慈愛と復讐の間

レクフル

第1話 プロローグ


 

 とある国に二人の赤子が生まれた。


 一人は慈愛の女神の生まれ変わりとされ、一人は復讐の女神の生まれ変わりとされた。


 慈愛の女神の生まれ変わりがこの世に生を得た時、必ず復讐の女神の生まれ変わりは生を得る。この二人は対となっているが、決して相容れるものではない。


 これはいにしえより語り継がれている伝承であり、慈愛の女神の加護を得た者は絶大なる力を手にするのだと言う。




 ここはボタメミア地方と呼ばれる場所にある大国アッサルム王国。


 その国は広大な領土を所有し軍事力も高く、現在この大国に敵う国は無いとまで言われている。国は栄えていたがそれは一部の者だけであり、王都から離れた村や街の暮らしは常に不安定で、治安も良くはなかった。


 しかし、アッサルム王国の北西に位置する王都メイヴァインは華やかだった。

 北に聳える王城は何処の国よりも大きく煌びやであり、建物を含め全てが一流の職人達が長い時間をかけて丹精を込めて作り上げた芸術品ばかりだった。この城は、正にこの国を表しているといったものだった。


 その王城に住まう王に、預言者ナギラスは告げた。



『今宵、慈愛の女神の生まれ変わりが生を享けた。髪と瞳は漆黒であり、美しく愛らしい娘である。この者を守り慈しむ事ができれば、この国の繁栄は揺るがないものとなるだろう』



 その預言を受け、直ちに王は今夜生まれた慈愛の女神の生まれ変わりを探し出すべく御布令を出した。

 何としても慈愛の女神の生まれ変わりを我が物にしなければならない。それはこの国をより一層繁栄させる為なのだ。そう信じ、王は生まれたばかりの赤子の捜索に躍起となった。




 ところ変わって、ここはアッサルム王国の東に位置する辺境の地。ここを管理するのが辺境伯アメルハウザー家である。


 今宵、辺境伯ブルクハルト・アメルハウザーに待望の子供が生まれた。 

 国境警備に出ていたブルクハルトは妻の急変を知り、急いで邸へと帰ってきたのだが。

 


「ご主人様っ! お子様が! 可愛らしいお嬢様がお生まれになりました! ……ですが……」


「どうした?! ロシェルは?!」


「奥様は……っ!」


 

 最愛の妻であるロシェルは出産して間もなく息を引き取った。生まれた我が子を腕に抱く事なく、静かにこの世を去ったのだ。


 亡き妻の傍らに、生まれたばかりの赤子が寄り添って眠っていた。その子は誰に似たのか黒い髪だった。



「この髪……もしや……いや、しかしそんなことは……」



 自分も妻も金の髪に瞳は青かった。なのに我が子は黒髪だったのだ。

 

 黒髪の我が子を見て、ブルクハルトはある言い伝えを思い出す。それは黒髪で黒瞳の慈愛の女神の伝説だ。

 母親の命と引き換えにこの世に黒髪黒眼を持って誕生するという女の子の赤子。大切に慈しみ育めば、その家や街、ひいては国でさえも幸運をもたらし繁栄するという。


 けれどまさか我が子にそんな事が起こる筈もないと、ブルクハルトはその考えを払拭するように頭を振って思い直した。きっと隔世遺伝かなにかだろう。そう思うことにしたのだ

 

 しかし母親のいなくなった我が子を大切に育てる事は、慈愛の女神の伝説が無くとも自ずとそうするのは当然の事で、最愛の妻が我が命をかけて産んだ娘を、命をかけて守るとブルクハルトはその時誓ったのだった。


 母親がいなくなった娘に与える母乳が無い為、急遽乳飲み子を持つ母親を探し出すようにブルクハルトは部下に指示を出した。

 

 そうやって連れてこられた一人の母親。それはこの城で働く魔女だった。同じ日、同じ時に女の赤子を産んだこの魔女は、ブルクハルトに恨みを抱いていた。

 そのブルクハルトの子に母乳を与えなくてはならない事に憤りを感じながらも、魔女はその命に逆らえずに従う他なかった。


 自分の子供を同行させる事を条件にして母乳を与える役目を受け入れた魔女は、初めてこの邸の上階へと赴く事を許された。

 それまでは邸の地下から出る事はほぼ許されず、薬草等を採取する時のみ地上に監視付きで出る事を許可される以外は外出できなかった魔女は、初めてこの邸の全貌を知ることになった。


