第9話 ガオちゃんはご機嫌ななめ

 僕が図書室に行く事になった経緯なのだけれど、放課後、ガオちゃんと田中々と三人で廊下を歩いていた時のことである。


 竹川儀たけかわぎ先生と田代場たしろば先生に会ったのだ。


「こんにちは、竹川儀先生。田代場先生も」

「あらあら、宝田君。田中々さんも、お元気?」


 田代場先生は相変わらず茶目っ気がある可愛いおばちゃんで、竹川儀先生は相変わらずのイケメンだった。


「昨日は大変だったね。ところで君は、えーっと。そうだ、石母棚いしもだなさん」

「どうもっす。竹川儀先生」

「うーん。君は良い体してるね!」


 竹川儀先生がそう言った瞬間、田代場先生がギョッと竹川儀先生を見る。

 さらに言うと、ガオちゃんがイラっとした様子で言葉を返した。


「なんすか? セクハラっすか?」

「あ、違う違う! そう言う意味じゃなくて! 運動できそうだなってこと! ごめんごめん!」


 竹川儀先生は慌ててもイケメンである。

 嫌味もなく、爽やかで、謝る姿なのに笑ってしまいそうなくらい絵になっていた。


 とは言え、止めなければと思う。

 ガオちゃんの肩が僅かに震えを見せたのだ。

 ここでブチ切れさせる分けにはいかない。

 僕はガオちゃんの前に回ると小声で言った。


「ガオちゃん、抑えて」


 その瞬間、その時まで意識してなかったガオちゃんの体を違う目線で見てしまった。

 ガオちゃんは、身長もすごく高くて筋肉もすごいのだけれど、女の子らしいところはちゃんと女の子だった。


「別に、何もしねぇよ」


 ギリギリで自制できたらしいガオちゃんがそう言って、僕は我に返る。


 いかんいかんと、頭を振った。

 ガオちゃんはそう言うのじゃない。

 僕にとってのガオちゃんは、昔馴染みの友達であり、暴力を振るう厄介な存在でもあり、頼もしい味方でもある。

 それ以外の事は、あまり考えられないし、考えたくない。

 がしかし、と僕は思う。

 ガオちゃんが竹川儀先生を見ている時の、どこか胡散臭さを感じているような顔は何なのだろうか。


 と、不思議に思っていると、田代場先生が言った。


「そう言えば、あなた達、部活動は決まった?」

「まだです」


 即答する田中々。

 もちろん、僕も決めてない。

 どこかの部活に入れれば友達も出来そうとは思っているのだけれど、どこに入れば良いのか。

 運動部は、ガオちゃんじゃないけれど性に合わない気がしている。

 先輩と後輩だとか、練習をやる上での上下関係だとか、そう言う体育会系の人間関係が個人的に苦手なのだ。

 じゃあ、文化部? とも思ったけれど、僕は何が得意なのか、自分でも分から無い。

 中学の時は囲碁いご部だった。

 いや、成績もパッとしないものしか残せなかったし、この草蒲南高校に囲碁部はないので、高校で囲碁を続けるという選択肢も無いのだけれど。


 ふと、田代場先生がフフッと笑って僕を見る。


「あなた達、良かったら、軽音部に入らない?」

「軽音部?」


 思わず口に出した僕は、軽音部の事を考える。

 エレキギターとかドラムとか、ようするにロックバンドをやる部活動のことだろうか。

 田代場先生が嬉しそうに僕に続ける。


「そう、軽音部。私が顧問なの。一年生はみんなでフォークギターの練習して、秋の文化祭で練習した曲の発表をするの。機材を使ったバンドの活動はその文化祭以降になるけれど、緩くて楽しいわよ? どう、宝田君?」

「緩いって、どのくらいです?」

「基本的に練習は個人練習で、バンドとしての練習はそれぞれバンドごとに月に数回。防音した視聴覚室でローテーションで回す感じ。後は定期的に視聴覚室でライブを開いて発表会」


