俺が育てた義妹が小悪魔可愛い 5

 降りしきる雨の中、出撃の準備が出来た騎士だけを率い、馬でマイラの家へと駈ける。彼女が亡くなったのは、雨の日だったという情報の意味を理解したからだ。


 雨なんて年間で百回くらいは降っている。だからこそ、俺はその情報を重要視していなったのだが……シャロが処刑された日のことを思い返して気が付いた。

 あの日は雨が降っていたと後で語るのは、よほど印象的な雨の場合だけだ、と。


 今日がマイラの亡くなる日だとは限らないが、今日の雨は取り分けて強い。もし今日マイラが亡くなったとしたら、人々はマイラが雨の日に死んだと口にするだろう。


「ノエル様、お止まりくださいっ、先行するのは我々にお任せください!」

「ダメだ! 事は一刻を争う可能性がある。現地に着き次第マイラとその家族を保護。その上で後続を待つ。マイラ達の保護が最優先だと全員に通達しろ!」


 馬を全力で走らせながら自分の愚かさを叱咤する。もう少し早くマイラが強い雨の日に亡くなる可能性に気付いていれば、もっと上手く対処することが出来たのに――と。


 いや、いまは悔やんでも仕方ない。

 最悪の結果にだけはなってくれるなよと願うが、見えてきたあばら屋の扉は破壊されている。俺は馬から飛び降り、そのまま家の中へと踏み込む。


「中に入る、ついてこい!」

「ちょっ、先に入るのは我々の役目です――って、あぁもうっ! ホントに人の話を聞かない主様だなっ! 半数は裏へ、残りはノエル様に続けっ!」


 クルシュが文句を言いながらも、即座に味方を率いて追い掛けてくる。このわずか数日で、ずいぶんと俺のやり方に染まったようだ。

 心強く感じながら、家の中へと踏み込んだ。


 恐れていた待ち伏せはなし。ただし状況は考えうる中で最悪。倒れた子供達を庇い、ブラウンベアと相対するマイラが血まみれになっていた。

 いままさに、ブラウンベアが鋭い爪を振り下ろそうとしている。俺はとっさに飛び出し、魔獣の腕に一撃を入れた。苦痛のうめき声を上げたブラウンベアが後ずさる。


「クルシュ、そいつは任せたっ!」

「お任せをっ!」


 クルシュがブラウンベアを仕留めるべく斬り掛かる。それを見届けることなくマイラのもとへと駆け寄った。俺に気付いた彼女は、緊張の糸が切れたようにへたり込んだ。

 彼女の身体には大きな傷痕があり、全身が血まみれである。


「しっかりしろ、マイラ!」

「……ノエル、様。子供、達は……?」


 ちらりと子供達に視線を向けると、子供達の容態を確認していた騎士が、意識を失っているだけだと口にした。


「無事だ、おまえが護ったおかげで怪我一つしていない」

「……そう、ですか。よかっ……た」


 ふっと事切れたように、マイラの身体から力が抜け落ちる。その光景にひやりとさせられるが、どうやら意識を失っただけのようだ。

 だが出血はいまも続いている。処置しなければ死んでしまうのは明らかだ。


「ノエル様、魔獣は片付けました、次の指示をっ!」

「よし、誰かアイシャを呼んでこい。応急手当を出来るヤツは止血を手伝え! 残りの者は周囲の警戒だ! 他の魔獣がいないとも限らない、二次被害を起こすなよ!」

「はっ! 聞いたとおりだ。おまえとおまえは周囲の警戒だ。俺が彼女の止血をする。それと、おまえがアイシャ嬢を呼んでこい!」

「その必要はありません」


 クルシュの指示に割って入ったのはアイシャ――だが、薄手のワンピース姿の上に、ずぶ濡れになっていて、薄手のワンピースが身体に張り付いている。