 外観は勿論の事、内装も素晴らしく艶やかで、洗練された調度品や絵画がバランスよく置かれてある。何処の部屋も美しい照明が設置されてあり、その場所に移動すると動くものを察知してその照明は光を灯す。

 魔女はこの煌びやかさに目を奪われ続けた。

 

 そして案内された子供部屋は陽が優しく当たる場所で広々としており、室内は清潔に保たれ、ベランダからは優しく風が吹き込み、美しく彩っている青々とした樹木や花々の鮮やかな色が光に反射して部屋の中にまで届いているようだった。

 まだ使えないであろう子供用の玩具が既に沢山用意されてあり、家具や寝具は全て新調され、真新しいベビーベッドで幸せそうに眠っている赤子は肌触りの良さそうな上質の産着を身に纏っていた。


 魔女が抱く我が子は……


 しっかり洗いはしたものの、色の変色した御下がりの産着を身に付け、包み込んでいる布は継ぎ接ぎだらけのボロボロ状態の物だった。

 同じ日に生まれた筈の我が子が凄くみすぼらしく見える。

 

 途端に魔女は我が娘が可哀想に思えてならなくなった。

 きっとこのままでは、娘は自分と同じように地下で生きていく事になるだろう。陽の光の届かない場所で自由を奪われ、この世界を恨みながら生きて行くしかないのだろう。

 そう考えると、娘が憐れで仕方がなくなってしまった。


 自分に似て髪も瞳も赤い娘は、父親が誰かも分からなかった。森の奥深くに愛する人とひっそりと暮らしていた魔女は、様々な薬を調合して作り出せ、更に錬金術も使えるという希少な存在であった。

 その魔女を我が物にするべく、ブルクハルトは部下に居場所を突き止めさせ、抵抗する男をその場で切り捨て魔女を捕らえたのだ。


 それからはアメルハウザー邸の薄暗い地下で薬を調合し、指示された物を錬金術で作り出す作業を強いられている。


 そして時々、この邸で働く男達の慰み者とされたのだ。そんな奴隷のような扱いを受け続けた日々だった。ブルクハルトを憎むのには充分すぎた。


 ブルクハルトの娘を抱き母乳を与えると、その娘は愛らしい黒い瞳を開けて自分の母乳を当然のように吸い尽くす。それは赤子であれば普通の事であったのだろう。しかし魔女にはそれは耐えられない事だった。

 自分が我が子に唯一与えられるべき物なのに、それをこれ以上奪われる事が許せなかったのだ。


 かねてよりこの状況を打破しようと画策していた魔女は、錬金術で作り出した物が幾つかあった。地下から出られる時には欠かさず人知れず持ち歩いていた魔女は、侍女が用事で退室した時を狙ってポケットに忍ばせていた物を取り出し、ブルクハルトの娘の左の足首に、自分の娘には左の手首に対となる物を装着した。  

 ブルクハルトの娘の左の足首につけられた足輪と魔女の娘の左手首につけられた腕輪。


 元より左手はパワーを吸収すると言われており、左足に足輪をつけるのは奴隷の文化で主人がいると意味付けされている。

 魔女が作り出した物は、足につけられた者から能力を奪い、腕につけられた者へとその能力が譲渡されるという物だった。


 ブルクハルトの娘に何の能力があるのかは分からないけれど、それが何であろうと持っているものは全て奪ってやりたかった。自分だけがこれ以上奪われ続ける事が耐えられなかったのだ。


 途端に変化が起きた。


 ブルクハルトの娘の髪と瞳は赤くなり、魔女の娘の髪と瞳は黒く変化したのだ。


 それには魔女が驚いた。容姿まで変わってしまうとは想定外だったからだ。

 驚きながらもその様子を見ていた魔女は、悪戯に産着を変えてみた。魔女の娘には上質の産着を。ブルクハルトの娘には色褪せた御下がりの産着を。



「ふふ……着る物が変われば、私の娘は貴族の娘のように見えるじゃないか。こんな外側に与えられた物が違うだけで……」



 それはただの悪戯だった。我が娘をヘビーベッドに寝かせると、それは何処の誰とも分からない者の子とは思えぬ程、気品高く見えたのだ。

 対して自分の母乳を飲み続けているブルクハルトの娘は、ボロの産着が似合うようにも見えてきた。それが滑稽で可笑しくて、魔女は思わずほくそ笑んだ。


 その時、侍女が帰ってきた。赤い髪の子に母乳を与えているのを見て、侍女は自分の子に与えるのなら部屋に戻るように言ったのだ。そして、外で控えていた使用人に魔女を連れ出すように告げた。

 

 違う! あれは私の娘で、今私が抱いてるのがブルクハルトの娘で……!


