号泣する聖女

「あーもう!国王様ったらどこにいるのよ!!」


 『聖女』の仕事がなく思う存分暇を持て余し続けていたヒトア・ポリュートは、きっと忙しいからやめたほうが良い、と言う父からの忠告も聞かず、大神殿を抜け出してヒュマス国王がいるであろう宮殿へと堂々と忍び込んだ。突然の消失事件で大わらわになり、残された人員とアヴィス王妃――忽然と姿を消したこの国の王妃たる存在が遺した手続きなどのお陰で何とか動いている状況になっている政情など、彼女は知る由もなかった。


 ただ、どこへ行っても人影を見ない状況は、少なからず彼女に悪影響を与えていた。普段なら国王がいるはずの大広間にも、その近くで密かに出会う場所となっている廊下や小部屋にも、彼の姿はどこにもなかった。『聖女』として面倒くさい仕事をこなしていた間に何度もこの場所を訪れ続けていた彼女であったが、流石にこの広い宮殿の全てを知っている訳ではなく、すぐに自分がどこにいるか分からなくなってしまった。


 誰かいないのか、この国にとって大事な『聖女』を迷わせる気か――嫌がっていたはずの自分の役職を笠に着るような言葉を広い廊下に響かせていた彼女は、その声に応えるかのように現れた『侍女』に改めて怒鳴りつけるかのように命令を下した。ヒュマス国王がいる場所を今すぐに教えろ、と。

 彼女――何の予兆もなくその場に突然姿を見せた『侍女』は、その言葉に嫌悪感や恐れなどの態度を示す事無く素直に国王の自室にいる事を告げた。それを聞き、礼もなしに駆け出そうとしたヒトアの背後で、『侍女』は彼女に忠告をした。現在、国王は非常に多忙な状況にいる。邪魔をしたいのなら、行かないほうが賢明だ、と。当然、その言葉を聞いたヒトアが振り向き、激怒の意思を示したのは言うまでもない。


「何が『邪魔』よ!!あんたこそ邪魔しないでよ、国王様は間違いなくあたしを待ってるし!!」


 あんたみたいな生意気な女なんか国王様に言いつけて極刑にしてやるんだから――そういいながら、彼女は廊下を駆けていった。『聖女』にあるまじき態度を注意する者は、誰一人としていなかった。彼女に暴言を吐かれた『侍女』もまた、ただ彼女を見送るだけであった。だが、それも当然だろう。


「……ふふふ……♪』


 純白のビキニアーマーのみを纏うその肉体、その美貌、そしてその存在を、この宮殿で働く冴えない『侍女』に錯覚させた上で、彼女にできる限りの忠告をしたセイラ・アウス・シュテルベンその人だったのだから。


『……さて、どうなりますか……♪』


 そして、『彼女』がじっと見つめる視線の先で、ヒトアはノックもせずにヒュマス国王の自室へと足を踏み入れた。


「国王様~……うわ、なにこれ!?」


 彼女が驚きの言葉を挙げたのも無理はないだろう。これまで何度か彼女は『聖女』の役職を面倒臭がりながらもなんとかこなしている間に国王の自室へ入り、煌びやかな装飾や豪華な家具で彩られた空間の中でたっぷり彼と戯れていた。確かに、それらの装飾や家具は部屋の隅々に飾られてはいたが、それ以上にこの部屋を包み込んでいたのは、膨大な数の『書類』が形作る柱や山であった。今にも倒れてきそうなほどに重なった書類に一瞬ぞっとした目線を見せながらも、彼女はその奥で机に向き合いながら懸命に『仕事』をこなし続けているヒュマス・コンチネンタル国王の姿を見つけた。


