二十話 支援者

「出張ご苦労さん。いい稼ぎになったか?」

 薄暗い店内にて、顎髭を蓄えた男性がカウンターに突っ伏すクリスに、自家製であるコーヒーを顔の傍に置いた。

「稼ぎどころの問題じゃないよ……。事情聴取含めててんてこまい」

 クリスは顔を上げると、口を尖らせる。

「新聞で見たさ。たとえ著名人でも、犯罪者を野放しなんて出来ないぞ。……他に話したい事があるんだろう?」

「まぁねぇ、アレのことなんだけど」

 アレと発言した同時に、店主の近くで食器を洗っていた店主の妻がタオルで手を拭き、カウンターから離れていった。

 アレと言うのは、ミストの事だ。店主はここを経営する前は還し屋をしていた。辞めてからは若い頃からの夢であったこの店を始め、独立したばかりのクリスと出会って現在に至る。

 元還し屋の妻とはいえ、ミストについての情報は皆無だ。ましてや知ろうともしない。知ってしまえば、後々の生活に支障を来す事を重々承知しているというのが主な理由である。店主も、ミストの正体を告げていない為、現職者との会話となると決まって離れていく。

「ごめんね」

 クリスが離れる妻に軽く手を上げて謝罪すると、彼女は笑顔で首を左右に振った。

「大丈夫。私、買い出しに行ってくるわね」

「気を付けるんだぞ」

 店主はクリスから妻に視線を向け、そう言った。それに対し、妻はむっとした表情で舌を出して出て行った。

 彼女が見えなくなるのをガラス越しに見送った後、クリスは彼を向き直っては笑みを浮かべる。

「相変わらず仲がよろしいこって」

「愛しているんだ。当り前だろう」

「あぁ、そう……そうよね」

 何の臆面も無く言ってのける彼に、クリスは茶化すのを止めた。

 どういった経緯で二人は出会い、結婚したのかは知らないが、いつまでも仲が良く、外では必ずと言っていいほど並んで見かける。片方が欠けた状態で見るのは街でも稀有なものであり、一人でいる彼らを見たその一日は、良い事があると言われている。なので、今日彼女を見かける者は大いに喜ぶだろう。

「えっと……うちにミストの女の子が居るのよ」

「居る、ということは還してないのか? ミストに情を抱く事は――」

「ちがうのよ」

 クリスは彼の言葉を遮り、首を左右に振った。

「死んだ人に感情を向けてばかりだと、辛いだけ。何も救われない。けど、あの子は違う。死んでいないから還せないのよ」

 その言葉に、店主は理解出来ないと言わんばかりに片眉を上げる。

「ミストなのに、死んでないだと? そんなことありえるのか?」

「……ありえてるから、今なのよ」

「で、その子に今後どうしてあげるんだ?」

「生きてるんだから、探し出すわ。けど、時間があまりなさそう……。早くしないと、本当のミストになるかもしれない」

 ミリに起きる最悪の状況。それは、何処かで眠り続けている体の生が失われる事だ。つまり、死ぬという事。出会って五日。出会う前は、何日彷徨っていたのか定かではない。意識がない状態が何日も続けば、確実に体が弱っていく。共に居るミリは可愛くて健康的な容姿をしている。しかし、血を通っている本体は別だ、

 痩せてこけていく彼女を姿が頭の中にちらつき、胸が痛くなる。

「彼にも探してもらえばいい。カイト君に」

「もちろん。愛する家族だもの」

「お前、たまにこっちが恥ずかしくなる事言うな」

「あなたにだけには言われなくないよ」

「良い報告を待つだけだ」

 店主はこちらに背を向けると、酒などが並べられている棚から膨れ上がった紙袋を抱え、クリスの目の前に置いた。

「愚痴以外に、これも欲しかったんだろ?」

 置かれたのは一杯に入ったコーヒーを造り出す豆だ。

 店主が持つ豆から作られるコーヒーはとても美味しく、良い匂いが鼻腔をくすぐる。話しに聞くと、仲のいい知り合いが作ったものらしく、彼の友人はとても腕の良い人物なのだろう。

