第5話:ヌード馬鹿後輩

「あ、あの……こんな感じでどうでしょうか?」


 天野さんがマットに膝をついてお尻をくいっとあげながら、しなやかにのけぞった上半身を前方へ倒れこませる。

 

「い……いいんじゃねぇの」


 俺は思わず声が裏返りそうになるのを必死に堪え、なんとか冷静を装って答えた。

 俺のポジションは天野さんの斜め後ろ。股がしっかり閉じられているから天野さんの大事なところは守られているものの、可愛らしいお尻はもちろんのこと、倒れこむお腹越しにはいい感じにマットに押しつぶされているおっぱいの様子まで窺うことが出来る。

 

 そう言えば女性のおっぱいとは、お尻の代用品だなんて話を聞いたことがあったな。

 四つん這いの獣にとってメスのお尻は最大のセックスアピールなんだそうだ。が、二足歩行が出来るようになった人間は、視線がお尻よりも高いところに移動してしまった。そこでお尻に変わるセックスアピールとして、女性のおっぱいが発達したんだとかなんとか。

 

 そう考えるとおっぱいとお尻を同時に堪能、もとい描写出来るこのポーズは、女性のヌードデッサンの最高位と言っても過言ではないのではなかろうか。


 ううむ、女豹のポーズ、恐るべし!


「それじゃあ、あの、もう一度お願いします」


 自分からやっておきながら、ようやく恥ずかしいポーズだと気付いたらしい天野さんが顔を真っ赤にしてこちらへ振り向いた。

 うん、実はこれ、本日二度目のヌードデッサンなんだ。

 一回目は普通に体育マットへうつ伏せで寝っ転がったもので、それはそれで堪能できた(お尻を)。

 

 が、描き上がった絵を見て天野さんが「何だか貧弱なお尻ですね」と言い出した。

 貧弱もなにも中一の女の子のお尻なんてこんなもんなんじゃないのとは思うものの、本人は納得しない。

 まぁ日頃から年不相応なものを目の前で見続けているわけだから、お尻にもそれと同じぐらいのボリュームを求めるのかもしれないけど……。

 

 でも天野さん、君、まだ下の方は毛すら生えてないんだが。

 

 それはともかく、かくして天野さんの不安を解消すべく女豹のポーズの出番とあいなったわけだ。

 お尻を上に突き出す形になるこのポーズは、勿論さっきと比べて断然ボリュームが出る。自爆ではあるが、さぞかし天野さんも満足だろう。


 もちろん、俺も大満足です、はい。

 


 

「それでは次は先輩が脱ぐ番ですよ」


 俺が描き終わると天野さんはそそくさと制服を着て、ポジションの変更を求めてきた。

 む、前回と違って今回はトイレタイム無しか。困ったな、さすがにあんなのを見せられては、今回も愚息が元気ハツラツゥなんだが。

 とは言え、ここでトイレに駆け込むのはさすがに格好が悪すぎる。

 どうする? ちょっと勢いが収まるまで待ってもらうべきか?

 

「あらよっと!」


 いや、それでは駄目だ。ここはむしろ逆の発想で、一気に脱ぐべし。

 アレは相変わらずギンギンでお腹にまで反り返っているが、今回に限ってはそれを一瞬で隠せてしまうとっておきがある!

 

「とうっ!」


 俺は素早く服を脱ぎ去ると、全裸のままマットへと飛び込んだ。

 そう、今回のヌードデッサンのテーマは尻。たとえアレが雄々しくいきり立っていようとも、スライディング気味に素早く寝転がってしまえば天野さんに見られることはない!

 

 ずささささっ!

 

「……では、始めますねってアレ、先輩どうして涙目になっているんです?」

「な、涙目になんかなってないぞ」


 勢い余って股間が激しくマットでこすれてしまい泣きたくなるほど痛かったとか、でもそれがかつてないほどの刺激をもたらして危うくイッちまいそうになったとか、そんなことはないんだからなっ!

 

 シュッ! シュッ! シュッ!

 

 しばらくすると天野さんが鉛筆を動かす音が聞こえてきた。


 この一カ月で分かったことがある。

 天野さんは決して絵が下手ではない。むしろ上手い方じゃないかなと思う。第一回目のヌードデッサンがアレだったから覚悟していたのに、いざリンゴやコップを描かせたらごく普通に描くから逆にびっくりした。

 

 どうして俺の裸だけはあんな風になっちゃったんだろうか?

 あの時は集中して描いているように見えたけれど、実は心の中で涎を垂らすほどに興奮していたのかもしれない……俺みたいに。

 

 そして、もうひとつ分かったこともある。

 天野さんは決して絵を描くのがすごく好きってわけでもないことだ。

 

 根は真面目な子だから、言われた課題にはちゃんと取り組む。だけど集中力が続かない。気が付けばうつらうつらと船を漕いでいることもあれば、何かと話しかけてきては手がずっと止まっていることもあって、とても絵を描くのが好きで美術部に入ってきたようには思えなかった。


 ホント、どうして美術部に入ってきたのだろう?

