第4話 過去

『……夢物語だな』

 砂緒に呼び出された私は、渡された計画書を放り捨てた。”地球再誕計画”なんていう、おかしなタイトルだ。


『だと、いいんだけど。ミスティックシンクタンク自体、そのために立ち上げられた研究機関らしいんだよね』

 相変わらずのマグカップを口に運びながら、砂緒の視線はその書類に落とされていた。分厚い書類の内容は、荒唐無稽なSFのようなもの。事細かく書き込まれていて穴がない完璧な計画書だ。――その前提が、大虐殺でさえなければ。


『虐殺かあ。……まあ、そうだよねえ。現人類どころか野生動物も全部だもんねぇ……』

『まるで”ノアの大洪水”だ。神にでもなるつもりか?』

『その認識がなさそうなのが問題だよね。「あくまでも地球環境の保全に務めるものであり、支配の意図はない」なんて』

『詭弁だな。……だが、どうして私が誘い込まれたんだ? 御伽話フェアリーテールを集めてるだけだぞ?』

『でも君、各地の文化にも詳しいよね。そういうとこじゃない?』

『他にいくらでもいるけどな』

 そう二人で笑って、話は終わった。


   ※※※


 寝台の中、セラスは目を開いた。起き上がり、周囲を見る。”統率者権限”とやらは、確かに効力を発揮したようだった。宿どころか、自分の借りていた部屋へ飛んでいる。湯浴みもせずに寝台へ倒れ込んだことは憶えているが、どれほど時間が経ったのだろうか。

  木造の安部屋は狭くて、木の寝台は狭くて固い。こっそりと覗いて見たことがあるが、寝台にマットレスなどというものはなく、板の代わりに縄が張り巡らされていて、それが僅かな弾力を発生させている。あの頃のことを思い出した今となっては、逆に衝撃である。だが、これが――標準的な宿屋であることを、セラスは知っている。

 ああ、と溜息を吐く。これが、眉唾物と散々に唾棄した”綺麗な地球クリーン・アース"だ。贅沢と快適さを混同した愚か者たちと、彼らを止めなかった己が受け止めなければならない現実だ。


「”地球再誕計画”――くそったれな世界へようこそ、瀬良蘇芳くん」

 皮肉げに呟いたのは、あの頃の自分の名前だ。夢で見た相手は恩師であり親友でもある、安曽教授。砂緒というその名の通りの人柄だったくせに、こうと決めたことに関してだけは譲らない、頑固な男だった。

 出会ったのは”神秘の研究機関ミスティック・シンクタンク”でのことだ。学生だった自分が招聘を受けて、いつでも辞められるということと、その名前――科学機関のくせに”神秘”を関するちぐはぐさに興味を持って参加した先に、同様に招聘を受けた彼がいた。教授だったという彼とは不思議と馬が合い、議論すれども喧嘩にならず、なんだかんだで共に過ごして――”地球再誕計画”を期に、袂を分かった。幾度も幾度も語り合って――けれど、今ある命を全て洗い流して地球を造りなおすという思想を飲み込めなくて。

 ”地球再誕計画”という計画書を読んだとき、あまりの荒唐無稽さに笑い飛ばしたことを思い出す。元素転換技術で化石燃料を別のものに変えるだとか、地殻変動装置を使って世界を一つの大陸にするだとか、その辺りは壮大な計画だなと笑って流せた。同時進行でDNAを保管する施設を作るのは、なかなか合理的だなと笑い飛ばせた。けれど、その第二段階は、狂気の沙汰でしかなくて笑えなかった。

 ”大洪水deluge”と銘打たれた計画は、地殻変動の影響を受けない施設をつくり、可能な限りの情報――DNAや人々の記憶、各地の写真や動画、そう言ったものを保管し、その上で地表の全てを洗い流すことになっていた。

