第41節 -絶対の法-

 昼下がり。いつもであれば太陽の光が市内へ降り注いでいる時間だが、上空には雲が立ち込め始めていた。

 当初の天気予測においても午前中は快晴で夕方前からは雨になるとされていたこともあって、ピーターのアートギャラリーを出た玲那斗とイベリスは夕方前には支部に戻り、残りの休日は部屋でゆっくりすると決めていた。

 上空の雲行きを見て玲那斗が言う。

「予測より雨が早く降り始めそうだな。この辺りの天候の予期は難しいみたいだ。」

「傘は用意してあるから少しくらいなら降っても安心ね。1つの傘を2人で差すというのをしてみたいわ。相合傘というのかしら?」イベリスが言う。

 彼女の笑顔を見た玲那斗は改めてイベリスの前向きさに感心した。たとえ雨が降っても彼女とならどこまでも楽しく歩けそうだ。

「その時はルーベンさんの絵が濡れないように守らないとな。」ピーターからもらった額縁を大事に抱えるイベリスを見て玲那斗は返事をした。

 そうして2人がメインストリートを支部へ向かいメインストリートを歩いていた時、ふと目の前に1人の少女がひょっこりと姿を現した。

 桃色ツインテールに制服と軍服を合わせたような服装をした紫色の瞳の少女。不敵に微笑みながらじっと玲那斗とイベリスを見据えている。

 少女の姿を見た2人は即座に足を止めた。

「イベリス、あの子は…」玲那斗が言う。

「えぇ、分かっているわ。」

 イベリスが玲那斗に返事をし、少女をじっと見つめ返すと彼女は笑顔を浮かべたまま裏通りへと入っていった。

「こっちへ来いということか。どうやら俺達に用があるらしい。どうする?」間違いなく罠だと認識しつつも玲那斗はイベリスにどうするか意見を聞く。

「おびき寄せる為の罠、それは明白ね。こういうことに慣れていない私でも分かるわ。けれども事件に何らかの関わりがあると分かっている以上は放置してもおけない。手を出すなと言ったロザリーの優しさに背くようで申し訳ないのだけれど…」

