第30節 -そして銃弾は放たれた-

 時刻は午後1時を指そうとしている。

 人々の賑わいで溢れる昼下がりの市内をフロリアンは観光も兼ねて散策していた。

 朝はカフェで朝食をとった後に露店巡りをし、その後にイベリスたちが見たというプラネタリウムを訪れてみた。

 彼女が興奮気味に話していたように最新技術が満載の素晴らしいエンターテイメントだと感じた。

 今は昼食も兼ねて美味しそうな料理が並ぶ露店を巡りながら食べ歩きをしている最中だ。

 機構へ入構してそれほど長い年月が経ったわけではないが、先程の露店で食べたカリーヴルストは故郷の味に近くて美味だった。

 国際文化交流を目的としたイベントということでドイツ、スペイン、アメリカ、日本というミクロネシア連邦の歴史にとても深く関わる国々の露店が多数立ち並んでいるが、その国々の名前を見ると妙な感慨深さを覚えずにはいられない。


 ミクロネシア連邦の歴史を紐解いていけば、海外との接触というものがまずスペインの間接統治時代から始まる。

 それからというものスペインからドイツによる間接統治へ移行し、その後に第一次世界大戦からパリ講和条約を経て日本の植民地支配下となったが、その日本が第二次世界大戦で敗戦国となった後には国連信託統治によってアメリカ領になるという歴史を歩んできた。

 そんな歩みを辿ってきたこの国が、今はそれらの国と文化の交流をするまでに至っていると考えると実に心に響くものがある。平和というものが尊いものだと再認識させられる。

 事前の情報ではこのフェスタは小規模なイベントだと聞いていたが、蓋を開けてみればかなり規模の大きな催しだ。

 そして今自分はスペイン系の露店が立ち並ぶ中で購入したピパス、つまり “乾燥ひまわりの種” を食べながらさらなる美味しい料理を求めて露店巡りを継続している。

 このピパスはスペインでは非常にポピュラーなもので、サッカー観戦などをする際は必ずと言っていいほど食べられている人気のお菓子だ。

 スペインの人々は殻付きのひまわりの種を口の中で器用に割って中身だけ食べ殻は吐き出すようだが、なかなかそうした器用なことが出来そうもない自分は最初から殻が取られているものを選んだ。

 塩味がとても癖になる美味しさで、多くの人々に愛されるのも納得のお菓子である。


 フロリアンは歩きながらふと思う。今回のイベントに参加している国々の名前を見ていると自分達マークתのメンバーに非常に縁が深い国が並んでいるようにも感じられると。

 ドイツは自分とアメルハウザー准尉、アメリカはブライアン大尉、日本は姫埜中尉の祖国である。そしてイベリスの出身であるリナリア島はアフリカ大陸とスペインの丁度中間地点に存在する島であり、世界史におけるイフがあるとしてリナリア島がどこかの国の領土となっていたならおそらくスペイン領になっていただろうと推測されるからだ。

 リナリア公国時代に使用されていた言語もプロヴィデンスに夜解析の結果、イベロ・ロマンス語に分類される言語体系にあるというからますますそのような印象を持つ。その他にベルベル語が見受けられるという調査結果もあるが、どちらにせよスペインに縁が深い言語であることに違いはない。

 もしかすると自分達マークתがこの地を訪れたことはただの偶然ではなかったのではないかとすら思えるほどの一致だ。

 奇跡の少女、アヤメが最初に奇跡を起こした場所も《ドイツ鐘楼》と呼ばれる場所で、スペイン統治からドイツ統治時代の名残である。

 機構支部からもほど近いドイツ鐘楼は、すぐ南に位置する旧アルフォンス砦、現在スパニッシュ・ウォール《スペイン広場》の通称で呼ばれる広場と併せて観光名所のひとつとなっている。


