俺が7年育てた悪役令嬢(義妹)はトニカク可愛い

緋色の雨@悪逆皇女12月28日発売

プロローグ

 ウィスタリア侯爵家の長男として生を享けた俺は、物心ついた頃より血の滲むような努力を続け、父が亡くなると同時に侯爵家当主の地位に就いた。


 当時はまだ十六歳。

 成人すらしておらず、父のように立派な当主だと胸を張ることは出来なかった。

 それでも、幼少期より当主となるための教育を受けていたこともあり、父に仕えていた優秀な文官達の力を借りることで、どうにか領地の運営を続けていた。


 だが、度重なる災害を始めとした問題の対策に追われ、領地は次第に疲弊していく。そこに手を差し伸べてくれたのが、父と付き合いのあったアッシュフィールド侯爵だ。


 彼の娘を第一夫人として迎えることを条件に、我が侯爵領への支援を申し出てくれた。あからさまな政略結婚ではあったが、俺にとっては願ってもない申し出でもあった。


 ゆえに、俺はアッシュフィールド侯爵の娘、リネットと婚約した。

 リネットとは知らぬ仲ではないし、アッシュフィールド侯爵家が後ろ盾になってくれるのなら我が侯爵家も安心だ。そう思っていた矢先に新たな問題が発生した。

 義妹のシャーロットが、リネットに対して許されぬ罪を犯したのだ。


 未遂ではあったが、それを踏まえても見過ごせない罪。事態を重く見たアッシュフィールド侯爵が婚約の破棄を通告してきた。こちらの身内が罪を犯した以上、俺に反論の余地はない。