「お、わかってるぅ。一〇〇〇だったよね?」

「今回は八〇〇でいい。これを纏めて買っていくのはお前くらいだ。売上に繋がる分、助かってる」

「いいの? ありがと」

 クリスは彼にキスする動作をした後、紙袋を受け取り、財布から金を出して渡す。

「お前にそんなのされても、あいつには到底敵わんな」

「勝てる気はしないわよ、あの人には」

 そう言って笑う。

 すると、ドアが開かれた。それにより、ドアに設置されていたベルが店内に響く。

 店主はクリスから入ってきた客に視線を移し、会釈する。

「いらっしゃい」

「どうも。コーヒー、お願いできますか?」

 声は男性のものだった。口調は軽く、若者であると聞いているだけ伝わってきた。

 クリスは特に気にすることもなく、コーヒーを一口飲み、小さく息を吐く。

 男性はクリスの座る椅子から一つ空けた椅子に座る。そして、出されたコーヒーにミルクを一つ、スティック状の砂糖二つ入れて飲んだ。そのコーヒーを横目で見たクリスは、分からない様に小さく鼻を鳴らす。

(ブラックの方がおいしいのに)

「今日は人に会いに来ましてね」

 誰に言っているのか分からず、沈黙が流れる。しかし、その沈黙を店主が数秒で断ち切った。

「そうなんですか。それは会うのが楽しみですね」

「はい。まぁ、もう会えましたけど」

 男性は喉を鳴らして笑うなり、カウンターを指先で叩く。

「でしょう? クリス・サリウスさん」

「……は?」

 突然、男性の口から自分の名が出、クリスは数秒遅れて間の抜けた声を漏らした。

 視線を横に向けると、茶髪で目に届く程の前髪を横へ流し、毛先を跳ねさせる髪型。七分丈のシャツの上から布製で出来たフード付きのパーカーと呼ばれた服を、ファスナーを下ろした状態で身に纏い、ズボンには左太腿から脛にかけて鹿の刺繍が施されていた。

「……ニールさん」

 ニール・ミラー。クリスが事務所を立ち上げる際、資金援助してくれた若き実業家だ。独立する前に所属していた還し屋事務所の依頼人の一人で、担当した時から高い評価をしてくれていた。自分と差のない歳と軽口を挟む性格故に苦労してきたようだが、数年付き合ってきて、それも仕方ないとさえ思える。

「なんでここに居るんですか?」

「君がここに入ったのを、遠目で見てね。来ちゃった」

「来ちゃったって……二―ルさん、コーヒー飲めないんじゃなかった?」

「最近飲めるようになってきたよ。君と飲む為にね」

 わざとらしく肩を竦ませると、コーヒーカップを口につける。しかし、すぐに顔が引き攣らせたのを見ると、ただの見栄なのだと分かった。

「無理しても得しませんよ」

 彼は当時から苦いものを得意ではなく、甘いものが好んで飲み食いしている。

 こちらが好きものだとしても、ニール自身、嫌いなものでも話題の材料にと合わせてくる節がある。

 自分で言うのもあれだが、好意を持たれているのだ。

 全面的に協力したらあわよくば……という魂胆が見える。しかし、彼の好意は誠実なため、それを無下には出来ない。

 紳士の好意を踏み躙る程、捻くれていない。

 クリスは頭を掻きながら、残りのコーヒーを仰ぐ形で飲み干し、カップ置いて深く息を吐いた。

「ここまで来たって事は、何か仕事ですか?」

「ん、いや、仕事じゃないんだ」

 ニールは少し困った様子で頬を掻く。

「ここらへんで妙な話があってね」

「妙な?」

「黒服で、如何にも不審者三人組が色々と嗅ぎ回ってるみたいなんだ」

 三人組の不審者。ミリを連れてきたカイトが黒服の三人組とトラブルになったと言っていた。彼はそういった争い事があっても、大体一人で解決してしまうので、心配する必要がない。

 しかし、未だに周辺を回っているというのは、ミリをどうにかして捜し出したい理由があるのだろう。確かに、人の姿をしたミストなのは還し屋であっても滅多に見る事はない。それどころか、一生見る事すらないかもしれない事象だ。

「私達の管轄内を好き勝手するのは、いただけないですね」

「その事について、クリス君の事務所でじっくり話をしたいね」

「別に、ここで話しても――」

「カイト君にも挨拶したいんだよね。彼とは最近会っていないし」

「……分かりました」

 事務所に赴く理由を無理矢理作る必要もないだろうが、苦手なコーヒーから逃げてしまいたい、というのが正直な理由なのかもしれない。

「じゃあ、あと一杯飲んでからで」

 クリスはそう言い、店主にお代わりを注文した。

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