 様々な思いを巡らせながら露店の立ち並ぶメインストリートを歩いているとフロリアンの視界にあるものが目に入った。

 多くの人々が行き交う波間に僅かに捉えられたのは桃色ツインテールの少女の姿だ。

 すぐに路地に入っていったので一瞬しか見えなかったが機構の制服を着ているように見えた。朝、支部の廊下ですれ違った彼女に違いない。

 その存在がどうにも気になったフロリアンは昼食巡りの観光を中止して彼女が消えた路地へと急ぎ足で向かった。

 裏通りへ繋がっていそうな問題の路地の入口へと辿り着いたフロリアンはすぐに突き当たりを覗いてみる。すると先程の少女が丁度角を曲がってさらに奥に進んでいくところであった。

 迷うこと無く後を追いかけることに決めると彼女が進んだ方向へ向かって走った。


                 * * *


『そろそろ頃合いね。』

 自身の中にいるアヤメの言葉にアイリスは首を縦に振り静かに同意した。

 時刻は昼を回り、人通りも十分に増えた今が警察と政府の護衛を撒いて逃走する最大のチャンスだ。

 基本的に自由に行動が出来てはいるものの、すぐ近くから常にストーカーのような監視を受けていると思うと気分としてはなかなかに息苦しい。

 せっかくのフェスタを心行くまで存分に楽しむ為には彼らを撒いてしまってさらなる自由を手に入れる必要がある。

 ここからは事前にアヤメと打ち合わせた通りに行動をすることにする。

 アイリスは料理をメインとして売り出している露店を巡り昼食をとる振りをして機会を見計らう。

 丁度スペイン系の露店が立ち並ぶこの辺りは複雑に路地が入り組んでいる裏通りへの入り口になっており、大勢の人で賑わう中で逃走を決め込むならばここが絶好のポイントとなる。

 事前に打ち合わせで決めた目標までゆっくりと歩きながら、目的となる路地の入口に差し掛かったその時。アイリスの中のアヤメがゴーサインを出す。

『さぁ、行こう!』

 その声と同時にアイリスは誰にも気付かれないようにすっと消えるように裏通りへと入っていった。


                 * * *


 突然姿をくらましたアヤメの情報についての報告を部下から聞いたウォルターはいよいよこの時が来たと考えていた。

 彼女がどこかのタイミングで自分達を撒いて雲隠れすることは最初から予測済みだ。対策も打ってある。

 雲隠れ先は疑う余地なく “裏通り” だ。

 問題なのは裏通りにおいてどのポイントを通過してどのルートに向かうかであるが、建物が密集し監視カメラも設置されていないあの場所で単一の予想で事に臨むのは難しい。

 そこで裏通りにおいて “どこを通り抜けても必ず辿り着く先” 、言わばどこかに抜ける為には必ず通り抜けなければならない場所を数か所ほど事前にポイントとして固定して定め、その付近で部下を待機させるという手法を取った。