 ウィスタリア侯爵領は再び危機を迎えることとなった。


 しかし、問題はそれだけに留まらない。

 妹には複雑な生い立ちがあり、生前の父が彼女を甘やかしていた。死の間際にも、シャーロットを頼むという遺言を俺に託したほどだ。

 だから俺は、彼女のワガママを出来るだけ許してきた。


 だがそれは間違いだった。

 シャーロットを庇えば、俺も同類だとみなされる。縁談を白紙に戻されるだけならともかく、アッシュフィールド侯爵家を敵に回すことだけはなんとしても避けねばならない。


 少しでも信頼を取り戻そうと、妹の罪を徹底的に調べて明らかになったのは、彼女の悪事がリネットに対する一件だけではなかったということだ。

 彼女の犯す罪の大半は未遂だが、それでも大小様々な罪を重ねていた。


 もはや庇い立てする義理もない。彼女を先代の養女という地位から引きずり下ろし、領地を混乱に陥れた悪女として告発した。

 結果――彼女は王都の広場で処刑されることとなった。




 処刑の日はあいにくの雨だった。

 ぼろぼろの服を着せられたシャーロットが、執行人によって処刑台に拘束される。雨で服が身体に張り付き、彼女の整ったプロポーションが浮かび上がった。

 刹那、処刑を見世物として集まっていた平民達がその美しさに息を呑む。


 次の瞬間、我に返った観客達は自らの抱いた劣情を恥じるように罵声を上げ、同時に石を投げ始めた。シャーロットの顔に、身体に、容赦なく石がぶつけられる。


 それでも、彼女は前を向いていた。

 ボロ着を纏う死刑囚であるにもかかわらず、他のどの令嬢よりも高潔で美しいと思ってしまう。そんな錯覚を抱く自分がとても腹立たしい。

 見届け人の一人としてこの場にいる俺は、シャーロットの元へと詰め寄った。


「いまのおまえはどのような気分だ?」

「……ノエルお兄様」


 シャーロットはとてもとても幸せそうに、蕾が花開くように微笑んだ。いままでみたこともないような愛らしい笑顔に、俺は言いようのない苛立ちを覚える。


「おまえに俺を兄と呼ぶ呼ぶ資格はないっ!」


 石を投げられても眉一つ動かさなかったのに、彼女の顔が悲しげに歪んだ。


「そう、ですよね。……分かっていました。でも、ノエル様がわたくしを見てくださった。それだけで、わたくしは報われた気がするのです」

「……どういう意味だ?」


 疑問を投げかけると、彼女は寂しそうに目を伏せた。


「孤独……だったのです。あの家では誰も……使用人すらわたくしを見てくれなかった。離れに押し込められて、わたくしはいない者として扱われた」

「……なにを言っている? おまえは、自分の意思で離れに引き籠もっていたのだろう?」

「ノエル様はそう聞いていたのですね」


 安心しましたと言いたげに笑う。彼女の反応から、脳裏にある可能性が浮かび上がる。

 シャーロットは父上の養女という身分が与えられていたが事実は異なる。彼女は、父上が愛人に産ませた娘なのだ。母上が愛人の子を排除したとしてもおかしくはない。


 そういえば、シャーロットが離れに引き籠もっていると俺に教えたのは母上の側仕えだった。もし母上、あるいは母上に味方する使用人が口裏を合わせていたのなら――


「おまえは……本当に離れに閉じ込められていたのか?」

「はい。と言っても、離れの中でなら自由を与えられていましたから、独学でお勉強はしていました。侯爵家の娘として認めてもらえるように、凄く凄く頑張ったんですよ?」


 結局は誰にも認めてもらえませんでしたけど……と、彼女はとても寂しげに笑った。


「では、なぜ外に出た。数々の悪事を働いたのはなぜだ?」

「お父様が亡くなった後、急に外に出る自由を与えられたのです。でも……結局、わたくしは誰にも、ノエル様にもかまってもらえなかった。だから……」


 見ているだけで胸が締め付けられるような笑顔。

 そんな顔を見せられたら、彼女が言葉にしなかった動機を嫌でも理解させられる。シャーロットは幼い子供のように、ただ誰かにかまって欲しくて悪事を働いたのだ。


「悪事の大半が未遂に終わっているのはそのためか……」


 だが、たとえ未遂であろうと罪は罪。積み重ねた罪は決して許されるものではない。こうなる前に、なぜ俺に相談しなかったのかと叫びそうになる。

 ……いや、違うな。俺が耳を傾けようとしなかったんだ。


 シャーロットが離れから出てきたのは父が亡くなった後。あの頃は当主として侯爵家を守るのに必死で、シャーロットにかまってやる暇などなかった。

 父から、シャーロットを頼むと言われていたのに。


「だが、なぜだ? 自由を得られたのなら、なぜ俺に固執した。おまえの器量なら、よその家に嫁いで、この家のことを忘れることだって出来ただろう」


 復讐がしたかったのかと彼女に問えば、怨んでなどいないと首を横に振った。彼女の青く吸い込まれそうな瞳に、困惑する俺の姿が映っている。


「右も左も分からずウィスタリア侯爵家へ連れてこられたあの日。ノエル様だけが、私を歓迎すると、おまえは俺の妹だ――と、そうおっしゃってくれたからです」

「まさか、たったそれだけの理由で……」

「たった、ではありません。わたくしにとってはそれだけ特別なことで、その言葉があったから、わたくしは孤独な生活に耐えられたのです」

「馬鹿かおまえはっ!」


 あの日は、今日から妹となる女の子と仲良くしてやってくれと、父上から頼まれていた。だからシャーロットに、今日からおまえは俺の妹だと声を掛けた。

 ただそれだけで、そこに彼女を思い遣る気持ちなんて欠片もなかった。


 なのに、こいつはその言葉だけを支えに孤独を耐え抜いた、だと? 俺はそのような生い立ちの娘に対し、おまえに俺を兄と呼ぶ資格はないと突き放したのか?

 馬鹿は俺だ。

 俺はどれだけこいつを悲しませた!