 そう言おうとして口を噤ぐ。髪と瞳の色が変わった赤子を、まだ生まれたばかりで顔の違いも曖昧なこの状況で、そう言ったとしても誰も信用しないだろうし、信用されたとして、もしそうしてしまった事を咎められたとしたら、私は疎か娘にまで罰を与えられるかも知れない。


 そう思うと魔女は何も言えなくなった。そして、それで良いのかも知れないと思えてきた。

 このままでは娘は自分と同じような生活を強いられる。でもこのままでいれば、娘は貴族として育てられ幸せになっていけるのだ。

 

 これこそが最高の復讐になるのではないか?


 憎くて仕方がなかったブルクハルトの娘を我が子と取り換える……何も知らないブルクハルトは私の娘を大切に慈しみ愛し育てるのだ。こんな滑稽な事があるか?! 魔女は地下へ向かう道すがら、ボロ布にくるまれたブルクハルトの娘を抱きながら笑みを浮かべた。

 

 私をこんな目に合わせたアイツがバカみたいに私の娘を可愛がる姿が目に浮かぶ。それはここに連れてこられてから感じた事はない喜びの感情であった。

 

 そんな魔女を見て従者は不思議そうな顔をした。こんな嬉しそうな表情を見たことはなかったからだ。


 不審に思いながらも特に問い質す事もせず、使用人は魔女と邸から出て外階段から地下へ降りようとした時だった。門が開けられ、護衛の騎士と従者の馬車に囲まれ、この邸にある物よりも大きく重厚で美しい馬車が入ってきたのは。


 その様子を使用人と魔女は驚きながら見ていた。こんな煌びやかな馬車は見たことがなく、馬は体格も毛艶も良く立派だった。その事から辺境伯よりも高位の貴族がやって来たのは明白で、それは誰に言われなくとも分かる程だった。


 物々しい雰囲気の中、騎士や従者や使用人等が現れ、それを出迎えるこちら側の者達も合わせるように人数が多くなってしまう。

 

 その状況を魔女は見逃す筈はなかった。

 

 門はまだ開いていた。その辺りにも騎士達はいたが、自分の主人の乗った馬車にしか興味が無い様子だった。

 使用人がこの状況に気をとられている間に、魔女は駆け足でその場から逃げ出したのだ。


 何が起こっているのかは分からないが、自分が逃げ出す機会が訪れた。それを逃す手はない。


 そう思って魔女はブルクハルトの赤子を抱いたまま門へと走った。それに気づいた使用人がすぐに追いかけようとした。だけどその近くを通った騎士に呼び止められ、追うことが出来なくなった。

 明らかに高位の騎士が自分を呼び止めるのであれば、それに従う他なかったのだ。


 そうして魔女はやっとこの邸から抜け出す事ができたのだ。


 着の身着のまま、少しの魔道具とブルクハルトの娘を胸に抱き、魔女はとにかくその場を離れるべく走った。今は誰もが自分の事を気にかけない程の状況であるのは明白だった。だから今しか逃げる時はない。


 遠くへ…… 遠くへ……


 気になるのは置いてきた娘のこと。


 きっと誰も、生まれたばかりの赤子の違い等分かる筈なんかない。髪も瞳もブルクハルトの娘と同じように黒く変わったのだ。きっと自分が育てるより幸せになれる。愛されて、教養を身につけて、綺麗に着飾って、なに不自由ない生活を送れる筈なのだ。


 そう自分に言い聞かせ、少しの間しか手に抱けなかった娘との別れを惜しみながらも、魔女は邸から、自分の娘から遠くへと離れていく。


 あの馬車に乗っていた人が何の目的でやって来たのか等、その時は知る由もなく。


 そんなこと等、知る由もなく……





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