 建物の上から監視する方法も考えたが、視界を確保する為に必要な人員数が多すぎて、そちらへ人手を回す余裕は無かった為に一番効率が良い策で打って出ることにしたのだ。


 もうすぐ、もうすぐだ。ここで必ず仕留める。


 強い決意を胸に秘めたウォルターはスマートデバイスを手に取って部下へと矢継ぎ早に次の指示を出す。

 対象が路地へと侵入し裏通りを移動し始めたことと、ポイントに待機する人員は速やかに次の作戦に移ることが出来るよう準備するよう命じる。

 また裏通りに入ったと見せかけて元のメインストリートへ戻ることも考え監視カメラの方向を各路地の入口へと向けて監視体制を強化した。


 裏通りで現れるとすれば比較的海が近いポイントAか、裏通りの中心部であるポイントBか、果ては別のメインストリートに抜ける為の近道であるポイントCをくぐるか…


 どこでも構わない。

 その姿が見えればそれだけで良いのだ。

 1秒1秒がとても長く感じられる中、ウォルターは部下から上がってくるはずの次の報告を待つ。

 そんな中、ある監視カメラが捉えていた映像がふと目に入った。直接の面識はないが、見知った顔が路地裏へと入っていく様子が映されている。


 あれは確か機構の隊員の1人だったな。大西洋から来たチームに所属する一番若い隊員だったはずだ。


 彼の裏通りへの侵入は計画には想定されていない出来事である。

 なぜかはわからないが妙な胸騒ぎと嫌な予感を感じる。ウォルターは僅かな時間迷ったが、すぐ傍に置いたジャケットを手に取るとオフィスを飛び出て現場へと向かった。


                 * * *


 大統領への報告を終えた後、秘書官室で昼食をとっていたウィリアムの元に護衛の1人から最悪の報告が流れてきたのはつい先ほどのことだ。

 アヤメ・テンドウがスペイン系露店の立ち並ぶ区域から忽然と姿を消したと。

 何事も起きずに無事に今日1日が終わってくれという願いは儚くも露と消え去った。

 ウィリアムは胃の痛みと非常にもどかしい気持ちを感じつつも努めて冷静に護衛の役を担う職員達に指示を送る。

 当該の場所で身を隠すとすれば間違いなく入り組んだ路地から成る裏通りだ。土地勘のある人間なら誰でも知っていることだが、その中でどの位置から入ろうとも必ず通り抜けることになるポイントはそれぞれおおよそ3つに絞られる。

 長年この国で暮らす人々にとって先の3つを挙げることはさほど難しいことでは無い。だが大きな問題はその中でどの場所に向かうかということと、その裏をかかれてどのポイントにも向かわずに頃合いを見てメインストリートに戻られる可能性があることだ。


 あらゆる想定をした上で、ウィリアムはメインストリート上の各路地入り口に人員を配置して監視できる体制を整えることを優先した。

 残念ながら監視カメラの操作権限は警察が受け持っている為、政府側ではコントロールすることが出来ない。

 配置できる人員にも限りがある。その為、3つのポイント全てに人員を割く余裕は無い。

 よって裏通り内部においては複数のポイントの中で一番彼女が通過する可能性が高いとみられる場所に1人ほど職員を配置して様子を窺うことにした。

 おそらくは警察も似たような動きをしているに違いない。それならばまったく同じ行動を取る必要も無いだろうという考えもあってのことだ。


 さて、次の問題はこの報告をどうやって大統領に報告するかである。

 午前中に何の異常も無いと報告したばかりだ。なかなか言い出しづらいことに間違いないが、報告しないという選択肢は有り得ない。

 必要最低限の体制を構築したウィリアムは、これ以上状況が変わらない内に仔細を大統領へ報告するべくスマートデバイスを手に取り電話をかける。

 しかし大統領のデバイスは通話中で繋がることは無かった。


 こんな大事な時に限って…!


 ウィリアムはデバイスを胸ポケットに仕舞うと自らの足で報告をするべく急いで大統領執務室へと向かった。


                 * * *


 入り組んだ狭い路地が続く裏通りの中をフロリアンは走っていた。

 機構の制服をまとった桃色ツインテールの少女の後を追いかけ続けている。彼女は時折こちらに目配せしながら先を歩く。その様子からすると意図を持って誘導されているのは明らかだ。