 いくつもの後悔がこの身を苛むが、すべては遅すぎた。執行人が燃えさかる松明を持って、シャーロットの足下に敷き詰められた、油に濡れた藁や薪に松明を近付けた。


「ノエル様、出来の悪いわたくしでごめんなさい。たくさんたくさん迷惑を掛けてごめんなさい。進むべき道を間違えてごめんなさい」

「――違うっ。道を間違ったのはおまえじゃない!」


 絞り出すように告げるが、彼女はそれに応えない。死を前にした彼女は寂しげに笑って、すべてを諦めた瞳から大粒の涙を零す。

 松明の炎が藁に燃え移り、あっという間に零れ落ちた涙を飲み込んだ。


「もし、もう一度やりなおすことが出来たなら、そのときは決して間違えたりはいたしません。だから、そのときはどうか、わたくしを妹として愛して――っ」


 炎が立ち上り、少女の悲痛な願いが声にならない絶叫へと代わる。それが広場へと響き渡ると、観客達から無慈悲な歓声が上がった。


 俺はもう立っていられなかった。

 彼女は、もう一度やりなおすことが出来たのなら、俺に妹として愛されたいと言った。だが、彼女の処刑は執行されてしまった。もはや、そんな日は二度とこない。


 燃えさかる炎は愚かな俺の後悔だけを残して、すべてを焼き尽くしていく。

 そんな中、空に広がる雨雲が割れ、その隙間から幾筋もの光が降り注いだ。悪夢のような光景なのに、この処刑を神様が祝福しているかのようだと誰かが呟く。

 世界の不条理さに絶叫する、俺の意識はそこでプツリと途切れた。




 気が付けばソファに座っていた。

 ……ここは、ウィスタリア侯爵家の応接間か? どうして俺はこんなところにいる? シャーロットの処刑を見届けるために、王都にいたはずじゃなかったのか?


 いや、おかしいのはそれだけじゃない。

 壁に飾られたあの絵は、領地を運営する資金を得るために売り払ったはずだ。それが飾られているということは……なるほど、夢か。


「ノエル、急にソワソワとして、どうしたのですか?」

「いえ、なんでもありません、母上」


 答えてから、やはり夢だと確信した。

 隣に座っていたのは俺と同じ夜色の髪の女性。かなり若返っているが、間違いなく俺の母親だ。俺は犯した罪の呵責に耐えきれず、現実逃避のように白昼夢を見ているのだろう。


 ……情けない。

 たしかに信じられないような悪夢だった。あれが夢で、こちらが現実ならこれほど嬉しいことはないが、シャーロットが処刑されたのは紛れもない現実だ。

 いま必要なのはこのような現実逃避ではなく、シャーロットを手厚く弔うことのはずだ。


 なんとか目覚めようとするが、一向に夢から覚める様子がない。こういうときは……そうだ。夢の中で眠ると、次は現実で目覚めるという話を聞いたことがある。

 きっとこの白昼夢も、眠ってしまえば終わるはずだ。


 部屋に戻って眠るべきか――などと考えていると、不意に扉がノックされた。続いて父達の到着を側仕えが知らせる。この状況には覚えがあった。


 まさか――と、ソファから降り立とうとした瞬間、慣れない身体の扱いを失敗して転びそうになった。身体が縮んでいて思うように動かせないなんて、妙にリアルな夢だな。


「ノエル、なにをやっているのですか。少し落ち着きなさい」

「申し訳ありません、母上」


 慌てて取り繕う。それとほぼ同時に側仕えが扉を開け、まだ元気だった頃の父が姿を見せた。続いて、小さな女の子がおっかなびっくり部屋に入ってくる。


 サラサラの赤い髪に縁取られた小顔に、吸い込まれそうな青い瞳。その瞳が不安げに部屋の中を見回している。その愛らしい少女こそ、六歳になったころのシャーロットだ。


 つまりこれは、シャーロットを義妹として迎え入れた日の夢だ。こんな夢を見ても、処刑したシャーロットが生き返る訳じゃないのに……俺はこんなにも弱かったのか?