 良さそうな気がした。

 歌はあんまり上手くもないのだけれど、楽器を演奏するだけなら楽しいかもしれない。

 ステージで楽器を演奏をする自分を想像したら、特別な存在になれた気もした。

 悪くない。悪くないぞ、軽音部。

 が、ガオちゃんはつまらなそうに言うのだ。


「あー、音楽はオレ、パスだなぁ。楽器壊しちゃいそうだし」


 ガオちゃんにロックはすごく似合う気もしたので残念にも感じたけれど、もともと部活はやらないと宣言していたガオちゃんである。

 小学生の頃もリコーダーは吹いて演奏するよりも、振り回して傷だらけにしていたガオちゃんなので、仕方がない。

 一方で、田中々はやる気の様だった。


「軽音部、楽しそうですね、健太郎君」

「あ、ああ。そうだな、田中々」


 相変わらず、感情が表に出てこない顔を田中々はしてはいたので、その言葉を疑いたくもなったのだけれど。



 そんなわけで僕ら三人は先生と別れた。

 そして田代場先生からの情報を頼りにギターの教訓本を求めて、図書室に向かうことになったのである。

 で、廊下を歩いている途中、ガオちゃんがこんなことを言い出す。


「健太郎。あの竹川儀って教師いただろ? やたら顔の良い」

「うん?」

「いや、健太郎よりも田中々だな。あの竹川儀って教師に気をつけろ。あいつ、オレに良い体してるって言ったけど、あの時の目、中学の時にセクハラしてきた教師とそっくりだ。謝ってごまかしたのも自然に見えたけど、元からごまかす予定であれ言ったんだと思うぜ。確信犯だよ。裏で何考えてるか分かったもんじゃない」

「ど、どういうこと?」


 僕が聞くと、ガオちゃんは分かりやすく答えてくれた。


「上手く隠してるけど、生徒をエロい目で見てる」

「え? そんな、竹川儀先生が?」

「見られりゃ女なら分かるんだよ」


 なるほど? と一瞬納得しかけたが、ガオちゃんが言っていることが僕には分からなかった。

 ガオちゃんの言う通り、男の僕には分から無い事なのだろうか。

 竹川儀先生と言えば女子生徒にも人気の先生がありそうだけれど、そんなことがあり得るのだろうか。

 そう考え込んでいる僕をよそに、田中々がガオちゃんに言葉を投げ返す。


「分かりますよ、石母棚さん。私も気をつけたいと思っています」


 どうやら田中々にも通じるところがあったらしい。

 その会話を最後にガオちゃんは「悪い。今日はなんか気分のらないし、帰るわ。そもそも図書室とか苦手でよ」と昇降口に向かった。


 ガオちゃんは活字アレルギーでもあるので仕方がない。

 加えて、教師をぶん殴ったと言う昔の事でも思い出したのだろう。


 それはさておき、図書室である。

 草蒲南高校の図書室は4階にあり、教室の壁をぶち抜いて4部屋くらい繋げたら同じ大きさになるんじゃないかなというくらい広い。

 蔵書量も豊富で、海外文学だとか流行の娯楽小説なんかも置いてあるらしい。


「それじゃあ、探すか。俺、あっちの方を探すよ」


 僕が言うと、田中々は何やら考えている様子だったが、「分かりました。まぁ、仕方がないですね。何をしても変えられそうにないですし」と、また意味不明なことを言っていた。

 まぁ、良い。

 もう田中々の言動のおかしさには慣れてしまったし、どうせいつも通り何かのセリフのパロディで、意味なんて無いのだろう。


 で、僕が目指した『その他の本』と雑に区切られたコーナーである。

 ここはありとあらゆる本が棚に入れられていた。

 あまり整理もされていないらしい。

 だが、すぐそこの棚に『素敵な発生練習法』だとかの本があるところを見ると、ギターの教訓本くらいはありそうな雰囲気である。

 

