✯3 四歳の頃、なにが欲しかった?


 というわけでここからはひなっちこと守雛まひながお送りします。


 いいえ、僕自身は『ひな』とまを抜いて呼ばれるのが大嫌いですので、不本意の紹介となります。


「おう、やっぱりひな坊じゃん。なんだ、さっき大声出してなかったか?」

「坊主とかならともかくひな坊はやめてください。まを抜かれるのは嫌いです」

「いいたいこという前にあいさつはするもんだぜ、ひな坊」

「こんにちは、衛幸えみゆさん、奇遇ですね。ところで、僕の名前からまを抜かないでくれませんか?」

「なあ、ひな坊、ぎんもここにいなかったか?」

「……」


 あの妹にしてこの姉ありか。

 いや、人が怒った目をしていても気にしないこっちの方がタチが悪いだろうな。

 と思ったがやはりどっちもどっちだなと、背後の階段を上っていった先にあるかばん屋に意識を向けて、どんよりとした気分になる。


 ピアノジャズを流すくつ屋の入り口で僕は、今年のクリスマス・イヴの例年にない厄介さに心の中で歯がみしていた。

 べつにその不平不満を臆面おくめんもなく顔に出したところで目の前にいるこの女性は動じないだろうから八つ当たりに見せつけてやってもいいが、むなしさが増すだけとわかればどちらかというと溜め息しか出ない。


「はあ……べつにだれもいなかったですよ。最初から僕ひとりです」

「そうか? 似た声がしたと思ったんだが」

「気のせいじゃないですか? 僕も大きな声は出してませんよ。そもそも銀霞さんは今、街に?」

「いや、今日は友だちんに遊びに行くって聞いてる。とかいいながら、男といてもおかしくないと思ってたんだけどな。ひな坊がひとりなら違うか」


 衛幸さんはひとりで納得している。

 会話が広がる前にさっさとこの場を離れてしまうか。銀霞のことをフォローしておいてなんだが、衛幸さんがこのままなんとなくかばん屋へ入っていったところで僕の知ったことではない。


「じゃあ、僕は少し急ぐので、これで」

「まあ待てよ」


 衛幸さんの指がキャソックの背をつかむ。スタンドカラーはこういうとき首筋に食い込むので不利だ。咳き込む一歩手前まで行った。

 目尻に涙を溜めて立ち止まる僕の肩に、衛幸さんが外気で冷え切った手をまわしてくる。


「聖誕祭の準備で忙しいはずの家の子が街をぶらついてるってことは、実質ヒマしてましたってことだろ? だったらちょっとつき合いなよ。な?」

「いや、僕は母へのプレゼントを買いに……」

「おーおー、見あげた親孝行っぷりだ。いいぜ、そいつに協力してやるよ。なるべく大人の女の趣味に合いそうなやつがいいんだろ? 大人の女っていうか」


 母親の――と、衛幸さんは最後の部分を耳元でささやくようにいった。


 ハッとして顔をあげた僕の視線の先にちょうど、小さな女の子が立っていた。


 コーヒーブラウンのポンチョを着た、子犬みたいな女の子。

 月の出を待つ池のふちみたいに黒い瞳で僕を見ている。

 椿色つばきいろの小さな舌を突き出して、ソーダ色のアイスクリームをこちょこちょくすぐっている。


「四段重ね……」

「なかなか話のわかるおっさんでな、あれで三百円にまけてもらった」

「こんな寒い中であれ全部食べたらお腹壊しますよ、夜祥よすがちゃん」

「だよな。半分食べてやってくんない? なんかあったかいもんおごるからさ」


 女の子の名前をいきなり出しても動揺してもらえなかった時点で、おおむねのことは衛幸さんの手の内にあると確信させられた。

 その後の魂胆もずいぶん見え見えだったが、僕は素直に諦めてから、「日が沈むまでですよ」とあえて釘を刺すことで降参を示した。



 つづく

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