第23話

 関係が深い、守護する大切な人間。そうは言っても、結局は別々の者だ。力も何もかもを封印して眠りについた龍が、その存在に気付き、呼び寄せる事など出来る筈もない。


《『血を濃く受け継ぐ者』と、『魂を強く受け継ぐ者』は違う人間だ》


 血を濃く受け継ぐ者。それはザイトの子孫、つまりはギルア皇家の人間。

 けれど魂を強く受け継ぐ者は、血の繋がりなど何もない。ギルア皇家とは何の関係も持たない者である可能性もあるのだ。

 ただ、その者はザイト自身であると言っても過言ではない。

 ザイトの生まれ変わり───それが『魂を強く受け継ぐ者』。

 龍の側に立つ『巫女(巫男)』であると同時に人間側の『ギルア皇帝』でもあったザイトは、紫杏しあんにとっても特異な存在だった。

 もう一人の自分と、同時に親友でもあったのだから。


《さて、カルス皇子》


 紫杏は真っ直ぐにカルスを見つめて問う。


《『血』がお前なら、『魂』は誰だ?》


 龍を目覚めさせる、巫女は?

 もう一人の『龍』は?


「ライ、ラ……?」


 カルスは無意識の内にライラを強く抱きしめていた。少し前の、見た事のない彼女の姿が甦る。あんなにも神々しく言葉を紡ぐ彼女は知らない。

 いつも側にいた大好きな少女が、自分から遠く離れていってしまいそうで怖かった。

 だから、抱きしめる。


「ライラが、龍の巫女だと言うのですか?」


 僅かに声が震えたのに気付き、カルスはきゅっと唇を噛み締めた。

 怖い。

 ライラを連れて行かれそうで。

 彼女がいなくなると言う事が、こんなにも辛く恐ろしいとは思わなかった。心が、闇で覆われそうになる。

 すっと伸びてきた紫杏の手に、カルスはびくっと肩を揺らした。そしてまるで彼からライラを隠すように体の位置を変える。全て無意識だ。

 心に浮かぶ恐怖が。

 それでも守りたい何かがあるから。

 何があっても、どうであっても離れたくない少女がいるから。

 譲れないたった一つのものを胸に抱いて、カルスは真っ直ぐに紫杏を見た。


「ライラは俺の───次期皇帝・カルス・ミラ・ギルアの妻となる者です。たとえ彼女が龍の巫女であろうと、我がギルアの崇拝する龍の君の命令であろうと」


 そこで一度言葉を切り、決然と言い放つ。


「この手をライラから離すつもりはありません」


 偉大な龍を相手に、まるで宣戦布告だ。

 紫杏は驚いたように目を丸くしたが、暫くすると肩を揺らして笑い始めた。


「りゅ、龍の君?」


 楽しげな紫杏に対し、カルスは完全に拍子抜けだ。決死の思いで言った自分が、何だか悲しくなってくる。


《気に入ったぞ、カルス皇子》


 まだ少しクスクスと笑いながら、紫杏はカルスの目の前に腰を下ろした。目線の高さが一緒になる。


《私の何より大切な巫女を、必ず幸せにしてやってくれ》


 みるみる内に明るくなっていくカルスの表情。それにつられるようにして、紫杏も微笑んだ。

 父親のような、兄のような、友人のような。

 そんな、不思議な気持ち。

 龍と巫女は、恋人同士の愛を持つ事はない。親や、兄弟の愛とも違う。その全てが混ざり、そして超越した特別な関係だ。

 人間の双子の神秘と共通する所も、少しあるのかも知れない。


《私の大切な、巫女。起きておくれ───ライラ》


 軽く額に口づけた、ただそれだけで。

 綺麗に整った睫毛が震え、ライラはゆっくりと瞳を開けた。

 現れた紫の瞳はカルスを映し、微かに微笑んでから紫杏をとらえる。


「おはよう、紫杏」

《あぁ。おはよう、ライラ》


 まったく普通の会話だった。いつもの朝とでも言うように、軽く挨拶を交わしたのである。


 不思議が不思議ではない。二人を見ていて、それがよくわかった。

 神秘的な伝説の残る『龍の帝国』。他の国から見れば謎としか言いようのないこの国だが、もちろん住んでいる者達に取っては普通の事なのだ。

 龍は存在していたし、自分達の守り神である、と。

 ライラと紫杏の事も、恐らくはそう言う事なのだろう。カルスや他の者達には不思議な事でも、彼ら龍や、その巫女達にとっては息をするかのように自然な事。


《カルス皇子、そしてライラ》


 改まった様子で名を呼ぶ紫杏に、カルスも居住まいを正し向き直った。


「はい、何でしょう龍の君」

《紫杏でいい。お前はライラの夫となる者だろう?あまりに他人行儀だと、私は寂しいぞ》


 苦笑してそう言う紫杏からライラは視線を外し、瞳を伏せた。

 彼女はわかっている。紫杏の次の言葉を。


《まぁ、もう二度と会う事は無いだろうが》

「え?」


 会う事はない?

 その言葉の意味を、頭が理解してくれなかった。いや、言葉自体の意味は理解している。ただ、紫杏がどういうつもりでそれを口にしたのかがわからなかったのだ。


《私が完全に眠りから醒めれば、いずれ他の龍達も目醒め、また争いが起こる》


 二度と見たくはない、大好きな人間達の死。

 だから紫杏は、龍は───巫女は眠る。

 力と、記憶を、眠らせる。


《人間は、不思議な力などなくても強く生きていける。だが、同時に弱い生き物でもあるんだ。誘惑や、不安や……そう言った『負』のものに負けやすい》


 不思議で魅力的な魔法という誘惑に、人は負けたのだ。

 殺し合い、憎み合い、哀しみを広げていった。


《だから、我々は眠るのだ》


 魔法というものが最初から無ければ。龍という生き物が、ただ単なる生物としてならば。

 争いは起こらない。

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