「ぜ、全員後ろを向けっ! ア、アイシャ、おまえ、なんて恰好をしてるんだ!?」

「一刻を争うと判断しました。退いてください、私が止血いたします」


 慌てふためく俺達を他所に、アイシャはマイラの傷口の確認を始める。その傷の深さに舌打ちすると、すぐに治癒魔術を発動させた。



 その後も、状況はめまぐるしく変化した。

 治癒魔術で傷を塞ぐことは出来ても、失った血や体力は取り戻せない。そのために、アイシャの要請によって町医者を呼び寄せ、治癒魔術で治しきれない部分の対処をさせる。


 そうして、戦場のように忙しかったのが少し前。俺はマイラの家のリビングで休憩を取っていた。そこへ、残りの騎士を伴ってやってきたシャロが不安げな顔で歩み寄ってくる。


「ノエルお兄様、マイラはどうなりましたか?」

「さきほど意識が戻って、いまは子供達と話している」

「では、助かったのですね」


 シャロが表情を輝かせるが、それに反して俺は目を伏せた。それに気付いたシャロは「助かったのでは、ないのですか?」と長いまつげを震わせた。


「……アイシャと町医者が揃って、今夜が峠だと言っていた。血を流しすぎたのが原因で、身体の機能が低下しているらしい。だから、子供達の面会を許したんだ」

「そう、ですか……助かると、良いですね」


 その言葉には応えず、俺は唇を噛んで項垂れた。


「……お兄様?」

「俺がもう少し早く気付けば、こんなことにはならなかった」

「お兄様……」


 弱音を吐く俺の手をシャロが掴んだ。

 直後、手のひらにふにょんと柔らかな感触が触れた。なにかと思って顔を上げると、シャロは自分の膨らみかけた胸に俺の手を押し当てていた。

 ……って、は?


「なっ、なにをしてるんだ!?」


 慌てて手を振りほどく。どう考えても侯爵令嬢のすることではないのだが、シャロはまったく悪びれた様子もなく、にへらっと無邪気に笑った。


「殿方は落ち込んでいるとき、女性のおっぱいを揉むと元気になると聞きました。どうですか? 少しは元気が出ましたか?」

「誰だ、シャロにそんなことを教えたのは! 俺じゃないぞ!?」

「本に書いてありました」

「……おまえは、一体なんの本を読んでるんだ?」


 シャロの知識が色々と疑わしくなってきた。今度検閲をした方がいいかもしれない。


「とにかく、二度としないように」

「はぁい」


 調子よく頷いているが、言うことを聞くつもりのない顔である――と、たしかめるまでもなく、今度は胸に抱き寄せられた。柔らかな温もりが俺を包み込む。

 とくん、とくんとシャロの鼓動が聞こえてくる。そのリズムに安堵する――


「――って、だから!」


 振りほどこうとするが、今度は離してくれない。

 シャロは俺をぎゅっと抱きしめたまま、子供を諭すように話し始めた。


「お兄様はなんでも自分で背負いすぎなんですよ。今日マイラが魔獣に襲われるなんて、誰にも予知できないのだから、そんな風に自分を責めるものじゃないと思います」

「……そう、だな」


 普通ならそう考えるのが当然だ。

 だが、マイラは雨の日に亡くなるという未来を俺だけが知っていた。彼女の未来を変えられるのは俺だけなのに、自分の持つ情報を軽視してしまった。

 絶対に犯してはいけないミスだ。


「――お兄様、まだ自分のせいだと思っていますね? そんな調子だと、ずっとこのままですよ? あ、それとも、わたくしの胸にずっと埋もれていたいという意思表示ですか?」

