5. オアシスと現実

 そこには、巨大な「地下都市」が広がっていた。


 案内された駐車場にバイクを停めて、上を見ると、この巨大な構造物の全体像が少しずつ見えてくる。


 地下都市の中央が大きな吹き抜けになっており、何層、いや何十層もの階が吹き抜けを中心に円を描くように造られていた。はるか彼方の天井には天窓がついており、夜空が薄っすらと見えているが、その地上までの距離が100メートル以上はあるように思われた。


 また、それらの層がそれぞれきらびやかな人工の光を放っている。無数の灯りが地下空間のそこには満ちており、昼と変わらないほどのまばゆさだった。


 一方、彼らのいる最下層は、比較的古くて、時代がかっており、どこか19世紀末のアメリカを思わせるようなレトロな街並みが広がっていた。


 リョウジは、ここが地下十数階にも渡って造られた、人工的な地下都市だと理解したが、このような大きな地下都市を見るのは初めてだった。

 それは、アリサも同じで、天を見上げながら、


「すごいね、パパ!」

 無邪気な声を上げていた。


 まずは情報収集を兼ねて、「BAR」と書かれた古ぼけた建物に入ることにした。

 そこは、西部劇にでも出てきそうなスイング・ドアが目立つ、いかにも怪しい雰囲気の店だった。


 屋根にひさしがついており、軒下にLEDランプが灯っている。スイング・ドアを開けて入ると、アルコールとタバコの匂いが漂ってくる。アリサは若干、顔をしかめていた。

 カウンター席とテーブル席があり、数人の客がいたが、彼らを見渡す限り、これまで見てきたようなゴロツキどもとは違うように、リョウジには見えた。


 だが、いずれもが薄汚れたシャツに、ボロボロのジーンズなどの粗末な服装をしており、やはりここが「貧民街」のような物だとリョウジは直感する。


 きしむ板張りの床を歩き、カウンター席に着き、バーテンダーに、

「ウィスキーだ」

 そう声をかけて、ゴーグルを外して丸椅子に腰かけるリョウジ。アリサがその隣の丸椅子にちょこんと座るのを見て、


「子連れとは珍しいな。旅人か?」

 40~50歳くらいの、頭が後退した細身のバーテンダーは、アリサの方を見て告げる。


「ああ。この子にはミルクを」

 そう言いながら、電子タバコに火をつけるリョウジ。


 やがて、運ばれてきたウィスキーと牛乳は、どこか貧乏臭い、古くて薄汚いグラスに入れられて出てきた。


「この街は、オアシスと聞いてきたが」

 おもむろに口を開くリョウジに、バーテンダーは、


「ああ。そう聞いたのかい? まあ、『一部』の人間にとっては、ここは確かにオアシスだろうさ」

 と、どうも歯切れが悪い。


 詳しく聞いてみると。

「あんたも見ただろうけど、ここは全部で15層もの構造になっている。1~5層が上流階級、6~10層が中流階級、11~15層が貧民街。そして、ここはその15層、貧民街さ」

「なるほど。道理でレトロな街だと思った」


 「貧しい街」とは、あえて言わず、言葉を濁してリョウジは答えた。


「ここが『オアシス』と言われるのは、豊富な物資があるからだが、その大半が上流階級に流れる。俺らみたいな下層民は、上からしいたげられているだけさ」

「当主ってのが治めてるのか?」


 そう尋ねると、男の顔色が変わった。どうやら、それは触れられたくない問題なのだろう。急に顔を寄せてきて、小声になっていた。

「どこでその名前を?」

「まあ、ちょっとな」

 言葉を濁すリョウジだったが。


「そうか。この街を支配しているのが、その『当主』様だ。だが、悪いことは言わん。当主には深入りするな。命を落とすぞ」

 脅すように、低い声で、周りには聞こえないように忠告してくるバーテンダーの態度に、リョウジはこの街の「本質」を垣間かいま見た気がしていた。


 バーテンダーによると、「当主」によって、自由に商業を行うことが許されているが、その分、莫大な税金を取られているという。また、ところどころで当主の部下から行動を監視されているらしい。そのため、あまり大きな声では言えないらしかった。


(やはり、「当主」には何かあるな)

