第11話 船団

「おにーちゃんエルフさん?」

「エルフさん?」

「ん?」

 ダスクを放置して風呂を堪能していたセラスは、その幼い声の持ち主に顔を向けた。五つか六つかというくらいで、女児用の湯浴み着を来た子供が二人、セラスの耳をびっくりした目で見つめている。


「……ああ、エルフだよ。珍しいか?」

 別に、彼は子供好きというわけではない。ただ、幼い子供に塩対応というのがどうにも出来なくて、つい相手をしてしまうのはいつものことだ。


「はじめてみた!」

「おみみ、さわっていい?」

「んー……まあ、いいか。ちょっとだけな?」

「「うん!」」

 流石双子、とセラスは笑う。子供たちはセラスの後ろに回って、ふにふにと耳に触りだした。周りに他人はいないし、相手は子供だし、湯船の中だから、別に問題はない。……当人的には。


「シェリー! ジェニファー! やめなさいっ!?」

 脱衣所の扉が開くと同時にそんな声が降ってきた。驚いたのか、子供たちがびくりと固まる。けれどすぐに走り出し、その男に飛びついた。


「おとーさん! あのね、あのね」

「エルフさんおみみさわっていいって!」

「え? って、わ、わっ!?」

「――操水魔法operacii akvo粘体化gelato!」

 ぼよよん、と男は粘体となった水に救われた。子供二人に飛びつかれてもいったんは耐えていたが、二人掛かりの勢いに押されて倒れかけていた。そこへセラスが咄嗟に放った魔法が間に合ったのだ。流石に何が起きたかわからないらしく、男は目を白黒させている。


「わー! おもしろーいっ」

「きゃーっ」

 ぽよよんぽよよんと子供たちが撥ねる。まあ、成人男性一人を軽々と受け止める粘体である。子供たちが飛びかかったところで潰れたり崩れたりするものではないので、しばらく遊ばせておくことにした。

 やがて見守るセラスに気付いたのか、男が子供たちをそこから下ろし、頭を下げた。


「ありがとうございます」

「――怪我人が出たら、寝覚めが悪いからな」

 ましてそれが子供たちの父親だったりしたら、非常に居たたまれないことこの上ない気分になる。魔法を解いて半ば本気でそう告げたセラスに、男は笑った。


「私はクレイートと申します。旅の商人ですよ。あなたは――傭兵ですか?」

「気ままな流れ者だけど、一応な。セラだ」

 差し出された手を軽く握り返し、セラスは視線を外す。基本的に、初対面の相手に名乗るようなことはしない。二つ名が知られ過ぎたので、ある程度信頼できる相手と見極めてからでないと、面倒が多すぎるのだ。


「セラさん、ですね。魔法士ですか?」

「いや、弓手きゅうしゅだ。魔法も使えるけどな」

 ダスクがその場にいたら目を剥かれそうなことを、セラスは嘯く。だが実際のところ、セラと名乗る時は弓手としてしか動かないことにしている。そこそこの腕があり、気配探知魔法indikaĵo detektiloが使えるというだけで、十分な引き手があるためだ。


「きゅーしゅ?」

「きゅーすってなに?」

 ふ、とセラスは吹き出した。急須と聞こえてしまったためだ。


「弓手は、弓を射る人のことですよ。ほら、入りなさい。冷えてしまうよ」

 驚いたことに、子供たちはクレイートの娘だった。子を持つ親には見えなくて、意外である。


「実際、親らしいことはしていませんからねえ。独り身ですし、預ける当てがなくて連れ歩いているだけですし」

 そうか、とセラスはそこには興味を示さなかった。子を持った独り身の親など、あのころにも少なくなかった。事情は人それぞれだし、子供たちも不幸せには見えないし、口を出す必要はない。

 クレイートは商人だけあって会話運びが上手かった。普段は西エゥローポを行き来していて、今回は少々焦臭くなってきたので北方へと舵を切るところらしい。商品の勝手が違うだろうと思ったが、それもまた醍醐味だと彼は笑った。子供たちの勘が良くて、道々に薬草や香草を見つけては、小遣い稼ぎもしているらしい。先日とうとう、ふたりそれぞれに手品師の鞄iluziisto sakoを買わされたなど、なかなか末頼もしい子供たちだ。


