第11話

 一日ぶりの穏やかな夜だった。宿屋に戻ってから、俺達は自室に戻っていた。俺はベッドに寝転び、マナが持ってきていた手頃な本を読ませてもらっていた。マナは、何だか心ここにあらずのように見えた。


 俺はそんなマナに対して何かを特別言うのではなく、ただただ本を読むのに時間を使った。最近のマナはサスペンス小説に嵌っていることは知っていたが、持って帰っていた小説の内容は中々に過激なものだった。まさか途中であんなことを言っていた先生すら最後に自殺をするとは、思いも寄らなかった。というかこれ、サスペンスじゃないな。まあいいか。


 分厚い文庫本を閉じて、俺は達成感を感じつつ大あくびをかましていた。もう遅い時間だし、そろそろ寝ようか。


「マナ、俺そろそろ寝ようと思うけど、いいかい」


「あ、はい。大丈夫です」


 困惑気味なマナに苦笑しつつ、ベッドから立ち上がって灯りのスイッチを押した。室内が真っ暗闇に包まれた。

 壁伝いにベッドの手前まで戻った。少しだけかび臭く、すっかり馴染みあるものになったベッドに俺は倒れ込んだ。ボフッという音を立てて、ベッドは俺を包み込んだ。


 俺はベッドに仰向けに寝直った。そこから、カーテンの隙間から覗けた外の風景を見ていた。隙間が小さいせいで、道路を挟んで向かいにある民家の屋根とホログラムの夜空だけしかそこから見ることは出来なかった。客観的に考えても、何ら面白みがない風景だった。いつもならすぐに眠ってしまいそうな程、退屈な風景だった。


 ただ、今日の俺はおかしかった。恐らく。いいや、確実に、先ほどのマナに捧げた言葉のせいだった。


 胸の奥が熱い。羞恥なのか。はたまたそれ以外の感情なのかはわからなかった。

 まったく、今自分が抱いた感情一つ満足に説明出来ないとは、これじゃロボットみたいなものだな。

 先ほどは大あくびをかますくらい眠かったのに、結局いくら待っても眠気はやってこなかった。仕方なく、暇でもつぶそうと思った。


 何か面白いものはないか。夜空の明かりを頼りに、室内を見回した。


 そして、マナを見つけた。先ほどからずっと放心状態らしい。


 そういえば彼女は言っていた。夜は長い、と。眠ることが出来ないマナにとって、人が眠る夜という時間は、話し相手が誰もいない退屈な時間に他ならなかった。


「マナ、起きているかい」


 俺は言った。


「はい。起きています。颯太は寝なくていいのですか」


「眠れなくなってしまった。少し話し相手になってくれないかい」


「はい。わかりました」


 平坦な口調で、マナは言った。

 そんな様子に一つ苦笑をして、俺はベッドから上半身を起こした。


 さてと、マナからのお許しを得たことだし、世間話にでも興じよう。何を話そうか。俺は唸った。そして、思い当たる世間話を見つけられなかった。思えば、彼女と世間話をする機会は、この一月の間であまり恵まれてこなかった。いつも、俺か彼女が、相手に質問をして、答える。そんな会話ばかりが俺達の間で執り行われていた。


