第15話 謎の救い

 休憩が終わり、再びセシルが稽古に精を出すうちに、あっという間に日は暮れた。

 あの嫌味な先輩女優たちに見せつけるように気合いを入れたからか監督に褒められ、上機嫌のセシルは、鼻歌を歌いながら路地へ入った。今日はシガが主演を務める演目の日で、セシルたちは休みなのだ。


 自宅への近道を浮かれ心地で歩いていたセシルは、すっと目を細めた。

 誰か二人、後ろから歩いている。

 もちろん、それだけなら気にする必要のないことだ。しかしセシルはあちこちで少々暴れすぎて暴漢に襲われることが今までも何度かあったし、自分が今、正体不明の者たちに狙われているかもしれないことを忘れてはいない。だからこうして劇場を出る前に、シガがくれたペンダントをシャツの下に隠しているのだ。


 何より実際のところ、セシルの感覚を撫でる気配は気を張っているふうだった。しかしそれでいて、気配は母のとある傭兵仲間が本気になったときに匹敵するほど希薄だ。魔力の気配も微弱に漂ってきていて、セシルの感覚に小さな不快感を寄こしてきている。

 ――――つまり、これはそこらのごろつきではなく、ある種の専門職の人間だ。


 セシルは初めて、シガが贈り物をしてくれたことに心から感謝した。魔術の中には、身体の自由を奪うような類のものもあるのだ。軽い吐き気という副作用はするが、相手の武器が少しでも減るのはありがたい。

 次の角を曲がれば、逃げ込める道はいくらでもある。そう計算し、セシルは歩みを続けた。

 だがそれは、相手も計算済みだったらしい。


 セシルが曲がろうとしていた角から突然男が姿を現し、道を塞いだ。セシルが立ち止まらざるをえなくなると、背後の男もぴたりと足を止める。

 眼前の男は、見覚えのある身なりをしていた。生成り色のマントにブローチ。腰には短剣の柄が見える。しかし年齢不詳の顔立ちに特徴はなく、記憶に残らない。気配もなく、セシルの背後で魔術師の力の気配をまとう男がそれを隠しきれていないのと対照的だ。

 この男たちは、黒い宝石を持って逃げていた男の仲間なのだ。理解し、セシルは身構えた。


「……何か用?」

「……黒い宝石をどこへやった?」


 不機嫌の一途を辿るセシルが苛立ちのまま低い声で問えば、目の前の男は抑揚のない声で問いを返してくる。やはり、それが彼らの用であるらしい。


「宝石? そんなの知らないよ。あの黒い宝石は、あんたたちと同じ格好をした奴が持ってたのを見ただけだ。あたしは何も知らないよ」


 と、セシルは動揺を持ち前の演技力で押し隠し、男を睨みつけた。


「ほら、さっさとどっかへ行けよ。あたしもあいつも、宝石なんて持ってないんだから、二度とあたしたちにつきまとうな」

「……そうはいかん」


 そうセシルに告げたのは、数歩離れたところからセシルの背後を塞ぐ男の片方だ。力の気配を高め、詠唱の準備に入る。魔力の気配は、この男だったのだろう。

 セシルは眉を吊り上げた。


「はあ? あたしは関係ないだろ! ていうかそもそもあれ、デュジャルダン氏から盗んだやつじゃん!」

「それこそ俺たちには関係ない。俺たちの目的はあの宝石だ。……来い」


 その声と共に、セシルの喉に剣が突きつけられる。傲慢な男たちは、剣を見せれば一般市民は従うと信じて疑わないらしい。

 まずい。セシルの動揺からくる焦りは、さらに強まった。心臓が、己の強度を試そうとしているかのように速く強く胸に打ちつけてくる。指先までが熱いのか冷たいのか、セシルは自分でもわからなくなる。

 ただ、ここで彼らに大人しく従ってはならないことだけは確信できる。

 やるしかない。セシルは覚悟を決めた。


「――――っ」


 セシルは突きつけられた短剣で首筋が薄く切れるのも構わず、前に突っ込んだ。小娘の思わぬ行動に一瞬固まる男の顔面を思いきり殴り飛ばし、そのまままっすぐ突っ走る。

 怒り心頭ではあるが、腕が立ちそうな男二人と魔術師なんて組み合わせに自分一人で勝てると考えるほど、セシルは冷静さを失ってはいなかった。こんな狭い場所では、セシルが男二人とやりあっている間に拘束の魔術を使われてしまう。シガのペンダントがあるとはいえ、それを頼みに無茶をするよりは、逃げるほうがいいに決まっている。


 路地を出ると、夕暮れ時の通りがセシルの眼前に広がった。この時間帯は昼間に負けず人通りが多く、人ごみに紛れやすい代わり、自分も追跡者がどこにいるかわかりづらく、逃げづらい。唯一有利であるのは、男たちの武器が使えないことくらいだ。

 さいわい、男たちはそこまで土地勘があるわけではないようだった。追ってきている声はするが、先回りはされていない様子だ。それに、セシルが通りを走り続けているからか、魔術で足止めされることもなかった。


 こうなれば、セシルの体力と気力がいつまでもつかの勝負である。どちらかが尽きれば、捕まってしまう。そうなる前に、どこかへ逃げなければ。

 やはり彼らに出くわした時点で、大声で叫んでおけばよかった。セシルは心から後悔したが、もう遅い。


「なんでっこうなってるんだよ……!」


 来るならそう事前に予告してくれればいいものを。セシルは心の中で毒づいた。予告状でも送られていたなら、すぐさまユーサーに連絡し、一味をまとめて拿捕してもらえたのだ。あの黒い宝石を探し求める怪しい男たちであるのだから、きっと報奨金をもらえる。そうすれば、‘夕日ヶ丘’の備品をよりいい物に買い揃えたり、あるいは高級肉や高級菓子を取り寄せて家族三人と父の弟子たちで美味を楽しめただろうに。