 イベリスの意志を確認した玲那斗は言った。

「よし、後を追いかけよう。」

 玲那斗はヘルメスのマップから現在地を表示し周辺の地形や建物を認識させると、万一の時でもすぐに最短での脱出ルートを割り出して確保出来るように準備を整える。

 そして2人は少女を追って彼女が消えた裏通りへの入り口へと進入した。


 裏通りの入り組んだ路地を慎重に歩み進める。

 背の高い建物に囲まれて外の明るさが届きにくく、昼間だというのに薄暗い。曇天である今の状況下においては一層暗く感じられる。

 玲那斗とイベリスは互いに離れないように身を寄せ合いつつ歩いて行く。主に玲那斗が前方を、イベリスが後方を確認しながら進む。

 路地に他の人の姿はない。玲那斗の脳裏にフロリアンが彼女を追いかけて裏通りに入った日と同じ状況を想起させた。

 突き当りの角を曲がり、さらに進んだ先の角を曲がった先。そこで玲那斗は少女の姿を見つけた。

「イベリス、あの子だ。」玲那斗の声にイベリスも振り向き少女の姿を確認する。

 2人が自分をしっかり捉えたことを確認した少女はすぐに動き出し、さらに奥へと向かって消えていった。

「明らかに誘導されてるな。」少女が消えた先に向かいながら玲那斗が言う。イベリスは何か考え事をしているのだろうか。返事はない。


 急ぎ過ぎず、ゆっくりと細い路地に歩みを進めながら玲那斗が次の角に差し掛かり右に向かう曲がり角へ進入しようとしたその時、唐突にイベリスが言った。

「玲那斗、伏せて!」玲那斗が言われた通りに咄嗟に地面へと屈んだその瞬間、頭上を何かが空振りするようにかすめていくのが分かった。

 イベリスの目の前、右から左に向けて鋭利な先端を持つアイスピックが素早く突き出される。

 玲那斗が視線を進行方向に向けるとそこには得体の知れない細身の “ナニカ” が呻き声を出しながら待ち構えていた。よたよたと動く怪物、化物のように見える。

 これはおそらく彼女の仕業だ。

 態勢を整えた玲那斗は怪物がアイスピックを自分に突き刺すために伸ばした右腕を掴み勢いよく背負い投げた。

 猛烈な勢いで地面に叩きつけられた怪物は衝突と同時に煙が霧散するように消え去る。

 イベリスの無事を確認する為に彼女に視線を向けた玲那斗は咄嗟に叫ぶ。

「後ろだ!」

 彼女の背後にはよたよた歩きの怪物がゆっくりと2体ほど凶器を振り上げて近付いてきていた。

 玲那斗はイベリスの腕を掴んで引き寄せて抱きかかえるように受け止めると、もしもの時の為にとジャケットの内側に忍ばせておいたスタンガンを取り出し即座に怪物に向けて射撃する。

 打ち出された2発の電極針は双方とも怪物へと命中したが、電流が流れても動きが僅かに鈍くなるだけで留まる気配は無い。

「効果無しか!」玲那斗がそう言った時、今度はイベリスが玲那斗を自身に引き寄せるようにして彼の視界を遮りながら言った。

「玲那斗、目を閉じて。」

 言われた通りに玲那斗が目を閉じた次の瞬間、目を瞑った状態でもはっきり分かる程の閃光が周囲に広がった。

 イベリスの能力、おそらくは光による目くらましか何かだろう。相手が人間でないと分かっている為、収束した光で焼き払った可能性もある。

「もう大丈夫よ。」彼女の言葉で玲那斗は目を開くと、目の前に迫りつつあった怪物の形は崩れていき、蒸発するように霧散して消え去った。

「すまない。」彼女を守ろうとしつつも、結局最初から最後まで彼女の助力無しでは何も出来なかった自信を恥じるように玲那斗は言った。

「どうして謝るのよ。貴方もしっかり私を守ってくれたじゃない。ありがとう、玲那斗。」イベリスは玲那斗に怪我が無いことを確認しながら穏やかな表情で返事をする。

 怪物を撃退した2人が互いに手を取り合いながら一息ついていると路地の向こう側から唐突に甘ったるい少女の声が響いて来た。

「まったくぅ、千年前から相も変わらず仲睦まじいのね?そういういちゃいちゃを他人の目の前で見せつけるのは、めっ!なんだよ?」

「アンジェリカ。貴女の仕業ね?」玲那斗が傷付けられようとしたことに対する怒りをその瞳ににじませながらイベリスは少女を睨みつける。

 その様子にふっと表情を崩して狂気を湛えた目を見開きながらアンジェリカが言った。

「あら怖い怖い。それは久しぶりに再会した知り合いに向ける視線ではないわね。清廉潔白、品行方正、青天白日な貴女にそんな目で見つめられると本当に悪いことをしたような気持ちになるから不思議。私はさっきまでこれっぽっちもそんな風に思って無かったのに。」嘲笑するように言った彼女はスカートをひらひらと揺らしながら2人の元まで歩み寄ろうとする。

「動くな。」イベリスが敵意を剥き出しにしたアンジェリカを制止する。

 周囲の空気のざわつき、そしてほのかに金色の変化しつつあるイベリスの髪色を見て玲那斗は彼女が本気でアンジェリカに対する攻撃の意志を持っていることを悟る。

 相対するアンジェリカの様子も同じだ。水風船に針先が極限まで近付けられたようなまさに一触即発の状態。

 次に何が起きるのか予測すら出来ないが、何か起きれば互いに無傷というわけにはいかない空気だ。

「御意、御意ぃ☆王妃様のお言葉には従いますとも。私はとぉっても良い子なので。動くなと言われれば動きませんとも。私はね?」ふざけた口調でアンジェリカは言う。イベリスの言葉を意に介している様子はない。

「ふざけないで頂戴。貴女の思惑通りにここまで来てあげたのよ?他に話すことは無いのかしら。」

「そっか。よく考えたら貴女は王妃に “なり損ねた” のだったかしら?御意する必要ナッシングぅ。でもそうね、質問には的確に答えないと消されそうな勢いだから言うわ。第六の奇跡に対する干渉を止めなさい。それだけよ。」

