第2話 交戦

 地球圏から離れ、たどり着いた火星の周回軌道域。

 ぽつりぽつりとだが、まだ他の宇宙船を目にするこの宙域。そこで一隻の宇宙船が信号シグナルを発信してないことに気付いたのが切っ掛けだった。

 慌ててウーラに離脱命令を出したのと、不審船から放出されるエネルギー反応を感知したタイミングがほぼ同時。

 ぎりぎりのところで回避行動が間に合ったものの、指向性エネルギーの塊がウーラアテネのすぐそばを流れていった瞬間は本当に肝を冷やしたものだ。

 その可能性をまったく考慮に入れてなかったわけではないのだが、相手は曲がりなりにも名の知れた企業。こうもすぐ暴力的な手段にうって出るとは思っていなかったというのが正直なところだ。


 反撃、交戦、撃墜。

 戦闘経験など皆無だった俺が生き残ったのは、ひとえに運が味方したからだろう。

 宇宙空間での戦闘はほぼ人工知能任せで、ほんのちょっとの運の差が勝敗を分けることも珍しくない。といっても、宇宙船がほぼ同性能同士である場合の話にはなるが。


 なんとか生き延びることができた俺は、なかば放心状態のまま宇宙の闇に隠れた。

 この広い宇宙空間、一度逃げ出せば見つかることはまずあり得ない。地球圏周辺ならともかく、ある程度離れれば自ら人類生存域に足を運ばない限り、ほかの誰かと遭遇することなんて皆無といってもいいくらいだからだ。


 だがこのとき、濡れ衣を着せられたばかりか、実際に殺人まで犯してしまったという己に重くのしかかってくる現実を前に、気分は深く沈むばかり。


 相手は巨大企業。

 一介の宇宙船ふな乗りがいくら無実を叫ぼうが、そんなもの誰が信じてくれるだろうか。素直に名乗り出て、自ら身の潔白を証明するなんてことは早々に諦めるほかない。

 結局、このときの俺に残されていた選択肢はこのまま尻尾を巻いて逃げ出すことだけだった。

 だからといって、この先何事もなかったかのようにすべて忘れ去るなんてこともできやしない。

 俺は暗い宇宙空間でひとり隠れながら逃亡生活。そして、俺を陥れたやつらはのうのうと我が世の春を謳歌おうかし続ける。

 そんなこと到底許せるはずもなかった。


 問題はまともな方法で恨みを晴らす手がないことだ。

 やつらに仕返しするには、法を超越した手段を取るしかない――それが俺の出した結論だった。 


 WASPという組織がある。

 非合法であるブラックマーケットの主で、武器から情報、はたまた女までと、ありとあらゆるものを扱っている犯罪者相手の密売組織。

 宇宙生活が長ければ嫌でも耳にする名前だ。そのWASPの存在は以前から知っていたし、今まで荒っぽい仕事を受けた経験もゼロではない。顔を繋げる方法も何となくだが目星は付いていた。 


 それから3年余り。


 他者との接触は極力避けてきた。

 WASPともドールと呼ばれる自動機械を介して接触。自分はいつでも逃げ出せる宙域に留まり、艦載機であるファルコンに搭乗させたドールをWASPの拠点に向かわせ、密売組織と取引することにしたってわけだ。

 まあこれは俺だけに限らず、ほかのレッドのやつらも似たようなものなんで、ことのほか俺が臆病って話でもない。

 このWASPとの接触がなぜ必要になってくるかといえば、レッドになった瞬間から様々な制約を受けるようになったせいだ。


 今の時代、何か物を買うとき、通常の購入方法のほかに人工知能を介しての特許技術使用許諾きょだく権購入という購入システムがある。

 早い話、けっこうな種類の商品の製造技術が人工知能に随時インストールされ続けており、特許使用料を払うことで自ら製造可能ってわけだ。

 もちろんその製造に伴い、原材料をこちらで用意する必要はあるし、すべての品物がこの方法で手に入るわけでもないのだが。


 宇宙船ふな乗りなら当たり前の感覚だが、何か必要な物があるたびにいちいち地球に立ち寄ったり、商品を輸送してもらっていたら、コストが掛かり過ぎて大変なことになる。

 そんなわけでこの俺も自船内に様々な資材を積み込み、特許技術料を払うことで、それらの商品を製造しているというのが実情だったりする。

 だが、ひとたびレッドになってしまうと、その購入システムの一部が使えなくなるのだ。

 さすがに生命活動に必要とされる技術や商品まではロックされないが、最先端の特許技術はもとより、軍事関連或いはそれに繋がる技術もすべて強制的にロックされてしまう。

 人工知能に眠っている一部の技術データ、製作データがブラックボックス化され、一切取り出せなくなるってことだ。つまり現在レッドである俺は、そういった物や技術をWASPから裏ルートで購入することしかできなくなっていた。


 それでも慎重に慎重を重ね、これまで何とか生き延びてきた。

 大枚をはたいてウーラアテネ内に新規の養畜プラントを設置し、購入した保存肉に頼らない自家生産体制へと移行。

 WASPから新しく武器も調達し、その武器を使いU・D・C関連の輸送船を襲うことで、何度かやつらに仕返しもしている。その過程で相手からの反撃に遭い、戦闘行為にまで発展したことが何度かある。