「そんな訳あるかっ!」


 シャロの両腕を掴んで引き剥がす。今度はあっさりと引き離せた。


「シャロ、さっきも言ったが、そういうことをするんじゃない」

「お兄様に倣っただけです。それに、お兄様は元気になったようですよ?」

「……衝撃で色々吹っ飛んだだけだ。と言うか、お兄様に倣ったってなんだ。俺はこんなことした記憶はないぞ」

「えぇ……」


 物凄く呆れた顔をされた。なんだよと問いただそうとするが、そこにノックがあって、アイシャが入ってきた。どうやら、マイラが俺との面会を求めているらしい。


「彼女と話しても大丈夫なのか?」

「あまり大丈夫とはいえません。出来るだけ手短にお願いします」

「……分かった」


 一人で向かった方がいいだろうと立ち上がる。だが、一人で向かおうとした俺の手をシャロが握った。どうやら、自分もついていくと言いたいらしい。


「シャロ、いまは――」

「決して邪魔はいたしません。横で見ているだけです」

「と言われても……」


 マイラの容態を知っているアイシャに視線を向けると、彼女はこくりと頷いた。それならばと、俺はシャロを連れて寝室へと向かった。



 マイラの寝室。

 視線で町医者に席を外してもらい、代わりにアイシャについてもらう。シャロは宣言通り口を出すつもりはないのか。入り口付近に控えて壁の花となる。

 いや、アイシャに部屋の換気がどうのと指示を出している。それにどういった意味があるのかは分からないが、書物で読んだ知識かなにかを伝えているのだろう。


 ……胸を揉ませたら男が元気になるなんて書いてる本の知識が当てになるんだろうか? なんだか不安になってきた。いや、それと同じ本の知識かどうかは知らないが。


 ひとまず、その判断はアイシャに任せ、俺はベッドへと歩み寄る。

 そこにベッドサイドに置かれていた椅子に腰掛け、マイラの様子をうかがう。眠っているかと思ったが、俺が近付くと彼女はうっすらと目を開いた。


「ノエル様に、お願いが……あります」


 開口一番に弱々しい声が響いた。

 父が亡くなったときのことを嫌でも連想させられて、胸がきゅっと締め付けられる。


「……どんな願いだ?」

「子供達を、保護して、くれませんか?」

「それは――」

「まだ未熟、ですが……あの子達は、私の知識を……誰よりも、近くで……学んでいます。どうか、あの子達を保護、して、ください……」


 とっさに答えることは出来なかった。

 人情としてはもちろん、貴族としての利益を考えても断る理由はない――が、引き受けた途端に、安心した彼女が死んでしまうような気がしたからだ。


「ダメだ。マイラが元気になって、自分で面倒を見るべきだ」


 せめてもの抵抗にそんな言葉を口にするが、彼女はまるで、こちらの考えを見透かしているかのように微笑んだ。その瞳には、自分の死期を悟った者特有の覚悟が滲んでいた。


「ノエル、様……どうか、最期の、お願い、を、聞いて……くだ、さい……」

「……分かった。それでマイラが安心できるというのなら、子供達はウィスタリア侯爵家が面倒を見ると約束しよう。だから、マイラも諦めるんじゃない」

「……ありがとう、ございます」


 一筋の涙を流し、マイラは途切れ途切れに昔話を始めた。そうして語られたのは、かつての雇い主に裏切られた魔導具師の凄惨な過去だった。


 家族を皆殺しにされ、自分とお腹の中の子供だけが生き残った。

 死んだと思われているがゆえに追っ手はいないが、その知識を広めれば生きていることがバレる。そうしたら、子供達の身にも危険が及ぶと隠れ住んでいたらしい。


「素性を知られるような……はぁ。知識は、子供達、には……教えて、いません。……っ。ですが、ノエル様が、求める、知識、は……はぁっ。十分に……」

「分かった。子供達が誰かに危害を加えられないようにも取り計らおう。ウィスタリア侯爵家の長男、ノエル・ウィスタリアの名に懸けて誓う。だから、おまえはもう休め」

「……は、い。子供達を、おねが、い……しま……す……」


 最後に安堵の表情を浮かべる。

 彼女はゆっくりと目を閉じ、長い、長い眠りについた。




 ――そして、三日後。