 彼女は一体誰なのか。これが何かの罠か、それとも別の目的があるのか。

 本来、自分が関わるべきことでもないはずなのだが不思議と確かめずにはいられなかった。嫌な予感がする。


 何度角を曲がっただろうか。今も少し先で少女が再び路地の角を曲がろうとしている。

 少女が曲がり角へ進もうとした時、一瞬だけこちらに目配せをして微笑んだ。そして追い付けない自分を嘲笑うかのように再び路地に姿を消す。

 幼い少女の足にしては想像以上に素早い。

「待って!」

 フロリアンは思わず声を出して走る。

 しかし彼女を追って路地を曲がった瞬間に遭遇したのは予想外の人物であった。


「きゃっ!」


 勢いよく人とぶつかる。その人物は勢いで後ろによろめきながら、突然角から現れたフロリアンにたじろぐ。

「ごめんなさい!急いでいたものだから。怪我は…」

 そこまで言いかけたフロリアンは目の前にいる人物が誰なのかを認識して驚いた。

「アヤメちゃん?どうしてここに?」

「お兄ちゃん?貴方こそどうして?」

「人を追っていたんだ。機構の制服を着た、君と同じくらいの背丈で桃色の髪をした少女なんだけど。」

「まぁ、こんな狭い通りで女の子を追いかけていたの?」

「いや、そういうわけでは…あるのかな。」微妙に難しいやり取りだ。行為は間違って無いが、指し示す意味は間違っている。

「でも私が走っていた方向には誰も来なかったよ?」アヤメの言葉を聞いてフロリアンは首を傾げた。路地は一本道だ。そんなはずはないのだが。

「いけない!早く行かないと!捕まっちゃう!」思い出したようにアヤメが言う。

 捕まる?誰かから逃げているのだろうか。やはり嫌な予感しかしない。

「逃げているのかい?」

「そうなんだけど、そういうわけでもないというか。私を見張っている警察と政府の護衛さんを撒いている最中なのよ。」笑顔でアヤメは言い切った。

 悪い予感ほどよく当たる。つまりここで彼女と一緒にいるということは…

「こうなったら仕方ないわ、共犯よ!お兄ちゃんも来て!走って!」

 考える間も無くフロリアンは手を引っ張られてアヤメと共に走り出す。彼女の言う通り、これで共犯だ。

 しかし、考えようによっては警察と政府の護衛が引き離されてしまっている今、彼女から目を離すのは危険な気もする。

 彼女を護衛する役目を担う人間が傍に1人もいないという事実がある以上、ここは大人しく彼女と行動を共にした方が良いかもしれない。

 最終的にそう考えたフロリアンはしばらくアヤメと行動を共にすることにした。



 その頃、路地の傍にある高い建物のベランダから1人の少女が狭い路地を走り抜ける2人の姿を眺めていた。

「やっぱりお姫様は騎士を伴っていないと、ね☆」

 うまくフロリアンを彼女の元へ誘導するという仕事を終えた彼女は、これからマルティムが行おうとしている計画を邪魔する為に再度動き出そうとしていた。

「これで18番目の悪魔さんたちは彼女に迂闊に近付くことは出来なくなった。つ・ま・り、彼女が簡単に殺されてしまう心配はひとまずなくなったかも。あとは狩りをする者を狩るゲームの始まりぃ☆案内役の次は暗殺者の役をしちゃおうかしら。暗殺者を狩る暗殺者ってイケてるよね~!遠くから狙いを定めている臆病者さんは最後に始末するとして、まずは手近なところからっと♪」

 誰もいない空間に向かって1人で喋り続けた少女は満面の笑みを浮かべたまま靄が離散するように虚空へと消え去っていった。


                 * * *


「何?妙なのが一緒になっただと?」今しがたベルンハルトから話を聞いたアルフレッドが言う。

「あぁ。道中を監視してる奴からの話ではあのガキの顔見知りみたいな男が途中からくっついて逃げてるらしい。」

 アルフレッドは一考する。これは想定に無いことだ。どこの誰かは知らないが少し厄介ではある。

 予定ではこの先に用意した行き止まりの偽通路で足止めをし、足が止まっている間に射殺してしまおうという魂胆だった。

 最初からその場所へ向けてライフルを構えている為、邪魔な障害物が増えれば当然計画の成功率も下がる。

 場合によっては計画そのものに支障が出る可能性がある。考えられる不具合を頭で考慮しつつ、このまま当初の予定通りに計画を遂行するかどうかを考える。


 しばらく考えた後に導き出された結論はこうだった。

「構わん。その男もまとめて吹き飛ばせと伝えろ。」低く地の底から響いてくるようなくぐもった声でアルフレッドは言った。

 計画には含まれていなかったことだがこうなってしまえば仕方ない。ただの不幸な事故だ。その場に居合わせた自分の運命を呪うがいい。


 アルフレッドの指示を確認したベルンハルトは再度スマートデバイスへと手を伸ばすと、現地で狙撃の為に待機している組織のメンバーに連絡を取った。


                 * * *


 目標地点からおよそ2キロ離れた先の、とあるビルの屋上付近でマルティムのメンバーである男は最新鋭のアンチマテリアルライフルを構えながら目標が照準に収まる瞬間を待っていた。


