第2話 公務員社会のパワハラは過酷

 

 貞享3年。

 この年、松本藩は不作だった。

 にもかかわらず、年貢の引き上げが決められたので、松本城下に抗議の農民が一万人も詰めかける騒ぎとなった。

 そして、その中心となった多田加助を始めとする首謀の農民たちは、家族まで連座させられて磔、獄門に処せられた。

 いわゆる、「加助騒動」と呼ばれる事件だ。


 磔にされる直前、加助は松本城を睨み据えて絶叫し、天守がその眼力に負けて傾いたという伝説がある。で、そのまま昭和の大修理まで傾いていたっていうんだから凄まじい。


 ただ、この事件は、江戸詰であった一藩士が処刑に反対し、藩主から中止の許しを得ていた。その藩士は自ら騎馬で駆けたものの、江戸から松本までは230km以上の距離があり、しかも登りだ。さすがに乗馬が倒れ、その藩士自身も昏倒してしまったため、処刑には間に合わなかったという史実がある。


 今回の「人道的時間改変計画書」は、その藩士を新宿から馬ごと200kmほど空間転移させて運んでしまうという内容だ。

 こうしてしまえば時間的な余裕も生まれるし、疲労もそもそもない。結果、28名もの処刑されるはずだった人命が助かるんだ。


 さらに、それだけじゃない。

 日本では一揆が起きた際、年貢軽減などの目的は達成されるにせよ、首謀者は処刑されるという流れが大半を占める。今回の件は、これを変えるきっかけとなりうることまでが見込まれていたんだ。


 今回の出張は、「人道的時間改変計画書」を提出した生宝いほう真正しんせい氏が、計画通りに人馬の移動を実行したか、その確認を行うのが目的だ。

 ということで、繰り返しになるけど、計画された移動実行区画は、新宿から松本城手前の間となっていた。

 だから、僕たちは新宿も松本も視野に入れることができ、宿泊施設の充実している下諏訪宿に滞在する予定だった。



 だけどここで、芥子係長の鶴の一声が飛んだ。

「下諏訪なんて行ったって、なんにもないからヤダ。

 江戸でいいじゃん。

 江戸から見ていて、西に時空震の痕跡が確認できればそれでいいんだから」


 これ、芥子係長が、江戸で遊びたいから言っているのは間違いない。

 現に、この時代の下諏訪宿は「なんにもない」なんてことはない。温泉もあるしそこそこ栄えているから、宿泊場所として十分なはず。

 ただ、女性が遊ぶとなれば、どうしても江戸だ。

 女性が独りで物見遊山をしていても、「ちょっと珍しいな」くらいで済まされるのは江戸しかないし、結果として現時人と接触しても、記憶に残されにくい。


 それに、大きな声では言えないけれど、設備の充実した出会い茶屋ラブホテルだって、やはり江戸でなければありはしない。ナンパしてくるいい男だって、江戸の方が多い。

 江戸以外の地域、さらにはこの時代以前になると、日本中どこを探しても毎日風呂に入り、歯と爪の手入れをする習慣を持っている男の群れなんて存在しない。でもって、それを選り取り見取りに好きに釣り上げられるなんて、男余りの江戸だからこそ、だ。

 これが明治維新後になると女性の人数が増えているし、妙に眦を決した男が増えてしまって、やはり思うように遊べない。

 だから、江戸に行くというだけで係長の機嫌はいいし、その上機嫌のついでに必然なく是田をいじめたのだろうし、もう僕は語っていてため息しか出ない。


 だけど、そんな事実を係長に指摘しても、地雷を踏むだけだ。

「改正時間整備改善法」の第四条の第2項のイには、「計画実行に際しては、時間を超え未来から来たことを現時人から察知されないようにせねばならない」という「察知回避義務」が定められているし、「時間改善にともなう人道的判断に関するガイドライン」には、さらにその具体的な考え方まで書いてある。

 僕たちが書類として発出する「許可指令書」にも、「行政不服審査法」上の手続方法に加えて、「察知回避義務」が併記されているんだ。


 当然、時間改善係の係員の出張時だって同じだ。「察知回避義務」は、いつでもついてまわる。

 だから、芥子係長に「下諏訪できちんと仕事しましょう」なんて言っても、「江戸の方が目立たない」って言い返されるし、その時に「ガイドラインすら読んでないのか」って、追加のねちねちパワハラもされることになる。

 なら、口を拭ってなにも言わないほうがマシってもんだろ。


 実は……。

 それでも芥子係長はまだいい。

 組織の中には、人事異動に沿って、係員が退職、自殺していく係長なんかも存在している。

 公務員の世界のパワハラは過酷だ。

 一度パワハラを受ける側に回ったら、二度と浮かび上がれないことも珍しくはない。「営業の売上の実績」のような絶対的数字での評価が無い以上、上司の持ったイメージのみで人事評価は決まってしまう。そして、事務引継書に記されなくても、申し送りでその評価は次の係長に受け継がれてしまうんだ。

 つまり、人は変わっても、色眼鏡は受け継がれていく。


 しかもこれって、人だけじゃない。

 組織自体にすらあることなんだ。「お前の係はすったもんだが多い」って係全員の評価を下げられた例すらある。もう、めちゃくちゃとしか言いようがない。補助金出す係の奴は出世して、税金の取り立てをする係の人間は虐げられるわけだ。

 こんな比べ方で評価されたら、努力なんてするだけ無駄、二度と真面目に仕事をしようなんて思わなくなる。

 こうなるともう真面目に仕事をするのはあきらめて、「お上手」だけで登りつめようってカシコクなる人もいて、所属長の自宅の草むしりを続けて偉くなった人もいた。

 酷いもんだ。


 さらにさらに、大きな声では言えないけれど、記者会見の場を持っている組織だから、各マスコミの記者とも裏ではツーカーな部分がある。

 あまりの理不尽なパワハラに、抗議の遺書を残して自殺したって報道されることなんか決してない。身近な市役所あたりだって、毎年のように自殺者が出ているところはある。なのに、見事に口を拭っているもんだ。


 かく言う僕だって、庁舎から飛び降りちゃった職員が地面を抱擁する音を聞いたことがある。あの時は、3日間もうなされたんだった。

 民間の会社の方が公務員職場よりよっぽどマシっていうのは、こういうところなんだよ。

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