 自己嫌悪に陥りそうだが、俺が落ち込んでいるあいだにも自己紹介は始まり、シャーロットが紹介された。続いて母上が名乗りを上げ、シャーロットを歓迎すると口にする。


 だが……家族として迎え入れるといった類いの言葉は口にしていない。当時は気付かなかったが、母上は最初からシャーロットを家族にするつもりがなかったようだ。


 そして、母上の視線に晒されるシャーロットは不安そうだ。愛人の娘が認知されず、養女として引き取られた。その行く末を思えば、彼女が不安に思うのも当然だろう。


 当時は不安げな様子を見かねて声を掛けた。

 だが、これは白昼夢。夢の中でいくらシャーロットに優しくしても、現実のシャーロットが報われる訳でもなければ、生き返る訳でもない。

 俺がするべきなのは、現実でシャーロットを手厚く弔ってやることのはずだ。

 だが、同時にこうも思ってしまう。


 おまえは夢の中ですら、彼女を傷付けるのか? ――と。


 答えは否だ。

 哀れな妹を処刑台に送り、心ない言葉を投げつけた。

 シャーロットは罪人だが、彼女を追い詰めたのは俺だ。もしやり直すことが出来るのなら、彼女に出来うる限りのことをしてやりたいが、それはもはや不可能だ。ならば、妹として愛されたかったという彼女の願いを、せめて夢の中だけでも叶えてやりたい。


 だから――と、一歩を踏み出した。およそ十一歳も若返った身体は上手く動いてくれないが、躓きそうになりながらも彼女の前へと歩み寄った。

 そうして、その吸い込まれそうな青い瞳を覗き込む。


「俺はノエル・ウィスタリア。今日からおまえは俺の妹だ」

「……ノエル、様?」


 彼女の煌めく瞳の中に、優しげな顔をした俺がいる。

 あぁ……そうだった。

 あの日も、俺は自分に出来た妹を可愛いと思ったのだ。だけどシャーロットは離れに閉じこもり、それっきり姿を見せようとはしなかった。それで彼女に裏切られたような気になった俺は、そのまま彼女の存在を意識から閉め出した。