「お断りするわ。アイリス達がやろうとしていることは突き詰めればただの怨念返しよ。やられたからやり返す。それだけの行為。彼女の奇跡は人々の心を一時的に満たすものかもしれないけれど、長い歴史の中で必ず次の災厄を持ち込む結果に繋がる。決してこのまま見過ごすことは出来ない。」

「はいはい、正しい正しい。綺麗ごとが大好きな貴女らしい答えね?イベリス。同じリナリア出身の者の中でそんな風に思っているのはきっと貴方達だけだというのに。」大溜め息をつきながらアンジェリカは言った。

「どういう意味かしら?」

「言葉通りよ?復讐、報復、変革、再定義。この世界に蘇ったリナリアの忘れ形見達は皆が一様にそうした信念の為に行動をしている。アイリスだってそう、ロザリアだってそう。あぁでも1人…この地に訪れていない2人の内の1人は諦観が信念になってしまっているけれど。」

「貴女も復讐や変革の為に行動しているというの?」詰問するようにイベリスは言った。

「いいえ?私の動機は至極単純明快。ただ面白いからよ。協調が大事だとか、平和が大事だとか堂々と宣いながらも水面下では国家ごとに牽制し合い他国を攻撃する為の力を蓄え続ける。本音は別のところにあるのに妙なところで良い子良い子する猫かぶりの世界というものを楽しく踏みにじってみたいと思った。ただこの世界に生きる人間達の本性が知りたいと思った。どうしようもなく混乱する世界が見たいと思った。隠された人の本性を想像して暴き立てることほど楽しいことはないもの。例えそれが人であれ、国であれ、ね。私の動機はただそれだけ。」

「そう、つまりただの八つ当たりね。」

 その言葉をイベリスが発した瞬間のことだ。アンジェリカの表情から一瞬で笑みが消えた。

「何ですって?」イベリスの一言に対し、それまで見せていた余裕を瞬時に失くしたように怒気をはらんだ声でアンジェリカは返事をする。

 2人の会話を黙って聞いていた玲那斗には、これ以上の言葉を互いに交わせば大変なことになると確信出来た。最悪、裏通りごと吹き飛ぶのではないかとすら思えるような殺気がぴりぴりと伝わってくる。

「イベリス。」熱くなっているイベリスに冷静さを取り戻してほしいと願う様に名前を呼び肩に手を置く。

「まぁ、優しい王子様に声を掛けてもらえて幸せね、王妃様?嫉妬してしまいそう。正直、さっきの一言だけは私の癇に障ったわ。言葉だけで済まそうと思っていたんだけど、残念ね。」

「玲那斗に危害を加えるというのであれば容赦はしない。」

 過熱する2人の会話を聞きながら玲那斗はイベリスの横顔に目を向けた。怒りを滲ませてアンジェリカを見つめる瞳は虹色に染まりつつあり髪も金色の光を纏い煌めき始めている。これはイベリスが持てる能力の全てを本気で使おうとした時に見られる現象だ。

「私を亡き者にするの?あれだけアイリスの行為を否定していた貴女が?レナトのことが絡むと冷静でいられないという所が貴女の決定的な短所ね。」光を失った目に怒りをにじませイベリスを見つめるアンジェリカが言う。

 どろどろとした禍々しい殺気が周囲に満ちていくのが玲那斗にも感じられる。

「安心なさい。しばらく大人しくしていてもらおうと思っているだけだもの。」イベリスが言う。

「出来るのかしら?でも良いわ。私が絶対の法であるという意味を教えてあげるから。」

 一秒一秒が無限の刻に感じられるほど長い。僅かな膠着の隙に争いをやめさせようと玲那斗が声を出そうとした瞬間、アンジェリカは指を鳴らして言った。


「レイ・アブソルータ〈絶対の法〉。ここに光は非ず。」


 彼女がそう言うと玲那斗とイベリスを包む周囲が一瞬で真夜中のように真っ暗闇に包まれる。その場にいる3人の足元を含め全方向が真っ黒に塗りつぶされ、周囲の景色は黒一色に染まった。

