第6話 妖精谷の廃教会と首のない青年

 運河町グリアネイギまで、予定の一日半――ではなくて、一日で辿り着くことが出来た。無論タネはあり、疲労抜き魔法Forigu laceconを使っている。食事不要の身体であることも相まって、効果は抜群だ。夕方前に門を入ることが出来たが、流石に船には間に合わなかった。仕方なく取った宿だったが、強行軍の反動が来ていたのでぐっすりと眠ってしまい、午後いちばんの便になったのは自業自得である。もちろん、路銀は下ろしておいた。

 二日をかけて運河を下り、マン島の港街ケアンへののんびりした船旅を楽しんだ。食事らしきものがなく、ほぼ全てを軽食――クッキーやサンドイッチ、パイと言ったもので提供されたのは驚きだったが、悪くない。頻繁に船同士が行き交う運河であるから盗賊の心配をすることもなく、せいぜいがスリ程度。何の問題もなく港町で降りた後は、一日だけの宿を取り、行き先を考えることにした。


「マン島へ来たはいいが、どこへ行くかな」

 とりあえず飛び出しただけなので行き先などは決まっていない。漠然と妖精谷フェアリーグレンかピール城へという思いはあるものの、島の反対端で山越えがいるとなると、流石にピール城への道行きは躊躇われた。そもそもがセラスが存在を知っているだけで、中世イギリスの城である。地殻変動を経た今、まともに残っているはずもないし、城があるならそれは別物だろう。少なくとも、”神秘の研究機関ミスティック・シンクタンク”が遺すとした施設には含まれない。今の城を見に行くのも悪くはないが、とりあえずは保留である。


「……そうだな。海岸沿いに妖精谷フェアリーグレンを目指すか」

 島の真ん中を通る主街道とは別に、村から村へと渡り歩く道程である。街道を通ったところで街があるわけでもなく、どこも似たような村々が続くだけだ。小さな村だと閉鎖的であることも多いが、そのときは野宿すればいいだけなので、別にかまわない。船の中では開けなかった酒もあるし、その方が楽しいだろうとセラスは道筋を決め、早々に眠ることにした。何しろそこそこの宿を取ったはずなのに風呂はなく、しかも湯浴みではなく水浴びしか出来ないというお粗末さだったので、疲れを取ろうと思ったら眠るしかなかったのだ。

 その判断は正解だったらしく、翌朝は夜明けとほぼ同時に街を出ることが出来た。島は意外と狭く、半日歩き続けたことであっさりと妖精谷フェアリーグレンへ辿り着く。

 問題は、……そこが妖精谷フェアリーグレンであることだった。

 まずそこは、当然ながら村ではない。海岸沿いの高地――平たく言って崖の上にあるので、海風が吹き上がる。つまりは、寒い。

 近場の村へは三時間ほどで戻れるだろうが、そのころには日が暮れるし、そんな時間に訪れる旅人を泊めてくれるような、奇特な村人はいないだろう。教会があれば一夜の宿は頼めるかもしれないが、村の規模からして望みは薄い。妖精谷フェアリーグレンで夜を明かすつもりでいたセラスだったが、防寒装備を持っていないのだ。風さえ凌げれば、どうにか出来なくはないのだが。


(とりあえず野営地……作った方がいいか、これ……?)

 海風のせいか、木々はさほど太くもなく、疎らである。灌木の茂みはあるが、そんなところでは流石に夜を過ごせない。障壁魔法Baroである程度の風は防げるが、持続時間が短い。せいぜいが火をつける間の風除けと言ったところだ。だからせめて窪地なりの風が避けやすいところをと探し始めたセラスの目の前に、矢が落ちる。


「……」

 射かけられた…のだろうか。そのこと自体に不思議はないけれど、とセラスは矢を眺める。

 弓は荷にくくりつけた状態――つまり、使えない。護身用の武器は、魔法が使えるからそもそも持っていない。ついでに言うと、指輪を魔法の媒体にしているので、杖もない。つまりは完全に丸腰の旅人だ。であれば出会いざまに出来心で、ということも考えられる。

 けれど、ここは妖精谷フェアリーグレンだ。血に狂う妖精[赤帽子レッド・キャップ]がいるやもしれぬこの谷で、わざわざ仕掛けたりするものだろうか。しかも矢の造りはなかなか豪華で、どうも人面鳥ハルピュイアの羽を使っているように見える。セラスはそれに手を出さないが、貴族たちはその美しさから好んで使用すると聞く。……ちょっと面倒な相手かもしれないと、セラスは木立の中に身を潜めた。もちろん、矢の向きから相手が来る方角を判断した上でのことだ。