「颯太、どうして黙っているのですか」


 マナに促された。


「いや、こうして考えると、何を話していいかわからなくなってさ」


 俺は素直な胸中を吐露した。


「マナは何か話したいことはないの?」


 聞いてから、少しだけ後悔した。


「話したいこと、ですか」


 マナを悩ませることになるかもと思ったからだった。

 夜空により微かに照らされているマナの顔が憂いを帯びるように俯いていた。

 どう取り繕う言葉をかけようか。そんなことを考える俺を他所に、マナは顔を上げた。


「あたしは何のために生まれてきたのでしょうか」


「え?」


「先ほどの颯太の言葉が、ずっと引っかかっています」


 先ほどの俺の言葉、か。話の流れから察するに、俺が生まれてきた理由と言ったあれだろう。

 マナにそう言われて、顔に熱が帯びていくのがわかった。感情の赴くままに言った言葉であったが、中々に恥ずかしい言葉を口走ってしまった気がしていた。


「いいえ、ごめんなさい。恐らくそれはわかっているのです。だって、あたしは暗殺用ロボットなのですから」


「そうかもね」


 曖昧な返事を返すことしか出来なかった。今は違うといくら言っても、生まれた理由はそうである可能性は極めて高い。ただ、それはあまり認めたくはなかった。


「あたしはあたしを生んでくれた人に対して、無礼を働いてしまったのではないかと思いました。役目を全うしきれず、他の道を歩もうとしているのですから」


「生まれた理由を全うし続けることは当然のことではないんじゃないかな。敷かれたレールを走り続ける人なんて、むしろ極わずかだと思うけど」


「いいえ、生き物が生きる理由は明確です。『生き物の理』がそれを示しています。子孫を残し、種族を繁栄させる。生き永らえさせる。それこそが生き物の生きる理由です」

 何だか揚げ足をとられた気分だった。そんなことまで考えて発したわけではなかったのだが。


「生き物同様、ロボットも生まれてきた理由があります。それは人が定めてくれます。あたしの場合、それが暗殺です」


「そのために君は、たくさんの人を殺してしまった」


「……そう、ですね」


 苦しそうな顔で、マナは答えた。自らが生きる理由。人により定められたその理由もまた、マナを苦しめる要因の一つであった。


「確かにまあ、そう言われればロボットである君が人の定めた生きる理由を全うしなければならないのは当然なのかもね」


「そうですね」


 これまでがそうだったように。

 これからもマナは、人の言いなりになって暗殺を続けていくべきなのか。


「でも、暗殺を続ける必要はないんじゃないかな」


「どうしてですか」


「だって、君を暗殺用ロボットとして使役していたこの国の人々はもういないんだから」


 マナは目を丸くしていた。


「君が人を殺していたのは、この国の人々が君の生きる理由をそう定めたから。利益のためにね。でも、今や君がそれをすることを望んでいる人はいない。だから、君がこれ以上暗殺をする必要はない」


「そうですね」


 マナは俯いていた。


「でも、そうなるとあたしはもう要らないことになります」


 しばらくして、寂しそうな声でマナは囁いた。


「それはつまり、あたしの存在理由はもうないことになります。つまり、あたしはもう要らないことになります。あたしはスクラップになるべきということになります」


「ならないよ。なっていたら、君はいつか見たロボットの残骸のようにショートしているはずだろ」


 マナはあっと声を上げた。


「そうでしたね。では、あたしの生きている理由は一体……?」


「簡単だよ」


 本当、簡単なことだよ。というか、これはいつか君も導き出していた答えだぞ。考えるあまり、マナも混乱してしまったんだな。それくらいマナは今、人生の分岐点に立っているのだろう。


 そんなマナを支えてあげたいと思った。


 悩み、驚き、悲しむ彼女を支えて上げられるのは、この居住区にはもう、俺だけしかいないから。


「俺と一緒に生きていくため、だよ」


 俺は微笑んで伝えた。


「颯太と、ですか」


 俺は黙って頷いた。


 マナは難しい顔をしていた。俺と二人きりが不服だったのかもしれないと思ったら、少しだけ俺も病みそうになった。


 でもしばらくして、マナは少しだけ救われたように微笑んだ。


 ホログラムの月明かりに照らされたその微笑みは、俺の脳裏に焼きついた。


 *   *   *


 二人で生きていく。


 それは簡単なことに見えて、結構難しいことだと思っていた。長い間一緒にいることで、互いの良いところ以外も見えてくるから。そういうことが理由で家庭崩壊した夫婦がいるってことも、俺は知っていた。


 でも、俺達の関係は意外にも円満に今日まで進んでいた。

 今日だって、俺達は二人でいつものように図書館に足を運んでいた。

 踏み慣れたアスファルトに転がる小石を蹴りながら、少しだけ先を歩くマナが俺に早く来るように少しだけ怒りながら促していた。俺は苦笑を一つ見せて、小石を蹴ることをやめてマナの隣まで小走りで駆け寄った。


