二十七話 親というもの

 カイトは婦長からミリの父親の居場所を聞き、セレカティアの街にある刑務所に赴いた。そして、刑務官の女性に連れられて来た面会室で刑務官を背にし、椅子に座って彼が来るのを待つ。正方形の構造となっており、受刑者側と面会者の間にはプラスチック製の仕切が貼られている。お互いの会話が聞けるように中心にはいくつかの穴が開けられている。

 刑務官はドアの傍で言葉を発する事はせず、腕を後ろに回し、直立不動でい続ける。

 しばらくして、受刑者側のドアが開かれ、刑務官と共に男性が入ってきた。乱れた黒髪に手入れされず、伸びきった髭が不潔さを醸し出さている。不服にも、目元がミリと似ており、彼女と血が繋がっているのだと実感してしまう。

 彼は置かれている椅子に座ると、こちらを見るなり舌打ちする。

「誰だ? てめぇみてぇな餓鬼は知らんぞ」

「俺は知ってる。お前はクズ野郎だって事だ」

「……てめぇ、ミリカの男か? 自分の女に手ぇ出されてご立腹ってか」

 男性は『ククッ』と喉を鳴らし、笑った。しかし、すぐにそれをやめ、座った状態で仕切りを蹴りつける。

「おれのもんに余計な事吹き込んだろ? 還し屋になりたいとかほざいて、家を出ようとしやがった……。何も学のねぇ奴が、なりたいと思うか? あんな禄でもねぇもんによ」

「あいつを物扱いすんじゃねぇよ……。お前の物差しで還し屋を見てっと殺すぞ」

「やっぱり還し屋か。てめぇのせいで、おれの収入源がなくなっちまうところだっただろうが。まぁ、今となっては関係ないけどな」

足を下ろし、鼻で笑うと、笑みを浮かべさせる。

「あいつ、目は覚ましたのか?」

「覚めてねぇよ。お前のせいでな」

「そうか。おれにとったらもう、用済みだけどな」

 次々とミリを貶す言動を取る男性に、カイトは腹が煮え返る思いで彼を睨みつける。実の娘を物と扱い、挙句の果てには『用済み』だと吐き捨てた。このような人間が悠々と生き、心優しい人間が目を覚ませず、生死を彷徨っている。奴は悪だ。ミリの人生を荒らす、最もあってはならない悪なのだ。彼女を救えるのは自分たちしか居ないだろう。彼から遠ざけ、腐りきった生活から解放してやらねばならない。散々、傷ついたのだ。その権利はある。

「……なら、俺達が引き取る。あいつはこれから新しい人生を生きていく。お前なんかクズ野郎に潰されてたまるか」

「そこらへんのチビガキ程度の読み書きしかできねぇ奴が、手に職なんて無理。あいつに出来るのは、雑用か体売るくらいだろ」

「そんくらい、俺らが教えていけば問題ねぇだろ。少なくとも、お前なんかと一緒にいるよか何百倍もましだ」

 カイトは椅子から立ち上がり、男性に背を向ける。

「お前は一生、そこで惨めに過ごしてろ。クズにはお似合いだ」

「おれにとったら天国だよ。飯が出るからな。ここであいつが絶望するのを想像しておくさ」

 どこまでも娘の人生に影を落とすことを望む発言する彼に、怒り以外の感情が沸かないが、このような人間とした終わった者に怒りをぶつけるなど、無駄な労力だ。この労力をミリの幸せに全て注げばいい。

「お前と話して決心がついた。俺はあいつから絶対離れねぇ。お前に奪われた人生の分、取り返してやる」

 ドアの側にいる刑務官に軽く頭を下げると、彼女は男性の方を一瞥し、ドアノブに手をかけた。これ以上、ここにいるのは時間の無駄だ。ここから出た瞬間、奴を自分の記憶の彼方に追いやってしまおう。

「なぁ、一つ言っておくわ」

 ドアが開かれ、出ようとしたところで呼び止められる。カイトは足を止め、振り返る事なく彼の言葉に耳を貸す。最後の言葉くらい、聞いてやろう。所詮、戯言に過ぎないのだから。

「あいつの初めてはてめぇにくれてやるよ。男もできねぇから、おれが貰ってやろうと思ったが、そうなる前にあぁなったからなぁ。あいつ、あの女と似て、顔は良いしな」

 そこで、我慢してきたものが一瞬にして崩壊した。

 どこまで人を追い詰めようとするのだ、この男は。どこまで人を不幸にしようとするのだ。そんな事をする資格などない。むしろ自分というものを全て奪われるべき存在であり、死しても尚、あの世で償い続けなければならない。

 この男は、死に急ぎたいようだ。

「おい」

 カイトは男性を振り返り、歩み寄っていく。そして、拳を握り締め、彼との間に阻まれるプラスチック製の仕切りを力の限り殴りつける。鈍い痛みが拳を中心に広がっていくが、抱いた怒りに一切、気にもならなかった。

「一つ、言っておくぞ。それ以上、あいつの事に口にすれば、今度は俺がそっち側になってやるよ。その代わり、今までしてきた事を後悔するぐらいに叩きのめす」

「……はっ、楽しみしといてやるよ。後悔なんてする訳がねぇけどな」

 飽きもせず、相手を小馬鹿にするような笑みを浮かべる男性。カイトは忌々しく舌打ちをすると、今度こそ面会室から出て行く。外に向かっている間も、沸点を超えた怒りは収まる事なく、外に出るまでの間に最低一〇回は舌打ちしていた。

 刑務官と共に外に出ると、刑務官は真っ直ぐこちらを見据え、一度たりとも開かなかった口を開く。

「カイト・ローレンスさん、所内であのような言動は謹んで頂きたかったです」

「……すみません、我慢出来なかった」

「……気持ちはわかります」

 刑務官は目を伏せ、深くため息を吐く。

「私にも、幼い娘が居ます。あの様な男は親になる資格なんてありません。あのような場所ではなければ、きっと殴っていました」

 そう言い、彼女は深く頭を下げる。

「私が言うのは不躾なお願いでしょう、ミリカさんを幸せにしてあげてください。お願いします」

「……当たり前だ」

 カイトは開いていた手を握り締める。

彼女を必ず幸せにする。彼女は幸せになるべきだ。自分達が必ず幸せにしてみせる。この命に懸けてでも、そうしてみせる。

 この数週間で、今まで抱く事のなかった感情が自分の胸の内に広がっていった。それが、彼女の父と出会って、より激しく、より膨大となっていくのが実感する。

「幸せにする権利があるんだ、ミリは」


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