第一章 学園入学

1.妹とのデート

 巨大な軍事力を誇るユグドラシル王国の中心都市、王都セントラルの平民区域には多くの家が並んでいる。

 そしてその中のよくある一階建ての一軒家に彼とその妹は住んでいる。周りの家から比べれば幾分か造りの良さそうなその家から朝から大きな声が聞こえてくる。


「お兄ちゃーーん!! 起きてーー!!」

「グッフォ! ……ハッ!」


 可愛らしくも元気で耳に轟くような彼女の声が家中に響き渡る。それと同時に何か出てはいけないものを出したかのような呻き声も漏れている。


 聞こえてきたのはこの家のある一部屋、寝室のようでダブルベットが置かれている。

 そこでは意識を失い欠けていたイルムと彼とは顔立ちは似ているがくりりとした目元を持ち、黒髪を犬の尻尾のように後ろに結んだ愛らしい小さな女の子が楽しそうにしている。

 朝から大きな声を出してイルムを起こそうとする妹はイルムのお腹の上でニコニコと笑う。彼はそんな妹をまるで死神とでも見るようなとんでもない顔で見ていた。


「ね、ネイ? いつも言ってるけど、この起こし方なんとかなんない?」

「んー……むり! だってお兄ちゃん、これじゃないと起きないんだもん」


 兄、イルムの言葉に妹、ネイ=アストルは満面の笑みで拒否した。とはいえどもこれには彼女の方に一理ある。イルムの寝起きはとてもいいとは言えず、休みの日ならずっとベットから出ようとしない。

 そんなどうしようもないイルムを起こすためにネイが編み出した方法、それがこの起こし方だった。だからネイはその兄の抗議に首を振るしかない。


 イルムは疲れたようにあぁそう、とため息を吐く。彼はお腹に座り込むネイを持ち上げるように体を起こす。


「おはよう、ネイ」

「うん! おはよう、お兄ちゃん! ご飯できてるから一緒に食べよ」

「ん、わかった」


 元気なネイに手を引かれ連れられるようにリビングに入り、イルム達は食卓についた。

 ダイニングには籠に入れられた表面が少し硬いが中はふんわりとしたパンが中心に置かれ、二人分サラダと苺ジャムが対面に添えられていた。

 十歳という歳でここまで準備万端にするネイの家事力にイルムは朝から嬉しさと誇らしさ、そしてどことなく寂しさを感じるのだった。


「どうかした?」

「……いいや、いつもありがとうな、ネイ」


 そう言うとイルムはパンに手をつけていく。イルムが苺のジャムを薄くつけていると、ネイはそんなイルムの言葉に嬉しそうに口を開いた。


「むふ、へーんなの。あ! ねぇねぇ、お兄ちゃん! 今日何の日か知ってる?」

「え、あー、えっと……あれだ、あのご近所の」

「違うよ、もう! やっぱり忘れてる! パレードだよ、パレード!」


 突然のネイの話に頭を捻ってみたものの、考えつく答えが皆無だったイルムだが、パレードと聞いてようやくピンときたようだった。


「あー、第三王女の……ネイ、ちゃんと宿題は終わらせたのか?」


 それは二人の約束だった。宿題が終わればパレードに連れてってやると。

 ネイは王都にある学園の初等部に在籍している。ほとんどの学園は今、長期休暇中であるのだがその休みも来週までとなった。来週からは新学年として彼女は登校する。そしてその休みのうちに学園から多くの宿題が出ているのだ。


「ふふん! ネイを誰だと思ってるのさ! もう全部終わってるよ。だから一緒に行こうね、パレード」

「ま、そういう約束だからな」


 自慢げに胸を張るネイは興奮が抑えきれないというようにイルムを誘う。


 ネイはまるで祭りのようにパレードというが、実際はそんなものではなく端的にいえば第三王女の竜の移送だ。来週は様々な学園で新学年になると同時に新入生を迎える日でもある。


 この世界の多くの国では竜とパートナーを組んで戦う竜騎士という存在が国を守る主力としている。イルム達の住うユグドラシル王国もその例に漏れず、竜騎士を重要視しており軍人学校とは別の竜騎士学園という学校が三校存在している。

 そしてこの国の第三王女はその中の最難関である王都にあるセントラル竜騎士学園に入学する。その際に王女は他の新入生とは違い既に竜とのパートナー契約を済ませており、その竜を学園に運び込まなければいけない。そのことを利用して王女とその竜による民衆への煽りと安堵を与える。それがこのパレードの全貌と言える。


「天才王女の進行ってか」

「レムリアナ様ってどんな人なのかな? 噂では金髪のすっごい美人って聞いたよ。ユリスちゃんより可愛いのかな?」


妄想全開で会ったこともない王女のことを考え始めたネイは落ち着きがない。イルムは特に興味を示した様子もなく、残りのパンを水と一緒に流し込んだ。


「さぁな。取り敢えずユリスよりも性格は良いだろうな」

「もう、そんなこと言って。ユリスちゃんは素直じゃないだけだよ」

「ネイ、素直じゃないから許される域をあいつは片足は疎か全身突っ込んでしかも十歩ぐらいは歩いてる、そんな奴だぞ」


イルムは脳内で思い出されるその毒舌と罵倒の数々に頬が引きつるのを感じる。自分のことを先輩と言うくせして全く敬う気も、気を遣うことすらしない女が罵倒をする姿はとても心にくるものがある。


