4.

 人の記憶を金に換える。

 後ろめたさを感じたのは、初めの二、三度だけだった。

「最近、一段と需要は増えているというのに、品物不足で本当に困ってるんですよ」

 男は片目に筒型のルーペをあてがい、記憶の石を一つ一つ調べていた。

「湖の一カ所が軍に接収されてしまってね、石の仕入れが難しくなっているんです。で、買い取り人たちが他の湖を探してるって話なんですが、ほら、ここは山道も険しいし、『石拾い』がいるけど、その人がまた気難しいでしょ? ……お陰様で一人勝ちさせてもらってますよ」

 自身の言葉に声を上げて笑いながらも、品定めはぬかりなく、売り物にならないようなものをいくつかよけて、うんと頷いた。

「こんなところで、どうでしょう」

 指を折り、立てして、ヴァールが一ヶ月食いつないでいけるだけの金額を提示する。

 それで充分と頷こうとして、今回はもう少しだけ稼がなければならなかったことを思い出した。

 男はヴァールの一瞬の逡巡を見逃さなかった。

「今日はこれ以上は出せませんよ。もし足りないようなら十日後にまた来る予定がありますから。その時に来てください」

「十日後だと? 珍しいな」

 彼は月無しの夜直後を狙ってやってくる商人である。

「冬前の収穫時期は誰も忙しいもんですよ。誰かさんは相も変わらずの通常営業みたいですけどね」

 男はまた笑う。

 ヴァールはバツが悪そうに頭をかいた。今日はずいぶんと遊民扱いをされる日だ。

「じゃあ、そういうことで。またお会いしましょう。あ、それとこっちはお返ししますよ」

 ヴァールの手のひらに売れ残りが戻ってきた。

 簡単な挨拶で男を見送ってから、ヴァールは手の上に転がる追憶の石に視線を落とした。

 売れたものと売れ残ったものと、何が違うのかヴァールにはわからなかった。

 ヴァールは一つをつまんで、陽の光に掲げてみた。充分に美しく輝いているように見えるのに、この輝きでは商人も、彼から石を買うであろう金持ちたちも満足させられないらしい。同じ石だというのに。

 しかし記憶を捨てた当の本人たちにしてみれば、本当に悲しいのはたいした値段をつけられないことよりも、湖の外に出されてしまったことだろう。こうして人の手に渡れば、元の持ち主の手に帰ることもあり得る。ビルカのように記憶を取り戻したいと願うものもいれば、二度と見たくない――どころか、できることならこの世から消滅させてほしいと願う者もいるだろう。

 石を売るという行為は、食べるためというにはあまりに下劣な行為なのかもしれない。

 しかし、そうとわかっていてもヴァールは、石を拾い石を売る行為をやめはしない。

 いつか少女の石を拾い売る日もくるのだろうか。それは、それなりの価値で人の手に渡っていくだろうか。それともこの石のように自分の手に戻されるだろうか。めぐりめぐって、少女のもとへ還るだろうか。

 それはヴァールにはわからないことである。そして考える必要もないことだ。

 そう。考える必要などない。それなのについ思い出してしまう。屈託ない少女の顔と、アルナーサフの言葉。

水たまりビルカがもたらすものなど、悪いものに決まっている」

 今おかれている状況が物語っているではないか。

 次の月無しの夜まで生き延びるには金が足りぬ。それもこれもビルカのせいだ。

 商人の言葉に従って十日後にふたたびやって来れば簡単に解決する話だが、しかしそれも腑に落ちない。何もない毎日に突然目的が生じるというのは、思っていたより心かき乱されることなのだ。

 だから、できることなら次にワアダに来るのは、変えることなく次の月無しの夜の後であってほしい。

「他の商人にも見せてみるか」

 独りつぶやいて、革袋を開く。小さな口に石を押し込もうとした、その時だった。

「ヴァールー!!」

 雄叫びが迫ってくる。

 どこから来るか。

 振り返って、見当たらず、次の方向へと体を開く。

 そこへ突進された。横からだった。

 右の脇腹めがけて、頭から飛びこんできた。とっさのことで支えきれず、ヴァールは数歩よろけてから尻もちをついた。その上にまたがる形で着地した、騒動の張本人。

「ヴァール!!」

 にんまり笑うビルカの姿があった。

「どうしてお前がここにいる」

 声が震えたのは、痛さと重さのせいだけではないはずだ。

「……呼んでないぞ」

 否応なしに思い浮かんだり、皮肉を込めてその名を口にしたりはしたが、決して求めた覚えはない。

 だがビルカは目の前にいて、お得意の子どもらしい笑顔を向けていた。

 少女は笑顔のまま、そしてヴァールに馬乗りになったまま

「ん? 呼ばれていないぞ?」

 と小首を傾げる。

 では何故いるのかと、一つ目の問いに戻る。腹の上にまたがった少女を強制的に退かせられる程には、まだヴァールの思考回路は回復していなかった。

「書類、書き忘れがあったらしいぞ!」

 そう言って、くしゃくしゃにシワが寄った一枚の紙切れを顔の前に突き出すビルカ。

 ヴァールは視界いっぱいに広げられた書類の一文字をも見ようとせず手で払った。流れで自然と体が動き、ついでにビルカの体を押しのける。抵抗しようとするので、ビルカの体を持ち上げて自らの脇へと追いやった。上体をひねったところで、追突された箇所がズキッと痛んだ。