「おーい、あんた大丈夫かっ」

「下手に森に入るなよーっ」

 聞こえて来た子供たちの声に、セラスは一瞬、思考が停まった。射かけられた矢と同じ方角から、少年たちが走ってくる。まさか、ただの誤射だろうかと、固まったのだ。彼らはその間にすぐ近くまで来たが、訝しげな表情で足を止めた。


「……いねえな?」

「どっか隠れてんのか?」

 子供たちが不思議そうな顔をしながら、周囲を見る。一人の少年が、刺さった矢を抜き取ってしげしげと見つめるが、当然そこに血の跡はない。


「当たってねえ。てことは森に入っちまったか」

「いや、それよりホントにいたのか? おれ、見てねぇんだけど」

「いたぞ。男か女かはわかんねえけど」

「でもいないって事は、人間じゃないよな」

「だよな。なんかいきなり消えたし、人間じゃないよ」

(いや、確かに人間じゃないが)

 それはたまたま、セラスが人間ではないというそれだけの話である。いきなり消えたと言われても困る程度の身ごなしでしか動いていないし、彼の程度は傭兵を生業とする者くらいなら平気で熟す、その程度の技能なのだ。

 それよりも気になったのは、この子供たちがどうやらこちらを人間ではないと思って射かけて来たらしいという点である。さてどうするかと悩んでいるうちに、弓を持った少年が更に一人、やってきた。


「どうした、君たち。探しにいかないのか?」

「無理だよ。ほら、矢は刺さってないし」

「お前の矢で弱らせるって話だっただろ、下手くそ」

 忌々しげな声からすると、どうやら仲がいいというわけではないようだ。それに弓手の少年だけ、妙に身なりがこざっぱりとしている。まるで、……いや、間違いなく貴族の子供だろう。どうやらすでに、他人を顎で使うことを憶えてしまったようだ。