 俺は微笑んで謝罪した。


 マナはあまり怒っていないようだった。いつものように平坦な口調で俺に世間話をしてきた。


 平和だった。


 平和な日常だった。


 ここには俺とマナ以外の人はいない。ロボットもいない。その点を除けば、ここは俺達の関係を育むのに一切の問題やトラブルが起こりえない素晴らしい環境だった。


 いつかマナが言っていた。この居住区のことを、かつてここに存命していた人達がエデンと呼んでいた、と。まさしくその通りだと思った。




 ここは俺とマナにとって、エデンだった。




 人としての教養を学べ。

 人としての情緒を得られ。

 人としての生活水準も満たしている。


 まさしくここは、エデンだった。




 だけど――。


 だけど、この世界はエデンなどではなかった。


 核戦争により荒廃した世界。

 三百年にも及ぶ戦争。

 人智を超えたロボットが闊歩する悪夢。


 この世界は、エデンなどではなかった。




 ――この世界は、地獄だった。



 平和な日常の終わりは唐突に告げられた。




 一発の爆発音が鳴り響いた。




 爆音と共に、肌の温度が少しだけ上昇した気がした。熱風だった。しばらくして、大地が揺れた。大きな大きな揺れだった。


 立つことすらままならず、俺は踏み慣れていたはずのアスファルトに転がった。


 マナは地面に転がった俺の身を案じていた。苦笑の一つすら見せないマナに、俺は事態の深刻さを察していた。背筋が冷たく、足も震えていた。


 そのまま俺は、マナに抱えられて逃げ回った。


 再び、爆発音が響いた。今度は一つではなかった。二つ。三つ。それ以上の爆発音が、メトロノームでも刻んでいるかと思うくらい、周期的に断続的に辺りに響いていた。


 涙が溢れた。死が背中にまで近づいている事実に、俺は涙を流していた。


 いつもマナに言っていた。俺は怖いものは苦手ではないと、言っていた。過干渉に、マナはいつも俺の身を案じてきて、それを少しだけ鬱陶しいと思ったこともあった。でも今は、俺は恐怖で一人で立つことさえ出来なかった。立っても、生まれたての小鹿のようにすぐに転んでしまうのだった。俺は臆病モノだった。


 どれだけ爆音が響いただろう。


 マナが連れてきてくれたどこかで、俺は両の瞼を固く閉じて、耳を手で塞いでいた。それでも、爆音はやむことはなかった。


 マナは、俺の身を抱きしめてくれていた。怯える俺を元気付けるように優しく声を掛け続けてくれていた。


 久しぶりに目を開けると、マナは俺に微笑みかけた後、遠くを見て歯を食いしばっていた。


 一夜が明けた。


 灯油のような匂いと砂塵の匂いが混じって、俺の鼻腔をくすぐった。


 爆音は一切止む事なく続いていた。だから俺は、昨晩一睡もすることが出来なかった。憔悴しきっていた。


 このまま俺は死ぬんだ。


 そう思った。


 爆音轟かす何モノかによって、俺は骨すら残されずに死に果てるんだ。その姿を想像して、俺は嘔吐した。


 マナは一晩中、ずっと俺を抱きしめてくれていた。甲斐甲斐しく、壊れていく俺を見守ってくれていた。


 だけど、もうそれが限界だということもわかっていた。


 わかっていのだ。


 マナは俺から離れて、立ち上がった。何かを決意した顔だった。


「颯太」


 いつにもまして優しいマナの声は、俺の魂を揺さぶった。






「マタアイマショウ」






 微笑んだマナはどこかから飛び出していった。


 しばらくしてようやく、俺はマナがしようとしていることを察した。

 いつか彼女と話した。


 彼女が生きる理由。


 俺と一緒に生きるという、彼女が今を生きる理由。


 それを果たすため、彼女は戦地に赴いたのだ。


 憔悴して壊れていく俺を助けるため、マナは戦地に飛び出したのだ。




 マナの名前を叫んだ。




 痛む喉も。

 重い足も。

 何も考えられない頭も。

 涙しか流れない目も。


 全てを気にすることなく、俺は俺を助けるために戦地に出た彼女の名前を叫んだ。


 爆音。炎。崩落したビル。


 どれだけ似たような光景を目にしただろうか。もう覚えることすら億劫だった。




 どうして俺は走っていたんだっけ?

 どうして俺は、戦車から逃げているんだっけ?




 もう考えることも億劫だった。


 俺は何かに躓いて、鼻先から転んだ。鼻血が出ていることに苛立って、躓いた『モノ』を蹴飛ばした。






 硬かった。





 まるで鋼のように、硬かった。


 『モノ』を蹴飛ばした音が、憔悴した俺の脳に響いた。


 これは……。


 まさか。


 まさか……。




 蹴飛ばした『モノ』は。




 焼け焦げた亜麻色の人工髪。


 割れた樹脂性の藍色の瞳。


 人工皮脂が燃え尽き、今や見る影もない顔。





 間違えるはずがなかった。


 見間違えるはず、なかった。






 マナだ。






 これはマナだ。


 俺を戦車から助けてくれたマナだ。


 俺をネズミから助けてくれたマナだ。


 俺を失意から救ってくれたマナだ。


 俺にこの世界の歴史を教えてくれたマナだ。


 俺に猫を滅ぼした王国の末路を教えてくれたマナだ。


 俺に研究文献を書くAIロボットのことを教えてくれたマナだ。


 俺を図書館に連れて行ってくれたマナだ。


 俺をテニスコートに連れて行ってくれたマナだ。


 俺を花畑に連れて行ってくれたマナだ。


『マタアイマショウ』


 俺と今日までこの世界で生きてくれた……マナだ。




 俺は慟哭を上げた。獣のような慟哭を上げた。


 涙を流して、喉が潰れるほど叫んだ。


 どれくらいそうしたのだろう。


 もう何もわからない。


 もう何もわかりたくない。




 ……迫り来る戦車は、その巨大な砲台を俺に向けた。






 爆音が遠くで響いた。

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