 もしかして本当に俺のことが好きなんだろうか?

 

 例の小森からの告白で俺の名前を出した件は、「好きな人」ではなくて正確には「気になる人」だったらしい。

 だから今一番興味のある俺の名前を出したと言っていた。

 まぁ、より正確に言うと「先輩の身体が気になる」という意味らしいが。

 

 でもそれは単なる照れ隠しで、本当は俺のことが……。

 

 シュッ! シュッ! シュッ!

 

 いや、やっぱりそれはないな。

 チラっと振り返ると、天野さんが一心不乱に鉛筆を動かしていた。

 この前といい、俺の裸となると何かに取り憑かれたかのような物凄い集中力を見せるんだよな、この子。

 目も何だかキラキラ輝いているし。残念ながら、普段の俺と話している時はそんなことないもんな。

 

 うーん、しかし、だからと言って、好きでも何でもない男の裸を描くためだけに入部したりするか?

 ましてや恥ずかしいであろう、自分の裸を晒してまで。

 

 となると、やっぱり考えられるのは「男の裸が描ける」という線だろうか。

 つまり天野さんはいわゆる腐女子的な趣味があって、男の裸を直に観察してスケッチすることで自分の妄想をよりリアルに紙面へ再現する能力を得ようとしているのかもしれない。

 

 うう、この瞬間にも「くっくっく。先輩、いいケツしてやがるじゃねーか」とか思われていたらどうしよう?

 

 そんなことを思いながら、俺はついさっきまで天野さんのおっぱいが押しつぶされていたマットに顔を埋めて、いつの間にかうとうとと夢の世界へ誘われていった。 

 

 

 

「……ん?」 

 

 次に目を覚ますと、辺りは薄暗い夕闇に覆われていた。

 体感的にはほんの数分程度だったんだが、実際は二、三時間ほど眠ってしまったらしい。ケツ丸出しで何やってんだ、俺は。


「さて、と。帰りますか」


 上体を起こし、両手を上にあげてぐうーっと背伸びをする。ヌードデッサンモデルなんてものをやらされて、自分でも気が付かないうちに緊張していたらしい。身体が妙に強張っていたみたいで、伸ばした筋肉が気持ちよかった。

 

 それにしても、天野さんも起こしてくれたらいいのに。

 全裸でマットの上に眠っているのを他人に見られたら、またあらぬ疑惑を抱かれてしまうぞ。

 

 シュッ。シュッ。シュッ。

 

 その時、聞きなれた音が耳に飛び込んできた。

 驚いて振り向く。


 そんなわけはない。あるはずがない。

 そう思っていたから、最初からその存在に気付けなかった。

 だってそうだろう。部屋はもう薄暗く、明かりが無ければ絵なんて描けるはずがない。


 それなのに振り返ったその先には、明かりも付けず、おはようございますの言葉もなく、ただひたすら黙々と、鉛筆を紙面に走らせる天野さんがいた。

 

「ちょ! 天野さん、何やってんだよ!」

「……え?」


 慌てて呼びかけると少し間を置いて、天野さんが顔をあげた。

 ぽかんとした表情で俺を見つめ返してくる。

 

「あ、あれ? いつの間にこんなに暗く?」


 そしてびっくりしたようにアホ毛を揺らし、辺りをきょろきょろ見回し始めた。

 信じられないけれど、まさか日が暮れた事にも気付かないほど集中してたって言うのか?

 

「……絵、ちょっと見せてくれ」


 手早く服を着ると、俺は天野さんに近づいた。

 

「はい……あ、でも、ちょっとこれは……」


 天野さんが躊躇う。

 珍しいな。普段なら絵を見られるのを嫌がらないのに。

 

「すまん。もしかして前にヌードデッサンした時のことを気にしてるのか?」

「え?」

「ほら。俺、思わずブタみたいな声を上げて驚いちゃったから」

「ああ、そんなこともありましたね」


 天野さんが言われて思い出したとばかりに首をかしげて微笑んだ。


「あれ? 気にしてない?」

「はい、全然。あの後、ちゃんと謝ってくれましたし、先輩って優しいなって」


 天野さんってマジで天使かよっ!?

 

「だったら今回はなんで?」

「それはその、自分でも改めて見ると引くというか……。その、すっごく集中してたので、自分でもこんな絵になっているとは思ってもいなくて」


 自分で自分の絵に戸惑う天野さん。

 それでも恥ずかしそうにこちらへ絵を見せてくれた。

 

「…………」

「あうううぅ。なんか言ってくださいよぅ、先輩」

「…………」


 天野さんが困っている。

 それでも俺はその絵を前に何も言えなかった。

 

 何度も何度も引かれた線。

 何百、何千、何万という線が、紙面を一片の余白も許さず真っ黒に染め上げていた。

 一体どれだけ集中したら、こんなことが出来るんだ? 俺にはとても想像できない。

 しかも俺が呼びかけたから、天野さんは絵を描くのを止めたんだ。もし俺があのまま眠っていたら、彼女はいつまでも鉛筆を動かし続けたことだろう。

 

 天野さん、君って一体何者なんだ?

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