「食べられる野草を覚えたら、道中が楽しくなるぞ?」

「……はい?」

 実はそこらに生えている野草でも、食べられるものは珍しくない。大抵は湯がけば食べられるので、携帯食料しかないような道中では補助的に栄養を摂取できると、セラスは熱く語った。クレイートは少々引いていたが、子供たちの成長に影響するので、興味は持ったようだ。そのほかにも自分が狩った獲物の話をしたり、魔獣からの逃げ方を教えてみたりとしているうちに、ふとセラスは目眩を感じた。


「………フさん?」

「………ーすさん?」

「おい! あんた大丈夫か!?」

「セラさん! セラさん、しっかりしてください!」

 え、とセラスはいつの間にか閉じていた目を開く。何やら背中が硬い上に覗き込まれていて、まるで自分が倒れたかのようだ。額だけ、何かちょっと冷たくて気持ちがいい。そこから全身に冷たさが広がっていき、セラスはゆっくりと身体を起こした。


「おい、正気だろうな!?」

「おとーさん! おふろでおはなし、しちゃだめ!」

「だめっ」

「いえ、でもそんな、長時間「あんたより先に入ってただろうがよ、この人はよぉっ! ――あんたは無茶すんなっ!」

 いつの間にここまで来たのかわからないが、上せて意識が飛んでいたようだとセラスは気付いた。たぶん、引き上げてくれたのだろう。普段から長湯をするし、湯がぬるいせいで気付かなかったのだろう。髪から垂れる雫が冷たいところを見ると、水をかけてくれたのだろうか。けれどまだ頭ははっきりしなくて、視界がくらりと揺れる中、半分無意識に湯涌を取る。


「だからあんたは無茶すんなって。水持ってきてやるから…って冷てぇっ!?」

 男の声を聞き流しながら、セラスは汲んだ湯を――正確には冷却魔法malvarmigiで水にしたそれを頭から被る。男もまさか気を失っていた彼がそんな真似をするとは思わなかったのだろう、撥ねた水がかかってしまった。それでも子供たちにかからないようにした辺りは、流石はセラスである。


「……悪い、頭が働いてなかった」

「いやまあいいけどよぉ。びっくりさせんなよ。で、動けるか? 手ぇ貸そうか?」

「……ああ、もう大丈夫だ」

 少し自分で確かめた後、セラスは立ち上がる。特に問題ないとみて、男も安心したようだ。流石にこれ以上の長湯をする気はなく、セラスは脱衣所へと上がる。湯上がり着を借りて休憩用の椅子で休んでいると屈強な男たちが入って来て、浴室へと姿を消した。しばらくして風呂にいた男が子供たちを連れて出て来たが、クレイートと名乗った商人は、…まだ入っているらしい。


「……化け物?」

「ああ、うん……あの人の護衛は、けっこう大変なんだよ……あ、オレはガルドってんだ、よろしくな」

 手早く着替えて子供たちの着替えを手伝う辺りは、護衛よりも侍従とかそういう感じである。けれど身体は筋肉質だし、身ごなしも――そう、突拍子もないことをする子供たちに平気で付いていく辺り、護衛としての質も十分に高そうだった。しかし、あの商人は謎である。これだけ長時間を湯船に入り続けて平気だというその身体は本当に人間なのだろうか。時計を見れば、二時間ほどは中にいたようだった。身体を流している時間を考えても、一時間はたぶん、付き合ったのだろう。話自体は退屈ではなかったのだが、それを言うと「だから困るんだよぉぉぉぉ………」と泣かれてしまった。子供たちが楽しげに泣き真似をしてくれたから、多少むさ苦しいのはよしとした。

 護衛の身で勝手に戻るわけにもいかないらしく、子供たちと共に待つという男と別れ、セラスは部屋へと戻り、寝台に入ると同時に意識を手放した。ダスクは相変わらずひっくり返っていたが、踏まれなかっただけ僥倖だろう。


   ※ ※ ※


「……まあ、そんな話があってな」

 船上で暇を持て余したセラスは、纏わり付いてくる子供たちの相手をしながら、昨日の出来事をダスクに語った。ダスクは少々引いていて、どうやら子供が好きなわけではないと自覚したようだ。


「残念だ、己も居合わせたかったな」

「なら次からは食い倒れないようにするんだな」

 心得た、とダスクは残念そうに頷く。居合わせたかったのは、セラスが倒れるというそれが信じられなかったためだ。あれだけの大群を相手に、しかも川棲馬ケルピーまで乗りこなした男を倒す手練れとは何者か、と――いくらか間違った理解になっている。