 第三段階は”生命の箱舟Noah's Ark”、DNAデータを元に新しい生物を作り、化石燃料のない世界に於ける人類史を歩ませることになっていた。

 ――人間の発展は、化石燃料と共にある。古くは石炭に始まり、石油、天然ガスと続いてきた。火がなければ原始時代に逆戻りとなるが、化石燃料がなければ化学は打ち止まる。いや、近世に於ける産業革命すらも起こらないかもしれない。そして、それこそが彼らの狙いだった。


『化石燃料があるからこそ、人類は山を掘り、海へと繰り出し、蒸気機関を編み出した。それまでに十分な暮らしが出来ていたにも関わらず、世界を求めた結果が、滅びを避けられない現状である。だからこそ、それらを廃した”綺麗な世界”を我らは望む”』


 大航海時代にまで遡り、彼らは訴えた。大半の一般人がそれに賛同し、再生後の地球である程度の地位を見込めるとして財界人が賛同し――そうしたらもう、計画は止まらなかった。ごく一部で、それがあったからこそ医学が、科学が、化学が発達してきたのだと訴える者がいても黙殺された。だから、自分は彼の地を去って――……

 そこまで思い返したセラスは、ふと窓の外を見た。いつの間に降り出したのか、彼の思考を中断させるほどの激しい雨が振っていた。

 くす、と自嘲気味に笑う。麓ではなく宿――己の部屋へ転移したのは正解だったなと。そしてひとまず、これからのことに思考を切り替えた。


(……以前のように記憶を封じるか?)

 封じた上で”遺跡”に近づかなければいい。そう、暗示もかけて。記憶を刺激されたのも、あくまであの”遺跡”に入ってしまったからなのだから。

 そう思う傍ら、<緊急司令所>で見た地図を思い出す。世界各地に”遺跡”は点在していた。当然だ、そもそも世界中の化石燃料を消滅させることが目的だったのだから。綿密に計算されて地中深くに隠されていたはずだが、流石に地殻変動なんて誰もやったことがない天変地異を起こしたのだ、計算が狂ったか。いや、ある程度は露出させる必要があったのかもしれない。何かがあったときの目印として。

 何れにしろ、知られているのはせいぜいが半数だった。今回の村も、”遺跡”の話など欠片もなかったし、この村で聞いた噂話でさえ『妙に深い洞窟があるらしい』という、それだけだ。そんな場所は何処にでもあるから、この始末だ。”遺跡”の噂なりともあれば、避けられただろうに。


(「全ての施設は何かしらの遺跡を模す」――か)

 再生人類史は、あくまで地球を再建するための補助に過ぎない。山が手入れを必要とするから人類を使う。砂漠が広がらないように人類を使う。それだけの目的で残されたと聞く。哀れな学者たちは、それが地球を救う唯一の方法だと息巻いていた。だから、”遺跡”を作るほどの歴史を与えなかった。救う必要などないのだと言う声は届かなかった。

 それもまた、瀬良蘇芳が、”地球再誕計画”に納得出来なかった理由の一つだ。


「――何か食べるか」

 このまま一人で考えていても、深みに嵌まる。うっかり眠ってしまったら、たぶん悪夢に魘される。――今し方の夢見も、いいものではなかったのだ。空腹を感じない身体ではあるが、食事が出来ないわけではないし、気分を変えるにはそれが手っ取り早いだろうと、セラスは寝台を降りた。

 脱ぎ捨ててあった服は泥がついているから、一度洗わなければならない。自分でやることもあるが、この宿は別料金で引き受けてくれるから、いつものように任せることにして籠に突っ込む。着替えはクローゼットの中に入れておいた分を取り出した。町中で過ごすためのものなので生地が薄く、この天気だとちょっと寒いかも知れないが、まあ行き先は宿の酒場なので、問題はない。出がけに鏡が目に入り、己の外見があの頃よりも若く、更には似ても似つかない姿であると気づく。顕著なのは、耳の形だろう。セラスの耳は、横に長く倒れている――エルフと呼ばれる種族の特徴だ。

 エルフたちは里山や森の中に棲み、街中をあまり好まない。人間嫌いかと言えばそうでもなくて、崖崩れの危険があれば知らせるし、山の手入れなども率先して行う不思議な種族だと思われている。セラスが旅の途中で知り合ったエルフたちはみな「街中にいたら、森の様子がわからない」と、それだけの理由だと笑っていたし、実際、そうなのだろう。彼らは何の疑いもなく、セラスを同朋として迎え入れた。留まりたいと言えば歓迎されただろう。それでも留まれない自分は本当にエルフなのかと、記憶が無かった頃には悩んだものだ。今ならそれが、瀬良蘇芳である自分が素地となっているからだと分かるけれど。


(そう言えば、この耳には驚かなかったな――いや、彼女も耳が長かったか……?)

