8. 希望の女

 辺りは、吐き気を催すくらいの、生き物が腐ったような悪臭に満ちていた。


 あの後、リョウジは館からは遠く離れた地下通路のような場所へ連れていかれ、そのまま薄暗い中世の教会のような建物の廊下を通り、階段をいくつか降りた先にあった、地下牢のような場所に入れられた。


 そこは鉄格子てつごうしと固い石の壁に囲まれ、この22世紀にはそぐわないくらいの、旧態依然とした牢獄だった。


 まるで、罪人を扱うというよりも、「死を待つ」ためにあるかのような、暗くて、湿気臭い、そして悪臭が漂うそこは、光も届かず、暗い天井と、湿気で湿った石の地面だけがある墓場のような雰囲気に包まれていた。


 また、辺りからは囚人たちの、不気味なうめき声が時折響いており、周りの囚人が生きていることはわかるのだが、この悪臭から、実は何人かは死んでいて、その死体が腐乱臭を放っているとしても、何ら不思議はなかった。


 武器である刀を取り上げられ、その上、ゴーグルやレザージャケット、それに情報端末でもあり個人を特定する有益なデバイスでもあった、腕時計型超小型タブレットまで取り上げられ、Tシャツにレザーパンツ姿のリョウジは、もちろん身体検査をされ、持ち物は全て取り上げられていた。

 ジャケットはともかく、賞金稼ぎにとって商売道具とも言えるゴーグルやタブレットを取られたのが彼には痛かった。


 それどころか、裸にされて、尻の穴まで兵士たちに調べられるという、周到さだった。


(アリサ、すまない……。俺が軽率すぎた)

 今さら後悔しても遅いのだが、あの時、兵士の一人に情けをかけて、逃がしたことを心の底から後悔するリョウジ。自分の「甘さ」が恨めしかった。


 いつまでそうしていただろうか。


 それは実際には、数時間程度という時間だったが、外の様子が全く見えないそこにいたリョウジは、まるで無限の時を過ごすかのように、牢獄の隅で丸く膝を抱えて、ひたすら自分を責めていた。


 ところが。


 「希望」すらないと思っていたこの牢獄に、突如として異変が起こる。


 上階の方から何やら叫び声が響いてきた。何事かと、鉄格子の前まで行き、リョウジは必死に外の様子を伺う。


 すると、牢獄を守っていたはずの看守の兵士たちが次々に倒れていく様子が窺えた。その体に「矢」のようなものが刺さっているのが奇妙に思えた。


 やがて、複数の足音が上階から響いてきて、数人の男たちが現れた。男たちは次々に牢獄の鉄格子の鍵を開けていき、死んだ世界のようだったその地下牢に男たちの歓声が沸き上がっていた。


 リョウジは、コツコツと石の地面を一定の速度で音を刻む靴音を聞いていた。それがブーツの音だと気づいた。その靴音が徐々にリョウジの牢に近づいてきたと思ったら、その足が牢の前で止まった。


 暗くてよく見えなかったが、その人影の細身な姿から相手が「女」だとわかった。何よりも漆黒の美しい長髪を持っていた。右手には、その細い体には似つかわしくないほど大きな「弓」を持っていた。長さが2メートル近くもある。背中には「矢筒」と思われる細長い筒を背負っており、そこに昔ながらの羽根のついた矢が垣間かいま見れた。


 それは、古来よりこの国に伝わる「大弓おおゆみ」と呼ばれる「和弓わきゅう」だった。


 文明が崩壊したとはいえ、未だに「電子」が支配する名残がある世界では、珍しいほどの古風な武器だと思っていると。


 女は、かがみ込んで、自ら牢の鍵を開け、そして、

「あなたがリョウジね」

 少しハスキーボイス気味の、女にしては低い声で告げてきた。すでに身元がバレているらしい。またもクラッキングされたか、とリョウジは少しだけ憂鬱な気分になっていた。


「ああ」

 答えながら、女を観察する。


 身長は170センチ近くはあり、長い黒髪を背中で無造作に束ねていた。茶色のショートベスト、丈の短い白いTシャツを着込み、下は黒いジーンズに、膝近くまで丈がある黒いロングのウェスタンブーツ姿。

