第14話

 ライラの両手首を一掴みにしたまま、ヴァイネルは耳元に口付けた。

 ビクッとライラの体が跳ねる。


「いやっ!放してっ!」


 足をばたつかせようとしても、上にヴァイネルが乗っているので上手くいかない。それでも懸命に逃れようとしたのだが、もう一方の手で押さえ込まれてしまった。そしてそのまま、大きな手が腿を登ってくる。スカート越しだった手の感触が、次の瞬間には直にあるのがわかった。

 唇は耳元から首筋へと下がり、はだけた胸元へと降りてくる。

 止められない。

 逃げられない。


「いやっ!」


 怖い。

 どんな時でも、こんな恐怖を味わった事などなかった。

 心臓が壊れそうな程脈を打つ。

 怖い。怖い!怖い‼

 頭の中が恐怖で埋め尽くされる。

 誰か。

 誰か……!

 カルスッ‼


「──────────っ‼」


 今にも弾け飛びそうになる理性を必死で押し止め、唇を噛みしめる。

 今、私は何をしようとした?

 口の中に広がる血の味。それが呼び覚ます。こんな程度ではない、真実の恐怖を。

 叫びをあげるわけにはいかないのだ。あげてしまえば、総てはそこで終わる。


「……シスト?」


 大人しくなってしまったライラに不信感を覚えたのか、ヴァイネルが顔を上げた。


「助けを呼ばないのか?」

「誰を呼べと?」


 呼ぶ人間などいない。ライラはそう言っている。

 大きな溜め息をついて、ヴァイネルは身を起こした。降参だ、と両手を上げて首を振る。


「何故呼ばない?どうして喉の奥で止めてしまうんだ?」


 カルスの名を。


「同じ事を、何度も言わせないで」

「それは、本当はそんな言葉を言いたくはないと言う事か?」


 驚いて起き上がったライラの瞳を真っ直ぐに見つめて、ヴァイネルは続けた。


「本当は愛しているのだろう?」


 本当は口にしたくない言葉。『どうでもいい存在』などと、言いたくはないのだ。あの傷付いた顔を、見たいとは思わない。


「どうしてあんな態度を取る?黒魔法使いなんかと一緒にいて、自分から憎まれようとしているのは何故だ?」


 ライラは答えない。俯いて、ドレスの胸元を握りしめている。

 口を開こうとしない彼女の姿を見て、ヴァイネルは再び首を振った。


「取り敢えず、リル皇妃は本当はミラ陛下を愛していらっしゃるとお伝えしてくる」

「余計な事しないでっ‼」


 突然張り上げた大声に、ライラは自分で驚いたようだ。見返してくるヴァイネルに、次の言葉を続ける事が出来なかった。


「どうして」

「それは我々もお聞きしたいですね」


 割り込んできた第三者の声は、ライラのよく知ったものだった。

 扉のすぐ側に立っているであろう二人の気配。わかったが、だからこそそちらを向く事が出来なかった。


「ヒルトーゼ殿、それにキュアリス殿まで」

「こんな夜分に失礼いたします、国王陛下。しかしまず、我々の皇妃様からお離れ願えますか」


 丁寧な物言いの中に、怒りが見える。ヴァイネルは慌ててベッドから離れ、手近の椅子に座り直した。

 ライラも素早く衣服の乱れを直したが、落ち着きは戻ってこなかった。

 失言。

 その言葉が頭の中を駆けめぐる。


(だめ)


 ここで終わらせるわけにはいかないのよ!


《話してあげればぁ?》


 直接頭の中に聞こえてくる声。幾度と無く語りかけてきていたあの声だ。少し前にライラが言ったのと同じ言葉を、語尾上がりの独特な口調で繰り返す。

 しかしこの時ばかりは息を止めた。


「何?何なのよ、この声?」


 怯えたように辺りを見回すキュアリス。

 俯いていたライラが凄い勢いで顔を上げ、彼女と他の二人を見比べた。


「あなた達も、聞こえるの……?」


 声が震えている。

 自分達よりも怯えているようなライラに、三人はそろって視線を向けた。するとまた、あの声が聞こえてくる。


《当然よぉ。聞こえるようにしたんだから》


 今度はどこから聞こえてきたのかすぐにわかった。真正面だ。ライラと、三人の丁度真ん中。誰もいないのに、そこから声が聞こえてくる。

 ぐにゃりと空間が歪んだ。


「はぁい、ラ・イ・ラ」


 何もなかったその空間から、無理矢理次元を割って現れたのは。


「トパレイズ」


 苦り切った表情でその名を呼ぶ。かつては自分付きだった女官の名を。

 少し丸っこい、美人と言うよりは可愛らしい顔つき。厚めのパッツン前髪がより可愛らしさを強調する。けれど今の彼女が纏っている雰囲気は、紛れもなく禍々しいもの。

 こちらも思わず微笑みたくなるような、あの愛らしい彼女はどこにもいない。


「何で、トパレイズが……?」


 呆然と呟いたキュアリスの声が聞こえたのか、トパレイズはくるりとそちらを振り返った。つかつかと歩み寄って、自分より少し高めの視線に合わせる。


「キュアリス!」


 真っ青になったライラはベッドを飛び降り、キュアリスの腕を取りヒルトーゼの方へ押しやった。


「キューアも、ヒルも、ましてやヴァイネル陛下には何の関係もないでしょう。手を出さないで」

「関係ないはずないでしょぉ?」


 ポンとライラの肩を押して、ベッドに座らせる。そして上から見下ろして言った。


「二人はライラとカルスに仕える者達。そして、ハリシュア国王もすでに、ライラとカルスに深く関わっている。関係大ありよぉ?」


 ライラだけを不幸にしたいんじゃない。その対象にはカルスも含まれている。二人に仕える者、二人に関わった者。総ては二人の不幸の為に。


「それにねぇえ?みんな知りたがってるじゃない。あなたが話し辛そうだから、私が代わりに教えて上げるって言っているのよ。感謝して欲しいくらいだわぁ」


 周りを巻き込めば、それだけライラは苦しむ。それがトパレイズには幸せだった。

 ギルアで一番幸せな二人。それが何より気に入らない。


「いーい?よーく聞いてね?」





「まずは私の事をお話して差し上げる」


 そう言うと、トパレイズはふわりと宙に浮いた。驚いたキュアリスがライラの服を掴むと、楽しそうに瞳を細める。


「見ての通り、私は魔法使い。けれどライラの連れてるシアンとか言うのとは違う。私のは白魔法よ」


 龍が使う純粋な魔法が白魔法。けれどもそれは人間が使う事は出来ない。

 そんな説明をカルスから受けていただけあって、みんな疑問顔だ。

 もちろんそうなる事はトパレイズにもわかっていた。だからすぐにもう一つの説明を始めてやる。


「白魔法の例外的な使い手。それが私を含めた、『龍の巫女』と呼ばれる者達」

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