 あまりまじまじと見たわけではないので、はっきりとは憶えていなかった。ただ、己の耳と違う形であったことは憶えている。あれは、妖魔と呼ばれる種族の特徴だ。彼女も己と同じく、あのころの記憶を持っているようだったが、何者なのか。少なくとも見た目は十四、五歳の子供に見えたが、流石にあの計画にも、そんな年頃の子供はいなかった。


(ああ、いや。見た目だけならあり得るか)

 己の見た目が二十代であることに、セラスはふと気づいた。顔立ち自体もあの頃とよく似ている。ミスティックシンクタンクに招聘されて、十年か二十年か――それくらいは過ごしたはずだ。年齢を踏襲したわけではないようだし、もしかしたら当人の希望があったのかもしれない。…それにしたって、十代にしか見えない年齢を選ぶ感覚はわからないが、そういうものだろうか。若いを通り越して、幼いとしか表現出来ないのだが。


(とりあえず、それよりも髪色こっちだな……)

 普段は染めている髪が、白銀に戻ってしまっていた。光の加減で虹色にも見えるため、”魔狩人”の代名詞にもなっていて、しかも耳が特徴的すぎて誤魔化せない。今後のことを考えるなら染め直すべきではあるが、手持ちの染料はなくなっている。それならまあ、と荷物の中から魔法具sorĉailoを取り出して身につけた。指輪型で、光の屈折率を変えて違う色に見せかける仕組みだが、人によって色の見え方が違うという残念さだから、あまり使わない。銀でさえなければ虹色に光ったりもしないし、”魔狩人”とは気づかれずに済むからもう、これでいいことにした。

 そうしてから部屋を出て、食堂を覗いたものの営業はしていなかった。どれほど疲れていたのか昼を過ぎてかなり経っているらしいので、仕方の無いことではある。それならばと行き先を銭湯に変えることにした。雨はかなり降っているが、結界魔法muroの応用でなんとでもなるので問題はない。


「はいよ、銀貨五枚ね」

「ああ」

 二人分の入場料を支払って中へと入れば、最初に男女問わずの待合所だ。混み合う時間なら家族連れがいることもあるが、今はさほど人がいないようだった。そこから奥へ入れば男たちが思い思いに話したり、食事をしたり。西亜地方の銭湯を模しているようだが、この辺りがどちらかと言えば英国風の文化なので、違和感は拭えない。それでも出されるものは安くて美味いし、基本的には食べ放題なので懐具合を気にしなくていいのが楽なのだ。ちなみに二人分を支払ったのは、際限なく食べることが出来るからである。他のエルフもそうらしいので、どうやら種族的な特徴らしい。空腹を感じずに動けるのに、何やら贅沢な身体であると改めて不思議に思うセラスである。

 ゆっくりと湯に浸かり、串焼き、薄焼き、挟み焼き、更には甘味の屋台全てを制覇したころには、日が傾いていたので、上がることにする。雨も上がっていたので、魔法は使わずに帰ることが出来た。


(……歯ブラシ? この文明段階レベルで量産品?)

 あのころに使っていたものと、遜色ない造りであることにふと、気がついた。購入したときも、……2本で銀貨1枚程度と、それほど高価ではなかった。使い捨てと考えれば安くはないが、軽食2回分と考えればさほど高くもない。いや、たしかもっと安いものもあったはずだ。

 彼らが目論んだ通り、過去の地球に照らし合わせるなら近代の初め、恐らくは産業革命が起きる前くらいの感覚だ。歯ブラシ自体はあったらしいが、大量生産されるようになるのは産業革命後のはずだ。一体どうやって、そこまで水準を引き上げたのだろうか。


(どこから始めたんだろうな……てか待て、そう言えば魔物がいるよな、この世界? なんでそんなものを作った?)