 彼女はようやく長い眠りから目を覚ました。

 その知らせを受けた俺が寝室を訪ねると、マイラは凄く気まずそうな顔で俺を出迎えた。


「もう大丈夫そうだな」

「はい。目が覚めたときはかなり辛かったですが、時間が経ってだいぶ楽になりました。と言いますか……その、お恥ずかしいです」


 マイラは掛け布団に顔を埋めた。自分が死んだ後を任せる――なんて言っておきながら、こうして生き残ったことに、言い知れぬ恥ずかしさを覚えているんだろう。


 その気持ちは、ものすごーく分かる。俺も目が覚めたら夢が終わると信じ、それを前提にシャロと一緒に眠った翌朝、夢が終わってないと知って死ぬほど恥ずかしかったからな。

 あ、思い出したらまた恥ずかしくなってきた。忘れよう。いまはマイラのことだ。


「マイラはこれからどうしたい?」

「どうしたい……ですか?」

「マイラが亡くなっていたら、子供達は俺が保護する予定だった。だが、マイラはこうして一命を取り留めた。治癒魔術を使えば、数日で起き上がれるようになるだろう」


 マイラは大きく目を見張った。


「この期に及んでも、私に選択肢を与えてくださるのですか?」

「もちろん、最低でも資料は売ってもらう。だけど、このまま何事もなく暮らしたいというのなら、そう出来るように協力しよう」


 病み上がりで子供を養うにはお金が必要だろうと、声には出さずに告げる。


「ノエル様は、知識だけでなく、私の能力が欲しいとおっしゃっていたのでは?」

「もちろん、いまでもそう思っている。だから、出来ればこっそりでも良いから、協力して欲しいとは思ってる。でも……子供達を護ると約束したからな」


 以前の俺なら、マイラをなにがなんでも味方に引き入れただろう。だがいまの俺は、家族を護りたいと願うマイラの気持ちが痛いほどに理解できる。

 俺にとってシャロが一番と言うことに変わりはない。けれど、シャロを護りたいと願う俺に、マイラの願いを否定することは出来ない。


「ノエル様は、約束を守ってくださっているのですね。……では、私も約束を破る訳にはまいりません。子供達共々、私を雇っていただけますか?」

「……良いのか?」

「はい、覚悟は出来ました。私ももう一度、人を信じてみようと思います。非才のみではありますが、この知識と、そして――魔導具師としての技術をあなたに捧げます」


 俺は目を見張った。

 マイラは自分の生存を隠すために、魔導具師としての技術は封印していたはずだ。それを俺のために使うと言ってくれた。彼女や子供を護ると言った俺に対する信頼の証だ。


「……ありがとう。あなたとその弟子のために、屋敷に専用のアトリエを用意しよう。そうすれば、追っ手に怯える必要もなくなるだろう」

「そ、そこまでしていただく訳にはいきません。恩返しをするのは私なのに」


 慌てて拒絶するマイラに対し、静かに首を横に振った。


「人材を護るのも、能力に応じた作業環境を与えるのも当然のことだ。マイラが力を貸してくれれば、平民の暮らしを豊かに出来ると信じている。だから、遠慮なく受け取ってくれ」


 マイラは大きく目を見開いて、それから大粒の涙をこぼし始めた。


「ありがとうございます。これからどうかよろしくお願いします」



 その後、マイラの容態が回復するのを待って出発、俺達は領都へと帰還した。

 知識人でもあり、優れた魔導具師でもあるマイラを招聘したことは実績として父上に評価されるだろうと、自信を持って父上との面会に応じたのだが――


「ノエル、よくやった。アッシュフィールド侯爵家より、リネット嬢との婚約の打診がおまえに届いている。古くから付き合いのある有力侯爵家との婚姻だ、異論はなかろう?」


 父上が上機嫌で言い放ったのはそんな言葉だった。

 たしかにアッシュフィールド侯爵家の娘を妻に迎える利は大きい。俺としても異論はないと言いたいところだが……相手は巻き戻る前の世界での婚約者。

 つまり、シャロが罪を犯し、破滅する原因となった相手である。

 あぁもうっ、どうしてこうなった!

 

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