4.かけがえのない"情報"




 山道の途中に二人を残し、俺と芽縷は展望台を目指した。

 しばらく進むと『展望台まで あと一〇〇メートル』という看板が見えてくる。もう、あと少しだ。


 しかし、そのタイミングで芽縷がはたと足を止め……

 妙なことを口走り始めた。



「……亜明矢あめや学院高等学校は、一九四〇年一月、三ノ宮高等女学校としてその歴史に幕を開けました。のちに名称を亜明矢高等女学校に変更し、さらに一九五〇年に亜明矢学院高等学校へと改称、男女共学校に生まれ変わりました」



 まるでアナウンサーが原稿を読み上げるようにつらつらと、訳のわからない言葉を発するので、俺は、



「……どうした。疲労で頭がおかしくなったか」

「違うよぅ。この先にある『石碑』の文面、ネットに情報落ちてないかなーって検索してたんだけど、ヒットしたよ。OB・OGが残してくれてたみたい。今、咲真クンにも送るね」



 直後、俺のスマホがブブッと震える。

 見れば、ラインヌに『石碑』そのものを写した画像が送られてきていた。拡大すると、その文面まではっきりと見える。



「これで上まで登る必要がなくなったね。それじゃ、戻ろっか」



 にっこり笑って元来た道を引き返そうとするので、俺は慌てて引き止める。



「ちょっと待てよ。富士山の写真撮ってくるって、チェルシーに約束してたじゃないか」



 すると芽縷は、振り返りながら肩を竦めて言う。



「えぇー? それもネットの拾い画でいいじゃん。あたしなんかが撮ったやつよりずっと良い画像が、ごまんとあるよ?」

「それじゃ意味がないだろ。芽縷が行って撮ることに意味があるんだ」



 少しムッとなって言ってしまった俺の言葉を、芽縷は鼻で笑って、



「……『意味』ってなに? 画像は画像じゃん。こういう労力を省略するためにネットがあるの。時間は有限なんだよ? 省けるものは省こうよ」

「省けるもの、って……チェルシーの代わりにお前が富士山見てきてやることが、省くべきことなのかよ?」

「ちょっとちょっと。なにムキになってんの? あたしが見たところでチェルちゃんが見れないことに変わりはないじゃん。視覚データが共有できるわけでもあるまいし。それに、あたしなんかが撮るなんの価値もない写真よりも、プロが撮ったイイカンジの画像の方がチェルちゃんだって喜ぶでしょ?」



 なんて、悪びれる様子もなく言う。

 ……こいつ、本気でそう思っているらしい。



「自分が、自分の足で行って、自分の目線で撮ることに意味があるんだろうが」

「だから『意味』ってなに? 自分の身体でなんでも経験してみろってこと? あは、さっすがおじいちゃん。前時代的だね」



 芽縷は手を広げながら、笑みを浮かべる。



「汗水垂らして、身体を動かして知識や情報を得るだなんて非効率じゃん。結局人間て"情報量"なんだよ。誰よりも速く、誰よりも多く、質の高い情報を得ていること。それが勝ち残るのに必要なこと。無知を晒せば舐められる。逆に、情報を得ていれば優位に立てる。咲真クンだって受験勉強頑張ってきたんだから、わかるでしょう?」



 その口調が、だんだんと荒く、感情のこもったものへと変わっていく。



「自分の足で? 自分の目線で? そんなものになんの価値があるの? 必要なのは、洗練された歪みのない情報だよ。あたしがどうかなんて関係ない。だって……」



 そして芽縷は、肩を落とし、諦めたように自分の手のひらを見つめ、



「だって、こんな……なんの価値もないあたしが撮った写真なんて、それこそ価値ない。だから、あたしなんかよりもずっと写真が上手な人が撮った一番イイものを、チェルちゃんに見せてあげたい。ただそれだけなのに……それって、そんなにおかしいことなの?」



 消え入りそうな声で、呟いた。


 その言葉を聞いて……俺は納得した。

 そうか。これが、彼女の生き方だったんだ。



『あたしなんか……』



 "魔力"を持たずに生まれたせいで、きっといつもそうして自分を否定して生きてきたんだ。

 力がない分、誰よりも多くの情報を先回りして得ることで、自分自身を守ってきたんだ。


 そりゃあ、俺だって何かあればスマホに頼って調べ物をしたりする。

 自分でわざわざ身体を動かさなくとも知れるというのは、とても効率的だ。

 だけど……


 前時代的な俺は、こうも思ってしまう。



「自分が直接見て、聞いて、感じたことだって、何よりも大事な情報になるんじゃないのか? 同じ山の写真を撮るにしたって、お前というフィルターを通すことで唯一無二の写真になるんだよ。他にはない、お前だけの情報が、そこに残るんだよ」

