ。

「安心せい、わしは嘘だけは吐かん」

「その言葉、信じていいのか?」

「いかにもわしの言葉に嘘偽りはない。地獄の道理に誓って。むしろ地獄の道理に縛られたわしらが嘘を吐くことができるはずもなかろう」

 それならば信用するしかないと盈は一応に納得する。

 洞窟が見えてくる。そこに入るよう案内を受け、盈は中をそっと覗く。外と同じく洞窟の中でも、立ち上る炎があちこちから噴く。蹈鞴場の炉を前にしたときより、数段ほど熱かった。ここにシノギがいるのだろうか。いったいどんなしごきを受けて彼はそこで待っていよう。

「シノギはいったいどんな仕打ちを受けているんだ?」

「奴は玉鋼を作りたいと言った」

「なに?」

 それは地獄に入った人間にとって、随分と好待遇のほうではなかろうか。自分が望むことができるなんて。いやだが、そもそもシノギは玉鋼を作りたくなくて、自分のいた世界に戻ろうとして冥界をくぐり抜け、だがそれに失敗したのではなかったか。

「あいつが地獄に入ってきたとき、わしらは散々に痛めつけた。そのあとに彼は泣きながら乞うたんだ。玉鋼を作りたい、と。わしらには奴の言いたいことが到底わからなかった」

 理解できないのは盈も同じく、と言ったところである。

「だが、わしら獄卒のうち二人がこう言ったのだ。こいつの面倒を見てやる、とな」

 獄卒も獄卒で希望を叶えてくれるなんてありえないことだ。

「いまは、その二人が地獄の仕置きとして、奴に玉鋼作りをさせておる。眠らず、生かさず殺さず。炎を前に、始終休ませずな」

 玉鋼作りの村下であっても、そもそも三日三晩を炎の前にするというのは骨の折れることだ。本当に並大抵の熱情がなければ耐えられない。ましてそのような情がない人間が、三日以上眠らずの玉鋼作りをするのは困難だ。努力だけでは身体よりも心が先に擦り切れる。

 シノギがいなくなってから一月以上経過はしている。いまもひたすら熱気に耐えているに違いない。

 斬鉄剣のために、姉と村人を犠牲にした。シノギは確かに罪人である。

 それだから、奴は炎に炙られるが相応しい。実に納得のいく刑罰だ。

 炎が明滅し幾度も熱気を放つ。洞窟の奥に行くほど熱くなる。

「よし、この奥をまっすぐゆけ。さすれば奴に会えよう。すまぬがわしの道案内はここで終わりじゃ」

「ありがとな、おっさん」

「いやなに、天狗の業をこの目で見られて、わしこそ礼をさせてくれ」

 そう言いながら手を大きく振る。

「天狗様よ、お前は罪人ではないな」

「いや罪人さ、刀は人を傷つけ人を殺す。その刀を作る俺が罪人だ、と言われる覚悟はいつでもできている」

「それで罪人ならば、人はみな罪人だ。だが天狗様にはすでに達観しておろうが、あえてわしから言わせてもらおう。決して調子に乗るのではないぞ」

「……」

「力があること。その力を使う誘惑に流されること。これを気をつけよ、さすれば罪人になることは決してない」

 そう言って、獄卒の元締めはこの場から去っていく。

 押し黙って盈は彼の言葉を心の中で深く噛み締めていた。

「ありがとう」

 口を閉じていた盈に代わり、ムシャが彼の背中に言う。

「ありがとな、おっさん」

 遅れて盈も小さく言う。すでに元締めはここから見えなくなっていて、盈の言葉が彼の耳に届くことはない。

 それから言われた通りに二人は洞窟の中を進む。

 燃え盛る炎を浴びそうになり、そのときどきで道を遮られながらも、盈とムシャはひたすら前進することだけを考え続ける。

 獄卒の元締めが言った通り、このあたりが一本道になっている。それだけが幸いだ。

 地下へと続く坂道に差しかかり、炎の色が変わってきた。

 赤かったり、紫がかっていたり、黒っぽかったりしていた。まるで玉鋼の反面教師を作っているときと、同じ色の炎がそこら中から噴き出す。毒々しい色が混ざり合い、盈は嘔吐しそうになる。だが、胃液を戻すのをぐっとこらえる。

 聞いた話だが、地獄という場所は罪人にふさわしい罰が与えられるという。たとえば自分の子供を餓死させた者は、目前に食物じきもつが用意される。だがそれを食べることは愚か、触れることすらできない。我が子に与えた苦しみをその罪人にも与え、永久に飢餓させ死ぬことも生きることもできなくする、という。

 、と言ったところだろうか。シノギは玉鋼作りをなおざりにした。玉鋼の技術を手に入れるため、村を略奪し、村人を重労働させ、それで自分は安穏と出来上がるのを待った。そして、いざ玉鋼作りを教えられると、その辛さに耐えられず途中で逃げた。永久に玉鋼を作らされる。おそらく刑罰としては清々しいほどわかりやすいだろう。

 安定のしていない炎を避ける、くぐる。時折急に噴き出す炎をかわし、歩くことしばらく経って、目を凝らす。

 足の感触に何か違和感があった。それは先ほどまでの土塊の地面ではなかった。炭と砂鉄が入り混じった土である。こんな都合のいい場所があるものだろうか。いや、地獄だからこそ処罰に都合のいい環境を作れると誰かが押し切れば、それは不思議でもなんでもない。そうだろう。

 鉄と炭が燃えるとき、混ざり具合で炎の色は変わってしまう。

 そうか、と盈は合点がいく。だから周囲の炎が安定した色をしていないのだ。

 奥の方、遥か向こうへと進む方向に、一際違う穏やかな色を視認する。

 綺麗な山吹色だった。まさか、あの色は……。

 優しくて、暖かいと言うことのできる火だった。

 闇を焼くような黒っぽさもなく、毒々しい紫色でもなく、危険な自己主張をするような灼熱の赤色とも違う。

 そんな嫌気の差す炎を避けてかいくぐり、盈とムシャはあの山吹色を目指す。自分の肌が鬼の面のように赤くなっていたのが、顔が煤で黒くなる。ムシャも髪の毛に火が燃え移らないように注意を払う。そんな彼女も顔が煤に塗れる。

 山吹色をしたそれは炎。その炎の形が肉眼ではっきりと見て取れたとき、彼はそこにいた。

「シノギ」

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