第32話 秘密の花園




「あぁぁぁ、染みるぅぅぅ」


 思わず声が零れてしまう程、その少し熱めのお湯は疲れ切った体に染みわたる。

 いや、体力的にはそんなに疲れてない。ハッキリ言って精神的な疲れで間違いない。


 ただ、それすらも瞬時に回復してしまう程……この宮原旅館の露天風呂は最高だ。

 辺りは木々で囲まれ、目の前は大きく開けている。そして少し小高い場所に建てられている立地を、満遍なく活用した光景。


 温泉に入りながら、光に溢れた市街地を見下ろす。そのシチュエーションは最高だ。


 あぁ……最高。さっきまでの疲れが嘘のようだ。

 結局、海真と透白は庭で1対1しやがって、俺は審判。暗くなるまでやってんだもんな? めちゃくちゃ疲れたし飽きたぞ?


 女子組は女子組で、風呂入りに行って、そのあとマッサージまでしてなかったか? 廊下歩いてるの見えたぞ? ったく、羨ましい限りだ。


 それに……晩ご飯ももはや宴会じゃねぇか? 

 父さん母さんは勿論、両家の婆ちゃん爺ちゃんも勢揃い。確かに一同が揃うのは久しぶりかもしれないけど、それぞれ1年に1回は会ってるでしょうよ? 

 まぁ、テンション上がりっぱなしで……余りの光景に逃げて来たけどさ?


「はぁ……やっぱ温泉だよなぁ」


 なんて声を漏らした瞬間だった、


「なぁにお爺ちゃんみたいなこと言ってんのよ」


 耳に入って来た突然の声。それは聞き覚えのあるものだった。そしてその方向は……大きな壁の向こう側。

 この声……もしかしてあいつも露天風呂来たのか?


「なんだよ。悪いか? 恋桜」

「別に悪いとは言ってないでしょ?」


 やっぱり正解か。


「それにしても、やっぱり良い所ね?」

「だな」


「ご飯も景色も最高」

「まぁな? でも俺はなんといっても……」


「「露天風呂」」


 なっ!


「ふふっ、分かるよ。この景色は最高だもんね?」


 ほほう、なかなか分かる奴じゃないか恋桜。


「だな」



 それから俺達は、壁越しではあるものの……何気ない話で盛り上がった。とはいっても、その多くはこれからの作戦会議だったけど。


 話を聞く限り、あれ以来凜桜と海真の間に目立った動きはないらしい。むしろ両手に花束状態だった通学路では結構アピール出来たそうだ。その仕方がなんなのか疑問は残るけど、本人が自信たっぷりならいいだろう。



「そんで湯真は? インターハイで優勝出来たんだから、遊びに行っても良いんじゃない?」


 遊びにか……けどな? インハイではあいつ出てなかったんだよ。だからちゃんと上手くなったって証明が出来たかと言えば……そうでもない。


「でも、インハイではヤニス出てなかったからさ? まだ、約束果たしたって気がしない」

「はぁ……変にこだわるよねぇ」

「うるさいよっ」


 こればっかりは、自分で決めた事。凜桜に言った事だから曲げられない。絶対にな。


「そういえば、明日黒前高校行くんだってさ」

「はっ? マジで?」


「うん。どうせなら一緒に部活混じればいんじゃね? って透白さんが言ってて、海真が二つ返事でOKしてたよ?」

「マッ、マジか?」


 まっ、マジかよ? 嘘だろ? 海真のやつ……って、ん?

 海真の突拍子もない言葉に驚き、思わず男湯と女湯の間に立ち塞がる壁に目を向けた時だった。それは確かに偶然だった、たまたまだった。なんでそこに目を向け、その一見すると何ら変哲もない壁の一角を見たのか分からない。


 ただ、気が付いてしまった。その壁のある一部だけ、妙にズレている事に。


「そうそう、だから明日皆で行こうってなってね?」

「なっ、なるほどな。どうやって行くとか言ってたか?」


 この壁、下はレンガが互い違いに積まれてる感じで、途中から真っ白な壁になってる。けど、ここのレンガっぽい奴……なんか妙にズレてね?


「透白さんのお父さんが乗せって行ってくれるって言ってたよ?」

「マジか……それは……ラッキーだな」


 それは完全に好奇心だった。その少しずれているレンガ。何となく、そこを押してみた。するとどうだろう、その力に抗う事なくすっと……押されて行ってしまうではないか。


 はっ?


 そう思った時には、もう遅かった。辛うじて指先に残っていた感覚は、瞬く間になくなる。その光景が理解できない

 ただ、


「でも私達行って良いのかな?」


 妙に、恋桜の声が……ハッキリ大きく聞こえた。

 そこに穴があるなら、覗きたくなるのが男。まさにそれは男としての本能だった。考えるよりも早く、体が勝手に動きだしていた。


「いい……だろ? 透白が良いって……言ってるなら……」


 ゆっくりと、その中を覗き込むと……辺り一面は湯気に包まれていた。ただ、そんな中……何やら大きな影が見える。


「だけど……って? なんか湯真の声大きくなった?」


 幸いな事に湯気が薄れる。そして覆われていて良く見えなかった影が……徐々にハッキリと見えて来た。


「そうか?」


 ごっ、ゴクリ……


 その先は……まさに秘密の花園だった。


 髪を上げ、白い肌と滴る雫はいつもの恋桜とは違い……何とも艶やかな姿。出来ればここに凜桜が……


「あれ? なんだろここ……って!」


 しかし、そんな幸せな時間も長くは続かない。


 あっ、目が……


「えっ、違うってこれは」

「なっ、何してるのよ! もう……」


 花園の入り口から巻き起こるお湯のしぶき。それを顔面に浴びながら、俺は悟った。



 所詮夢とは……儚いものだ。



「バッ、バカぁぁぁ!」



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