「ああ、本当だね。でも僕は、下手くそではないよ。父様に貰ったこの弓矢は、魔物には必中なんだ。当たらなかったということは、あれは魔物じゃなかったのさ」

「え?」

「おい待て……聞いてねえぞ?」

「あ、あの。ヤヒールくん? さっき、見つけたって言ったよね? あの、首のない人間を見つけたんだよね?」

「そうだと思ったけど、違ったってことだね。ま、いいじゃないか。誰も怪我してないんだし」

「馬鹿野郎! それで森の中に逃げちまったんだぞ!?」

「そうだよ!? 黒妖犬ブラックドッグが出るから倒しに来たのに! あの人襲われちゃうよ!?」

 ふ、と少年は冷たく笑った。


「大人なら森の中に逃げ込む危険はわかってるだろう。自業自得さ」

「――なら、お前が弓を使えなくなるのも自業自得だな」

 セラスの科白に、ビシと音を立てて弦が切れる。その勢いが持っていた少年の頬を叩いた。


「い、痛いっっ!?」

「や、ヤヒールくん!?」

「大丈夫かよ!?」

 突如頬を押さえて喚きだした少年に、子供たちは慌てた。セラスはその前に音もなく降り立ってやる。


「分不相応な武器を使うと、武器に見放されるのさ。その莫迦にはいい薬だろう」

「え? え、え?」

「何だよおっさん、こいつに何かしたのかよ!?」

「先にやられたからな」

 矢を示してやれば、二人が黙る。弓手の少年――ヤヒールはまだ、喚いていた。


「いきなりなんだお前は! 領主の息子だぞ、僕は! 莫迦とか言って、ただですむとおもうなよ!」

 本当かと二人を見れば、頷きで返された。なんでまたこんなところにいるのかと問えば、ただの避暑でもうすぐ都で帰るところらしい。運の悪い遭遇である。


「ま、それはいいさ。さっき、黒妖犬ブラックドッグがどうとか言ってたな。この辺りに出るのか?」

 ヤヒール少年を完璧に無視し、セラスは問いかける。子供たちは顔を見合わせた後、頷いた。


「この辺りの、森の中です。昔からいるって言われてて」

「森の中で、俺の妹が迷ったときに見たって。追いかけられて逃げて、街道に出たらいなくなったって」

 先を促すセレスに、子供たちは口々に言い合った。


「旅の人が、首のない人間を見たって話もあって。だから領主様が退治するって。そしたらヤヒールさまが、僕がやるって」

 呆れたとセラスはヤヒール少年を見た。彼の程度の腕で、実体を持たない黒妖犬ブラックドッグを退治出来るつもりだったのかと。


「お前が紛らわしいとこにいなきゃよかったんだ!」

 突如叫ばれて、セラスは溜息をつく。この年頃の子供にはよくあることだが、それに貴族特有の傲慢さが加わると本当に、手に負えなくなりそうだ。


「どうしてくれるんだよ、この弓がなかったら退治出来ないんだぞ!?」

「それはお前の腕が悪いからだろう。悪いことは言わん、大人に任せろ」

 ただの弓で黒妖犬を退治することは、まず無理だ。何しろあれは悪霊に分類される魔物であり、実体を持たない故に武器が効かない。襲われたところで傷は付かず、ただ苦しんだ挙げ句に息が止まるという、それだけのことであるとセラスは知っている。だから血まみれで倒れていた死体だとかそんなものは、黒妖犬の噂を利用した人間の仕業だろうと踏んでいる。それを合わせて考えると、セラスでも相手はしたくない魔物なのだ。


「我が家に伝わる”聖なる弓”だ! 悪霊退治にこの上なく力を発揮する! これを使えば僕にだって退治出来ると、父様が言って下さったんだ!」

 読めたよ、とセラスは溜息を吐く。親馬鹿か何かは知らないが、真に受けてしまったということだろう。間違って人を殺すとかそういうことを考えない無知な子供が。いや、この様子ではそれも分かっていたかも知れない。殺したところで子供のやること、ましてや領主の息子とも成ればもみ消せる。罪だという認識すらもないかもしれない。問題はそう、どう見てもそれが聖なる弓ではないことか。まあ当たり前である。嫡男だとしても、こんな子供が簡単に持ち出せるようなところに置いてあるはずがない。出来はいいようだから、業物ではあるのだろうが。しかしそうなると、問題は子供たちだ。普通なら心配する必要もないが、この少年の様子を見るに、警戒したほうがいい。おそらく子供たちに罪を押しつけるくらいは、平気でやるだろう。だとすると、少し土産を持たせたほうがいいだろうか。それとも、花を持たせるか。


(いや、増長するな)

 だとするとどんな土産がいいものか。そもそも、黒妖犬ブラックドッグを退治しても無意味である。恨みから生み出される悪霊は、誰かの恨みを糧にふたたび生まれ出ずるだけ。この少年の様子からすると、領主自身が原因と成りかねない。悔い改めろとまでは言わないから、己が原因になり無意味なことだと理解してくれればいいのだが、恐らくは無理だろう。


「……とりあえず、帰れ。まだしばらく明るいだろう」

「ば、ばかに「私は今夜、黒妖犬ブラックドッグを探す」」

 え、と三対の目がセラスに向けられた。


「どうせこの谷で野営する予定だしな。今夜中に見つけてどうにかしてみよう」

「…見つからなかったら、村には入れない」

「別にかまわんが」

「っ、僕たちはもうすぐ帰るんだ、そのときにはベルウィックの街まで詫びに来い!」

 一瞬…ほんの一瞬だけ、セラスの目に剣呑な光が宿った。ここまで傲慢な子供となると、その親に期待は出来そうにないからだ。


「日が落ちる前に帰れ」

 くるりと背を向けて、セラスは歩き出す。その背後から、宥められているらしいやりとりが聞こえてきて、こっそり息を吐く。あの跳ねっ返り具合からすると一人で飛び込んで来そうだが、そこまではもう、面倒を見る気もない。ただまあ、と自分に付いてきた少年に、視線を向けた。


「どうした?」

「…本当に、退治するのか?」

「……どうして?」

「俺、子供の頃に遭ったんだ。森の中の教会で」

「教会? 妖精谷フェアリーグレンにか?」

 うん、と子供は頷いた。


「森で、狼に襲われたことがあるんだ。逃げてたら、古い教会があってさ。墓地にでっかい木があったから、登ってさ。そしたらなんか、でっかい黒い犬が出て来て、追い払ってくれたんだ。教会の裏に行ったから追いかけたら、そこに畑があってさ。首のない人がなんか、世話してた」

「……怖く、無かったか?」

「わかんない、びっくりして逃げ出したから。そしたら黒い犬が追いかけてきて、もうおれ必死で逃げてさ。けど、途中で転んでも、あいつ、襲いかかってこなかったんだ。おれが谷を出たら、いつの間にか消えてた。妹もそうだって。転んでも襲われなかったって。だから、だから」

