第三章 秘密

第11話 人気役者の舞台

「おお、神よ! 何故かくも我が友を苦しめるのか! 彼ほど誠実かつ勇敢で、貴方の忠実なしもべはいないというのに!」


 青白い照明が照らす舞台の上、精巧に設えられた祭壇の前で、青年は嘆きの声をあげた。

 声に、表情に、全身に。幼少のころから苦楽を共にした無二の親友への罪悪感と哀れみがにじみ出る。親友は今、いわれなき罪で弾劾されているのだ。しかもその罪は青年が犯したもので、小さな偶然が重なった結果、青年ではなく親友に容疑がかかってしまっている。罪悪感を抱かないはずがない。


「神よ、ご覧になるがいい。官吏どもは我が友を罪人と呼ばわり、民は石を投げて彼を非難する。彼の居場所は、もはやこの地上のどこにもない。何ということか! あの善良な若者が罪など犯すはずがない。私こそが裁かれる罪人であるというのに、何故真実は暴かれないのか。ならば、真実に一体何の意味があるというのか!」


 叫び、青年は虚空を見上げた。


「司直の目はどこについている? 神よ、貴方の慈悲は彼には与えられないというのか? もしそうならば……真実どころかこの世界にも意味などありはしない。悪徳と残虐に蝕まれ、ほろんでしまえばいい!」


 そう世界を呪い、青年は荒々しく肩で息をする。

 しかし、数拍後にはその怒りと憎しみも表情から解け、青年はだが、と己の顔を手で覆った。


 何故なら青年は、自分こそ罪人であると名乗ることができない己の卑怯さを憎んでいた。自分が名乗り出ればいいだけなのにそうしないのは、絞首刑になるのを恐れているからだ。生きていたいという生き物として当たり前の感情が、罪悪感と友情を抑えつける。それを青年は憎み、また嘆くのだ。


「ああ、なんと私は罪深いのか……民や官吏を軽蔑し、司直を詰り、神を呪うことで、己の罪から目を逸らし、逃げている。それもまた罪。罪に罪を重ねるなど、愚か者のすることだ」


 親友を救いたい。だがそのためには、己が死なねばならない。青年がどちらも選べないうちに夜は更けていく。悩みや嘆きに興奮していた青年も疲れには勝てず、祭壇の前でうとうとと居眠りを始めた。――――恋人が物影から嘆きを聞いているとは知らないで。

 彼女もまた、嘆いた。


「なんということでしょう。愛しいこの人が、実は罪人だったなんて。しかも、友人がいわれなき罪によって処刑されようとしているというのに、今もそれを隠しているなんて」


 彼女はああ、と両手で顔を覆った。


「神はなんて残酷なのでしょう。過ちは正されなければならない、でもそうすれば、この人は死んでしまう。この人の愛を失って、私はどうやって生きていけばいいのでしょう。……けれど、ああ、真実は暴かれなければならない!」


 胸が張り裂けてしまいそう、と彼女は空を仰ぐ。愛する者と罪を分かち合って共に生きるのか、敬虔な神のしもべとして真実を暴くのか。突きつけられた運命の岐路は、十七の娘にとってどちらも選びがたく、残酷だった。


 神に祈りを捧げ、答えを得る瞬間を待った彼女は、やがて悲壮な覚悟を決めた。

 愛しい青年の肩を揺らし、夢と現の狭間にいる彼に、厳かな声で告げたのだ。


「汝の成すべきことを成せ。正しき者を神は愛される」


 彼女が去って朝になり、目覚めた青年は、夢うつつに聞いた声は誰だったのかと自問した。一体誰が、誰も知らないはずの己の罪を知っているのか。生に執着する浅ましい心が、青年の口を堅くしているというのに。

 だがそんな疑問も、次第に大したことではないと思うようになる。何度も言葉を噛みしめているうちに、心が晴れやかになっていったからだ。


「さあ、行こう。友の元へ、神の御許へ。過ちを正し、この罪を償いに行こう――――――――」


 青年は晴れ晴れとした表情で呟き、祭壇の前から立ち去る。その歩みに迷いはない。良心に従う重みを心地良く感じながら、一歩一歩を踏みしめて歩いた。




 緞帳が下り、舞台下の楽団が奏でる音楽もか細くなっていく中、音楽をかき消さんばかりの拍手が起きた。緞帳が再び上がり、主演たちが揃って観客席にお辞儀をしてもまだやまない。

 俳優たちは笑みを浮かべて優雅にお辞儀を繰り返す。何度も、何度も。

 主役の青年役を演じたセシルも、舞台の中央で歓声を浴びていた。

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