第10話
「お、おい! アンタら、まさかとは思うが三人でこの先へ進もうと思っちゃいないよな」
呼び止める声に振り返れば、そこにいたのは恰幅の良い冒険者だった。
見れば複数人のパーティを組んでいるらしく、彼の仲間達も俺達を見て眉を顰めていた。
俺達が今から向かおうとしている場所を考えれば、その反応も無理はない。
ただ、呼び止められた晄は真顔で首を傾げている。
「そのつもりだけど?」
「悪いことは言わねえよ、引き返しな。まだ命が惜しいならな」
「ってことはこの先が、話に聞く……。」
「エルダー・ガーターが守ってる祭壇だ。その人数でどうこうできる相手じゃない。諦めろ」
言葉遣いは粗暴だが、彼の人の好さが透けて見える物言いだった。
戦闘の冒険者に続いて、後ろの冒険者達も頷いている。
このダンジョンに入っている時点で、彼等もシルバー級以上の冒険者であることは確定している。
そんな冒険者達をしても、この先にいる魔物は恐れるべき相手なのだろう。
ただ俺達も事前に調査した上でこの場所に足を運んでいる。
冒険者達の気遣いに感謝しながらも、奥へ進むことを選ぶ。
「あぁ、少し様子を見たら引き返すよ」
「たった三人でか?」
冒険者の言う通り、今回の編成は俺と晄とサジェットの三人となっている。
しかしながら晄は冒険者の言葉を聞いて、鋭く返した。
「二人よ。アタシとレイゼルの」
同行するサジェットがそれほど気に食わないのか。
晄は初めてサジェットと顔を合わせた時と同じように不機嫌なままだった。
戦闘に関しては支障が出ていないので強くは言えないが、少なくとも依頼主に対する態度ではない。
今さら俺が何か言ったところで晄が自重するとは思えないが、それでもいつサジェットの機嫌を損なうか、不安で仕方がない。
俺ができる事と言えばいち早く調査を終わらせて、いち早く地上に戻る事だけだ。
「そ、それじゃあ、先に行くぞ」
今回の目的は聖域の一角を守る古代の番人。
幾人もの冒険者を屠ってきた岩石の巨人、エルダー・ガーターだ。
◆
「エルダー・ガーター?」
その名前を初めて聞いたのは、教団から依頼を受けて戻ってきた翌日。
再びエンリーの元を訪ねた俺達は、彼女の口からその名を聞かされていた。
なんでも聖域を探索する上では欠かせない、最重要の問題だという。
「聖域の探索が進んでいない一番の要因とされているのが、このエルダー・ガーターの存在なんです。古代技術で作られた鎧を身に纏った巨大な石像なんですが、このエルダー・ガーターによって葬られた冒険者の数は三桁にも及ぶとされています」
例外も存在するが、冒険者は基本的に五人組でパーティを組む。
つまりそのエルダー・ガーターによって単純に20パーティは壊滅させられている計算になる。
それも精鋭と呼ばれるシルバー級以上の冒険者パーティが。
ただそれだけを聞いても、エルダー・ガーターがどれだけ凶悪な魔物なのかがうかがえた。
「でも、そこまで凶悪なら対処法とか考えられてそうな物だけれどね。支援機構はなにをしてたの?」
「勿論、我々も冒険者ギルドと協力して対処方法を模索しています。ですが相手はアーティファクトで武装したアーティファクトですから。魔法や物理攻撃にとことん強くて、歯が立たないんです。それに場所が場所なので……。」
「そうか。ダンジョンの内部で派手な戦闘は避けたいわけか」
「そうですそうです。ダンジョンが崩落してしまえば元も子もありませんからね。それが余計に攻略を難しくしている有様でして」
考えてみれば当然な事だが、古代の地下遺跡であるダンジョンの内部は非常に脆くなっている。
話に聞くエルダー・ガーターが暴れまわれば、ダンジョンにどれだけの被害が出るかは想像に難くない。
加えて強力な魔物を仕留めるのにも大規模な魔法やアイテムが必要になる。
それらが重なれば、間違いなくダンジョンは崩落してしまうだろう。
ただ、隣に座っていた晄は話を聞いて鼻で笑う。
「つまり手早く仕留めればいいんでしょ。イラついてたから、ちょうどいいわ」
紅茶を飲み干し、カップをソーサーに叩きつける光を見て、エンリーが身を乗り出して小声で問いかけてきた。
「レイゼルさん。事情が拗れる前に、男性の方から謝るべきですよ。ただでさえ晄さんは物騒な刃物を持ち歩いてるんですから」
「何を勘違いしてるのかわからないが、俺が怒らせたわけじゃない。教団の優男と顔を合わせてからずっとあの調子なんだよ」
「教団の優男? もしかしてサジェット・レスクルのことですか?」
「もしかして、知ってるのか?」
「えぇ、ある意味で有名な方ですからね。私の同僚でも知らない人はいないと思いますよ」
思わぬ繋がりに驚くが、考えてみれば二人が知り合いでもおかしくはない。
エンリーは支援機構で働く職員で、サジェットは協定を結んでいる組織の一員だ。
加えて敏腕と自称するエンリーなら知っていて当然であろう。多分。
ただサジェットの名前を出した当人であるエンリーの表情は優れない。
晄もサジェットの名前を聞き、不機嫌そうに声を荒げた。
「あの男の顔、どこかで見た覚えがあるのよね。それにあの雰囲気。ずっと嫌な胸騒ぎがしてる」
「見覚えがあるというのは、たぶんノーゼリア諸島の吸血鬼ですよね」
あまりに物騒な一言に、晄は動きを止める。
それどころか、俺もすぐには反応できなかった。
「……冗談でしょ」