 しかし、棚にある本の数を見て、これは二人で探した方が良いなと、田中々を呼びに行こうとしたところ、何やら小柄な女子が一人、一生懸命に手を伸ばして頑張っているのが見えた。

 高いところにある本を取ろうとしているらしい。

 見た感じ内野之より背はあるが田中々よりは小さいので、一番上の棚には手が届かないのだろう。

 伸ばした手の先にある本は『憧れの王子様との出会い方』だ。


 何だその本はと思わず声を出して笑いそうになったが、ここは図書室である。

 僕は静かに近寄ると、彼女が取ろうとした本を棚から取り出した。


「あっ」


 意識せずに指先同士が触れてしまい、顔がボッと熱くなる。


「ご、ごめん。これ、取ってあげようと思って」

「あ、あわわ」


 よく見たら、このあわあわ言っている女子に見覚えがあった。

 同じクラスの女子である。

 名前は確か、笹山村るる。


「笹山村さんだよね? 大丈夫?」

「だ、大丈夫、です」


 顔が真っ赤になった笹山村さんは、ぷるぷると震えている。


「ありがとうございます。本、取ってくれたんですね。でも、違います。違うんです。あの、欲しかったのは、それの隣の本で」

「え?」


 棚を見ると、『憧れの王子様との出会い方』があった場所の隣に『上手に育てる素敵な会話コミュニケーション術』と言う本があった。


「ああ、ごめん。はい、これ」


 本を取り直して渡すと、笹山村さんはポーッと僕を見ている。

 いったい、何事だろうかと笹山村さんを見ていると、彼女は夢に浮かされたかのように呟いた。


「王子様……」

「王子様? あ、やっぱりあっちの本だった?」


 だがしかし、その瞬間である。


「はいはい! ラブコメは禁止ですー!」


 静寂を引き裂いて、何者かが僕の腰にドスリとぶつかって来た。

 痛え! と思って振り返ると、そこには小さな脚立を武器にした、髪の毛がボサボサの女子生徒がいる。


「な、何するんですか?」

「こっちのセリフなんですけど。うちのルルにちょっかい出さないでくれます? って言うか、図書室でナンパは禁止なんですけど?」


 実にトゲのある言い方だったし、言葉の意味が分から無くて、一瞬考え込んでしまった。

 誰かが笹山村さんをナンパしたのか?


 だが、腰のダメージを思い出し、こいつが言っているナンパした人間が僕のことであると気づく。


「違うよ。俺、ナンパなんてしてない」

「そ、そうだよ、智恵理ちえりちゃん。ナンパじゃないの。宝田君は本を取ってくれたんだよ」


 笹山村さんに名前を呼ばれたのには驚いたが、よく考えたら同じクラスなので不思議ではない。

 それより、この智恵理とか言う女子には見覚えがないけれど、誰なのだろう。

 僕が考えている間も、笹山村さんが必死に弁解を続けてくれているのだけれど、智恵理とか呼ばれたボサボサ髪の女子は、僕をナンパだと信じて疑わないようだ。


「それがナンパの手口です! うちのルルは純粋なんですからね! いやらしい目で見ないでよ!」

「いや、だから俺は」

「きゃあ! 近寄らないでよ! ほんっとに汚らわしいな、男子は! ほら、あっち行って、シッ̪! シッ!」


 犬を追い払うような手の仕草に、カチンと来た。

 徹底的に人をナンパ扱いしやがって。

 少しは僕の話も聞いてくれ。


「だからさ。俺はただ、笹山村さんが困ってるみたいだったから、手を」


 そこまで言った後、いきなり頭を殴られた。

 智恵理とか言う女子にではなく、背後から後頭部に一撃くらったのだ。

 頭を抱え、悶絶しながら振り返れば、新手の女子がそこにいる。


「図書室でしょ! 静かにしてください!」


 それはまたもや同じクラスの女子だった。

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