 二人がいるのは、クレイートが乗る商船であり、港の端――平たく言うと出入り口付近で停泊中だ。護衛の船団は華々しく観艦式などをやっていて、朝早くから乗らされたのに、実際の出港は昼を過ぎるらしい。

 セラスが乗船券を買えた船は、客船ではなくてその護衛船団のものだった。船着き場で再会したクレイートの口利きで、護衛船ではなく商船側に乗ることになったのである。切符が安かったのはどうやらもしもの場合の働き手を兼ねてということだったらしく、乗るはずだった護衛船の船長には渋られたが、依頼どころか話すら聞いていないセラスがそんなことを気にする理由はない。ただ、不思議ではあった。弓手など、海の上でどれほどの役に立つというのか、と。


(どうみても、商船の方が足が速そうなんだが……いいのか、これ?)

 どの船も、大きさこそは変わらない。全長で言えば25メートル前後だろう。だが商船が細身のフリュート艦で速度重視型であるのに対して、護衛の船団は臼砲艦きゅうほうかんと呼ばれる戦闘艦であり、速度よりも戦闘力を重視していることが明白だ。軍船として海戦に参加するのであれば力を発揮するだろうが、海魔獣や海賊船などが主体となる護衛船団としては、微妙なところだ。


(旗揚げの傭兵船団なぁ……)

 クレイートの話を聞いたかぎり、その傭兵団の支援者パトロンが、クレイートの支援者の知人であり、熱心に誘われて断り切れず、ということらしい。この船には他にも商人が乗っていて、それぞれの護衛たちが同乗していた。セラスもまた、その一人という扱いである。

 護衛船四隻という豪華な布陣に、商人たちはどこか浮かれている。その護衛たちも大半は気楽な様子だが、そうではない者もいる。彼らは甲板を歩き回ったり、船首へ登ってみたり、時には水夫顔負けの身のこなしでマストに登ってみたりと、浮かれているふりで警戒していた。セラスもまた、甲板を歩き回って周囲を警戒しているうちの一人だ。何しろ相手が海賊ではなく海魔獣らしいので、警戒の目はいくらあっても多いと言うことがない。……もっとも、うろちょろする子供たちの手を引きながらなので、大したことは出来ないが。クレイートはやることがあるとかで、今は船室だ。


(本当に商人か、あいつは。個人の護衛しかいない上に魔物に対応出来る者はその半数――どう考えてもおかしいだろうに)

 それは、傭兵団員として長く過ごしたセラスだからこその視点でもあるが、同時にその程度が読めなくては、商人として大成出来ない考え方でもあった。フラグを立てる気はないが、どうしても考え方が寄っていく。

 商船の護衛を請け負うと言うなら、普通はそこに人員を派遣する。船持ちではない商隊なら船団長に同乗させ、荷と当人の保護を図るだろう。そのどちらでもなく、護衛を雇える程度の行商人たちを寄せ集めた船を作る、その意図は。


「よう、旦那。あんた傭兵なんだってな?」

「ん? ああ――ガルド?」

 人の名前を覚えるのがあまり得意ではないセラスだが、流石に今回は覚えていた。あれで忘れることが出来たら、本格的にやばいだろう。


「まあ、一応な。今回は仕事で受けたが、半引退だ」

「もったいねえな、稼げるんだろ?」

「そこそこの蓄えはあるな」

 いいねえ、とガルドは羨望のまなざしだ。まあ、傭兵なんてものはそういう存在だ。ある程度を稼いで田舎に帰りたいという者が大半だろう。セラスは記憶をなくしていたころから、楽しく世界中を巡り歩いていたが。


「まあ嬢ちゃんたち見ててくれて助かってるよ。一人じゃなんともならねえからなぁ。出来れば船室にいてもらえると、安心なんだけどな?」

「手は打ってあるさ。外の様子がわからないと、動けないんでな」

 セラスとて、十分な戦力があるのなら子供たちとともに船室に閉じこもっていたいところだ。ただ出航前に漏れ聞いた話では、梟歯鯨ゼフィアスを筆頭に様々な魔物の群れらしいという話で、軽視できる要素がなかったのだ。