 そして、彼女はその後ろ姿にそっと近づき――。


「国王様~♪」

「!?!?」


 ――思いっきり抱きしめた。

 普段なら可愛らしく驚かす彼女に対して笑顔で反応し、逆に抱き返してきたり冗談を言い合って和やかな雰囲気を作り出すはずの国王であったが、今回は少し異なっていた。まるで何かに怯えているかのように一瞬震え、恐る恐るその顔を見たのである。そして、そこにいるのが見慣れた天真爛漫な少女、ヒトア・ポリュートである事を確認したヒュマス国王は、ほっとした表情を見せた。流石にそのような様子を見せられてしまっては、ヒトアも不安な感情を抱かずにはいられなかった。


「だ、大丈夫ですの……国王様?」

「あ、ああ、ヒトアか……久しぶりだな……」

「まあ、国王さまったらすっかりやつれちゃって……一体何があったんですの!?」


 甲高い声をあげながら大げさに驚くような声を挙げる彼女は、耳に響くその音に対して国王が一瞬嫌がるようなしかめ面をした事など一切気づかなかった。そして、彼女はわざとらしく目を潤ませながらヒュマス国王に同情するような言葉をかけた。そんなにやつれる程にまで仕事を押し付けられるなんて、国王様はなんて可哀想な人なのか、と。だが、その言葉に返ってきたのは自分を気にかけてくれたヒトアへの同情ではなく――。


「ヒトア、済まないが一旦出て行ってくれないか……?」


 ――この部屋の外へ出て行って欲しい、と言う予想外の頼みであった。


「……ま、まぁ、面白い冗談でありますこと!」


 その言葉に一瞬たじろいだヒトアであったが、彼女は懲りることなく可愛げな仕草を見せながら、再び机に向かって仕事を始めそうな国王の注意を引こうとした。彼女にとって、今の国王陛下は周りに広がる無数の書類の中に押しつぶされそうな『可哀想な人』であり、自分が助けなければいけない存在であった。

 そんなに仕事一辺倒になっているといつかは無理をして倒れてしまう。休み休みのんびりやるのが一番だ。だからいつもと同じように、私と一緒にたっぷり遊んで疲れや億劫な思いを発散しよう――彼女は彼女なりに懸命に国王を励ますような前向きの言葉をかけ続けた。


「それに、そんな風に机ばかりに向かっているなんて『国王陛下』らしくありませんわ!」

「……国王陛下……らしくない……?」

「ええ、当然ですわ!もっと普段の国王様らしくして下さないと、ヒトア泣いちゃいますわよ~」


 彼女にとっての国王は、『コンチネンタル聖王国を束ねる者』ながらも自由奔放、様々な規則に縛られる事無く自分自身に愛を振りまき、どんな無茶な願いも聞いてくれる、まさに理想が現実となったような存在だった。しかし、今の彼女の目の前にいるの今の国王は、その理想から少しづつずれ始めているようにしか見えなかった。彼女は普段の国王の調子を取り戻して欲しい、と懸命にふるまい続けた。だが、それらの行動に真新しいものは何一つ含まれていなかった。普段通りの優しく可愛い美少女の姿を見せ続ければ、きっと国王の心も癒されるはずだ、とヒトアはずっと信じ込み続けていたのである。その様子を見つめ続けている国王の瞳に、焦りや怒りのような感情が沸き上がり始めている事など、気づく余地は全くなかった。


「すまない、ヒトア……今の私は忙しいのだ……」

「もー、またそんなこと言ってー!ヒトアぷんぷんですわ~♪」

「いや、本当に、これらの書類を片付けないと……私は国王としての責務をだな……」

「責務なんて気にしなくて平気ですわよ!」


 そして、ヒトアは机に乗せた国王の手を不用意に引っ張った。早くこの部屋の外へ出よう、そうすれば仕事なんてすぐに忘れて楽しい時間が待っている――天真爛漫な態度を崩さないまま無理やり国王を立ち上がらせた彼女は、こんな一言を吐いてしまった。