 すべては誤解、だったのにな。


「兄と呼んでかまわないよ、シャーロット」


 安心させるように笑いかけ、頭を優しく撫でつける。シャーロットは目をまん丸に見開いて、その瞳に期待と不安を滲ませた。


「ノエル……お兄様?」

「そうだ。おまえは俺の妹だ」

「ノエルお兄様……えへへ」


 まだ少し遠慮もあるようだが、無邪気に笑うシャーロットは嬉しそうだ。俺はひとしきりその頭を撫でてから「この屋敷を案内してあげよう」と申し出た。


「待ちなさい、ノエル。まだこちらの話が終わっていませんよ」


 こちらのやりとりを聞きとがめて難色を示した。母上の思惑は分かっている。俺達が親しくなると、シャーロットを離れに押し込めることが難しくなると考えているのだろう。

 だが、そうはさせない。


「母上はまだ父上と話がおありでしょう? それに、こういったことは最初が肝要です。シャーロットが屋敷に馴染めず、引き籠もるようなことになっては困るでしょう?」


 彼女をウィスタリア侯爵家で受け入れるためには必要だと訴えかける体で、母上のもくろみに対する牽制の楔を打ち込んだ。これで、母上は俺を止めることが出来ない。


 もし案内を阻止され、後にシャーロットが離れに引き籠もったと聞かされたなら、俺は自己嫌悪にまみれた顔で「やはりあのとき、案内をしてあげるべきでした」と口にする。

 そうして、自らシャーロットに会いに行くという算段である。


 母上としても、その可能性がある以上、こちらの提案を無下に出来ない。

 結果――


「……一理ありますね。彼女がこの屋敷に馴染めるように案内してあげなさい」


 母上は、自分もシャーロットを歓迎しているという体裁を保った。もしもこれでシャーロットを引き籠もらせたとしても、表向きは俺の味方として振る舞うことが出来る。

 俺が打ち込んだ楔に対し、早くも対応した形だ。


 母上はやはり、侯爵夫人に相応しい能力の持ち主だ。だが、この場では先手を打った俺が勝利した。母上に続けて父上の許可を勝ち取り、あらためてシャーロットに手を伸ばす。

 彼女は戸惑った様子で、俺の手と顔を見比べる。


「ノエルお兄様……いいの?」

「ああ、大丈夫だ。シャーロットはどこを見たい? 好きな場所を案内してやる」

「えっと……どんなところがあるか、分からない、です」

「そっか。なら、屋敷の中を全部案内してやるよ。だから、おいで」


 手を取るように催促すると、シャーロットは遠慮がちに手を伸ばし、けれど寸前で手を引っ込めてしまう。俺はくすりと笑って、こちらから手を伸ばす。

 現実では決して届かなかった、近くて遠い距離が零になった。


「……あ」

「ほら、大丈夫だろ?」


 シャーロットの手を握って引き寄せる。

 彼女は目を見開いて、それから不安そうに俺を見上げた。こくりと頷くと、シャーロットは花開くように微笑んで、小さな手で俺の手をそっと握り返してくる。

 なんというか……怯えた小動物のようで可愛らしい。


「それでは父上、母上、おさきに失礼いたします」


 控えめで可愛らしい妹の手を引いて、両親のいる応接間を後にした。

 そのまま、手を繋ぎながら廊下を歩く。それで気付いたのだが、彼女の小さな手はずいぶんと荒れている。彼女がいままでどのような生活を送っていたかがうかがえるというものだ。

 彼女の母親は子爵家の人間だと聞いていたのだが……ずいぶんと苦労していたようだ。


 でも……変だな。

 現実でシャーロットの手を握ったことはない。挨拶をした直後に引き籠もった彼女の手が荒れていたなんて事実を俺が知るはずないんだが……

 これは本当に、ただの白昼夢なのだろうか?


 分からないが、どのような夢だとしても手を抜くつもりはない。

 側仕え達を引き連れ、シャーロットに屋敷を案内をする。エントランスホールや書斎、それから食堂を経て、厨房にまで足を運んだ。


「これはノエル坊ちゃん。そちらのお嬢様はどちら様でございますか?」


 料理長が出迎えてくれる。

 彼の問いかけをこれ幸いと、シャーロットの腰を抱き寄せた。妹を可愛がっていると使用人達に知らしめ、引き籠もる要因なんてないと認識させる作戦である。


「可愛いだろう? この子はシャーロット、今日から俺の大切な義妹だ」

「おぉ、シャーロットお嬢様でしたか。なるほど、たしかに可愛らしいですな。お嬢様、お初にお目に掛かります。私はこのお屋敷の料理長をしております」

「よ、よろしくお願いします。……あ、あの、お兄様?」


 俺に腰を抱かれたシャーロットが、戸惑った様子で肩越しに見上げてくる。俺は「どうかしたのか?」と、彼女を安心させるように微笑んだ。


「う、うぅん、なんでもない、です」


 彼女は頬をほのかに染めて顔を逸らしてしまう。

 まだ兄妹になりたてだから、兄妹のスキンシップに照れているのだろう。シャーロットは可愛いなぁと、腰に回していた手を滑らせて上に、サラサラの髪を掻き分けて頬を撫でた。

 彼女の耳までもが赤くなるが、逃げようとはしないので嫌がられてはいないようだ。


「なにか食べてみたいお菓子はないか? 彼はお菓子作りの腕前も最高だから、頼めばなんだって作ってくれるぞ」

「お菓子……ですか? 食べてみたいですけど……どんなお菓子があるか分かりません」

「そうか。ならクレープを焼いてもらおう。あれならすぐに出来るはずだ。料理長、聞いての通りだ。手間を掛けるが、可愛い義妹のために、とびきりのクレープを用意してくれるか?」

「もちろん。坊ちゃんの妹君を歓迎する一役を買えるなら喜んで」


 にやっと笑って引き受けてくれる。

 どうやら、俺がシャーロットを溺愛していると認識してくれたようだ。この調子でシャーロットを可愛がっていけば、シャーロットが使用人達から無視されることもないだろう。



 ――という訳で、シャーロットとささやかなお茶会を開く。その後も屋敷中を歩き回り、俺達の仲が良いということを使用人達に見せつけていった。


 あっという間に一日が過ぎ、屋敷のある領都タリアが闇に包まれていく。

 シャーロットを部屋に送り、俺もまた自分の部屋へと戻った。それからほどなく、部屋を抜け出した俺は、廊下の窓から見える星空を見上げていた。


 屋敷の敷地内は魔導具の明かりに照らされているが、それでもなお空には数多の星々が輝いている。久しく夜空を見上げていなかったため、それが酷く懐かしい光景のように感じた。


