第2話 朝宮夢子は死にました

『――二人で英雄になるのも悪くないんじゃない?』


「ちょっとすみません」


 薄暗い部屋の中、少女は口元をハンカチで押さえながら腰をくの字に曲げて座席をすり抜け、重い扉を開いてロビーに出る。

 甘いポップコーンの匂いが鼻を刺激し、それが吐き気を増長させた。


「気持ち悪い……」


 すぐさまトイレに駆け込み、個室の便器にしゃがみ込んで吐いた。

 グロテスクな描写があったわけではない。過去のトラウマがよみがえったからだ。

 何故だろう。同じなのは、服装や敵の造形ぐらいの筈なのに。

 吐き気は、朝食をすべて絞り出し、透明な胃液だけになってもしばらく続いた。

 随分と長い間、こもっていたらしい。

 トイレから出ると、ロビーは報道陣と鑑賞を終えた人々であふれていた。


「今回、実際の北極奪還作戦ほっきょくだっかんさくせんが題材という事もあり、先行鑑賞チケットの倍率は四百倍を超えていましたが――」

「鑑賞者の中には、あっ、目に涙を浮かべている人の姿も見受けられますね」

「史実では総勢四十三名の魔法師、魔法少女が北極、南極の奪還に選抜されました。日本からは朝宮夢子あさみや ゆめこさんが北極攻略組に選抜され、尊い命と引き換えに大きな戦果を挙げたとされています。今回の映画は英国の英雄、青の聖女ことティナ・ミュロート・ガネットを主人公に据えていますが、日本の英雄がどれほど劇中で活躍したのか。予告にもしっかりとその姿は登場していたので、気になる所です。それでは早速、感想を聞いてみたいと思います!」


 このインタビュー合戦が終わるまではトイレに隠れていた方がよさそうだときびすを返す。しかし。


「そこの貴方、もしかして朝宮渚あさみや なぎささんですか?」

「いや、私は」


 違う、というより先に喧騒がピタリと止み、視線が集中する。


 しくじった。


「英雄、夢子さんの妹さんもお忍びで試写会に参加されていたようです。是非、映画の感想を一言」


 断る暇もなく突き出されるマイクの群れに取り囲まれ、たじろぐ。


「いい、映画だったと思います。皆が、姉を、知る……戦いの悲惨さと過酷さを知って貰える、共感してくれると嬉しいです」


 虚を突かれたにしてはまずまずの回答だと自画自賛するが、これで質問が止む筈が無かった。


「今日は命日でもありますが、夢子さんはどのようなお姉さんでした?」

「優しい、自慢の姉でした」

「渚さんも一時は適性を見出されて魔法少女の道を志したとお聞きしましたが」

「自分は姉と違って適性が高くなかったので、あの戦いには直接参加していませんし、もう適正も衰えていますから」

「この後、お墓参りを?」

「どうでしょう、ね」

「映画での活躍はどうでしたか? 演じられた方はご存知ですか?」

「いや……」

「日本でのロケシーンもあったと聞きますが、実際に行かれましたか?」

「今、天国のお姉さんに送りたい言葉は?」


 ああ、ダメだ。

 矢継ぎ早に繰り出される質問の意味がだんだん分からなくなってくる。

 フラッシュが眩しい。目が回る。また、吐き気が。


 平衡感覚へいこうかんかくが薄れて体がふらつき、後ろに倒れそうになった。

 その背中に、そっと誰かの手が添えられた。


「皆さん、彼女への質問はその辺に。創作とはいえ、肉親の死を見たんですからショックもあるでしょう」


 渚とマイクの間に割って入ったのは、群青色のスーツを身に纏った女性だった。

 その凛々しい顔はよく知っている。

 この先行上映のチケットを送って来た張本人。

 報道陣は突如割って入った女性に対して一瞬怪訝けげんな表情になったが、それも一秒に満たない間だけ。


「これは、相模麻耶国家特異災害防衛局長さがみ まや こっかとくいさいがいぼうえいきょくちょうですね。是非、映画の感想を――」

「素晴らしい映画でした。少し移動しながら話しましょうか? 皆さんの邪魔になりますし」


 そう言って麻耶は周囲の視線を一瞬で自身に引き付け、『またあとでね』と渚を逃がして颯爽と歩き始める。


「史実に基づいた正確な解釈がされていて、とても素晴らしい映画でした。ええ、夢子の活躍も多く描かれていましたし、中でも一番うれしかったのは魔法師、魔法少女の苦悩や葛藤が非常に上手く描かれていた事ですね。はい、私も元魔法少女ですし。皆さんは華やかな面しか報道で知らないと――」

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