第32話 事件の行く末は

 一条さんの話を聞きながら、思い出したことがある。

 それは、僕が草蒲署の警察たちを嫌っている理由の事だった。


 もちろん、今さっき聞いた偏見の言動に対する嫌悪感もその一つなのだけれど、それ以上に個人的な恨みがあった。

 笹山村さんの死体を発見したあの夜、保護されて風当たりが強かったのは確かに最初だけではあったのだけれど、その最初が酷かったのだ。


 僕が三人目の殺人の詳細――笹山村さんがどうやって死んだかを知ったのは、解放された後のニュースで知ったのが一つ。

 そして、それ以上に教えてくれたのは草蒲署の警察達だった。

 もちろん「お前がやったんだろう」と言う、猜疑の言葉でだ。

 高圧的な物の言い方で「殺してでも女とヤりたかったから殺したんだよな?」と。


 聞かされた時は意味が分からなかったし、笹山村さんが性的暴行を受けた後に殺されたと聞いた時は、自分の心が死んでいくのを確かに感じた。

 伊藤巻が殺された時も同じような尋問の時間を過ごしたが、それ以上の辛さだった。


 もちろん、それらの苦痛は自分が疑われたからと言うから理由ではない。

 僕が犯人ではないのは僕が一番知っていたし、机を叩く音と共に恫喝の様にぶつけられた「自分より弱い人間にやりたい放題したクズ」と言う言葉も、どちらかと言うとどうでも良かった。


 ただ、笹山村さんの事を想うと、どうしても辛かったのだ。


 僕宛ての、送信されることの無かったあのメールを思い出すたびに、僕の中で燃え始めた小さな火が、ジワジワと僕の魂を焦がしていく。

 涙は流れなかった。

 何を聞かれたところで、言葉も出なかった。

 もはや、呼吸をするだけで精いっぱいだった。


 それでも警察達はそんな僕の有り様から、後悔だとか、罪悪感だとか、僕が感じてもいなかった感情を見出して、僕を責め続ける。

 手段も択ばない。

 僕が笹山村さんに関する事柄で明らかに動揺したと見たのだろうか、彼らは、笹山村るると言う人間の死にざまの詳細を僕に語って聞かせて来た。

 それら全てをお前がやったのは、調べて分かっているのだぞと。

 観念して自供しろと、そう言いながら。


 この事が、決定的に僕の、警察に対する不信感を強くしたのである。


 そうして今。理解が追い付いたのは、あの猛攻の様に繰り広げられた地獄の時間が終わったことが、一条さんが僕のアリバイを証明してくれたことに起因するのではないかと言う事。

 そして、僕の潔白がある程度証明された途端、彼らが、まるで僕のせいで恥をかいたと言わんばかりの舌打ちをして去って行ったと言う事だった。


 一条さんは彼らとはまるで違う。

 今も、電話でも伝わるほどに柔らかい口調で『で、今回の電話だけど』と語り始めていた。


『実は特別な用事は無いんだ。単純に君の事が心配だったからって言う、それだけなんだけど』

「心配、ですか」


 一条さんの『君の事は、ずっと前から気にかけていた』と続いた声を聞きながら、僕はゆっくりと、凍り付いていた心が解けていくのを感じている。


『覚えておいて欲しい。どんなに苦境に追い立てられたとしても、君は独りじゃないと言う事を。大切な友達を失った悲しみも計り知れないし、今も辛いとは思う。だけど、それでも頑張って耐えて欲しい。余計なお世話だと言われれば、それまでだが』

「そんなことありません。ありがとうございます」


 本心からそう思う。

 僕と一条さんが連絡を取るのは不味いと、ついさっき聞いたばかりだ。

 だからか、僕を心配したと言う、ただのそれだけのために危険を冒してくれているのが、本当に嬉しく思える。

 ただ、僕は一条さんが思っているよりも立ち直りつつあるのだと自分でも思った。

 今でも頭をよぎるのは辛いことばかりだが、それでも、僕の心の底で燻り始めた小さな灯が、事件についての質問を始めたからだ。


「一条さん。聞いて良いですか?」

『なんだ?』

「一条さんは、テレビでニュースが言ってるように竹川儀が」


 思わず胸が苦しくなって、言葉が途切れた。

 瞬間的に、あの日見たメールを思い出したからだ。

 笹山村さんが受けた仕打ちを考えると、先生も付けたくない。

 心を強く保たねば。

 僕は小さく息を飲みこむと、自分を落ち着かせながら続きを質問した。


「……竹川儀慎也が犯人だと思いますか?」

『こ、答えづらい事をハッキリ聞くな。いや、君の味方だと言ったばかりだ。正直に言おう。あの男が犯人である可能性は否定できない。状況から言えば高いと言っても良いくらいだ。だが、僕にはハッキリとした確信が無い。真犯人に仕立て上げられた身代わりのための人間にも思える。宝田君もそう思っているから調べていたのだろう?』