「はぁ、もういいですよーだ」


ネイは諦めたように口を噤むとそれからはたわいもない話をイルムとするようになり、朝食を済ませると二人は出掛けのために支度に向かった。


 しばらくしてイルムがリビングに戻ってくるとネイは既に支度を済ませたのか、畳まれた服を何故か荷袋に入れていた。


「何してんだ?」

「ん〜、ちょっとね〜。……よしっ、出来た!」


イルムの声に耳を傾けるが、ネイは鼻歌まじりに作業を続行する。数秒もしないうちにその作業は終わり、彼女は最後にふん! と可愛らしい声を出して、荷袋の口を締めた。


「んじゃ、行くか」

「おーー!!」


ネイの様子には疑問に思ったが、家事のことはネイに任せているイルムはそれ以上言及することはない。ネイはイ大きく拳を挙げて、楽しそうに声を出した。


 家から出ると、足早にネイはスキップしてイルムよりも先を行ってしまう。


「ネイ、あんまりはしゃぐなよ。迷子になったら怖いおじさんが連れてっちゃうぞー」

「も、もう、分かってるよ〜」


イルムのそんな忠告にネイは頬を膨らませて振り返ると、トコトコとイルムの横に並ぶとその手を握った。イルムはその様子に微笑むとその小さな手を握り返した。


 イルム達の住む王都セントラルは王城を中心に三つの区域に分かれている。内側から貴族区域、商業・学園区域、そして平民区域。イルム達の家は平民区にあり、パレードが行われるのは貴族区域から学園区域の間だ。基本的にどこの区域にも通ることはできるが、あまり貴族以外が貴族区域に入ることはおすすめされない。それは未だにこの国では階級による差別意識が残っているからだ。


 そういうこともあり、イルム達が見物するのは商業・学園区域を通る時だ。しかし、パレードが始まるよりも少し早めに来たイムル達だったが、その商業区域にいる見物客に目を見張った。


「うわー! すごい人だね!」

「あぁ。手、離すなよ」


まるで祭りに来ているかのような雰囲気に少し警戒したようにイルムはネイの手を固く握り、人混みを割いて歩いていく。するとようやく竜が通るだろうその大通りに出ることができた。


「「「うおぉぉぉ!!」」」


ちょうどその時、周りから大歓声が鳴り響いた。それもそのはず、貴族区域との境目から辺りにあたりの四階建ての建物から顔を出すほどの大きさの竜がドシドシと音を立てて現れたのだから。


 大きな真っ白な白竜だった。その目は真っ赤な宝石でも入っているように半透明で綺麗な瞳だった。一枚一枚の鱗がまるで真珠のような透明感があり、鏡のように美しい。


 竜の周りには衛兵と騎士が数名で護衛のように散開しており、警護に当たっているようだった。そして何より視線を集めたのは彼女だろう。竜の背中に立ち、民衆を見渡す金色の髪を靡かせた少女、ユグドラシル王国第三王女レムリアナ=ユグドラシル。


 民衆はその美しくさの前で言葉を失ってしまう。好戦的で自身家のような強い赤眼、雪のような綺麗な肌、そしてその肉付きの良いプロポーションは流石としか言いようがない。


 そんな彼女をイルムは何の気なしにぼーっと見つめるのであった。まるで、あ、あれが王女か、へー、と言うように。しかしそこにはイルムなんかよりも王女に興味を持った女の子がいる。


「もー! 見えないよ!」


そう文句を言いながら頑張ってかかとをあげる姿はなんとも愛らしい。そんな姿にイルムは王女から目を離し、ネイの脇を両手で掴むと一気に肩に乗っけて肩車をする。


「これで見えるかー」

「うん! ──わぁー! 大っきい! カッコいい! 綺麗! 王女様だ!」


ネイは視界が上に高くなったことで漸く御所望の竜と王女を見ることができて、感無量と言ったように語彙をなくしたように褒めちぎった。その嬉しそうな顔にイルムは優しくとどこか複雑そうに微笑んだ。


 そうしていると突然、イムル達の周りにいる観衆がより大きく騒ぎ出した。イムルはそのことに不思議に思ったが、ネイが暴れるようにグラグラと体を揺らしだしたことでそんなこと頭から吹っ飛んでしまう。


「おーーい!! 王女様ーー!!」

「ちょっ! 危ないってネイ! 首、俺の首が折れちゃうから!」


観衆が騒いだのも、ネイがその小さな体を目一杯使って高くあげた両手を身体全体で大きく振っているのも全てはレムリアナがこちらに手を振ったからだ。


 しかしそんなこと考える暇はイルムにはなくネイのバランスと首の安定をとるのに精一杯のようだ。そんなこんなでネイが手を振り終えた時には既にイムルは疲れたように荒い息をゼェゼェと吐くのだった。




あとがき


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