 今から『宴』を開こう。皆を集めて楽しい時間を過ごそう。


「宴……だと……?」

「ええ!私も勿論参加しますわ!きっと楽しい宴に……!?!?」


 その言葉が途切れた理由は、国王のもう一方の手――ヒトアに自由を奪われた方と逆の手によって、彼女の頬が叩かれたからであった。同時に聞こえた大きな音、直後に感じる痛みをヒトアが理解するのには、若干の時間が必要となった。当然だろう、考えもしないような出来事が、自分自身を襲ったのだから。


「こ……国王……様……?」

「宴は開けない。ここにある書類を全て片付けるまではな」


 その言葉の意味もまた、ヒトアにとって理解し難いものだった。彼女にとって『宴』は国王が指示すればすぐに準備が整い、暇を持て余した貴族たちが参加し、豪華な食事が並ぶ中で『聖女』たる自分が多方面からチヤホヤされると言うものだった。もっとも、最近は『聖女』としての活動が忙しく、そういった宴が開ける暇はあまり無かったが。それだけに、国王陛下もきっと楽しみにしてくれるはず、と彼女は信じて疑わなかったのだ。だが、目の前にいる国王が投げつけたのは、その『宴』に関する現実だった。


「それに、料理人も従者も姿を消した。開けるわけがないだろう」

「な……何を……何を言ってますの、国王様……」


 当然、ヒトアはその現実から目を反らした。そのような厳しいことを言う国王陛下の姿など想像もできなかったし、そもそも見たくもなかった。先程の頬の痛みも、幻覚か何かだと信じたい一心であった。だが、いくら目を凝らしても、そこにいるのは明らかに憤怒の意思を示すヒュマス・コンチネンタルの姿だった。


「ヒトア……ヒトア・ポリュート……出ていけ……」

「そ、そんな、お戯れも程々に……」


「出ていけ!!!!!」


 そして、現実を見据えず理想ばかりを押し付け続けていたヒトア・ポリュートに対し、ついにはっきりとヒュマス国王は『怒り』の意思を言葉で示してしまった。いい加減にしろ、自分の仕事の邪魔をするな――放たれた言葉の数々には、ヒトアに対する明らかな憤怒の感情が沸き立っていた。悪い方向に天真爛漫な態度を崩さなかったことばかりではない。自分の意思で目の前にある大量の書類――片づけても片づけてもなお寄せられる、この国を運営し再びぜいたくな暮らしを取り戻すために必要な書類の処理を行うことを決めたにも関わらず、ヒトアはヒュマス自身の意思を全否定した挙句、『可哀想』と言ってのけたのだ。自分自身が惨めな立場に置かれている事を痛感したヒュマスにとって、その一言は同情どころか、尊厳を傷つける侮辱のような響きにも聞こえていたのである。


「顔も見たくない!!!!さっさとここから去れ!!!!」


 そして、何度も何度も叫び続けるヒュマスの声に、ようやくヒトアは自分がどのような状況に置かれているか、と言う『現実』に目を向けた。いや、目を向けざるを得なかったのだ。そこにいたのは、自分の理想像と文字通り正反対、自分が描くバラ色の未来を崩す、恐ろしい存在だったのだから。


「う……う……うわああああああああん!!」


 耳をつんざくような大声で泣き声を響かせ、目から涙を、鼻から鼻水を垂れ流し続けながら、ヒトアはヒュマス国王の部屋を後にした。残された彼が自分の暴言を心の中で処理できず瞳から涙を流していた事など、彼女は知る由もなかった。国王様なんて大嫌い、みんなみんな大嫌い、もう誰の姿も見たくない――彼女もまた、自分が受けた仕打ちを心の中で処理することができない状態だったからである。

 そして、彼女は来た道を大泣きしながら戻り、宮殿を後に大神殿にある自室へ籠るため走り続けた。


「うええええええええん!うあああああああん!」


 そんなヒトア・ポリュートの惨めで騒がしい後ろ姿を――。


『……だから私も貴方の「お父様」も言いましたのに……』


 ――『側近』に成りすましたセイラ・アウス・シュテルベンは、呆れや同情、様々な感情が混ざった溜息とともに見送った……。

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