 一条さんは真犯人の可能性を口にしたものの、まるでそちらの方を信じていると言った口調だった。

 僕が肯定の言葉を口にすると、一条さんは話を続ける。


『しかし、残念だが警察は竹川儀慎也を犯人として事件を終わらせるつもりだ。彼は笹山村るるの死亡推定時刻の少し前に被害者と一緒にいたし、自宅から物的証拠も出てしまった。アリバイも無い。彼を犯人でないと説明する方が難しい状況になっている』


 このまま事件が終わる。

 他に犯人がいる可能性があると言うのなら、それはやはり許せない事だった。


「あの、自宅にあった証拠って犯行に使われた凶器ですよね? 誰かが竹川儀の家に置いたってことは考えられないんですか?」

『その可能性はある。凶器からは彼の指紋も検出されていないからね。しかし、物的証拠は凶器だけではないんだ。彼の自宅で見つかった笹山村るるの私物や指紋も事件と関連付けられてしまった上に、睡眠薬も見つかってしまった』

「睡眠薬?」

『笹山村るるの体から検出されたんだ。同じ成分の物が竹川儀の自宅で発見されている。笹山村るるは、殺害前に一服盛られて、意識も朦朧としている中で殺されたらしい』


 最後に見た笹山村さんの虚ろな目を思い出して、息が詰まりそうだった。

 そんな状態で、笹山村さんは殺されてしまったのか。


『胃の内容物も調べられた。ミルク入りのコーヒーで睡眠薬を飲まされたらしい。これも竹川儀慎也が盛ったと言う事になっている。竹川儀慎也は知らないと主張しているが、年頃の女の子が知らない人間からもらったものを口にするのは考えにくいと言う理由で、これは否定されている』


 だが、そんなことがあり得るのだろうか。

 笹山村さんは、死ぬ前に竹川儀に暴行されている。

 暴行――性的暴行だ。

 心も、体も踏みにじった男からもらった飲み物を、笹山村さんが素直に飲むだろうか。

 それに、暴行した男がコーヒーを淹れて、ミルクも添えて出したと言うのも、どうにも不自然に感じてしまった。


 ただ、僕の中に迷いがあるのは、もし、出されて飲めと脅されたならば、飲んでしまうかもしれないと言う事だ。

 しかし、これを認めるわけにはいかない。

 これを肯定すれば、竹川儀が犯人であると言う説を強烈に後押ししてしまう。

 このまま得体の知れない違和感を抱えたまま、彼が犯人であると言う結論は出したくない。


 ……しかし睡眠薬か、と僕は思う。

 睡眠薬の話は初耳だっただけに驚きだった。

 事件後に僕が目にしたニュースでは、ここまでの情報はどこからも出ていない。

 恐らく、これはどこにも公開されていない、警察の捜査情報なのだろう。

 ありがたいと思う一方で、一般人の僕にここまで教えてしまった一条さんの立場が大丈夫なのかと不安にもなる。


『とりあえず、竹川儀慎也について話せることは以上だ。状況も物的証拠も揃い過ぎていて、これを覆すのは不可能に近いよ。僕も独断で動いていたんだが、もはや打つ手が思い浮かばない』


 口調から一条さんの苦労が垣間見えた。

 きっと、彼だけが草蒲南署で真犯人の存在を主張しているのだろう。

 一条さんは、長く息を吐くと、そのまま言った。


『君に謝ってどうなるわけでもないが、謝罪させてくれ。本当にすまなかった。警察は事件を終わらせにかかっている。まるで臭いものに蓋だ。これでは、何のために自分が警察官になったのか分からなくなってしまうよ』