 この最初に話を聞いた時はまさかとは思ったが、どうやら本気であの子供を殺すらしい。男は未だに実感が湧かない今回の計画について考えを巡らせている。

 長年に渡り、組織の中で始末屋としてライフル狙撃を生業にして生きてきたが、今回のようなターゲットは実に珍しい。

 外部に漏れてはならない情報を握る人物や政治家、敵組織のスパイやボスなどが標的となることは珍しくない。だが今回は違う。獲物は子供だ。そう、ただの民間人の子供なのだ。

 巷では奇跡の少女と呼ばれ崇められているような存在になってしまっているが、どこからどう見たって普通の子供に違いない。

 それをこんな大掛かりなライフルで仕留めようなどと、二重の意味でまさかと思ったものだ。

 このライフルの弾が命中すれば小さな体ごと吹き飛ばすに違いない。その光景を想像すると少し可哀そうな気もしてくる。普段狙う獲物に対しては抱くことのない感情だ。

 

 男が今回の計画について悪党らしくもない考えを巡らせている中、いよいよ標的となる人物が望遠レンズに映り込んだ。

 つい先程あった連絡通り、子供に1人の男が同伴している。だが何と言うことは無い。

 狙えと言われたものは狙う。撃てと言われたものを撃つ。単純なことだ。

 引金を引くしか能がない自分に出来るのはそれだけだ。

 照準を定めたら後戻りは出来ない。引金の重さは今から殺そうとする人の命の重さだ。

 2人が向かっている先に慎重に照準を定め、いつでも射撃できるように体勢を整えながら引金に指をかける。


 最高のショーはもうすぐだ。この瞬間を期待している人物に最高の報告をしよう。


 段々と高鳴っていく鼓動を感じながら男はスコープを覗き込み、息を殺してその瞬間を待った。


 背後から近付く “天使のような悪魔” の存在には気付くことも無く。


                 * * *


「こっちよ!この角を曲がった先を真っすぐ進んだら別のメインストリートに出る。そうしたら人混みに紛れて逃走成功ね!」

 走りながらそう語るアヤメにフロリアンは一緒について走った。

 どういう順番で路地を通り抜けたのか記憶には無いが、土地勘のある彼女の言うことはおそらく真実だろう。

 このまま進むことが出来れば確実に警察や政府の護衛を撒くことが出来る。

 そもそも地元の警察や政府の護衛だってこの辺りの地形は熟知しているはずだ。どこを通り抜ければどこに出るかなどということは百も承知のはず。

 そんな彼らを出し抜くために彼女が選んだルートともなれば尚更そうに違いない。

 間もなく彼女の言う角を曲がる瞬間が近付いてくる。

「もう少し!お兄ちゃん早く!」

 先程から思っていることだが、アヤメは足が速い。当然、自分が普段走る速度と比べれば遅いのではあるのだが、入り組んだ路地の中を迷いなく軽快に走り抜けていく速度はかなりのものだ。