「あたしだけの、情報…?」



 芽縷が聞き返す。

 俺は続けて、



「体験することが無駄だって言うなら聞くが、あのバスケ部での体験入部で見せた楽しそうな笑顔……あれも演技だったのか?」

「そ、それは……」

「あの時の『楽しい』っていう気持ちは、ネットのどっかに落ちてるのかよ。『バスケ 楽しい』で検索すれば、高揚感や緊張感、達成感をダウンロードできんのかよ。お前が身体を動かして体験したからこそ、知り得た情報だろ? 知らないことがあるなら、これからゆっくり知っていけばいいじゃないか。体験していけばいいじゃないか。大事なのは、"お前が何を感じたか"だろうが」

「あたしが、何を、感じたか……?」

「お前、本物の富士山、見たことあるか?」

「……ない、けど」

「なら行くぞ。実際に見て、感じて、どうだったのか俺に教えろ。チェルシーと煉獄寺にもだ。俺は、俺たちは、検索で出てくる見本のような富士山が見たいわけじゃない。『芽縷と一緒に見る富士山』が見たいんだ」



 そう言うと、俺は芽縷の手を取り、歩き出す。

 彼女が「ちょ、ちょっと」と戸惑うような声を上げるが、無視して突き進む。



 やがて見えてきたのは、展望台へと続く十段ほどの階段だ。

 それを一歩一歩、踏みしめるようにして登る。


 登り切った先は、アスファルトで舗装された小さな広場だった。

 階段のすぐ横に、例の『石碑』。それ以外にはベンチが二つあるだけの、展望台とは名ばかりのつまらない場所。


 だが、そんなことはどうでもいい。

 もう、どうでもいいくらいに……



 ──目の前の景色に、圧倒されてしまった。




「………………」



 ……俺もこんなに近くで、遮るものがない状態でこれを見るのは、初めてかもしれない。


 デカい。

 こんなに、デカかったのか。


 デカいのに、見事なまでにシンメトリーだ。

 頂に残る雪がまた美しい。

 自然に対する畏怖と敬意、そして己の小ささをいっぺんに教えられる。そんな気分だ。



 日本人なら幾度となく目にするこの山。

 しかし、やはり本物は違う。ネットの拾い画じゃ、この感覚は得られない。

 と、芽縷を感動させるつもりが、うっかり自分がめちゃくちゃに感動してしまったが、



「……どうだ? これが、本物の……」



 富士山だ。

 そう、隣にいる芽縷に言おうとして、彼女の方を向いた俺は……言葉を失う。


 芽縷が……静かに、涙を流していたのだ。



「お、おい芽縷。大丈夫か?」



 慌てて彼女に尋ねるが、彼女はまっすぐに前を見つめたまま、



「……すごい。ほんとに、すごい。おっきくて、すごく、きれい……」



 ぽつりぽつりと、呟く。

 なんだその語彙力。幼稚園児かよ。


 いつも飄々としている彼女が見せた初めての表情に、俺は少し笑って、



「……芽縷がこれまで、どんな思いをして生きてきたのかは知らない。だから、あまり偉そうなことを言うべきではないとわかってはいるが……何でもかんでも先回りして調べて、それで終わりにしてしまうのは、やっぱ勿体無いと思うんだ。芽縷自身がやってみて、どう感じるのか、どう思うのか。それを大切にしてほしいんだよ」



 って、さっきから俺はどの立場でモノを言っているんだろうな。やはりおじいちゃんなのだろうか。

 しかし、そんな俺の説教くさい言葉に……

 芽縷は涙で濡れた瞳でこちらを見つめ、素直に「うん」と頷いた。

 その表情に思わずドキッとさせられ、俺は目を逸らす。



「富士山見て泣けるなんて、素晴らしい感受性の持ち主だと思うぞ。だから、その……そんなに自分を否定してやるなよ。そんだけ感動できる、綺麗な心を持って生まれてきたんだ。だったら、感動できる体験を、これからもっともっとしていこうぜ。一緒に」



 なんて、照れ隠しに目を合わせないまま言うと……隣で芽縷がクスッと笑う。



「……何それ。口説き文句みたい」

「は?! ちげーよ! 俺だけじゃなくて、チェルシーや煉獄寺とみんなで、ってこと!」

「……そっか。うん。そうだね。これからはみんなで、いろんなことがしたいなぁ。今はフツーの女子高生の『烏丸芽縷』でいても、いいんだもんね」

「そうだよ。つーか、最初からお前に女子高生以上のことなんか求めていねーから」

「うわ、咲真クン言うねぇ。でも……その方が助かる。ありがと」



 そう言って彼女は、ふわりと笑った。

 いつも明るい笑みを絶やさない彼女だが……何故だかそれは、初めて見せた"本当の笑顔"のような気がした。

 俺もつられるように「ん」と笑って、再び目の前の富士山を眺める。



「……さ、撮るぞ」

「え?」

「チェルシーに見せるための写真。お前の目、カメラになってるんだろ? 一番える構図で撮ってくれ」

「うわ。この時代ってまじで『え』とかいう概念あるんだね。恥ずかし」

「うっせ! いいから撮れ!!」



 芽縷は「はいはい」と言いながら、富士山を見つめ、何度かまばたきをする。

 そして、一度こめかみを押さえたかと思うと……俺のスマホがブブッと鳴った。



「撮った写真送ったから確認してみて。ちゃんと『え〜』なカンジに撮れてる?」



 そう言われて、俺はスマホを取り出し画像を確認する……が。



「……なってないな」

「は?」

「もっとこう、富士山の雄大さをババーンッ! と捉えないと。引きすぎず寄りすぎず、絶妙な撮影ポイントを探すんだ」

「ごめん。何言ってるかわかんない」

「わかるだろ! 写真は撮る角度や位置で全然変わるんだよ!! これアレだな。もっと下から、地面に這いつくばるくらいの位置から煽りで撮った方がデカさ伝わるな。あとあの辺の木をちょっと入れ込むと遠近感が出て……」