 上下左右の感覚すら掴めない玲那斗は方向感覚を奪われた状況に陥り立っているのがやっとである。

 玲那斗が視線を横に向けると既にそこにはイベリスの姿は無かった。


 しまった。してやられた。アンジェリカはイベリスが持つ唯一無二の弱点を明確に突いた。


 最初からこれが目的だったのか。玲那斗はアンジェリカが何を企んでいたのかについて思い至り唇を噛む。

 彼女の狙いは端からイベリスではなかった。イベリスという存在を即座に無力化した上で自分だけを殺害するというものだったのだ。

 何の力ももたない自分だけを狙うのであればこれ以上に無いほど簡単なことだろう。そしておそらくは最も簡単にイベリスに精神的ダメージを負わせることの出来る方法でもあり、彼女がこの世界に現界する為の条件を破壊することも同時に出来る。


 イベリスの絶対的な弱点は2つ。

 一つは光がまったく存在しない場所でその姿を現界させることが出来ないということ。

 もう一つはレナトの魂を宿す自分の存在がこの世から失われることである。

 イベリスがこの世に魂を繋ぎ留めておくための楔の役目を果たしているのが自身の中にあるレナトの魂、そして自身の持つ月の紋章が描かれた石だ。

 これらが失われてしまえば彼女の魂はこの世界から文字通り “消失” してしまう。


 この2つの条件をそれぞれ満たす為に、アンジェリカはまずイベリスの無力化を図った。であれば次に行うことは間違いなく…

 姫埜玲那斗の殺害だ。

 アヤメの奇跡を止めようとする自分達を止める為にはなりふり構わないということだろうか。


「我は裁定する。従順なる囚人の群れよ、来たれ。我が法を敷く。暗闇より出でし者達は不死である。」

 アンジェリカの言葉と同時に暗闇の中から先程のよたよた歩きの怪物が際限なく溢れ出してくる。

 そしてゆっくり、ゆっくりと一歩ずつ玲那斗を取り囲むように四方八方から怪物が近付いてきた。

「光の無いこの空間において、彼女という存在は例え魂がこの場所にあろうともその姿を顕現させることは叶わない。愛しい彼女の目の前で貴方を八つ裂きにしてあげるわ、レナト。何も出来ないままそこで愛しい彼がバラバラにされる様子を眺めていなさい、イベリス。そして後悔と絶望を抱きながら暗い闇の中で今度こそその魂を散らしなさい!」うっとりとした目つきで嘲笑を浮かべたままアンジェリカは言う。

 まるで今から玲那斗がこの怪物たちに嬲り殺され解体される光景が繰り広げられるのを待ち侘びているかのようだ。


 “彼女の言うことは正しいが間違っている。”


 玲那斗はそう直感し努めて冷静に考えようとした。

 光源が全く存在しない場所においてイベリスが姿を見せることが出来ないというのは事実だ。イベリスは光を操る力を持つが自らが発光体として存在しているわけではない。

 世の中にある物体と同じように、周囲の光源から光を受けることで姿を見せることが出来る。

 だが、彼女の言う通りにこの場に “光が存在しない” というなら自身の目にアンジェリカや怪物たちの姿が見えていることはおかしい。

 アンジェリカの言う “絶対の法” とは何なのか。そこに気付くことが出来れば何か対抗のしようがあるかもしれない。

 しかし考える時間を削るように怪物たちは凶器であるアイスピックやナイフなどを振りかざしたままゆっくりと自分ににじり寄ってくる。

 怪我を覚悟でアンジェリカ本人をなんとかするしかないのだろうか。立っているのがやっとというこの状況で?無理だ。一歩動いただけで転倒してしまいそうだ。


 残された時間は無い。絶体絶命とも言える中で玲那斗は半ば死というものを覚悟した。

『イベリス、すまない。』


 アンジェリカが両手を頬に当てて恍惚の表情を浮かべる中、玲那斗が心の中でそう思った瞬間のことだった。


「暗い暗い中で随分と賑やかにされていらっしゃいますのね。わたくしも混ぜて頂けませんこと?」

 暗闇の中からそこにいなかったはずの人物の声が響く。

 玲那斗ににじり寄っていた怪物たちの動きが一斉に止まり、つい先程までうっとりとした様子を浮かべていたアンジェリカの表情がみるみるうちに青ざめていくのが分かる。

「ホリスディクシオン・アブソルータ・ソブレ・ラヴィーダ…主より《生命に対する絶対の裁治権》を賜る身なれば。わたくしには生命の秩序を監視監督し、自然世界の範疇から逸脱しようとするものを正しき在り方へ導く責務があります。故に死者の怨魂が現世を跋扈する様を見過ごすわけにも参りません。」声の主であるロザリアが玲那斗の背後からゆったりと前に歩み出る。