 カウボーイハットをかぶらせたら、まるで西部劇に出てくるカウボーイのような格好だった。


 年齢は20代後半から30代前半くらいか。切れ長の二重瞼ふたえまぶたが目立ち、目鼻立ちは整っている。


 リョウジは咄嗟に、昔、タブレットの映像で見かけた女優の一人に似ている、とも思った。


「助けにきたわ」

 右手にめたゆがけと呼ばれる弓使い特有の革手袋を外し、右手を差し出してきた女の手を取り、立ち上がるリョウジ。柔らかいその感触は、確かに「女の手」だった。


「何故だ?」

 それだけを聞くのが精一杯だったが。


「話は後。ここからさっさと逃げないと」

 女はそう言って、背を向けて歩いて行くが。


「待て。娘が捕らえられているんだ」

 その背にリョウジが告げると。女は振り向いて、苦々しげに表情を曇らせた。


「カツアキの野郎。またエゲつないことするわね」

「カツアキ?」

「知らないの? 『当主』のことよ」


 そう言われて、初めてリョウジは「当主」の本名を知ったのだった。


 女に、具体的に説明するリョウジ。同時に捕らえられたが、娘のアリサだけは当主直々じきじきに連れていかれたことを、早口でまくし立てていた。何よりも愛娘の安否が気になっていたからだ。


 女は、しばらく思案しているように、難しい顔をしていたが。

「そう。その『結晶』が何なのか、私にはわからないけど、それなら多分、娘さんは無事よ」

「どうしてわかる?」

「あの男の性格からして、『結晶』のことを娘さんから聞き出すまでは殺さないと思うわ」


 女はそう言っていたが、リョウジは別の心配をしていた。

「アリサは……。いや、俺もだが、娘は結晶のことを何も知らないんだ。ヒドいことされてなきゃいいが」

「じゃあ、急ぎましょう」


 女はそう言うと、足早に動き出した。後をついて行くリョウジ。

姉御あねご。ズラかるので?」

 彼女が率いてきた仲間の一人、大柄な体躯の男が、声をかけていたが。


「いや。カツアキの屋敷に行って、派手に暴れてやるわよ」

 女が威勢よく、声を上げると。


 周りの仲間たちから歓声が上がり、しかも、

「俺たちも行くぜ。あの野郎には借りがある」

 先程まで死んだような顔をしていたはずの、囚人たちまで、乗り気になっていた。


(不思議な女だ)

 どこか不思議なカリスマ性のような物がある女だと、リョウジは内心、思っていたが。同時に、昔から「リーダーは女の方がいい場合もある」とも思っていた。

 男だけだと、その集団は何かと殺伐とするし、細かい気配りや、配慮に欠ける部分がどうしてもある。


 これは、あくまでもリョウジの持論だったが、「人の上に立つ」器は、女の方があると思っていた。もちろん、それは「時と場合」にもよるが。


 女は、連れてきた仲間たちに加え、囚人たちやリョウジも加えて、総勢4、50人にも膨れ上がった一団を率いて階上に登り、一目散に当主の屋敷を目指しているようだった。


 おまけにタブレットで地図を確かめてすらいなかった。まるで、この辺りの地理に詳しくて、何も見なくても、当主の館の場所を知っているかのように見えた。


「なあ、お前は何者だ?」

 小走りに駆けながら近くにいた女に問いかけると、

「自己紹介が遅れたわね。私はナオミ。レジスタンスを率いているわ」

 ナオミと名乗る女が、大弓を脇に抱えながら、微笑んだ。


「レジスタンス?」

「ええ。まあ、詳しい話は後でするとして。とにかく、カツアキの野郎は大勢の人の恨みを買ってるってわけ」


 それだけを告げて、ナオミはひたすら歩を進めていく。


 捕らえられた時に通った薄暗い教会のような廊下を抜け、やがて地上に出ると、すぐ目の前にあの不気味な屋敷が姿を現した。


 わずか数時間前に来たはずの、当主、カツアキの屋敷がやけにリョウジには懐かしく感じていた。


「行くわよ」

 リーダーのナオミを先頭に、屋敷へと向かって行く一団。すでに黒ずくめの私設軍隊はそこから姿を消していたが。


 代わりに、屋敷の正面ドアの前には、レーザー銃を構えた兵士が2人、守っていた。


「レジスタンスだ!」

 叫びながらレーザー銃を発砲してくる兵士。


 武器を取り上げられ、まともに戦うべき手段が、自分の肉体しかないリョウジだったが。彼が手を下すまでもなく、兵士たち2人はおよそ50名近くにもなる一団によって、矢を全身に浴びて、息絶えていた。


 どうやら、この一団は、未だに古臭い「弓」を使っているようだった。そもそもSAなどの鋼鉄製の機械のような物体には、「弓」など有効打にもならないはず、とリョウジは不思議に思っていたが。


 よく見ると、彼らの持つ弓本体と、矢の先端のやじりの部分から、リョウジの日本刀と同じように青白い光が出ているのがわかった。


 それは恐らく、リョウジの日本刀と同じように、高周波発生機を取りつけたもので、弓本体と連動しているのだろう。矢もまた、ただの古臭い矢ではなく、22世紀に相応しく、恐らくは超高速で振動するような「何か」を装備している物だと彼には思えた。