「キモい通り越して怖いんだけど。え、何? ちゃんと撮れてるじゃん。これがあたしの目線で撮った富士山なんだから、それでよくない?」

「いいわけねーだろ! チェルシーが楽しみに待ってんだぞ?! 俺たちの感動がもっと伝わるような構図をちゃんと考えなきゃだろ!!」

「はっはーん。にゃるほど。咲真クンはチェルちゃんを喜ばせたいわけだ」

「そりゃあ……あんなに楽しみにしていたのにこんなことになって、その……可哀想だし」

「……もしかして」



 ずいっ。

 と、芽縷は顔を寄せ、俺の瞳を覗き込んで、




「チェルちゃんのこと……好きなの?」




 ……などと、意味不明な言葉を囁くので。

 俺は……



「………………ん? 誰が、誰を好きだって??」

「だから。咲真クンが、チェルちゃんのことを好きになっちゃったのかなーって思って」



 …………………は。

 まったく、何を言い出すのかと思えば。



「この年頃の娘は、男と女を見ればすぐコレだ」

「いや、同い年だよ? おじいちゃん」

「そんな色ボケたマセガキには、富士山の写真なんか任せられないな」

「だから同い年だってば」

「コンタクトを貸せ。俺が撮ってやる」



 俺はがしっ、と芽縷の肩を掴む。

 が、芽縷はその手を払いのけ、



「貸すわけないでしょ。自分のスマホで撮りなよ」

「いいや、貸せ。そっちの方が画質が綺麗だ」

「この時代のスマホに送ればどっちみち画素数落ちるし、意味ないよ」

「いいからいいから。そのSFアニメみたいなカッコいいツール、俺が使いこなしてやるから」

「ってそれが本音でしょ?!」



 ツッコむ芽縷と正面からギギギ、と手を組み合う……と。



「あっ、いました! おーい、咲真さーん! 芽縷さーん!!」



 後ろから、チェルシーの声。

 振り返ると、そこには……



「……って、何してんだお前ら!!」



 元気に手を振るチェルシー……を、背負いながらひょいひょい階段を登ってくる煉獄寺の姿があった。



「えへへ。薄華さんのご厚意に甘えてしまいました」

「……私からすればあなたなんて、羽みたいに軽い。だから気にしないで」



 申し訳なさそうに頭を掻くチェルシーと、顔色一つ変えずに答える煉獄寺。そして、



「うわぁ……これが、富士山……! 本当に、本当に大きいですね!!」



 煉獄寺に降ろされながら、チェルシーが目を輝かせる。足の痛みなど忘れているのだろう、展望台の端までゆっくりと歩いて行き、柵に手をつき身を乗り出した。



「おいおい、大丈夫か? あんま無理するなよ」



 俺は思わず駆け寄る。

 するとチェルシーは、申し訳なさそうに笑って、



「すみません。実はわたくし……富士山を見たい気持ち以上に、写真が撮りたかったのです。今日の思い出に、富士山を背景にした記念写真が欲しくて……そのことをついこぼしたら、薄華さんが連れて来てくださいました」



 なんてことを言う。

 今日の、思い出に……

 そこにはきっと、『いつかあちらの世界に帰ってしまうから』という枕詞が付くのだろう。



「わがままばかり言ってすみません。ご迷惑でなければ、一緒に写真を撮っていただけませんか?」



 そんなチェルシーのセリフを聞いて、俺は芽縷だけに聞こえるように囁く。



「……な? こいつは最初から、プロが撮った綺麗な写真なんか求めていないんだよ」

「いや、咲真クンだって綺麗な写真撮ろうとしてたじゃんっ」



 と、ひそひそ言い合ってから。


 芽縷は、自分のスマホを取り出すと、



「もちろんだよ、チェルちゃん! あたしもみんなと一緒に写真撮りたい!!」



 屈託のない笑顔で、そう言った。




「──よーし! みんな寄ってー!! シャッター押すよー!!」



 俺たちはぎゅうぎゅうに身を寄せ合い、背景に富士山が入るよう少し屈みながら、芽縷の持つスマホのインカメラを見つめる。


 カシャッ、と鳴るシャッター音。


 みんなで撮れた写真を確認すると……

 そこには屈託のない笑顔を浮かべた、四人の姿が写っていた。


 それを見た芽縷は、



「……うん。いい写真。これが……、富士山だ」



 誰にも聞こえないような声で、そっと、呟いたのだった。

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