「どうして…どうして貴女がここにいるのよ?ここは私の法が支配する異界。 “蟲” 一匹通り抜けることも許さない隔離世界のはずなのに。」完全に怯えた様子でアンジェリカが言う。

「なぜと申されましても。通るも何も、最初から彼らと共にこの場にいたのですから “居て当然” でしょう?気付かない貴女の目が節穴だったというだけのことですわ。」不敵に笑いながらロザリアはアンジェリカに言う。

 玲那斗はロザリアへと視線を向ける。彼女は美しい青い瞳にこれから獲物を狩る肉食獣のような狂気を湛え、その視線をアンジェリカへとぶつけている。

「これだけ暗いと見通しが悪いですわね。 “薪” はたくさん用意されていることですし、灯りを点けましょうか。神罰、エヘクシオン・デ・プロキシー《代理執行》。 “砦の壁は崩れ落ち、戦は我が手中にあり”。」

 ロザリアがそう言った途端、周囲で蠢いていた怪物たちから一斉に青白い炎が噴き上がる。アンジェリカが不死と言った怪物たちはもがき苦しみながら塵となって消えていく。

 さらに真っ暗闇に閉ざされていた周囲に僅かな光が差し、ぼんやりと現実世界の光景が見える。すると今まで姿が消されていたイベリスが玲那斗の隣に姿を現した。

「ごめんなさい、玲那斗。迂闊だったわ。あの子にここまでのことが出来るだなんて。」

「君が無事でいてくれたならそれでいい。」落ち込んだ表情を浮かべながら謝るイベリスの肩を抱きよせながら玲那斗は言った。

 隣から2人の様子を横目に見ながらロザリアが言う。

「このような聞き分けの無い小娘を相手に王妃ともあろう御方が本気でお相手なさることもありませんわ。元より説法は我々の務めにございます。この場は矛を収めて頂き “我ら” にお任せくださいまし。」

 ロザリアの言葉に何か直感で得るものがあったのか、アンジェリカは舌打ちをすると素早く身を屈めて離れた場所へと飛び移る。

 直後、暗闇の奥から凄まじい速度で青白い炎が真横に一閃の軌跡を描き出す。

「やはり二度も同じ手は通じませんか。今度こそ仕留められると踏んでいたのですが、残念です。ロザリア様、少々お喋りが過ぎたのではありませんか?」

 先程までアンジェリカが立っていた場所のすぐ後ろには青白い炎を纏う大鎌を携えたアシスタシアの姿があった。

 アンジェリカを仕留められなかったことを残念だと言いつつロザリアにぼやいている。

 ロザリアとアシスタシア。ヴァチカンの2人がアンジェリカを挟み込むようにして立ち塞がる。

「何が魂を正しく導く責務よ。揃いも揃って物騒極まりないわね。貴女達の仕える神様って本当は死神なんじゃないの?」最大級の皮肉を込めてアンジェリカが言う。

「貴女がそれをおっしゃいますか。それと、その言葉は我らの主に対する侮辱と受け取っても?」蔑んだ眼と蒼炎に包まれた鎌の切っ先を彼女に向けたままアシスタシアは言った。

「神の聖名による殺戮は許容できないって話ではなかったのかしら?」

「何を勘違いなされているのか分かりかねますが、もしや貴女は自身を “人間” だと思っていらっしゃるのでしょうか。これは人に対する殺戮とは異なるただの “悪魔祓い” というものです。」事も無くアシスタシアはアンジェリカに言う。

