第5話

 ゴールデンウィークを間近に控えた、四月下旬。

 あたしはすっかり美術部員の自覚が出て、放課後は美術室に向かうのが日課となっていた。ただ、主な活動は先輩が絵を描いているところを眺めること、というのに変わりはなかった。


 真剣に、まっすぐに、だけど楽しそうに絵を描く先輩を見ているのは好きなのに、なぜか自分も描いてみようとは思えない。


 何でだろう。考えてみて、何となく答えが見えてきた。先輩が描き、あたしがそれを見ていることで、先輩の絵をふたりで完成へと導いている気持ちになっているのかもしれない。

 それぞれの絵を描くのではなく、先輩と何かを共有している……いっしょに作りたい……うまく言えないけど、そんな気持ちがあるのは確かだ。


 先輩はあたしに課題はやったの? とか、テスト勉強は早めにしておきなよ、とか言って、やたらと勉強させようとする。

 きっと、あたしの視線からどうにか逃げたいんだと思う。仕方なく課題をさっさと終わらせて、それから先輩を見つめるのが、あたしの美術部での活動だった。


 今日の課題は数学の問題集一ページだけ。十分で終わるくらい楽勝だ。思う存分、先輩を見られる。

 そう思いながら、意気揚々と美術室のドアを開けた。


「こんにちはー……あれ?」


 窓際のいつもの席に、キャンパスは出ていなかった。先輩の姿も見当たらない。

 先輩があたしより遅いことなんて今までになかった。いつも、元気の押し売りみたいな挨拶に、しかめているのか笑っているのか分からない顔で、応えてくれるのに。


 あたしは定位置となった、先輩のとなりの席に荷物を置きつつ、黒板の上の時計を見た。四時十分。普通なら、筆を洗うバケツの水が、洗っているのか逆に汚しているのか分からないほど濁っている時間帯だ。


「掃除当番かな。それとも委員会とか……? 先輩、何委員なんだろ」


 いや、学校をお休みしたのかもしれない。具合が悪くなって早退したという可能性もある。先輩って色が白くて細くて、お世辞にも健康的とは言えない身体つきだし。ご飯を作って食べさせたくなっちゃうくらい。


 それとも……。

 あたしは浮かんできた嫌な想像を、振り払おうと頭を振った。だけど、それは簡単には消えてくれず、逆に強くこびりついてしまった。


 あたしが入部したから、来たくなくなっちゃったのかな……。

 先輩はひとりでも平気みたいだったし、先輩が嫌がるのにしつこく絵を描いている姿を見たりしたから……。


 あたしは頭を振って机に突っ伏した。先輩に今すぐにでも連絡したかった。だけど、先輩の連絡先なんて知らない。先輩はあたしの前ではスマホを出さないから、何となく聞けずにいたのだ。

 こんなことなら、いつもの強引さで聞いておけばよかった。


 数学の問題集を出してシャーペンを握るけど、まったく手につかない。何かしら書こうと思ったら、シャー芯を出すのも忘れていて、紙が少しへこんだ。


 だめだ。無音がつらい。

 机に突っ伏し、足をバタバタさせてしまう。先輩が絵を描く音がしないのが、こんなに苦痛だなんて。心なしか、美術室のにおいと言うしかないにおいが薄らいでいるようにも感じる。


 やっぱり、あたしのせいなのかな。

 隠していたつもりだったのに、先輩への気持ちがバレちゃったのかな。また拒絶されちゃったのかな。


 そうだとしたら……先輩に申し訳ないことしちゃったな……。

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