6「人生初戦闘」



「うわぁああああああああああああああ!」


 モンスターと遭遇してしまったのだとわかったときには、自然と口から悲鳴が飛び出ていた。

 無理もない。

 いくら身体強化魔法が使えるようになったからとはいえ、初めてのモンスターだ。

 冷静でいられるわけがない。


「ぐるぁああああああああああああああああああっっ!」


 大熊は、鋭い鉤爪の備わった太い両腕を威嚇するように持ち上げた。

 それでなくても巨体の熊が、さらに大きく見えてしまう。


「うわぁあああっ、うわぁああああっ、うわぁぁぁああああああああああああ!」


 サムは尻餅をついて絶叫を繰り返す。


「落ち着け、落ち着け、落ち着けええええええ!」


 危険だと承知でサムは熊に背を向けて、逃げ出した。

 その間に、自らを落ち着かせようと必死になる。

 戦うんだ。

 戦わなければならない。

 ここで逃げてどうする。

 冒険者になるのではないのか。


「――逃げるな、サム!」


 自分自身に吠え、足を止めた。

 背後からは唸りを上げて大熊が追いかけてきている。

 恐怖はある。恐ろしくてたまらない。

 だが、それ以上に、なにもできなくて逃げているだけの自分が情けなくてたまらなかった。


「逃げてどうするんだ!? あの家に泣いて戻るのか!?」


 そんな選択肢はあり得ない。

 なんのために、魔法の練習をしたのだ。

 あの家から出ていくためだ、この異世界を冒険するためだ。

 こんなところでつまづくためではない。


「あんな家で、弟にいじめられながら! 大人たちに蔑まれながら生きるのか! 違うだろ!」


 サムは恐怖を抱えたまま振り返った。

 目の前には、今にもサムを襲わんとする巨体がいる。

 落ち着け、落ち着け、落ち着け。

 身体は強化されたままだ。

 大木をへし折れるほどの力が、今の自分には備わっている。

 こんな熊一匹に怯える必要なんてない。


「気合を入れろ、サミュエル!」


 ありったけの力を込めて拳を握りしめた。

 腰を落として、構えをとる。

 あとは気合と根性だ。


「かかってこいよ!」

「ぐぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


 熊が吠えて腕を薙いだ。

 唸りをあげて迫りくる巨腕を掻い潜り、熊の懐に飛び込んだ。


「うわぁああああああああああああああああっ!」


 そして、全身全霊の力と魔力を込めて、サムは腕を振るった。



 ――ずさっ!



「――へ?」


 決着は一瞬だった。

 サムは目の前の光景に、ただただ唖然とするだけ。

 サムは全力で熊の巨体を殴り飛ばすつもりだった。

 しかし、サムの拳は熊の体を横一線に両断していたのだ。


「な、なにが起きたんだ?」


 その疑問の返事はもちろんない。

 サムが間抜けな顔をしている間に、熊の巨体が腹から横にずれ、大量の血液と臓物を撒き散らして地面に転がっていく。


「……勝った、んだよな?」


 真っ赤に染まった地面を眺めながら、サムは茫然と呟いた。

 視線の先に、二つに別れて倒れる熊はぴくりとも動かない。


「――勝ったんだ、俺は、勝ったんだ!」


 地面に散らかる臓物を見て、勝利を確信した。


「やった、やったんだ、俺はモンスターに勝ったんだ」


 サムは、まるで自分に言い聞かせるように何度も繰り返す。

 震える手をぎゅっと握りしめて、力を込めた。

 この九歳児の小さな手で、大人を優に超える巨体を持つ、熊のモンスターをたった一撃で倒すことができたのだ。


「――やれる」


 サムは、震える声で歓喜した。


「この力があれば、あの家から出ることができる! 俺は、今世界を冒険できる! 俺は――自由に生きることができるんだ!」


 転生してから、わずか数日。

 サムは、新しい一歩を踏み出すことに成功したのだった。


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