つめたい夜

 暗い夜だ。

 空にはきっと無数の星が輝いて、月とともに夜闇を照らしているのだろう。

 だがそれが見えない今の俺には、ただの暗闇でしかない。仮に見えていたとしても、星空を眺めるような余裕は無い。

 何時間かも分からないほどに続く悪夢によって、息は荒く、身体は汗ばんで熱いのに、体の芯はひんやりと凍えている。

 元々俺は運動は得意じゃ無いし、出来る事ならやりたくない。結果として、俺には体力は無いに等しい。

 昔、まだ孤児院にいた頃、いやまでは、一年を病気にかからないで過ごせる程度には体力はあったはずだ。

 それが、ちょうど去年の今頃だろうか。その日を境に一気に体力が無くなったように思う。


 「あ…ああっ…っ…!!」


 突如、頭の片隅にでさえ置いておきたくない奴の姿と記憶が頭で自動再生される。

 それに合わせて鼓動が大きく速くなっていき汗と涙が溢れる。頭が軋んだように痛い。脳の皮が一枚一枚剝れていくような幻想が浮かび、息がさらに荒くなっていく。空気が素通りしていってひゅうひゅうと笛のような音が鳴る。そんな喉の痛みを繰り返して耐えていると、何かが詰まったような感覚を覚えた。

 直後、ゴホゴホと大きく咳き込む。

 急いで口に手を当てようとしたが間に合わなかった。

 咳と共に吐き出した真っ赤な血が洗濯されたばかりのシーツにべっとりと付く。


 (明日ちゃんと洗わないと…)


 今日は仕事があったから先生に洗ってもらっていただいたが、自分が汚したからには、ちゃんと俺がやらなくてはいけない。

 先生は優しいから、何か理由をつけては洗うと言ってくださるだろう。

 今日だって、そんなに忙しい訳でも無いからやろうと思えば出来たのに。「働いている病人にはやらせませんよ」と笑顔で言われたら断れない。だって先生が言ったことには、俺には頷くことしか出来ない。俺には先生に返しきれない恩があるのだから。


 今度はしっかりタオルを当てて軽く咳を繰り返した後、枕元に置かれた水を飲みゆっくりと深呼吸をして息を落ち着ける。

 コップを置いた後に乱れた布団を簡単に整えてベットに座りなおした。そしてベットの傍に取り付けられている大きな窓を開ける。

 窓からのぞく空に輝く星々は、ただただ綺麗で、心に残ったドロドロとした気持ちを吹っ飛ばした。少しの間そんな星空に見入っていると、まだまだひんやりとした気持ちの良い新鮮な空気が窓いっぱいから入ってきていた。体が冷える、と先生に怒られるだろうが言い訳はその時に考えよう。


(後先考えろ、ってハルにさんざん言われてたっけ…)


 ふと、色素の薄い金髪の幼馴染との記憶が浮かんできた。


(後先考えないのはハルもなんだよな…)


 いつかもう一度言われた時に、お互い様だろうが、と言ってやりたい。

 胸にチクリと針で刺されたような痛みがした。


「まぁ…もう、言う機会は無いだろうけど…」


 無意識にただの自傷でしかない言葉がこぼれた。

 ハルを引き金に、次々とたくさんの懐かしい記憶が泡のように浮かんでは消えていく。何だか郷愁に似た感覚が胸に満ちた。


 (でも…これは俺が勝手に決めてやったことだから…)


 一年前に自分自身で決めた道を再確認して、胸に深く刻みつける。

 だから、俺に悲しんだり懐かしんだりする権利は無いと、それらの気持ちを強引にねじ伏せる。


 覚悟を改めて決めなおすと、不必要な感情を全て流すように枕元に置いていた水を勢いよく飲む。

 心がすっきりとしたことを確認すると、音を立てないように気を付けて寝っ転がり布団をかぶり直す。


 覚めてしまった目をもう一度落ち着けるのが中々上手くいかない。

 星空がやけに眩しく見える。

 寝るまでの暇つぶしにと、もう何年も前に読んだ本を思い出して星座を見つけ出してはその物語を思い出していく。

 それが七つ目に突入したころだろうか。

 まぶたがゆっくりと落ちていき、やがて意識が、星が一つたりともない夜空の暗闇に溶け込んでいった。

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