 そうこうしている内についに目的の角を曲がる。

「この先を真っすぐ行けば…え?」

 しかし、角を曲がって少し走った辺りでアヤメは急に戸惑いの声を上げて走るのをやめた。その場の状況に気付いたフロリアンも同様に足を止める。


 壁だ。壁がある。ここは紛うことなき “行き止まり” というものだ。


「そんな…嘘でしょ?」有り得ないという表情でアヤメは立ち尽くしている。

 その行き止まりというものを明確に言えば、誰かが意図的に作り上げたバリケードによるものという印象だ。

 この場所に彼女が訪れることを知っていた誰かが事前に用意したような、そんな雰囲気がある。


 妙な胸騒ぎがする。フロリアンは周囲を見渡す。その時、視界の端にあるものが飛び込んできた。

 かなり小型の遠隔操作型監視ドローンだ。


 見張られていた?ここに来るように最初から誘導されていたというのか。

 この場所に訪れることを予見されていたかのように作られた行き止まり。

 高い建物に囲まれて逃げ場のない現状。

 明らかに警察などのものではない監視ドローン。


 洪水のように流れる自身の思考の中から瞬間的にある可能性に行き当たったフロリアンはアヤメの腕を掴んで叫んだ。

「アヤメちゃん!ここは危険だ。すぐに移動しよう!」

 フロリアンがそう言って立ち尽くす彼女の腕を強引に引っ張って自身へと手繰り寄せた刹那であった。

 僅かに銃声のようなものが聞こえた次の瞬間、つい先程まで彼女の頭部があった場所の先の壁が、まるで爆発したかのように粉々に砕け散った。

「きゃぁ!!」

 目の前で起きている意味を理解することが出来ないままアヤメは地面に倒れ込む。

 間違いない。これは遠距離からの狙撃だ。最初から彼女をここにおびき寄せて殺害する目的でこんな行き止まりを作った者達がいるに違いない。

 そんなことをする人物達に心当たりがあるとすればただ一つ。

 薬物密売組織マルティムの仕業だ。

 彼らの狙いは今自分の目の前にいる少女、アヤメを殺害することである。

「止まったら駄目だ!」フロリアンは地面に立ちすくんだアヤメを再度強引に手元へ引き寄せる。

 すると先程と同じように彼女が立ちすくんでいた地面が爆発するかのように砕けて散った。

 なりふり構っていられない状況に陥ったフロリアンは、足が竦んでしまった彼女を姫様抱っこの要領で抱きかかえると一目散に元来た道を走って引き返し始めた。


                 * * *


「ちっ、二発とも外しただと!?あの男のせいか。あいつがガキを移動させやがった。」

 仕留める順番を間違えたことを悔やみながら狙撃手の男は悪態をついた。

 逃走する二人を狙撃出来るポイントは限られている。走っていく方向を先読みして照準を当て、走り抜ける瞬間を狙って殺すしかない。

 躓くなどしない限りはもう立ち止まるなどという愚行を犯すことはないだろう。

 男は急いでライフルの設置場所を移すために立ち上がると、地上で待機 “しているはず” の仲間に向けて通路を塞ぐように指示を出しながら2人が走り去った方角を見据えて次に狙撃できるポイントがどこになるのかの割り出しを急いだ。


 そんな中、後ろから甘ったるい少女の声が唐突に聞こえてきた。

「すき、きらい、すき、きらい、すき、きらい、きらい、きらいきらいきらいきらい…」

 男はライフルを持つ手を止めハンドガンへ持ち替えながら咄嗟に後ろへ振り返る。

 古風な花占いの掛け声が聞こえた方向には桃色ツインテールが特徴的な学生服と軍服を合わせたような服装をした少女の姿があった。

「やっほー、こんにちは☆おにぃーさん!」

「おいガキ、お前どうやってここまで来た?」得体の知れない少女を前にして男は言う。手に持つ銃のセーフティーを解除し、撃鉄を起こして引金に指をかけていつでも射撃できる態勢のまま少女へ狙いを定める。

「ガキ?ノンノン。貴方より信じられない程年上の淑女を相手にガキだなんて言うのは、めっ!だよ☆あぁ、でも自分で言うと悲しくなってきちゃうね~。今の無し無しぃ。私は幼女、男性達の憧れの具現!」

 こいつは頭が狂ってるのだろうか。言っている意味がわからない。銃を向けられても怯むどころか満面の笑顔を浮かべてやがる。

 そもそもどうやってここまで来た?下には見張りとして立てた部下が何人もいたはずだ。そいつらの目を盗んで最上階まで辿り着くなど出来るはずがない。

「動くなよ。少しでも動いたらまずはお前から仕留めてやる。」

「あら~?ついさっき千載一遇ともいえるチャンスを二度も台無しにした下手くそスナイパーさんの言う台詞には説得力がないかな。お兄さんのかっこいいところみたかったのにぃ~。」

