レクチャー

        ☆


結果としては彼女はまったく歯が立たず、昇級はなしとなった。

帰投し機体を降り、滑走路でヘルメットを脱いでから、アレアはずっと無言で腹を立てているような、へこんでいるような混乱した表情でいて、周囲としては彼女をひとりにしておくしかなかった。


カミルは普段と変わらず快活で、ひとつに束ねた三つ編みの長髪が揺れていて、いつもより元気なくらいである。

フライトのあとの高揚は誰しもがあることだ。

彼だって昨日の夜は明日のことが気になっていたはずである。と、そう思いたい。


私は自分の日課に戻って強化人間用のトレーニングルームに行き汗を流すことにした。

30分くらい経っただろうかスマートウォッチにメールが届いたので宙空にホログラムモニターを立ち上げて確認する。カミルからだった。


【明日、時間が空いてるなら模擬訓練をやりたいんだが、どうだろう?】とある。めずらしい。SPECIALにはこうした権限があるのでたまにあるのだが、ふつうはSPECIAL同士でのことである。


【わかりました】と返信。出撃の用意はいつでもできている。カミルが相手なのは半年ぶりくらいだろうか。望むところである。明日が楽しみでどきどきと胸が高鳴る。こういうの、客観視する時の自分が私は好きだ。パイロットが天職なのだと実感できる自分が。私は不器用なのでこうなるのに時間がかかったのだ。


──せっかくだからデリスに相談するか。


私はあとでそうすることを決めてトレーニングに戻る。右のミドルキックを頑丈なサンドバックに叩き込む。ド、と低い音が部屋に響く。


        ☆


デリスがF14の模型を右手に持ち、微妙に模型をくねらせる。

ブリーフィングルームに機体の模型が沢山あるので、私たちはそこで合流しデリスが教官となってカミル攻略のレクチャーを受ける形だ。

前の時は「まだ早ええ」と一言で片付けられたのだが今回は受け付けてくれた。


「曲がるきっかけの部分でカミルは特殊な動きをする」


デリスは言った。


「いつもは無駄な動きはしないが“無駄”なことをやるわけだ」


「デリスもやるような」


「俺のは理にかなったやり方だよ。琉もそう。理詰めで説明ができなくはない。でもカミルはよくわからんことをするし、それでギュッと急激に曲がる。ここんとこが師匠ゆずりで困るんだ」


「難しい……」


「が、ここが弱点でもある。いつもかつも成功するわけじゃないから」


「対策はミスを待つ戦い方?」


「そんな時間はない。やつが特殊なことをやる直前、というのが対抗策としては有効なように思う。こちらも微妙な動きをして見せるわけだ」


「それがわかるにはどうしたら?」


「いやそれは知らんが。空域を感覚で支配していればだいたいは掴めるんだが」


こういうのがさっぱりだ。デリス語である。カミルもわからんと言っていた。


「あえて言葉にすれば“空間支配力”を身に付けないとカミルには正面切って立ち向かえないってことかな」


「琉はどうやってるの」


「琉はほら、天才性でやり合える」


そうですか。


「俺のように学びつづける必要がない。完成されてる」


「ふうむ」


「でも完成されてるがゆえに読みやすい。昔から知ってるからね」


私にはまだ遠すぎる世界である。遠すぎて視界にも入らない。


昔はコンピュータールームにこもり三次元映像で格闘戦の研究をやったものだ。でもある時点でモニターもホログラムも信用できなくなる。それは仮想にすぎないから。コクピットではそのようには映らない。


言語化は難しいが、頭のなかに戦闘空間を立ち上げてそのイメージに基づいて操縦した方がずっと実戦的である。まあ私にとってはですが。


SPECIALの三人はこうした理屈を考えることなく自然にできてしまう。きっと脳の構造が違うのだ。私たちのレベルだと極論すれば〈とにかく相手より小さな旋回半径で曲がればよい〉となる。


でも実際の空ではもっと複雑だ。旋回を繰り返すうちに旋回半径は大きくなっていく。機体の運動エネルギーが消費され減っていくからだ。

SPECIALが相手の場合、仮に一回目が同じであっても二回目で差が出てしまう。


それは単に〈エネルギーを減らさない技術〉があるからなのだろうか? デリスは違うと言う。本物F14の後部座席に乗った私に彼は何度も〈エネルギーレベルが持続する旋回〉を体感させてくれた。


いや性能は新型のSW用F14の方が何もかも上のはずなのだが、旧型でも彼が乗るとグリグリと鋭く曲がる。曲がりつづける。


いまでも過去の言動が頭をよぎる。彼いわく、


「要は空気を剥がさなきゃいいんだ」


そう言われても。


「イメージとしては機体全体をしならせる感じ」


いや金属のカタマリじゃないですか。


「鳥が急激に動きを変えるときは尻尾がくいっと動くだろ」


そりゃ動物の話でしょう。


「チーターだって狩りの時は尻尾でバランスとってるみたいだぞ」


陸の話じゃないですか。


「空と仲よくするにはこちらから対話を求めていかないとだめだ」


オカルトじゃなくて論理的な話をして下さいませんか。


「機体を自分の手足とする……それが難しいわけだが、まずは機体との一体化を目指すところから始めよう。お前は単に操縦してるだけ。操縦がうまくなっただけだ」


いや一体化は充分にできていると思います。そこに自信とプライドを持ってますから。

……そう思っていたのだ昔の私は。A級成り立ての頃までは。


しかしいまは違う。

まずいまの私がクリアしなければならない課題は機体との対話だ。デリスにとっては当たり前すぎて彼はむしろよくわかってないと思う。


琉に指摘されて、さらに時間をかけてようやくわかってきたことだ。

私にはまだできていない。

まだ機体の声が聞こえないのだ。つまりまだ本物空戦パイロットの門を開いていない。その手前に立っているにすぎない。


だが現実には生き延びることで必死だった。そんな余裕もないし、だいいち歩みを前に進めるだけの才能が私にあるのだろうか。


レクチャーを終えたデリスをカフェに誘い、もう少し根ほりはほり突っ込んだ話を私は聞こうとする。

彼は最近アイザックと連れ立ってることがとても多い。昔からそうなのだが昔よりもずっと。何かあるのか。

重厚な黒のソファー席で紅茶を飲む彼に探りを入れてみる。


「なんか最近忙しそうですね」


「べつに。やることが増えただけだよ」


「やることって?」


「世界のことに目を向けなくちゃならない。そんなところだ」


「詳しく」


「こういう立場にあるといろいろと舞い込んでくるもんなんだ」


「カミルも琉も変わった様子はまったくないけど」


変わったのはデリスだけだ。


「なんで突っ込んでくるんだ? お前は自分の仕事に集中しろよ」


はい。わかりました。

私はそれ以上は聞かないことにした。




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