 現実逃避しながらがむしゃらに走っているうち、セシルはやがて、家が建ち並んでいても人気がまったくない一帯へ出た。――――‘幽霊区’だ。

 ‘幽霊区’を走り回り、目的地を見つけたセシルは猛然とそこへ走りだした。さすがに悲鳴をあげてきた足を無理やりに動かす。


 幽霊屋敷と呼ぶに相応しい廃屋のひしゃげた扉をくぐったセシルは、扉を閉めると取っ手を思いきり握った。

 途端、目眩と吐き気がセシルを襲う。セシルが保有するわずかな魔力が取っ手を通して扉に流れ、それに糧にして扉に文様が浮かびあがる。

 ばん、と扉を激しく叩く音がした。しかし穴が開いてぼろぼろだというのに、扉は真新しいものであるかのようにびくともしない。


「くそ、ここを開けろ!」

「誰が開けるかっての! 女の口説き方知らないのかよ!」


 扉の向こうからの怒声に、扉のそばに座り込んだセシルは怒鳴り返した。

 逃げ続けたおかげで、心臓がうるさいくらいに早鐘を打っている。喉も胸も痛いくらいだ。だが、怒鳴らずにいられない。


「あたしは知らないって言ってるだろ! 耳ついてんのかよあんたら!」

「本当のことを言え。売りもせず捨てるとは思えん。それに、アンガス……俺たちの仲間をどうした」


 問う声音が低くなる。眉をひそめたセシルは、あの夜に見たきりの、眦に傷がある男のことかと理解した。殺されたと話してやろうかと一瞬考えたが、かえって疑いを深めることになるかもしれないと考え直す。無駄に怒らせる必要はない。


「知ってるわけないだろ。あたしは何も知らない、こんなことしてる暇あったら、他のところへ探しに行けよ」

「……なら、もう一人の男に吐かせるしかないな」

「!」


 主張を変えないセシルに業を煮やしてか、今まで声を発しなかった男が舌打ちする。セシルは顔色を変えた。


「シガに手を出すな!」

「なら、あの宝石を渡せ」

「だから知らないって言ってるだろ! しつこいぞあんたら!」


 焦りや怒り、苛立ちでセシルの声が一層荒くなる。その一方で頭の中の冷静な部分は、この状況を打開する方法を必死に探した。


 唐突に、誰かが走ってくる足音が聞こえてきた。セシルが窓からこっそり観察してみると、魔術師がやっと到着したところだった。肩で息をしている。

 あれでは、魔術師はまだ呪文を唱えられないだろう。扉に施された術具も、ある程度は魔術に耐えるようにできている。ドアノブにつけた術具は一応未改造だが、シガがわざわざ正規の術具店で目利きをして入手したという、高価で強力な術具なのだ。


 リヴィイールに入団したばかりの頃、稽古場所に困っていたカイルは、犯罪者の逃げ場のご近所という物騒な立地にあるこの廃墟の広間で稽古することを思いついたのだという。シエラ劇場にも稽古場はあるがいつも稽古中の俳優が誰かしらいるので、自由に稽古したいなら自分で稽古場を確保しないといけないのだ。セシルやシガが入団してからは、二人も稽古場として使わせてもらっていた。

 ここにはシガに設置してもらった、強力な防犯用術具がある。なんとか中へ逃げ込みさえすれば、裏口からこっそり逃げるか、最悪でも彼らが諦めるまで籠城することができる。男たちのしつこさに腹を立てながらもセシルはそう冷静に考え、逃げ道を選んでいたのだった。


 だが、だからといって安心できない。万一突破されればおしまいだ。自分はこんなにも疲れている。きっと特殊な訓練を受けているに違いない男たちとまともに戦って、勝てるとは思えない。

 男たちが中に入れないでいる今のうちに逃げなければ。セシルは窓から離れると、姿勢を低くして廃墟の奥へと向かおうとした。


 そのとき、建物の外で、どさどさと何かが地面に倒れる音がした。

 今、この建物の外にいるのはあの男たちだけのはずだ。まさか浮浪児やごろつきたちが、こんな面倒事に関わろうとしたりするわけがない。


「……」


 迷った末、セシルは窓から外を覗いてみることにした。あくまでも覗くだけだ。外に出るなんて恐ろしいこと、できるわけがない。

 おそるおそる窓の外を窺い見てみると、あの男たちが三人共倒れていた。ぴくぴくと痙攣し、目も焦点が定まっていない。そればかりか目を閉じている者もいる。

 生きてはいるのだろう。だが戦闘不能であるのは明らかだ。


「何、これ……」


 まるで毒でも呷ったかのような光景に、セシルは呆然とした。

 術具を解除して屋敷の外へ出たセシルは、男たちに駆け寄ると膝をつき、手首に触れた。弱々しくであるが三人とも脈を打っているのを確認し、ほっとする。セシルの帰路を台無しにした大馬鹿者たちであるが、だからといって目の前で死なれるのは後味が悪い。


 それより、とセシルは周囲を見回した。濃くなってきた建物の影を漂う、一際濃厚な魔術師の気配を探る。

 そして、勘違いではないと理解してセシルは愕然とした。服の下に隠した、魔力をまだかすかに放つペンダントを吐き気が増すのも構わず握りしめる。


「なんで…………」


 落ち着きかけたセシルの心臓がまた一つ、大きく音をたてた。

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