 少女が言葉を言い切るより先に男は迷うこと無く引金を引いた。

 屋上に銃声が響き渡る。しかし、銃弾が少女に命中した気配はない。男が意識した時には少女の姿はどこにもなかったのだ。慎重に左右を確認するがどこにも見当たらない。

 すると背後から再び甘ったるい声が聞こえてくる。

「はい、外れ☆やっぱり下手っぴじゃない?」

 近い!そう思ったスナイパーは声の方向へ振り返るよりも早く銃撃を行う。

「また外れ。私を仕留めるんじゃなかったの?それよりお兄さん大丈夫?顔色悪いけど。」

 再び男の後ろから声が聞こえてくる。振り返ると少し離れたところで余裕の表情を浮かべながらアイスクリームを食べる先程の少女の姿があった。

 どうなってやがる。なぜ当たらない。奴は瞬間移動でもしているのか?有り得ない。そんなことが有り得るわけがない。

 段々と青ざめていく男の様子に構うこと無く少女は喋り続ける。

「そーそー、さっき貴方が電話で指示を出していた人達ならもういないよ?邪魔だったからみんな殺しちゃった。違う場所にいた1人は見逃してあげたんだけどね。」

 背筋に悪寒が走る。殺した?殺しただって?この少女が大の大人の男数人を?

「でもさー、呆気なくてつまんなかったんだよねー。軽く殴っただけで死んじゃうんだもん。瞬殺ぅ、だったからさ。糸の切れたお人形さんみたいにばったんばったん倒れていっちゃった。もっと頑丈で遊び甲斐のある人たちだと思ったんだけど。」悪びれる様子もなく少女は笑顔で言う。

「ねぇねぇねぇねぇ?貴方はどう?私を楽しませてくれる?もっと私を昂らせてくれる?」

 続けてそう言った少女はおもむろに右手を上に上げ、指をパチンと鳴らす。すると彼女の周囲からよたよたと歩く異形の怪物たちが次々と沸き上がってきた。

 人間のものとは思えないほど細い肢体にこの世の者ではない顔付きの怪物たちは皆一様に手に鉄パイプだのアイスピックだのという凶器を持って続々と沸いてくる。

 男は言葉にならない悲鳴を上げる。手に持った銃でとっさによたよた歩きで近付く怪物を撃つがまるで通じていない。

「銃で撃てば大抵の動物は倒れる…でもでも、それはお兄さん達の常識であって “私の定める法” ではない。つまり、そんなものはこの子達には当たらないんだな☆これがっ!」嘲笑するような笑い方で少女はケタケタと笑い続けている。

 後ろ向きで歩いていた男は腰が抜け、強烈な尻餅をつきながら倒れ込む。必死に逃げようとするがあまりの恐怖に足が動かない。


 これは悪夢だ。悪夢であり、この光景こそが本物の地獄だ。


 男が最後に考えた言葉だ。

 鬼哭を上げながら近付く怪物はついに男を射程に捉えると、思い切り振り上げた凶器の鉄パイプを頭蓋骨めがけて振り下ろした。

 こぅうぅ~ん。周囲には水の入ったやかんをぶつけたような情けない音が響き渡る。何とも言えない音と同時に気絶した男は床へと倒れ込んだ。

「きゃはははははは!!何その音ぉ~☆最っ高に面白いんだけどっはははははは!」

 少女が笑っている間にも怪物たちは手に持った鉄パイプで執拗に男を殴り続けている。アイスピックを構えた怪物は後方からその様子を眺めているだけだ。

 目の前の男が異形の怪物からリンチを受ける様子をただただ楽しそうに眺めながら少女は言う。さらに彼女はお腹を抱えながらひとしきり笑った後、再度指をパチンと鳴らした。

 すると男の周囲をぐるりと取り囲んでいた怪物たちは煙が霧散するように消え去り、跡形もなくなった。

「…はぁ。笑った笑った。なかなか面白いじゃない?でもね、ざぁんねん。貴方が面白可笑しい “芸術的な駄作” に生まれ変わるのは今からなんだよねー。私のお楽しみはこれから、だよ☆」

 男を見据える少女の目は暗い紫色に輝いている。天使のような見た目をしているが、その瞳の様子は下等生物を見下すような悪魔の目そのものだ。

 慈悲や情けなど一切なく、その瞳の奥に垣間見えるのは絶望と狂気に満ちた叫びや呻きだけがこだまする地獄の世界。

「まずはー、下手っぴな銃撃しか出来ないその憐れな指先から、ね♡1本ずつ丁寧に、っと。私のお楽しみを奪おうとした罪は重いんだ、ぞ☆」

 少女は目を見開いてケタケタと笑いつつそう言うと、ゆらゆらと揺れながら地面で気絶する男にゆっくりと近付いて行った。

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