「ノエル……お兄様?」


 不意に、控えめな声が聞こえてきた。窓に背を向けて振り返ると、可愛らしいネグリジェに身を包んだ天使が不思議そうな顔をしていた。


「シャーロット、眠れないのか?」

「……えっと、はい。お兄様は?」

「似たようなものだな」


 これは夢だ。俺の弱い心が見せた都合の良い夢。

 夢であれば、いつか覚めるのが必然だ。そして、シャーロットとの出会いをやりなおすという目的を果たした以上、眠ればきっと、この夢から覚めてしまうだろう。

 だから、もう少しだけ夢を終わらせたくなくて、こうして夜空を眺めていたのだ。


 現実逃避はダメだって分かってる。だけど、現実でシャーロットを幸せにすることはもはや叶わない。なら、夢の中でくらい兄として優しくしてやりたい。

 この感情はきっと、現実逃避とは違うものだ。


「シャーロットも一緒に夜空を眺めるか?」

「いいんですか?」

「もちろん。冷えるといけないからこれを羽織るといい」


 自分の上着を彼女の肩に掛けようとするが、彼女はフルフルと首を振った。


「それじゃ、お兄様が冷えてしまいます」

「俺は大丈夫だ」

「……大丈夫じゃないですよぅ」

「分かった。なら、こうしよう」


 シャーロットを背後から抱き寄せ、その小さな身体を自分の上着で包み込む。


「お、おおっお兄様?」


 慌てたシャーロットが肩越しに俺を見上げた。


「これなら俺は冷えないし、シャーロットだって寒くないだろう?」

「そ、それは、そう、ですけど……」


 兄妹の愛情表現に戸惑っているようだ。

 夢の中のシャーロットは六歳。精神年齢が十九歳の俺にとっては年の離れた妹、もしくは娘に近い感覚なのだが、シャーロットにとっては二つしか変わらない、今日できたばかりの兄。