 人類史を初めからやり直すようなことはしないだろう。病気や争いを考えると、ある程度の文明が必要だ。しかし道具の問題もあるし、化石燃料がないとなると、薪や木炭の世界になる。それである程度の医療技術もと考えると、中世後期程度だろうか。古代エジプトで脳外科手術がどうの、という話もあるので一概には言えないが。では、いったいいつ頃から魔物は存在していたのか。伝承の存在フォルクローレ作り話御伽話ではない、本物の魔物を倒して、セラスは生計を立ててきたのだ。

 作られた世界、という観念で見れば。…人口調整役だろうか。だが大半は縄張りに踏み込まれなければ敵対しないし、その肉がとびきり美味いものもいる。狩れたらご褒美が出るボーナスキャラのような気がしなくもない。


(いや……山を開発しすぎて、人里に熊が出るとか、普通にあったな……人口じゃなくて開発域抑制か?)

 それであるなら、限界集落の可能性の芽を摘んでいるという言い方も出来そうだ。魔物の繁殖は数年ごとに来るというし、考えてはいるようだなと結論づけて、うがい用のコップを見る。これはまあ、普通にどこでもあるだろう――問題はそれではなくて、水だ。蛇口を捻ると出てくるということはなくて、蓋付きの水差しに毎朝交換されるのだが、実は湯冷ましだ。つまり、煮沸消毒がされている。十七世紀ごろにその概念はあったはずだが、それが普及したのはいつだったか。


(だからお前ら……どこまで考えたんだ……)

 セラスは笑った。笑ってしまった。この世界に。くそったれなこの世界を作った莫迦たちに。そんな自分にも笑って、そして、結論を出した。


「――封じるのは、いつでも出来る」

 過去の記憶を封じていた間のことは、もちろん覚えていた。知り合いも出来たし、この先――行きたいところもある。それならとりあえず、せっかくの贈り物権限を生かさない手はない。嫌な世界ではないのだ、別に。滅ぼし尽くしてから再生する、傲慢な神のごとき所業に納得出来なかっただけで。止められるものなら止めたかったし、止めようとして水面下で動いてもいた。けれど結局間に合わなくて。


「……そうだな。嫌いじゃないんだよな……」

 記憶を取り戻したのは二回目だ。初めて取り戻したときは、研究所の中にいた。そこは完全に壊れていて、自分はどうしてか”保護装置カプセル”の中にいて、ただそれでも、”地球再誕計画”が発動したことだけは理解出来た。それが魔素を濃縮した培養液で、本来であれば己の身体を作成・維持するべきものだということもすぐに思い至った。けれど、そこに身体はなかった。何が起きたのかはわからなかったけれど、失敗したのだろう。そして研究所ごと放棄された。まさかその後で目覚めるなど、有り得ないと。

 その、まさかが起きた。統率者権限までも使える状態で、セラスは目覚めたのだ。

 それだけに、絶望は深かった。滅ぼし尽くされた世界で生きることに、何の意味があるのかと。いいや、意味などない。欲しくもない。失ったら生きていけないような理由など、なくていい。けれどせめて。――忘れたい。そう思って、”保護装置”を壊してから、記憶を封じた。”統率者権限”があるからこそ、取れる手段だった。”保護装置”から抜け出して。どうしてかその後、空に流れ、海に漂い、森を彷徨って、人里に出た。想定外だろう方法で身体を得てからは、世界を彷徨っていた。いつの間にか二つ名を得るほどに人と関わって来た。そして、今。…もう、忘れたいとは思わない。


「……くっそ……いいように…踊らされてるな……」

 世界を作り替えようとする人間バケモノの集団に、適うはずなど無かったのかも知れない。諦めの溜息一つで、セラスは眠りについた。

 夢は、見なかった。

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