ch.2 ギュギ、太陽の男

 鬱蒼と茂った森を縦断すると、島の北側の浜に出る。

 南の浜と北の浜を結ぶ小道はここ最近のセムタムの往来によって出来たものだ。三週間も放置すれば元通りになってしまうだろう。

 北の浜では、男性陣が車座でわいわいがやがやと賑やかに編み物に精を出している。

 パチャラと同じく上半身にはほとんど布を纏わず、海藻繊維のズボンを穿いただけの姿。おしなべて無駄肉の無い、筋肉質の海の民たちである。

「おおいドクさんが戻ったぞ!」

 と、男たちの誰かが言った。

 まだ咄嗟には全員の名前が出てこない。トムとかジョンとかなら分かりやすいのだが、もちろん彼らが持ち合わせるのはこの星の文化圏に添った名前であって、例えばヤーポッポとかシテハーラニとか、言語学者として長年務めているアムにも覚えづらいものが多かった。

 浜にいる五人のうちの四人がアムにじっとりと熱のある視線を寄越す。

 しかし、それはアムに興味があるという意味ではない。

「パチャラを見たのか? 南の浜にいるのか?」

「いたわ、でもどこかに行っちゃった。鳥を投げ銛で獲ったの。見事だった」

 車座の男たちのリーダー格であるギューナイ、通称「ギュギ」がしたり顔で頷いて、

「だったら邪魔しない方が良いな」

 と言う。

「ほら編んだ編んだ。機会が長引くぞ」

 ギュギたち四人がまた熱のこもった編み物に戻ったのを見て、アムは忍び足で円陣の横を通り抜けた。

 彼らが心を砕いているのは、パチャラに贈るアンクレットづくりである。

 アンクレットを送る行為はセムタム族にとってのプロポーズだ。指先が如何に器用であるか、どんな美的感覚を持っているのか。また貴重な素材をふんだんに用いることが出来れば、実力、すなわちこの海の世界でのサバイバル能力の高さを示すことになった。

 プロポーズは男からも女からも行われる。

 セムタム族の社会は驚くほど徹底的に男女平等に組み上げられていた。

 何故ならば、アムが考察するところ、男であれ女であれ生活能力の無いものは死ぬだけだからである。海は男も女も老いも若きも平等に飲み込んでしまう。

「トゥトゥ、戻ったわ」

 アムは、車座になった男性陣にそっぽを向いて、ひとり焚火にかけた鍋と向き合っている大きな背中に声を掛けた。

 こちらを振り返ると、黒と赤のグラデーションの長髪が炎のように揺らめく。

 パチャラが戦う女神アテナかドゥルガーの彫像の独り歩きだとするならば、こちらのトゥトゥは赤髪のヘラクレスかはたまたシヴァであろうか。

「嫌われてきたんだな」

「そういう言い方は無いじゃない」

「ドクの顔にそう書いてある」

 身長約二メートルの偉丈夫は、くくく、と歯を見せて笑った。

 ちらりと覗く犬歯が印象的に長い。ワイルドな外見に拍車をかけているが、明らかに奇形の範疇なので見るたびにアムは心配になってしまう。

 このまま伸び続けるなら削った方が良いのだろうか、言語学者なのに歯科治療の資格を取りに行かなきゃならないんだろうか、とアムは気をもむのだ。

 トゥトゥが鍋の蓋を開けると、湯気と共に海藻の出汁とホピの実オイルの甘い香りがむわりと立ち上がる。

「どうだ」

「最高。これは魚のつみれ?」

「そう。ドクが好きなやつな。今日はオが沢山釣れたけど、そのまま食うと骨ばっかだから。ついでに豆も砕いて入れてみた。そこに生えてる。試食してくれ」

 オというのは魚の種類をさすけれども、「沢山」という意味を持つ。

 名詞の後に「オ」がつくときは沢山のモノを表し、その代名詞として名づけられた魚は時にラグーンの内側を真っ黒にするほどの群れを成した。

 今朝、起き抜けに釣竿を出したら入れ食いで、針を投げて待つ時間よりも針からオを外す時間のが長かったので、何だか笑ってしまったのを覚えている。

「すごく美味しい。パチャラも食べに来ればいいんだけど」

 蓋を持ったトゥトゥは、

「来ねえだろ」

 と一言で切って捨てた。

「あのクソみたいな野郎どもとは一緒に食いたかねえと思うな」

「ちょっと」

「聞こえたっていいさ。本当のことだからな」

 アムがちらりと背後に視線を遣ったが、幸いにも四人の男はアンクレット編みに集中していて、トゥトゥの暴言は耳に入らなかったようだ。

 アンクレットを編むギュギの横顔には余裕が漂っている。頬骨の高い精悍な顔つきで、輝く白い歯を見せて笑い声を上げるギュギは、アムの目から見ても色男だった。

 今回の<龍挑みの儀>の主役である。

 過去にも補佐舟の乗り手として三度、首座銛撃ちとして一度の参加をしているというから、十九歳という年齢を鑑みれば荒事に対する経験が豊富すぎるほどだった。

 信仰する天の龍神様からの覚えもめでたく、そのうちおおきな飛龍を相手取る機会にも恵まれるだろう、との噂がアムの耳に届いている。

 品行方正だから長老衆の受けもいい。

 本人の態度からも、自分の存在そのものに対する自信が滲み出ていた。

 眩しい、とアムは感じる。

 ギュギの本名、ギューナイという名を分解すると、ギュー(日が沈む様子)+ナ(否定)+イ(~という状態を保つという接尾語)。「暮れなずむ」「嵐の前の素晴らしい色をした夕暮れ」という意味を表す単語であるが、若者たちの絶対的リーダーとしてふるまう様子からいつしか「沈まない太陽の男」とでもいうようなニュアンスが名前に付属するようになった。

