04

 横断歩道。病院からの帰り道。


 赤信号。なんとなく、歩き出そうという気になっていた。かいがいない。自分も、一緒にいなくなるべきだろう。


 踏み出そうとして。


 引き戻された。


「真季」


 恋人がいる。息が乱れていた。


「おい。おまえ」


 素顔だった。いつも、人目を避けるために、派手な化粧をして逢うのに。今日は、女優の顔。化粧をしていない、綺麗な顔。


「来て」


 導かれるまま。ホテルまで歩く。繋がれた手が。ちょっとだけ、暖かい。


 ホテルに入って。


 ベッドに押し込められる。上から毛布。更にもう1枚。


「寝たほうがいい。目の下のくまが」


 たしかに、寝ていない。夬が死んでから。眠る気になれなかった。


「寝れないんだよ」


「わたしがそばにいるから。ちゃんと寝ないと、死んでしまう」


「死んでもいいと、思ってるよ、俺は」


 本当の自分は、死んだ。


「真季。撮影は?」


「抜けてきた。いやな予感がして」


「いいのか。俺とホテルに入ったら、世間がなんていうか」


「そのときは、女優やめる」


「おい」


「わたしがいちばん大切なのは。あなた、だから」


 彼女の前では、自分は、どういう顔をしているのだろうか。わからなかった。かいの前とは違う。本当の自分は。夬と共にあった。そして、それは死んだ。


「俺。横断歩道」


「うん」


「踏み出してた。俺。死のうとしてた」


「うん」


「分からないんだ。俺自身が。もう。なんで死にたいのかも。どうして死のうとしているかも。分からない。ただ、死にたい」


 目の前が、暗くなった。

 彼女に。抱きしめられる。


「ごめんね」


「なんでおまえが謝るんだ」


「あなたの心の、いちばん奥のところ。深い底のところに。わたしは、まだ、行くことができない。これからも、本当のあなたには、出会えないかもしれない」


 彼女の、胸の温度。暖かい。


「でも。あなたが好きだから。死んでほしくないって思った、から。助けてしまった。ごめんなさい。わたしの勝手で。あなたを助けてしまった」


「いいよ。それで。きっと、そんなもんだ」


 彼女は、女優という仕事に溺れていた。誰かになりきって。何かを演じる。その中で、どんどん侵食されていって。本当の自分が、消えていく。


 その中で、自分の存在が、彼女にとってのアンカーだった。彼女は。真季は、自分といるときだけ、真季でいられる。


「横に。いてくれ。眠れるかも、しれない」


 彼女。隣に、潜り込んでくる。


「手を」


 手が、握られる。


 暖かい。


「もっと。する?」


「いや。これでいい。手を繋いでいるだけで」


 繋がっている。彼女に。

 夬とは、もう、繋がれない。


「夬」


 眠りに落ちる前。夢と現実の狭間。幻想のような空間で。友人の名前を呼んだ。

 応答は、なかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る