 書類に書き忘れがあったとして、どうして突進されなければならないのだ。もしやザーイムの嫌がらせかと勘ぐったが、ヴァールの推理を否定するように、慌てた様子のザーイムがやってきた。

「お前、それくらいならこっちで勝手に処理できるから、わざわざヴァールなんかに言わなくてもいいって……って! ぐちゃぐちゃにしやがって! これじゃ書き直しじゃないか!」

 ザーイムは言いながら書類をぶん取る。

 ヴァールの苛立ちまで吸収してしまったかのような剣幕で、ビルカの頭にゲンコツを落とした。

「いたい! いたいぞ!」

「うるせえ。こっちはお前のせいで手間が増えたし、」

 ちらりとヴァールの方を見る。

「一日に二度もこいつの顔を見る羽目になったんだぞ」

 その分を思うと足りなかったようで、もう一つ雷が落ちた。何か言い返そうとするビルカの襟首をつかんで、

「そういうわけで、なんでもないからな。じゃあな」

 嵐のように現れ賑やかし、嵐のように退散しようとする二人組。

「あ、ああ」

 中途半端な相づちになってしまったのは、呆気にとられたからに他ならない。

 だがビルカは、実に自分に都合の良いように解釈したようだった。

「なんだ? ワタシと別れるのがカナシイのか? サミシイのか?」

 今一度、ヴァールの上に乗りかかり、嬉しそうな顔を見せた。そしてザーイムにこうアピールする。

「ヴァールもこう言っている! さっきのつまらん所に戻らなくてもいいだろ? な? な?」

「いいわけあるか」

「いやだ! あそこにいたって待ってるばかりで石探しにも行かせてくれん」

 さっそく「石を探したい! 湖に行きたい!」とねだって世話役の女性を困らせたそうだ。幸い、ヴァールが半ば騙すようにしてビルカを送り出したことは明るみに出ていない。

「だから、石を探すか新しい人生を歩むかは、これからじっくりと話し合ってから決めようって話だろ。お前はまだ混乱してるんだ。決めるには早すぎる。さあ帰るぞ」

 ザーイムが優しく諭してやってもビルカは退こうとしなかった。

「ワタシは戻らんぞ! 絶対戻らんぞ!」

 ビルカは足をばたつかせ抵抗を試みる。

 その足が石を蹴った。追憶の石だ。革袋にしまおうとした時に体当たりされたせいで、一つだけ落としてしまっていたようだ。

 ヴァールが拾おうと手を伸ばしたのを見て、ビルカの関心もそちらへと向かった。

「なんだそれは。ぴかぴかだな」

 遊び道具を見つけた幼子の瞳の輝きそのもの。

 ヴァールに負けじと手を突き出す。

「それは……」

 言いよどんだヴァールに代わって解説しようとしたザーイムだったが、

「おい、そいつはオモチャじゃねえぞ。それこそが追憶の石。ピエトラお前の記憶もその石みたいに……って、……え?」

 彼もまた言葉を詰まらせてしまった。

 ザーイムの口から声は消え、まあるく開いたまま硬直している。

「なんだ、コレは!!」

 少女が驚きの声を上げたせいではない。

 ビルカの小さな手が、短い指の先が触れた瞬間、追憶の石が輝きを増したのだ。

 太陽のもとでは、石の輝きはその差を見分けるのも難しいほどささやかで弱々しい。しかしビルカが触れると、まるで火を灯したかのようにふうわりと明るくなった。

 その輝きは見る間に明々となり、光の量は増幅し、やがてヴァールたちの目を眩ませるだけでは済まなくなった。市場を行き交う人の隅々までを鮮やかに照らし、その注目を一身に集める。

 ヴァールは腕で光を遮りながら、目を細め、何とか様子をうかがった。

「大丈夫か」

 明るさに目が慣れるその前に、特別強い光はなくなった。

 だが石の発光は続いている。

「なんだコレ? ……ヘンだぞ。景色が、ぐるぐる変わっていくぞ」

 驚いて、ビルカは石から手を離した。途端に輝きはおさまり、いつもの追憶の石へと戻る。

「なんだったんだ」

 唖然とするヴァールとザーイムに対し、恐怖や混乱などではなく、興奮が勝ったと言わんばかりの反応を見せるビルカ。ヴァールの腕をぎゅっとつかんだ。

「ヴァール! なんか、景色が、人の顔が、声が、ドバーって来たぞ!」

 その様子を目にし、ビルカの言葉を聞き、ヴァールとザーイムは顔を見合わせた。

「これってもしかして」

「いやまさか」

 みなまで言わずとも。互いに何を言わんとしているのかよくわかった。ただしヴァールもザーイムもその現象を目撃したことはなかったため、自分たちの憶測が合っているのか、確信を持てずにいた。

 確信が持てないどころか、どちらかといえば不安の方が大きかった。二人が知る限り、それはまだ起こるはずのない奇蹟だったのだ。

 ようするに、彼らが目撃した発光は、追憶の石が、そこに眠る記憶が、還るべき主を見つけた時に起こると言われている反応に酷似していたのだ。

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