第9話:後輩のおっぱい、差押えてみる?

 天野さんにはかつて「私の家でヌードデッサンしませんか?」と誘われたことがある。

 だからてっきりご両親は共働きで、この時間帯にはまだ仕事に行っているものだとばかり思ってた。

 

「え? 私は専業主婦ですよ?」


 ところが天野さんのお母さん・羽音さんの口から意外な真実が明らかにされる!

 てか天野さん、君、お母さんがいる家でヌードデッサンをやろうだなんて大胆にもほどがありすぎない!?

 良かった。あの時に承諾なんかしなくてホント良かった。

 

「それよりも私の質問! ねぇ、しずくちゃんのおっぱいはもう揉んだの? どうなの? 答えて、俊輔くん」


 もっとも天野さんも天野さんなら、そのお母さんもお母さんだ。

 初対面の年頃の男の子に自分の娘のおっぱいを揉んだかどうかなんて訊くかね、普通。

 

「いえ、揉んでないッス」

「本当?」

「本当ッス」

「本当の本当に?」

「本当の本当の本当ッス」


 ずずいと顔を寄せてくる羽音さんの眼力に負けちゃダメだと、その目をじっと見つめ返して答える。

 もしここで視線を逸らしたらきっと更なる追及を受け、揉んではいないものの何度も見ていることを白状せざる得ない状況に追い詰められてしまうだろう。

 そうなれば俺はもうおしまいだ(何がおしまいなのかはよく分からないが)。

 

「……ふぅ」


 どれぐらいそうやって見つめあっていたことだろう。羽音さんがひとつ溜息をついた。

 

「なぁんだぁ。しずくちゃんが家に連れてくるものだからてっきりそうだと思ったのにィ」


 と、いきなり緊張を解き、そのまま床にごろんとひっくり返った。

 

「ええっと、天野さんのお母さん?」

「もう、しずくちゃんったら何をやってるのかしら。いっつも先輩先輩って嬉しそうに話してるのに、まだ揉ませてないなんて。私なんかパパと会ったその日のうちに揉ませたわよぅ」

「うええ? ちょ、ちょっと?」

「俊輔くんも俊輔くんです。しずくちゃんのおっぱいを揉まないなんて、それでも男なの? それとももしかして女の子より男の子の方が好きな人なの?」

「ぶっ! そんなわけないでしょう! 俺はノーマルです!」

「だったら早くしずくちゃんのおっぱいを揉みなさい。そして私たちを安心させた後は出来る限り早く孫の顔を見せて頂戴よぅ」

「は? 孫?」

「そうよぅ。うちの家に生まれた女の子は『初めておっぱいを揉ませた人と夫婦めおとになる』って掟があるんだから」


 ……なんだと?

 

「その掟のおかげで女学生時代の私がどれだけ大変だったか。それこそ電車の中で痴漢にあっておっぱいを揉まれたら、最悪その人と結婚しなきゃいけないのよ? そんなの嫌すぎじゃない!」

「そりゃそうですね」

「しずくちゃんにはそんな苦労はかかせたくないの。だから子供の頃から『この人だって思う男の子がいたらおっぱいを揉ませなさい』と口酸っぱくして言ってきたわ」

「マジですか?」

「なのに小学生の時は全然男の子に興味がなくて。でも中学に上がった途端、先輩先輩っていつも嬉しそうに話すもんだから、ああ、これは間違いなく揉ませたなと思ってたのに……」


 ううっと前のめりに崩れ落ちる羽音さん……と思ったら急にガバっと起き上がって、また俺の目を見つめ返してきた。

 

「俊輔くん、お願いだから今すぐしずくちゃんのおっぱいを」

「すみません、勘弁してください」

「なんでよー!? しずくちゃんのどこが気に入らないの?」

「いや、気に入る気に入らないじゃなくて、さすがにその、おっぱいを揉んだら結婚って話に付いていけなくて」


 別に天野さんとそういう仲になるのが嫌だと言う訳じゃない。むしろそうなりたいと思ってる。

 だけどこういうのはお互いの気持ちが大事なわけで。そんな掟の為におっぱいを揉んで恋仲になるっていうのは、なんというか違うように――。

 

「俊輔くん、もしかしてしずくちゃんに好かれているかどうか自信がなかったりする?」

「え?」

「だったら大丈夫よ。あの子、どうにもそういうのに疎いから自覚はないかもしれけれど、それこそ毎日先輩先輩って俊輔くんの話をするのよ? そんなの、絶対好きに決まってるじゃない!」

「いや、それはですね」


 言いかけたものの、どう説明していいのかわからなくて止めた。

 まさか俺の才能とやらを見たくて、自分から服を脱いじゃってますとか死んでも口に出来んし。

 

 それに口を急に閉ざしたのにはもうひとつ理由がある。

 ふとその可能性に気付いてしまったんだ。

 今まで天野さんが俺に執心するのは、俺の才能を見抜き、それをもっと見たいからだと思っていた。

 だけど本当は俺の才能なんて見えていないのだとしたら。

 今まで天野さんが言ってきたことは全てウソで、本当は母親の言いつけを守り、一目惚れした人におっぱいを揉ませて恋人をゲットするためだったとしたら。

 俺におっぱいを揉ませるために、ヌードデッサンなんてものをやっているとしたら。

 

 俺はそんな天野さんのおっぱいを揉めるか?