 ドアを開け、屋敷に進入する一団。

 たちまち、中にいる私設軍隊と血みどろの戦闘が始まっていた。


 それを横目で見ながら、ナオミは、

「ついて来て」

 と、リョウジに目配せをした。


 後をついて行くと、広い屋敷の正面玄関から入って真っすぐに進んで行き、吹き抜けになっているホールに出た。


 そこから左右二方向に道が分かれてあり、一方で正面には左右対称の緩やかな螺旋階段があった。


 女は、他の兵士たちを部下に任せ、その階段を足早に登って行く。


 二階には、複数の兵士たちがいて、それぞれこの二人の侵入者に対し、レーザー銃を構えて、発砲してきたが。


 女は、階段と廊下の境目の物陰に隠れながら、身の丈より大きい和弓を、引き絞り、タイミングを測って物陰から出ると、次々に矢を放っていた。


 それが、ほぼ的確に男たちの胸や頭を捕らえ、生身の人間たちである兵士たちを次々に倒していった。


(すごい腕だ)

 武器を持っていないリョウジは、その熟練された動きに感心する。同じく「武術」をたしなむ者として、その動きは、無駄がなく、洗練された動きに見えていた。何よりも「女」とは思えないような見事な弓さばきだった。


 やはり、彼の予想通り、弓にはリョウジの刀と同じように、高周波の発生機構のような物を仕込んでいるようだった。撃つ瞬間、弓と矢から青白い光が出ていたのがその証拠であり、威力もただの弓とは思えないほどだった。


 一通り男たちを弓だけで倒すと、ナオミは廊下を無人の野を歩くが如く、堂々と真ん中をブーツで歩いて行った。


 やがて、二階の一番奥にある部屋の前で立ち止まる。

 そこは、縦に長い観音開きになった扉で、その先から人の気配がする。


 ナオミはドアを思いきり蹴飛ばして、悠然と部屋に入って行った。後に続くリョウジが見たのは。


 首にレーザー銃を突きつけられ、恐怖に顔を引きつらせている、愛娘の姿だった。その背後にあの憎き男、当主がいた。


「パパ!」

 娘の悲痛な叫び声が聞こえる中。


「動くな、ナオミ、そしてリョウジ。娘を殺されたくはないだろう?」

 カツアキの勝ち誇ったような、下卑た笑みが、リョウジの闘争本能を呼び起こしており、彼は歯ぎしりしながら、当主を睨みつけていた。


 しかしナオミは、何を思ったのか、リョウジに小声で、

「私に任せて。あなたは娘さんを助けてあげて」

 と呟くと、突然、目にも止まらないほどの動きで懐に手を入れたかと思うと、右手を素早い動きで動かした。


 一瞬、何が起こったのか、わからなかったリョウジだったが。


 気がつくと、当主カツアキの右腕の手首の部分に、何やら鋭利な細長いナイフのような刃物が突き刺さっており、カツアキが痛みからレーザー銃を床に落としていた。


 瞬間、リョウジは駆けだして、一気に距離を詰めると、痛みで顔を歪ませているカツアキの右頬を思いきり殴りつけていた。


 声にならない、薄気味悪い叫び声を上げ、カツアキの身体が宙を舞い、そのまま後ろにあった大きな机に頭をぶつけていた。


 リョウジは、アリサの小さな身体を抱き締めていた。

「パパ!」

 いつもは気丈な娘の頬に涙の筋が光っていることを見て、リョウジは、

「ごめんな、アリサ。ケガはないか?」

 と問うと、


「うん、大丈夫。でもペンダントは取られちゃった」

 と涙声で返しながら、彼女は必死に抱きついてきた。


「あいつか。アリサ、俺の刀はどこにあるか知ってるか? あの野郎、殺してやる」

 リョウジの怒りに燃える目つきを見ても、アリサは怖がりもせずに、逆に嘆息し、

「パパは、そんなに刀が大事なの? ほら、そこにあるよ」

 指を差した。


 それはカツアキが頭をぶつけた、大きな机で、机の陰に見慣れた日本刀が立てかけてあった。その傍らには腕時計型のタブレットまで置いてあった。

 アリサから離れ、真っ先にそれらを手にして、刀の鞘を走らせるリョウジに対し、


「無駄よ」

 よく通る、ハスキーボイスが部屋の中央から、リョウジの動きを制するように響いてきたため、リョウジは刀を振る手を止めていた。


「何故だ?」

「そいつは多分、クローンだからよ」


 ナオミの一言は、この地下世界の「オアシス」の現実を改めて知るきっかけとなる。そして、同時にこのクローンの「カツアキ」の手には、ペンダントが握られてはいなかった。

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