7.エミカ・キングモールは禁魔法を唱える。


 初めに目が吸い寄せられたのは、黄色いくちばしと赤い鶏冠とさかだった。


「ひえええぇぇ! な、何あれっ~~!?」


 体長六フィーメルは超えるであろう、雄鶏の胴体ボディー。光沢を帯びた、。そして大きく飛び出した、左右二つの眼球。

 見渡す限りに続く赤い空間。そこに突如として現れたのは、あまりにも巨大な怪鳥だった。


「――気をつけろ〝コカトリス〟だ!」


 剣を構えながらガスケさんが叫ぶ。

 コカトリス? あ、知ってる! けっこう有名なモンスターだ! たしか、強力な石化ブレスを吐いてくるとかなんとか……。


「でかいのぉ。ありゃ通常の三倍はあるぞい」

「間違いなく〝特殊体〟でしょうね。お願いできますか、ブライドン殿」

「わかっちょる。しばし時をくれ」


 そのまま両手で杖を握ると、ブライドンさんは詠唱をはじめる。

 ――ズズズッ。

 おお、すごい! 魔力の奔流が、もう黒い上空の一点に集まりはじめてる。それは魔術関係がてんでダメな私でもピリピリと肌で感じられるほど。

 だけど、モンスターは魔力に群がる習性がある。このままではブライドンさんが格好の餌食なっちゃう。そう私が心配に思ったのと同時だった。コロナさんとガスケさんは並んで前方に飛び出すと敵の攻撃に備えた。


「妙だな、騎士さん……」

「ああ、明らかに異様だ……」


 それでも、コカトリスに動きはなかった。依然、離れた場所からこちらをジッと窺ったまま。


「ん? わ、熱っ!」

「エミカちゃん、下がって下がってー。離れてないと黒コゲになっちゃうよぉ~」


 つむじの辺りが熱いなーと思って見たら、なんかすごいことになってた。詠唱してるブライドンさんの頭上。そこに、いつのまにか巨大な火の玉が出現してた。


「うわあぁ、でっかぁー!」


 火球は激しく渦を巻きながら、さらなる肥大化を遂げていく。やがてそれは対面のコカトリスを焼き尽くすのに十分な大きさにまで膨れ上がった。そして、全体の火の色が赤から青に変わったのを機にだった。ブライドンさんはピタリと詠唱を止めた。


「墜ちて穿て! 蒼き輝きの流星ブルー・コメット――!!」


 呪文と共に、必殺の魔術が放たれていく。上空から巨大な青い火球がほとばしり、怪鳥の下へ、一直線。

 一呼吸ほどの短い時間。避ける隙なんて、あるわけなかった。次の瞬間、青い炎の渦はコカトリスを呑みこんだ。


「やったぁー! 焼き鳥のできあがりー!!」


 直撃したのを見て、歓声を上げる私。でも、その喜びは束の間だった。


 ――シュン、シュンシュンシュン!


「えっ!?」


 火柱の中から、突如として巻き起こる旋風。炎を裂いて破るように、幾重にも、風の斬撃が放たれていく。


 ――シュン、シュン!

 ――シュンシュンシュンシュン!


 まるで花弁が散らされるみたいだった。瞬く間に、炎の大魔術は疾風によってかき消された。


「キギイ”イィィィ~~~!!」

「ええっー,なんでぇ!?」

「なんと、あの炎を喰らって無傷かい。トホホ……、自信なくすのぉ」

「鳥系って大体火が弱点だよねぇ? あのモンスター、特別な耐性でもあるのかなぁ~?」

「おい、お前ら油断するな! 来るぞ――!!」


 ――バサッ、バサバサッ!!


 ガスケさんの警鐘とほぼ同時だった。コカトリスは両翼を広げると、赤い地面を蹴り上げる。


 ――ダンッ!!


 鶏は空を飛べない。だから、それはただの跳躍のはずだった。でも、高い。なんて、高さだ。奴は、一瞬で私たちの上空にいた。

 もうあんなに小さく……そんでもって、まただんだんと大きくなって、こちらへと――こちらへと?


「あっ」


 ――

 ヤバい。あの巨体だ。このままだと馬車に轢かれたカエルよろしく、ペチャンコになっちゃう。

 逃げないと。

 早く、早く早く。


「………………」


 あ、あれ? 体が、動かない?


「逃げろ、姫さん!!」


 うん。わかってる。わかってるんだ。

 でもね、両足が固まって、動かない。

 てか、足ってどうやって動かしてたっけ? あ、まずい。恐怖で完全にフリーズしてるね、私。てか、もう鶏の爪があんなに大きくなっ――


「――危ねえっ!!」


 ガスケさんが叫んで、思いっきり押されて、そこまでは憶えてる。だけど次の瞬間、ものすごい爆風と爆音が私の意識をかき消した。






 暗転。






 ――キン、キンキン!

 ――カキンッ!


