思い出

 今を遡ることずっと昔の事。

 女神エクスティアを祀り、法や軍備により国を治める王家と共に人々の心を纏める役割を担っていたエクス教のトップである大神官に指名されて間もないディーノ・サウリアは、とある街の神殿で人々に教えを授け、様々な困りごとや悩み事を抱えていた者たちに自分なりの助言を与えた。自分のつたない言葉にも真摯に耳を傾け、頼りない助言にも感謝を示してくれる人々の笑顔が、彼にとって何よりの幸せであり、守らなければならないものであった。


 輝くような白く美しい布に包まれながら泣き叫ぶ1人の赤ん坊を見つけたのは、まさにその神殿の傍であった。


 ディーノはすぐに部下たちと共にこの捨て子の両親を探したが、どこにもこの赤ん坊に見覚えのある者、血縁関係を有するであろう者はどこにも見当たらなかった。恐らく何かしらの不幸があって子供を手放すという選択肢を選ばなければならなかったのだろう、と結論づけたディーノは、薄っすらと緑色の髪の毛を覗かせるこの赤ん坊を、自身の手で育てるという決意を固めた。勿論、それに関する戸惑いの声も大きかったのだが、最終的には彼らからの助言を得て、教会全体でこの子を育て上げる事になった。そして、彼は聖王国の歴史が書かれた分厚い古文書の中に記されていた、女神エクスティアによってもたらされた、女神自身の意志を意味するという言葉に基づき、赤ん坊にこのような名前を付けた。


 セイラ・アウス・シュテルベン、と。


「……あれから随分経ったのぉ、セイラ……」

「ええ、ディーノ様……貴方への御恩は、本当に言葉では表しきれません……」


 それから長い月日が経ち、暗い夜更けに再び出会ったディーノとセイラは、彼女の周りを包んでいた仄かな光が照らす寝室の中で、久しぶりの思い出話に花を咲かせていた。何度も泣き出してはディーノを始めとする神官たちに迷惑をかけてしまった事、難しい文書をすらすらと読み終わりディーノたちを驚かせた事、大神官たちに育てられたセイラ自身が今度は聖王国の子供たちに様々な知識を優しく授ける立場になった事、そして子供たちから笑顔を向けられた事――彼らが互いに語り続ける『思い出』は、どれも暖かく優しいものばかりであった。その中に立ち込め続け、互いに何となく察し続けていた『不穏な空気』には敢えて触れなかった。その美しい肉体をたっぷりと露出し続ける純白のビキニアーマーという、『不穏な空気』を生み出し、ディーノを追い詰めた者によって無理やり定められたセイラの衣装も含めて。

 その上で、ディーノはセイラを優しい瞳で見つめながら褒め称えた。自分たちの『夢』の中で、女神エクスティアはセイラの姿を借りて人々の前に現出した、と確かに述べていた。しばらく見ないうちに、セイラは自分たちの想いを超えるほど立派で美しい人に成長した、と。それを聞いた彼女は、恐縮です、という言葉と共に、僅かばかりの哀しさを含めた笑顔を見せた。


「私をここまで大きく育ててくださったのは、間違いなくディーノ様を始めとする皆様のお陰です……私の方こそ、ありがとうございます」

「そこまで頭を下げなくても構わんよ。ワシのような頼りない男にのぉ……」

「いえ、そのような事は……」


 そして、しばらくの沈黙を経て、何かを決意したかのように頷いた彼女は、はっきりとディーノに自分自身の思い、そして互いに触れずにいた『現実』を伝えた。人々からの信頼を集め、それに応えるべく様々な善行に粉骨砕身し、そしてこのような身体になってもなお自分よりも他者を想い続ける優しい心を持つディーノが、ずっと大神官のままで居続けて欲しかった、と。過ぎ去った過去に『もしも』と言う想いを馳せるのは禁忌かもしれないが、もしもディーノが大神官のままならば、少なくとも2人が敬愛する女神エクスティアはあのような結論を出すことは無かったはずだろう――それは、セイラ自身が抱く素直な思いであった。


「私は……私は、今もディーノ様が『大神官』にふさわしい存在だと、ずっと想い続けています……」

「……そうか……ワシが……」


 しばし思いを馳せるかのような表情を見せた後、ディーノはその手にゆっくりと力をこめ、セイラの暖かで滑らかな手のひらを握りしめた。そのうえで、彼もまた自分自身の素直な想いを告げた。セイラ自身の熱い思いは本当に嬉しいし、それに応えられない身となってしまった自分が悔しくないと言ってしまえば嘘になる。だが、それでもなお、今のコンチネンタル聖王国にふさわしいのはどう足掻いてもフォート・ポリュート――自分自身やロコと言った、彼の野望を防がんとする者をこの場所へ追いやり、王都でふんぞり返る存在であろう、と。