 ギュギはトゥトゥ、すなわち無頼漢で悪名とタガの外れたエピソードに事欠かず、図抜けた巨躯を誇る筋肉の塊を相手に回しても怯えを見せない珍しいセムタムでもある。

 それだけでも立派なものだとアムなどは思ってしまう。

 まあ若さゆえの青さかもしれないし、少なからずギュギがトゥトゥをライバル視していることは確実なので、一度鼻っ柱を折られたらどうなるかは分からない。

 しかし今回の問題は、そのギュギのカリスマ性を上回る存在としてパチャラがいるということだった。

 やはり色男の常として女性との浮き名に事欠かかず、「狙った女は全部落とす」的な、アムから見ると恥ずかしいことを公言してはばからないギュギは、どうやらパチャラに一回言い寄ったことがある。

 そして見事に撃沈したらしい。

 最近ギュギの評判が聞こえてくるときは常に、

「あいつは凄いよ。でもパチャラがね」

 と反対語のようにパチャラの名前がついてくる。

 それは、完全無欠の太陽の男・ギュギとしては大いなる屈辱なのだろう。

 対するクールビューティ・パチャラは恋愛沙汰にはとんと興味が無いと見える。アムの分析が正しければ、彼女が欲しているのはただ純粋な個人の身体技巧の研磨であり、ソリッドな自己探求だ。身も蓋もなく言ってしまうのであれば「暗い」のである。

 香り高い常夏の花、太鼓持ちの子分、きらびやかな経歴、ノリのいいアップテンポなBGMを背負ってやってくる陽性のギュギとは明らかに合わない。

 けれども、だからこそギュギは落としたい。

 年下のミステリアスで可憐な華。

 パチャラの心を射止めることは彼の命題になったのだ。

 ただしギュギにとって厄介なことに、パチャラが目指す馴れ合いからソリッドに隔絶した生き方を実践するセムタム族の先輩男性がここにひとりいる。

 まあ、彼の場合は爪弾きにされているだけなのだけれども。

 と、思いつつアムはその横顔を見上げた。

「憧れの対象になるっていうのも大変ね?」

 深海色の瞳がアムの方に少しだけ動いて、

「……何だよ急に」

「トゥトゥは、パチャラの理想像に似てるんだと思うんだけど」

「知らねえな」

「私たち――じゃなくてトゥトゥが呼ばれたのはパチャラが指名したからでしょ」

 一応訂正したのは、アムがトゥトゥに許可されてついてきただけだからだ。

 正式な儀式の参加人数には入っていないし、そもそも彼ら彼女らが挑む龍の名前すら教えられていない。

 鍋を掻き回していたおたまの柄をことさら鋭く鍋の縁にぶつけつつ、トゥトゥは唇を尖らせた。

 鍋もおたまも龍骨で出来ていて、ぶつけるとカンカンと涼やかで甲高い音がする。まるで仔龍の声のようだとアムは思った。

 ――龍は骨になって仔に戻る。

「それが、何だってんだ」

「もしパチャラからアンクレットを贈られたらどうする?」

「無いから安心してくれ。それからもうその話はやめだドク。飯が不味くなる。俺はな、誰かの為に生きてやるつもりなんてねえんだよ」

 鍋の蓋を閉めたときの肩甲骨の尖り具合にトゥトゥの心の尖り具合が表れていた。

 アムはそっと身を引いて、

「何か手伝うことは?」

 と聞いてみる。

 トゥトゥは、ふむ、とか、ぐむ、とか唸るように言った後、

「椀。あいつにメシを渡しに行くんだろ」

「うん、そのつもり」

 アムの脳裏には猛禽を銛に刺して歩いて去ったときの、誰も寄せ付けないと態度で示すパチャラの姿が浮かんでいる。

 けれど、彼女はその鳥を食べることは出来ない。

 <龍挑みの儀>の参加者は禊の意味で、儀式までの数日間は自分で殺生をした食材で調理したものを食べてはいけないということになっている。セムタム族は草木もまた血を分け合った兄弟だと、つまりイキモノだと思っているから、そこら辺の豆をちぎって食べたり、果実をもいで食べるのも殺生のカテゴリに入る。つまりパチャラが独りきりでいる間、彼女が口にできるものはほとんどないということ。

 そんな理由があって、トゥトゥとアムは彼ら<龍挑みの儀>の参加者五名に食事を提供する係として、今ここにいるのだった。

「あいつらが気づく前にさっさと持って行けよ。ドクの後を追っかける馬鹿がいたら俺がぶっ殺してやる。安心しろ」

 トゥトゥはアムの持ってきた椀にセムタム風つみれ汁をよそい、特製の激辛ソースをひと回しかけた。

 白いスープを燃え立たせるように、赤い円が描かれる。

 真円は、セムタム族の解釈では<全知>を表す神聖な形だ。

「ありがとう、トゥトゥ」

「どういたしまして、ドク。ちゃんと仲直りして来いよ」

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