 不慣れなスキンシップに戸惑っているのだろう。


「あの……お兄様は、どうして私にそのように優しくしてくれるのですか?」

「妹に優しくするのに理由が必要か?」

「でも私は愛人の娘、ですよ? どれだけ嫌な思いをしても我慢しなさいって、お母さんにも言われました。なのに、どうして……」


 不思議そうなシャーロットの横顔を見て胸が苦しくなった。現実のシャーロットはきっと、どれだけ嫌な思いをしても我慢していたのだと、嫌でも理解させられたからだ。


 いきなり侯爵家に連れてこられて、愛人の娘だからという理由で離れに閉じ込められ、それでも俺に妹だと言ってもらったことを支えに生きてきた。

 そんな妹の最期に掛けたのが、おまえに俺の妹を名乗る資格はないという心ない言葉。

 俺は酷い兄だ。

 胸の痛みに耐えかねて、シャーロットの肩を強く抱き寄せた。


「……おにい、さま?」

「シャーロット。おまえが誰の娘であろうと関係ない。おまえは俺の愛する妹だ」


 肩越しに俺を見上げる、彼女の青い瞳がまん丸に見開かれた。


「……愛して、くださるのですか? 私、ここにいても……良いんですか?」

「ああ、好きなだけいればいい。俺がおまえをあらゆる苦難から護ってやる」


 不安だったのだろう。居場所を得た彼女の瞳から涙が溢れだした。

 シャーロットはこんなにも可愛くて、こんなにも儚げな女の子だった。出来ることなら現実で護ってやりたかったけど……それはもはや叶わない。

 せめて夢の最後くらいは――と、俺は彼女の頬を伝う涙を指で拭う。


「シャーロット、寂しいなら俺と一緒に寝るか?」

「……一緒に? 私と、お兄様が?」


 シャーロットが、夜の帳の中でも分かるくらいに頬を赤く染めた。


「もちろん、嫌なら断ってかまわないが」

「えっと……その、嫌じゃない、です。でも……側仕えの人に叱られたりしませんか?」

「心配するな。朝までは、誰も部屋の中まで入ってこない」


 つまりは、朝になるとバレるし叱られる。だが、何度も言うようにこれは夢だ。眠れば夢が終わると分かっているのだから、明日の朝の心配は必要ない。

 どうすると問い掛ければ、シャーロットは自らを抱く俺の腕にぎゅっとしがみついてきた。


「私、お兄様と一緒がいい。ずっとずっと、ノエルお兄様と一緒にいたいです」

「そっか、なら決まりだな」


 可愛らしい妹を連れて部屋へと戻る。

 先にベッドに入って手を伸ばすと、シャーロットがおずおずと布団に潜り込んできた。


「えへへ、お兄様、温かいです」


 彼女は甘えた声を上げて身体をすり寄せてくる。

 今日一日でずいぶんと懐いたものだ。

 そんな風に考えていると、その小さな手が俺の頬に触れた。


「お兄様の瞳も青色ですね」

「あぁ……そういえば、シャーロットとおそろいだな」

「はい、おそろいですっ」


 無邪気に喜んでいる。

 シャーロットはこんなにも可愛かったのかと感動する。俺の知っている彼女は社交界で好き放題する悪女なので、いまとのギャップが大きいのもそう感じる理由の一つだろう。

 兄妹として接するシャーロットが可愛くて仕方がない……が、現実逃避もそろそろおしまいだ。俺は別れの挨拶として、彼女の赤い髪の房を手に取って、そこにそっと唇を落とした。

 シャーロットはビクンと震え、まん丸に目を見開いた。


「……嫌だったか?」


 問い掛けると、シャーロットは首をぶんぶんと横に振る。それから、掛け布団の中に隠れてしまった。本当に小動物のようで可愛らしい。


 彼女が望んだように、兄としてシャーロットを愛せただろうか?

 少しは、傷付いた彼女の魂が救われるだろうか?


 もしも現実でこんな風にシャーロットを妹として愛することが出来たなら、現実の彼女とも、いまみたいに仲良くすることが出来たのだろか?

 ……いや、これが現実なら恥ずかしくて絶対に出来ないけれど。


「愛してるよ、シャーロット。だから……どうか、幸せな夢を」


 現実では掛けられなかった言葉を耳元で囁く。彼女の永遠の眠りが安らかであるようにと願いを込め、シャーロットが眠るまでその頭を撫で続けた。




 いつしか眠りについてしまった俺は、ベッドサイドから聞こえる微かな息遣いに気付いて目を開く。目に映ったのは、赤い瞳と銀色の髪を持つ女性。

 筆頭側仕えのアイシャが、なにやらもの言いたげな瞳で俺を見下ろしていた。


「どうした、朝からそんな顔をして」

「おはようございます、ノエル様。朝からシャーロットお嬢様の姿が見えず、彼女の側仕えが慌てているのですが……ご存じありませんか?」

「……シャーロット? なにを言っている。彼女は……」


 俺が処刑台に送ったと口にする寸前、なにかがおかしいと感じた。そうして周囲を見回し、その内装に強い違和感を抱く。

 続けてアイシャに視線を戻し、決定的な違いを見つけてしまった。


「アイシャ、なんだか若返ってないか? まるで十代のように見えるぞ?」

「見えるもなにも、私はまだ十八歳ですっ。いくら坊ちゃんでも怒りますよ? というか、この状況で私を敵に回さない方がいいと思うのですが……?」


 なにか言いたげな顔で俺を見下ろしている。

 いや、ただしくは俺ではなく、掛け布団を見ているような――って、あれ? なんか掛け布団が妙に盛り上がって……あ、ああああぁぁあぁっ!? そ、そうだ、シャーロット!

 彼女と一緒に寝たんだった――って、なんで夢から覚めてないんだよ!?

 

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