「ちっ…分かったわよ。黙って退けば良いんでしょう?今は何も出来ないレナトはともかく、面倒くさい貴女達3人を相手にやり合おうと思う程愚かでも無いわ。」

 その言葉を最後にアンジェリカは赤紫色に煌めく煙が霧散するようにその場から姿を消した。

 彼女が姿を消した瞬間に周囲は現実世界の路地裏に戻った。

 アンジェリカの気配の消失を確認したアシスタシアは獲物を虚空へと消し去りロザリアの元へと歩み寄る。

「ありがとう、ロザリア。私達を助けてくれて。シスターアシスタシアも。」イベリスの言葉にロザリアは静かに微笑みを返しアシスタシアは深々とお辞儀をする。

「でもどうして貴女達がここに?」

「第六の奇跡を止める手立てを機構が見つけ出したと悟ったあの子が、その核となる貴女方に狙いを定めるのは必然。失礼ながらずっと近くで動向を確認させて頂いておりました。わたくし達の計画の完遂の為に貴女を失うわけには参りませんから。」

「計画の為、ね。素直ではないのね?ロザリー。」

「何のことにございましょう。」イベリスの言葉に対してロザリアは穏やかに微笑む。

 その様子を眺めていたアシスタシアはロザリアがイベリスに対して抱く憧憬の念というものを改めて感じ取った。

「ロザリアさん、アシスタシアさん、ありがとうございました。」玲那斗も2人に礼を言う。

「姫埜様に怪我も無くご無事で何よりです。」アシスタシアが返事をした。その後にロザリアが言う。

「ですから、貴方様はロザリアと呼び捨てて下さって良いと申しておりますのに。よそよそしいにもほどがありますわ。わたくしが呼び方を改めればその気になりまして?それとも、イベリス以外の女性とは親しく出来ないと申しますの?玲那斗。」

「あの、その。そういうわけでは…」一言ごとにぐいぐいと近付いてくるロザリアを前に玲那斗はたじろぎ言葉に詰まる。

「では、次からはそう呼んでくださいましね?約束ですわよ?いえ、主への誓い…ですわね?」顔を覗き込むほどまでに接近したロザリアは念押しするように囁いた。

 ロザリアの言葉を聞いたイベリスが笑う。

 玲那斗には、なぜ彼女がそこまで名前で呼ばれることに拘るのか分からないがイベリスには分かっているのだろう。彼女に呼応するように “そうした方が良い” という様子を見せている以上はそうするべきなのかもしれないと感じた。

「分かったよ、ロザリア。」

「感謝いたしますわ。」ロザリアはそう言うと、この国で玲那斗と出会ってから一番の笑顔を向けた。

 あらゆる意味で目的を果たしたロザリアはくるりと後ろを振り返りつつ言う。

「では、わたくし共はこれで失礼いたしますわ。今後はあの子が襲撃してくるようなことは無いかと存じますが、くれぐれもお気を付けを。」

「肝に銘じておくよ。」

 ロザリアとアシスタシアは共に玲那斗とイベリスに向けて一礼をすると路地の向こう側へと歩き去って行った。

「2人のおかげで助かったな。今度しっかりとお礼に行こう。それと俺達もメインストリートに戻ろう。早く帰らないと本当に雨に降られそうだ。」空を見上げながら玲那斗が言う。

 そうして2人が来た道を引き返そうとした時だった。上空から冷たい雫がぽつぽつと顔に当たる。

「降り始めたわね。」なぜか妙に嬉しそうな表情をしてイベリスが言う。

「どうやら私の念願は今ここで叶うみたいだわ。」肩にかけた鞄から折り畳み傘をわくわくした様子で取り出しながら彼女は言う。

 そういえば相合傘をしてみたいと言っていたことを玲那斗は思い出す。

「よし、じゃぁ俺が傘を持とう。ルーベンさんからもらった絵画、濡れないようにしっかり抱えておいてくれ。」

 玲那斗はイベリスから傘を受け取ると手早く広げる。雨脚は徐々に強まり、みるみるうちに乾いた大地を濡らしていく。

 見た目より大きいサイズの傘を差した玲那斗にイベリスがぴったりと寄り添う。2人は今度こそ支部に戻る為にメインストリートへ向けて歩き出した。


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