「フォート様……ですか……」

「お主が不満がる気持ちも分かる。じゃがのぉ、これもまた『女神様の思し召し』だとワシは思っておる」


 あの時――フォートが次第にその野心を剥き出しにし始めた時、ディーノは何度も彼を怒鳴り、必死に警告を続けた。人々のためではなく己のためだけに大神官になる、という態度を改めなければ、間違いなく何かしらの災いが起こる。それが『大神官』という、エクス教を束ねる存在そのものだ、と。だが、結局彼は人々を束ねてエクス教を文字通り支配し、逆らう者や目障りな者を追放したり自身の支配下に置いて反抗するための『牙』を折った。そして、ディーノが警告したような女神から与えられる『災い』は、いつまで経っても起きなかった――。


「女神様はワシらの都合よく動いてくださる存在では決して無い。女神様には、女神様なりの考えがお有りなのだろう、セイラ?」


 ――病に倒れ、辺境の地で精神的にも肉体的にも蝕まれ、弱々しい顔になっていたはずのディーノの表情は、今や完全に活き活きとしたものになっていた。そして、彼からの指摘にセイラはしばらく黙りこまざるを得なかった。自分自身が何も説明していないのに、まるで自分の心、そして知識が読まれているような気がしたからである。そしてそれは、ディーノ・サウリアという存在への敬愛の気持ちが更に増す事にもなった。


 そんな彼女に、どこか悪戯気な笑みを見せながら、ディーノは尋ねた。女神エクスティアがその姿を借りられる程の存在になった者がわざわざ辺境の地を訪れると言う事は、間違いなく自分自身、そしてセイラ自身にかかわる大きな事態が起きる、と言う事であるはず。言いたくなければ言わずとも構わないが、もし良ければ、自分の耳にその『事態』を伝えてくれないか、と。その言葉に、セイラは嬉しさとすべてを見透かされたような表情に対する恐縮、そして畏怖の心を交えた苦笑を見せた。既に彼はあらゆる物事に対しての覚悟を決めている。何を言っても構わないし、むしろすべてを告げなければ、きっと自分自身のほうが後悔する――覚悟を決めたのは、セイラの方であった。


「……ディーノ・サウリア様……貴方に、『女神エクスティア』の名の元に啓示を与えます……」


 ディーノ・サウリアと言う存在の命は、あと数日で終わりを迎える。

 その日、コンチネンタル聖王国の滅びが始まる。

 そしてこの私――セイラ・アウス・シュテルベンが、コンチネンタル聖王国にとどめを刺す。


「……そうか……そうか……ふふふ……」


 彼女からの言葉を受けたディーノの反応は、微笑みだった。全ては女神の思し召しのまま、と告げた彼が自分の運命を素直に受け入れたというのは理解できたが、何故そこで笑うのか――一瞬そう疑問に感じたセイラは、自分の視界が潤み始めている事に気が付いた。慌てて目を擦り、涙を払おうとしたが、それでも彼女の瞳からは止めどなく溢れ続けた。ディーノは、そんな彼女の想いを察し、優しい笑顔で慰めていたのだ。


「ディーノ……様……申し訳ありません……私は……女神様からの……」

「良い良い。それよりも、よくぞ教えてくれたな、セイラ……感謝するぞ……」

「ディーノ様……」


 もう二度と会えなくなるという事実、命の灯が消えるという未来への覚悟は決めていたはずだった。あくまで自分は女神の意思を伝えるものとして、真剣に彼と向かい合うつもりだった。だが、やはり自分自身をここまで育て上げ、無理やり表舞台に出されたとはいえ女神からはっきりと『聖女にふさわしい存在』と励まされる程にしてくれた存在を前にすると、最早我慢は出来なかった。小さい声で嗚咽を漏らし、ベッドの傍で屈みこむセイラの頭を、ディーノは皺だらけだが暖かな手でゆっくりと撫でてくれた。

 小さい頃、悲しかったり悔しかったり、時に嬉しかったりした時に、彼やお世話になった神官たちは優しく頭をなで、抑えられない感情を溢れさせていたセイラを暖かい気持ちで落ち着かせてくれた。あの日々と変わらない心地を、セイラは決して忘れたりしないと決意をした。これらの一挙一動が、自分にとってのディーノ・サウリアの最後の光景なのだから……。


「ありがとう……ございます……大神官様……」

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