 何を返せば良いのか分からなかった。

 何を想えば良いのか。

 確かに、このまま警察が竹川儀を犯人として捜査を打ち切ってしまえば、誰にも、何も出来なくなってしまうだろう。


『すまない、宝田君。どうか許して欲しい』


 一条さんは再び謝罪の言葉を口にしたが、彼が悪いわけではないと言う事は分かっている。

 警察と言う組織に憤りのようなものは感じても、一条さんには感謝の気持ちしかない。


「一条さんは悪くありませんよ。いろいろ教えていただいて、ありがとうございました」


 話はそれで終わった。

 一条さんは、力の無い声で言う。


『思っていたよりも長電話してしまったな。夜遅くにすまなかったね』

「いえ、話せて良かったです」

『そう言ってもらえると助かるよ』


 一条さんのささやかな笑みの気配が伝わり、僕は目を閉じる。

 このまま事件が終わってしまうのは、避けられない事なのだろうか。

 とは言え、竹川儀以外の犯人と思わしき人物が他に思い浮かばない。

 他に情報は無いかと聞こうとしたが『叔父さん、まだ電話してたの?』と言う夢川田の遠い声が聞こえて、『ああ、今切るところだった。何か話すか?』と言う一条さんの声が続いた。


『もしもし、宝田君?』

「夢川田か。どうかした?」

『ううん。ちょっと、声だけ聞いとこうと思って』


 おいおい、と気恥ずかしくなった。

 夢川田は夢川田で、良い奴だなと思う。

 出会った頃にあった偏屈なところは、事件が起きる前はたまに顔も出してはいたのだけれど、こうして僕を心配してくれるのは嬉しいし、やっぱり彼女もまた、僕の良い友達なのだと思う。


『宝田君。あのね、叔父さんと何を話してたかは聞こえてなかったんだけど、叔父さんを責めないであげてね』


 夢川田の声が、若干小さくなってそれを伝える。


「責めないよ。責めるわけない。一条さん、良い人って言うか、色んな意味で俺の知ってる警察と違う」

『そっか。ううん、ありがとう。ただ、良い人ってのは聞こえが良いけど、私は時々不安にもなるかな。私に捜査上の話をしてくれるのもほんとはダメだとは思うし。時々、助手みたいな感じでいろいろ手伝ったこともあるけど、これも本来なら許されない事よね。姪とは言え、未成年の女の子を捜査に巻き込むなんて警官失格って、普通の人なら思っちゃうよ。でも、それでも私は叔父さんを応援してるし、協力したいと思ってる。自分の中に信じられる正義の心があるならって口癖の、子供みたいな叔父さんだけど』

「正義?」


 夢川田が、『うーん』と、僅かに悩んだような声を出した。


『ほんとはあまり言いふらすみたいな事はしたくないんだけど』


 夢川田は、さらに声を落とすと、続ける。


『叔父さんも高校生くらいの時、上星市の方で事件に巻き込まれたみたいで、友達を何人か亡くしてるの。当時の恋人も死んじゃったって。それで、叔父さん自身もすごい悔しい思いをしたって。だから警察官になろうと思ったんだって』


 ああ、と思う。

 一条さんは本当に僕の理解者でもあるのかもしれない。

 味方だと言う言葉を信じたいと、改めて思った。


「夢川田。大丈夫だよ。俺、一条さんは警察官だけど、嫌いじゃない」

『うん。ありがとう』


 夢川田がホッとしたような息を吐く。


『それじゃあ、そろそろ切るね、宝田君。あ、学校、月曜日から始まるみたいだから』


 月曜日。

 今日は金曜日だったはずなので、三日後だ。


「ああ。ありがとう。じゃあ、またね」

『はい』


 電話は切れた。

 月曜日から学校、という言葉で、新郷禄先輩の事を想い出していたが、それも三日後までに答えを決めなければならない。

 考えながら、時計を見ると、間もなく午後十時になろうとしていた。

 両親はまだ帰って来ていない。

 再び降りて来た眠気に耐えられそうも無かった僕は、自室に戻るとベッドに倒れこんだ。


 ――翌日。

 疲れが取れていないのか、起きても何もする気が起きず、ぼんやりと午前中を過ごしてしまった。

 体調が悪いと言う程ではないが、一言で言うと元気がまるで沸かない。

 カップラーメンにお湯を入れ、やる気のない食欲を満たしていたが、そんな物で気力が回復するはずもなく、ひたすらボーっとテレビを見てしまった。


 それでも何も起きないと言う事は無く、自転車に乗って出かけなければならなくなった。


 ガオちゃんに呼び出されたからである。

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