 

 まぁ、仮にこれまでのことが全てウソだとしても、そこまでしてくれるのだから好きなのは間違いないだろう。それは素直に嬉しい。

 が、だからと言って俺がそれでも天野さんを好きでいられるかは、正直自信がない。

 そんなことはありえないと心の中の俺が声高に叫んでいる。でも、一度浮かんだ疑惑は真っ白な紙に落とした一滴の墨汁のように消えることなく、じんわりと無垢な心を侵食していった。

 

「母親の私が言うのもアレだけど、しずくちゃんは本当にいい子なのよ?」

「……え?」


 不意に羽音さんの口調が、当初の穏やかなものに変わった。

 

「あの子はいつだって目の前のことに必死なの。まぁ必死過ぎて周りがよく見えなくなるのはあまりよくないけれど、そこに何の裏表のない純粋さがしずくちゃんのいいところ。それは俊輔くんにも分かってほしい」

「……はい。そうですね」


 そうだ、そうだよな。あの天野さんに限って、後ろめたい企みなんかあるはずがない。

 てか、仮に自分のおっぱいを揉ませるのが目的なら、これまでにも何度だってチャンスがあったはずだし、そもそも俺が裸になる意味が分からん。

 まさか俺のチンチンを握っても恋人成立ってわけでもないだろうしな。


「今だって俊輔くんが大きくなるようにって、頑張って作ってるんだから」


 あ、そう言えばすっかり忘れてた。天野さんの家にやって来たのって、俺の背を伸ばす為だったっけ。

 羽音さんがいきなり「おっぱい揉んだか?」なんて訊いてくるものだからすっかり忘れてたわ。


「えっと、作るって一体何を?」

「ミルクよ」

「……は?」

「だから、み・る・く」


 …………はい?

 

「いつもは私が作るんだけど『先輩のは私が作る!』ってしずくちゃんが言ってね。はりきってたわぁ」

「え? え?」

「しかも俊輔くんの為を思って作るんだから、すっごく濃いのを作ってると思う」

「え? え? え?」


 ちょ、ちょっと待って。ミルクとか、作るとか、濃いとか、それってまさか……。

 

「せんぱーい、お待たせしましたー!」


 そこへバーンと扉を思い切り開けて、天野さんが何やら白い液体の入ったビールジョッキを持ってやってきた。

 

「これです。これぞお婆ちゃんから伝授された秘伝成長ミルクですよ!」

「ああ、うん……」

「さぁ、ぐいっとどうぞ。作りたてが一番おいしいですから!」


 そ、そうなのか? さすがにそんな昔のことは覚えてないわー。

 天野さんからジョッキを受け取り、つい中を覗き込む。

 真っ白い液体。表面が泡立っていて、いかにも絞りたてって感じでもある。


「どうしました? 美味しいですよー」


 なかなか飲もうとしない俺に声をかけてきた天野さん。その胸元をちらっと見やる。

 うん、心なしかいつもより小さいような気がしないでもないような……。いや、でもまだ中一だぞ。だけどあの大きさは確かに可能と言えば可能なような気もするし……。

 

 ああ、もう何が何だか分からん! いいや、別に毒ってわけでもないし、むしろ命の輝きの雫だし、ここは男・中林俊輔、天野さんのミルクありがたくいただかせていただきます!

 

 天野さんと羽音さんが注目する中、俺は手にしたジョッキを口に近づけ、傾ける。


 ゴクッゴクッゴクッ。

 

 一気に三分の一ほど飲みこんだ。

 

「先輩、どうですかお味の方は?」

「……あ、うん。プロテイン入れた?」

「はい。お婆ちゃんの実家から送られてきた牛乳に、プロテインをどばどば入れてみました」

「ちなみにしずくちゃんが飲む場合はきな粉を混ぜるんですけどね」


 羽音さんがニマニマと笑いを堪えるような表情で俺の顔を覗き込んできた。

 このお母さん、途中から俺をからかってやがったな。声のトーンを変えたことといい、俺が考えていたことを把握していたのかもしれない。

 そのうえで俺を窘め、さらにはちょっとした悪戯をしたのかもしれないな。

 

「ね、俊輔くん、しずくちゃんはいい子でしょう? こんなに俊輔くんのことを考えて一生懸命なんだから」

「そうですね」

「だからその時が来たらしっかり受け止めてあげてね」

「分かりました」


 頷くともう一度プロテインの牛乳割りを呷った。

 

「あ、先輩、そんなに勢いよく飲んだらダメですよ」


 ん、しまった、口元から牛乳が溢れて顎を伝っていく。

 何か拭く物、持ってたかな? 

 ズボンのポケットに手を入れてまさぐる。お、尻のポケットにあったあった。

 

「先輩、拭いてあげましょうか?」

「大丈夫だよ。これぐらい自分でやるさ」


 手に触れたそいつをポケットから取り出して口元へと持っていく。

 長くて、大きくて、どこか甘い匂いのするそれ。

 そうだ、羽音さんがいきなり部屋に入ってきたので思わずポケットに入れていたのをすっかり忘れていた!

 

「イヤーーーーーー!」


 すかさず天野さんの平手が俺の頬を強かに打つ。

 

 この日、俺の頬は確かに大きく膨れ上がった。

 そして三日間、天野さんは俺と口を聞いてくれなかった。

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