「う、ううっ……」


 覚醒はすぐだった。たぶん一ミニットも気絶してなかったと思う。

 でも、戦況はがらりと変わっていた。


「あっ!」


 上体を起こして最初に見えたのは、横たわるガスケさんの姿だった。身体中に裂傷を負い、血まみれの彼は、ひゅーひゅーと苦しげに息をしてた。

 私を庇ったから!? あきらかに深手だった。これは早く傷を癒さないと命にかかわるかもしれない。


「か、回復……そうだ、ホワンホワンさん!」


 ホワンホワンさんを探さないと。


「エミカ! エミカ・キングモール!!」


 その声にはっとして振り向くと、槍を振り上げるコロナさんの姿があった。彼女は一人、巨大な怪鳥と向き合っていた。


「コロナさん!?」


 次々に突き出される嘴と、振り下ろされる爪。それらが槍の先端と衝突するたび、空気をつんざくような金属音が鳴り響く。高い槍術はコカトリスの攻撃を軽々受け流し、寄せつけない。

 それでも両者には何より歴然とした体格差があった。攻めに転じられず、防戦一方のコロナさん。底辺冒険者の私の目から見ても旗色は思わしくない。


「ぐっ、無事だな!?」

「はい! でも、ガスケさんが私を庇ったせいで……!」

「わかっている! 無事なのは私たちだけだ!!」

「え!?」

「君だけでも逃げろ! こいつは私が引き受ける!!」


 そこでコロナさんは突っこんできた嘴を打ち下ろすように往なすと、コカトリスの額を目がけて槍を一閃に斬りつけた。


「ちぃ、浅い……!」


 噴き出す、緑の血飛沫。白い蒸気を出すそれは周囲に異臭を放っていく。


「こいつ血に毒が!?」


 返り血を嫌い、コロナさんが背後に一歩飛び退く。


「ギイィィッー!」


 間合いができると、コカトリスは雄叫びをあげながらに両翼を広げた。その咽喉元が、ぷっくりと脹れていく。


「まずい! 走れっ――!!」


 次の瞬間、ぱっかり開いた嘴から噴出されたのは灰色の煙だった。

 石化ブレス!? 石化耐性のついた装備なんて持ってない! もし、あれに触れたら……!?

 コカトリスの吐く息に視界が呑みこまれていく。


「う、うわぁぁっー!!」


 私は無我夢中で走った。途中、足がもつれて何度も転ぶ。そのたびに起き上がっては、また走る。


「はぁはぁ……! はぁ、はぁ……う、うぇっ……」


 どれだけ走っただろう。ついに息も絶え絶えになって、私は膝をついた。背後を振り返ると、灰色の煙はもう追ってきてはいなかった。

 それでも、見渡す先は薄闇が広がっているだけで遠くの様子は窺えない。ただ、かすかな金属の音だけが聞こえてくる。


「コロナさん……ま、まだ、戦って……」


 みんなを置き去りにして、一人逃げてきた自分。

 でも、後悔するのはまだ早い。

 今なら戻るのは簡単だ。

 来た道を急いで引き返せばいい。

 ただそれだけのこと。

 しかし、私が戻ったところで一体なんの役に立つというのか。

 答えはあまりにシンプルで残酷だった。


 ――


「は、ははっ……」


 こんなときに、なんの力にもなれないなんて。やっぱユイの言ったとおり、少しは剣術や魔術を身につけておくべきだった。


「私ってば……ほんと、ダメダメだ……」


 後悔に苛まれながら、無力にもふらふらと起き上がる。

 両足はもう絶望の淵の上にあった。

 どうすることもできなくなった私は、半ば放心状態のままその場で俯く。


 まさに、そのときだった。


「へ?」


 あまりに不自然な物体がすぐそこにあることに私は気づいた。

 それは一言で表すなら黒い箱だった。


「こ、これって……」


 いや、黒いというよりは〝漆黒〟と表現するのが正しいかもだ。フロアに真四角の穴が開いてるんじゃないかと錯覚するほどに、それは深淵に似た色をしている。


「もしかして、これがお宝……? いや、でもそんなわけ……」


 よくある宝箱ほどの大きさだけど、赤い地面の真っ只中、ただそこにぽつんと置いてあって明らかに財宝の類いには見えない。てか、どちらかというと完全に罠っぽい。これは無暗に近づいちゃダメなやつだ。


「………………」


 そう警戒しつつもだった。なぜか裏腹に、その奇妙な箱から目が離せなかった。


「あっ」


 ふと気づけば、その箱を見下ろしている自分がいる。

 これはまずい。

 そう思った、矢先だった。


『――汝、我の力に呼応する者』


 どこからか、声が響いてきた。


『又、その資格を有する者なり』

「え? あ、あれ……?」

『唱えよ、さらば与えられん』

「あ、あの……ど、どちらさまですか……?」

『ドグラ・モグラ』

「へ?」

『ドグラ・モグラ』

「……」

『ドグラ・モグラ』

「ど、どぐら……もぐら、さん?」

『汝、我と契約を結びし者。この力、汝に託そう』

「……えっ!? い、いやいやいや、ちょっ待――うわ、まぶしいっ!?」


 その瞬間、地面から浮かび上がったのは、いくつもの図形が絡み合った複雑な魔法陣。

 強い輝きに視界のすべてを奪われると、そこでまた私の意識は即座に暗転した。

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