「そう言えば主。梟歯鯨ゼフィアスとは何なのだ?」

「梟の顔を持った鯨だな」

 あっさりした答えに、ダスクは固まり、次いで傭兵と目を合わせて、うんと頷いた。


「すまん、想像が付かぬ」

「つかぬつかむーっ」

「なんで危ないんだ、それ?」

「だー?」

 子供たちの頭をぽんぽんとなぜてから、セラスは半眼になりつつも一応説明する。ダスクはまだしも、傭兵。お前はそれでいいのかという呆れを多分に籠めて。


「北方の海に棲む、魔物を引き連れて船を襲う海魔獣だよ。梟歯鯨ゼフィアス自体が、群れの長みたいな役割なんだろうな。見目は……まあ、変な奴程度に認識すればいい。大きさは大したものじゃないが、この程度の船なら穴を空けられる」

「この程度ったって、船首側には鉄板も張ってあるぞ?」

「……奴相手には心許ないな」

「マジかよ!?」

 実際に空けられた船を知っているので、セラスは平然としている。ダスクは感心するだけのようだが、傭兵は違った。何故なら彼は、この船がどんなものか知っているのだ。


梟歯鯨ゼフィアスの一匹くらいなら耐えると思いたいですね。そのために後付けとは言え二重鉄板張りの船にしたのですから。ああ、梟歯鯨ゼフィアスの見た目のことですが、こんな詩があります」

 クレイートの声が割り込んで、セラスは振り向いた。


「梟のような顔をして、感情のない目はただ恐ろしく、驚くほどに深き口は恐怖を振りまく。剣のように盛り上がる背と、にぶくも尖るその鼻先に、如何な船とて穴が開く」

 いきなり詠い出した彼に苦笑しつつも、セラスはその続きを引き取った。


「ああ勇猛な船乗りよ、梟歯鯨ゼフィアスのその腹に銛を突き立てたとて安堵はならぬ。先触れたるの者に手を焼けば、続き魔物が襲い来る」

「「「「逃げよ、逃れよ、船を駆れ。力の限り櫂を漕げ。勝ち得ぬ敵から逃れることこそ真に優れる船乗りぞ」」」」

 ダスクと傭兵が目を丸くして驚く中、セラスは子供たちに驚いていた。褒めて褒めてと言わんばかりの笑顔にとりあえず、その頭を撫でてやりながら、セラスはクレイートを呆れた目で見る。


「なんでこんな子供が『若き船乗りたちへの憂虞』を詠えるんだ」

「いえ、寝物語に海の危険を教えていましたら、いつの間にか……自分で読むようになってしまって」

「……もう少し、年相応のもので育てような?」

「いや~……もう遅いかと」

 『若き船乗りたちへの憂虞』は、海に出る魔物たちについて纏められた本である。文字を読めない船乗りたちにも憶えやすいよう、口語の形が取られている。ただクレイートへ苦言を呈した通り、船乗りとして海に出る年頃――正しくは水夫として働こうとする若者たちへの入門書のようなものなので、流石に幼児だとか、それくらいの子供に読ませるものとしては微妙である。

 彼らが話しているその脇から少し離れて、ダスクと傭兵がこそこそと言葉をかわしていた。傭兵は陸の魔物なら何とか、ダスクは妖精なら何とかと慰め合っているのだが、セラスにその内容は聞こえない。クレイートは聞こえているものの気にせずに子供たちを彼らに預け、セラスに向き直る。けれどその視線は、先を往く船に向けられていて、顰めた声が警戒を示す。


「……実際のところは、いかがです? 彼らに聞いても詳細を教えてくれないのですが」

梟歯鯨ゼフィアスか? まあ、詩そのままと思っていいな。撃退したことはあるが、……正直、この船団とは比べものにならない戦力だったし。……ああ、けっこう美味かったな。上手く仕留めたら食べていいか?」

「え゛」

「鯨を食べたことはあるか? そのままだったぞ。もし知らないなら…そうだな、馬肉に似てるかもしれないな。厨房を貸して貰えるなら、食べさせてやるよ」

「それは、…気にはなりますが……ない、ですね」

「群れに一頭だからな。討伐証明は顔でいいだろうし、身体はこっちに貰えるよう交渉するか」

 引き気味の彼に何故と考えるセラスだが、海上での戦闘である。まして相手は海の中、仕留めたところでどうやって引き上げるのかとか、そういうことを考えるほどの余裕は普通の商人にはないのだということには思い至らなかった。

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