 この巨大な街を牛耳る支配者で、恐らくは上流階層民以外から「搾取さくしゅ」していることが容易に想像できたし、近寄り難い存在なのだろう、と。


「パパー。おなか空いたぁ」

 唐突に緊張感のない、幼い声が隣から響いて、リョウジが我に返って、横を見ると牛乳を飲み干したアリサがつまらなさそうな顔を向けていた。


「この辺りに、飯を食うところと宿は?」

「ああ。すぐ近くにある」

 バーテンダーはそう言って、左腕の腕時計型タブレットで場所を教え、簡単に近くのレストランと宿を紹介してくれた。

 これだけレトロだが、支払いはもちろん「オンライン決済」だった。キャッシュの存在自体がすでに滅んでいる。


 バーを出た後、バーテンダーから教わった場所は、通りを一本挟んだ向かい側にあった。


 そこは、ちょっとした歓楽街になっていた。

 通りは広く、ネオンサインが輝き、煌びやかだが、反面、どこか西洋風のレトロで古臭い町並みだった。


 無数のネオンが軒の下に看板を連ね、様々な店が建ち並び、この街の「繁栄」を証明するかのように見えるが、同時にどこか薄汚れており、貧乏臭い雰囲気も感じる。


「すごいね。トウキョウとは大違い」

 アリサは、無邪気に微笑みながら、煌めくネオンサインを眺めていたが。


 そのうちの一軒、バーテンダーに案内されたレストランに入ってみる。

 そこは19世紀末のアメリカの西部のような田舎風の木材を使ったトラス構造を伴ったレトロな建物だった。

「いらっしゃいませ」


 ウェイトレスらしき、20代前半くらいのポニーテールの髪型をした、痩せた女の声がかかる。


 中に入ると、そこが今時珍しいくらいに「古い」ことがわかった。

 まずこの時代には珍しいほど、「電子」に満ちていない。


 先程のバーもそうだったが、何でもアンドロイドに任せてしまう「給仕」の仕事も人間がやっていた。


 テーブル席に座って、辺りを見回すと、先程のバーと同じように、薄汚れた服を着た貧乏人風の男たちが多いが、隅の一角に、奇妙な3人組がいるのが目についた。


 それは、坊主のような黒い袈裟を着て、頭から黒い頭巾をかぶった連中。そう、トウキョウのヒビヤ公園でアリサをさらおうとした連中や入口で出会った兵士たちと同じ服装だった。


 彼らを注意深く横目で見ながら、テーブルに置かれた小型端末を起動し、メニューを眺める。


―野菜炒め 200ダーラ―

―チャーハン 300ダーラ―

―スパゲッティ 300ダーラ―


 など。いずれも破格の値段だった。トウキョウあたりでさえ、この2、3倍の値段はする。


「ええー。カレーライスがないよー」

 アリサは、好物のカレーライスがメニューにないことに、不満のようで、口を尖らせていたが。


「アリサ。カレーはないけど、ここでは暖かい食べ物が食べれるぞ」

 そう慰めの言葉をかけていると、


「ホント? じゃあ、この『野菜炒め』って奴で」

 よりによって野菜炒め。年齢には似合わない、渋い選択をする娘だとリョウジは苦笑いしながら、自身はスパゲッティを頼むことに決めていた。


 小型端末を操作し、注文をする。


 待っている間、リョウジは黒ずくめの男たちに注視していた。

 どうも、彼らは辺りを睥睨へいげいして、客の様子を見ているように見えた。まるで何かを探っているような目つきが不気味で、リョウジたちにも無遠慮な視線を向けてくる。


 やがて、ウェイトレスが、湯気が立つ野菜炒めとスパゲッティをトレイに乗せて現れた。


「うわぁ。暖かそう!」

 アリサがいつになくはしゃぐ中、リョウジは気になっていたことを、このポニーテールのウェイトレスに小声で尋ねていた。


「なあ、あの連中、何者だ?」

 顎をしゃくって見せて、黒ずくめの男たちの方を向けると。


 ウェイトレスの女は、横目で黒ずくめの男たちを見て、小さく嘆息しながら、

「あなたたち、知らないんですか? さては旅人ですね」

 と言った後、興味深いことを呟いた。バーテンダーと同じように声を落として。


「彼らは、『当主様』の私設軍隊ですよ。住民が不穏な動きをしていないか、監視してるんです。まったく、無粋な連中ですよ」


 それを聞いて、礼を告げながら、リョウジは思うのだった。

(オアシスなんて言っても、実態はそんなものか。ここは「ユートピア」というより「ディストピア」かもしれない)


 一見、外の世界よりも華やかに、幸せそうに見えるこの「オアシス」の街、ビルフッド。だが、蓋を開けてみれば、そこは「楽園」には見えない、「監視」されたディストピアの社会のようにリョウジには見えた。


「パパ。あたし、こんな暖かいお料理、食べたの久しぶり!」

 幼いアリサは、そんなことを思いもせず、久しぶりに口にした、目の前の暖かい料理に感動しているようだった。


 この歪んだ世界では、「暖かい」料理にありつくこと自体が珍しい。そんなことで喜ぶ子供が、無性に哀れに思えてならないリョウジだったが、

「慌てて食べるなよ、アリサ。こぼしちまうぞ」

 そう言ったら、


「もう。子供扱いしないで!」

 気の強いところがある彼女に睨まれていた。 

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