 まあ、この海賊行為できれいさっぱり恨みが晴れるってわけでもないのだが、俺に出来た事といえばそれぐらいだろう。

 それに資源を強奪して闇に流せばけっこうな額になり、一石二鳥でもあった。

 情報だってタダじゃない。

 女の肌だって恋しくなる。

 ただ、そのためには法外な金がかかるものだ。そういうレッド相手の商売は、たいがい口止め料も含まれるものだから。

 だからこそある程度信用できるとも言えるのだが……。


 ただ、今回は少しばかり様子が違った。 


「マフォットの野郎、裏切りやがって。ぜってー許さねえぞ! てめえの###を千切って、その口に食らわせてやるからな!」


 情報屋のマフォットに対し、湧いて出る悪態の数々。

 高い金を払って聞き出した情報が罠だと気付いた俺は、激しい怒りの感情に囚われていた。

 本来ならば情報屋が裏切るなんて、WASP内では自殺行為に等しいはず。

 組織内での粛清対象になり、裏の世界では二度と表を歩けなくなる。信用を失くした犯罪組織など誰も相手にしなくなるので、裏切り行為にはことのほか厳しいのだと以前聞いたことがある。

 にもかかわらず裏切ったということは、それに見合うメリットを提示されたのだろうが。


『エネルギー反応確認。回避行動開始。対エネルギーシールドを展開します。エネルギー接近まであと5秒……4、3、2、1……回避成功』

「マジかよっ! Mウェブじゃなく殺傷兵器を使ってきただと!? ウーラ、右舷方向に向けてファルコンを出せ。囮に使って、最悪でも何隻か引っ張らせる!」


 俺の怒号に呼応するかのように、すぐさま艦載機であるファルコンが宇宙空間へと飛び立っていく。

 残念ながらウーラアテネも性能の面で軍の巡視艦には劣る。

 もしこのまま進めば、いずれは追いつかれるはず。そうなる前にゲートまでたどり着ければいいが、そうでない場合は挟撃されること必至。被弾する確率が格段に跳ね上がってしまうだろう。


 ファルコンを囮に使ったのは、相手の考えの上をゆくためだ。

 普通に考えればファルコンのほうが的が小さい分、純粋に逃げおおせる確率は高い。そうである以上、相手はファルコンを見逃すことができまい。俺がウーラアテネを捨てて逃げ出したのだと考えてくれればいいのだが……。


『右舷後方、巡視艦2隻の進路変更を確認。残り2隻はそのままこちらを追尾しています。ゲート安定まで残り157秒』

「けっ! 半分だけかよ。あと残り2分30秒、このまま逃げきれってか!」


 俺はあらかじめ近くの宙域にワープのためのゲートリングを設置していた。

 ワープにはゲートリングと呼ばれる制御システムが必要。そして跳躍できるレベルへのゲートの安定化も起動から7分ほどかかる。

 逃げたくなったらその場でいきなり跳躍可能なんていう簡単な代物ではないからだ。

 こんな事態になることをあらかじめ予測していたわけではないが、奥の手として逃げ道を確保しておくのは基本中の基本だろう。あくまで保険にというわけで、もし使用しなければしないであとで回収すればいいだけの話だ。

 というか、正規軍まで巻き込み俺を処分しにかかるなんて、誰が予測できるというのだ。


 犯罪者ですら最低限の人権で守られているはず。

 今の時代、どれだけ秘密裡に事を進めたとしても、絶対に隠しおおせる保証などない。万が一この場面が公になった場合、どれほど欺瞞ぎまんの言葉を並び立てようとも、交戦状態でもない人間に対し、殺傷兵器を使用したことの正当性を得ることは難しいように思うのだが……。


 次々と光の槍が降り注ぐ。


 その一閃一閃に戦々恐々としながら、俺は祈ることしかできなかった。

 対エネルギーシールドなんて、軍が使う最新の戦術兵器相手では正直気休めレベルだ。掠めただけでもその衝撃波で、何らかの不具合が出ることだってある。もし直撃を食らったら、計器の不具合だけで済むとはとても思えない。


 モニターに映るゲート突入へのカウントダウンがやけに遅く感じる。

 いまだ被弾していないまでも、だんだんと相手の攻撃がウーラアテネに対して近づいているのがわかった。

 相手との距離が近いほど回避行動が難しくなるのは当然。それだけ相手に距離をせばめられた証だった。


『ゲート突入まで残り30秒。現在8.6光年先、シリウス星系第5惑星ミネラーヴァ周辺宙域への跳躍予定となっております』

「よし! この分ならどうにか逃げ切れる……。つうか、俺を消すのは100年はえーんだよ。ざまーみろ、政府の飼犬どもがっ!」


 ゲートが目視できるようになったことで一気に安堵感が押し寄せてくる。

 ウーラアテネが跳躍したらゲートはすぐ閉じられる設定だった。

 ゲートにさえ飛び込んでしまえば、相手はまず追って来れなくなるだろう。新たなゲートを設置しようにも、跳躍位置を割り出す作業にけっこうな時間をとられるはずだ。その頃俺は悠々と宇宙の闇の中に雲隠れしていることだろう。


『まもなくゲート到着。突入まであと5秒……3、2、1、ワープし――』


 逃げ切った。


 そう確信した。


 ――瞬間。


 視界を覆いつくす光の奔流ほんりゅう

 刹那の爆発音。

 次の瞬間、一切の音は消え去り、世界が凍り付いていた。


 瞬時に何か予想外の事態が起きたことを悟る。

 襲い来る、激しく荒れ狂うような感覚。

 それが爆発の衝撃波だと知覚するまでもなく、俺の意識は暗い闇の中へと呑み込まれていった。

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