 ぐっと唇を噛みしめる子供の頭に、セラスは手を乗せた。それに勇気づけられたかのように、子供は口を開く。


「あいつ、悪い奴じゃないよ! 退治しないで! おれ、それがいやだったから邪魔してやろうって思って!」

「弓を取り替えた?」

「…うん」

 あっさりと自分がしたことを読まれ、子供が驚いたように目を見開いてから、頷いた。


「あいつ、自分ちの宝物庫から盗んで来いなんて言うから。村の武器庫でいちばん新しい奴、持ってきた。あと、鏃も潰した。……ごめんなさい……」

 いいさ、とセラスは笑う。あの少年よりよほど、好感が持てる子供だ。自分に出来る精一杯のことをやっている。惜しむらくは、手が甘いことか。というか、家宝の弓を見たこともないのに持ち出そうとか、馬鹿君にも程があるなと内心で半眼に成る。


「あと一息、矢にも細工をするべきだったな」

「え?」

「矢柄に傷をつけるなりして、折れやすくしてやればよかったのさ」

 子供が浮かべたその表情は、なんと表現するべきだろうか。


「ほら行け、もう一人が困ってるぞ。悪いようにはしないから安心するといい。――ああ、領主殿に何か言われたら、伝えてくれ。この件は”魔狩人”が引き受けたってな」

「うん!」

 走って行く子供を見送り、今度こそは森の中へと足を踏み入れる。夕暮れというほどではないが、日が傾いているせいか辺りは薄暗い。とりあえず獣道らしきものを辿っていくと、古びた教会を見つけることは出来た。鐘楼がない珍しいつくりだが、あの子供が言っていたとおり、墓地には大きな木がそびえ立っている。間違いなさそうだと、裏の畑を探すことにした。途中にあったので礼拝堂を覗いてみる。ほぼ、好奇心――だったのだが。


「……フラットコーテッドレトリーバー……」

 懐かしい記憶を刺激される、真っ黒な大型の犬が寝転んでいた。あれで目が赤ければ間違いなく探した相手なのだが、何分にもセラスとて本物を見たことはない。ただその毛皮の艶がよく、飼い犬だとすればよほど可愛がられているのだろうと思われた。だが、そんなはずはない。妖精谷フェアリーグレンで、雨風を凌げる程度のこの教会で暮らすなど無理な話だ。


(まさか、教会妖犬チャーチ・グリム?)

 古い言い伝えに、「最初に埋められた死人は天国に行けず墓地の番人になる」という伝承がある。もちろんその真偽など不明だが、それをさけるために、最初に黒犬を埋めるという習慣があった。黒く大きな身体に赤い目を持つが、墓荒らしから墓地を守る以外で人を襲うことはないし、道に迷った子供を助けたりするくらい、温和な性情だ。子供たちが追いかけられたのは、そういうことなのかもしれない。


(いやだが、こんな風に実体を持って寝るとか……?)

 考えているうちに日が陰り、犬に日が当たらなくなった。すると起き出した黒犬はちらりとセラスを見て、しかし何も気にせずに歩き出す。礼拝堂の扉ではなく、裏へと続く戸があるようだ。慌ててそれを追いかけると、黒い犬は小屋の中へ入っていくところだった。そしてその前には、痩せ細った野菜が実る畑がある。おそらくは教会が稼働していたころに造られたものなのだろう。そのころの思い出なのかとしんみりしたが、あの犬の姿でどうやって世話をしているものなのか。小屋へ視線を返したセラスは、それを見て思わず息を呑む。首のない青年が、片手に鍬を担いでいた。そして、その顔と視線がぶつかる。


「…っ、首っ!?」

 黒髪赤目の青年の首が、セラスを見た。そしてその視線が周囲を巡り、己を持つ身体を見上げて、「ああ」と呟いた。


「すまない。驚かせたようだな」

 腕が首を持ち上げて、己の肩に乗せる。どうした仕組みか、継ぎ目もなくそこへ落ち着いたようだ。


「……お前、しゃべれるのか」

「当たり前だ。ここの番人なのだから」

 いやそうだが、とセラスは戸惑う。墓地の番人ではあるが、畑の世話をしてはならないわけでもない。人の姿をして畑を守れるなら、会話が成り立っても不思議はない。しかしあの首は。首のない身体の特性は、黒妖犬ブラックドッグのもののはず。いや、人の姿になれるという話自体も、聞いた覚えはない。


「客人は久々だ。ゆっくりしていくといい」

「……ああ、そうさせてもらおう」

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