「一時期は噂になりましたよ。あのサジェットはうら若き乙女の鮮血を浴びる様に飲む、吸血鬼の如き『人間』だと」
「ま、待てよ。それはつまり、サジェットは特殊性癖を持った大量殺人鬼ってことか!? なんでそんな奴が野放しになってるんだよ!」
「落ち着いてください、あくまで噂です。なにも確証のある話じゃないんです」
ノーゼリアの吸血鬼の噂であれば、俺でも知っている。
いや、知っていると言うよりも、嫌でも耳に入ってきたと言えばいいか。
温暖な気候で知られるノーゼリア諸島を恐怖に陥れた連続殺人鬼。
数年前、とある街で若い女性を狙った大量殺人が発生した。
被害者には大量の切り傷が残っており、血液の殆どが抜き取られていた。
人々は血眼でこの猟奇殺人の犯人を探し出そうとしたが、成果は得られなかった。
結局は怪しき者は全員処刑するという最悪の方法で対処した。
しかし犯行は止まらなかった。
いつしか犯行は吸血鬼の仕業だと言われ始めた矢先。
突如として惨劇は終わりを告げた。
一説によれば被害者の女性が、死ぬ間際に犯人の情報を書き残したためと言われている。
だが言われているだけであり、犯人が実際に捕まったという話は聞こえてこない。
その犯人と呼ばれる男がこの場所にいるとなれば、気が気ではない。
しかし晄は落ち着き払った様子で、エンリーに質問を続ける。
「あの男による被害は出ていないの?」
「今の所はなんとも言えません。ダンジョンの中で死傷した冒険者を確かめる術はないので。ですがこの区域で、変死したという女性は未だに居ません」
「さ、さすがに人違いなんじゃないか?」
「噂が流れてきた当初は話題になりましたけど、今ではそう考える人の方が多いですね。顔もよくて人当りも良い青年ですから、暗い噂はすぐ消えるんです。今じゃあ人気者なんですよね、彼」
誰かのひがみで、あらぬ噂を流されたのではとエンリーは話す。
俺としてもそうであってほしい物だが、今の話を聞かなかった事にはできない。
万一の可能性であっても、殺人鬼を伴ってダンジョンに入るなどごめん被る。
「これからどう接すればいいんだよ。依頼を受けたばっかりだぞ」
「でもレイゼルさんは晄さんと同程度の実力者なんですよね? ならサジェットが襲ってきても簡単に対処できるんじゃないですか?」
「まぁ出来なくは、ないだろうな。サジェットが昨日の模擬戦で手を抜いていたければの話だが」
「なら安心してくださいよ。それにサジェットが吸血鬼だとしても、狙われるのはうら若き少女なんですから、なおさらレイゼルさんには関係ないじゃないですか」
笑いながら言い放つエンリーだったが、俺は到底笑える気分ではなかった。
俺は大丈夫であっても、晄は標的になる可能性がある。
加えて殺人鬼かもしれない人物に背中を預けて戦わなければならないのだ。
ダンジョンに入り、目的のアイテムを見つける。
そんな単純明快な事だというのに、簡単には進まない。
小さくない不安を抱えたまま、俺達はダンジョンへと足を踏み入れる事になるのだった。
◆
祭壇に入った瞬間、冒険者達の懸念が決して大袈裟でないことは、瞬時に理解できた。
円形状の巨大な空間の中心に佇むのは、見上げる程の、という言葉すら生温い巨像。
武器だけで俺達の何倍もありそうな、岩石の番人だ。
「話には聞いてたが、さすがにでかいな」
盾とハルバードを持った巨像は、俺達の存在を視界に捉えた瞬間に立ち上がる。
巨体故に動きは緩慢だが、それを補って余りあるほどの武器と手足の長さ。
道理で何人もの冒険者が敗れる訳だ。
こんな巨大な相手となれば、仕留める想像すら難しい。
ただ隣からいつもと変わらない調子の声が上がった。
「レイゼル、やるわよ」
「あぁ。サジェットは入り口付近で待機していてくれ。巻き込まれる可能性がある」
「わかっています。どうかご武運を」
件のサジェットはエルダー・ガーターを見上げたまま、ゆっくりと後ずさっていた。
安全な場所に退避させるという意味もあるが、俺達の周囲にいて欲しくはなかったというのが本音だ。
さすがに殺人鬼と噂のある相手を背中にして戦うのは気が散る。
ただこれだけの距離を取れば、サジェットを気にせず目の前の敵とも戦えるだろう。
背後の懸念が無くなってすぐ、晄は俺より前へと歩み出た。
その久しぶりの感覚に、思わず口元が緩む。
「こうして並ぶのは久しぶりだけれど、覚えてるわよね」
「お前が前で、俺が後ろだろ」
「上等」
晄は笑みと共に牙を剥く。
俺の六華に比べて、晄の刀は非常に攻撃的な能力を持つ。
お師匠が、刀は持ち手を選ぶと言っていたが、まさしくそれを体現していた。
そして初手は、晄に譲るのが俺達の中での古い取り決めだった。
「お先にどうぞ、お嬢様」
「あら、ありがとう」
ふざけたやり取りを経て、晄は一息に刃を抜き放った。
「散れ、緋桜」
抜き身となった刀身から熱波が広がり火の粉が舞い散る。
緋色の刀身を持ち、晄を緋色の剣聖たらしめる妖刀、緋桜。
周囲の魔力を際限なく食らい尽くし、自ら纏う炎へと変換する、超攻撃型の刀剣だ。
舞い散る火の粉の中で晄は、エルダー・ガーターを見上げて、嗤う。
「さてと。さっさと片付けましょうか」
炎を纏った妖刀を片手に、緋色の剣聖が踏み込む。
そして緋色の一閃が、エルダー・ガーターに襲い掛かった。
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