第5話 どうあがいても絶望しか

 黒陽ノッティエルードという称号は家に受け継がれ、代を重ねるごとにその魔力は増していく。

 螺旋世界では魔力が力。そして力こそ絶対。

 それは正しく弱肉強食。

 貴族とは強者であり、捕食者でもある。

 そして明確な身分差がありつつも、どんな身分だろうと学ぶ権利を与えるのが、修業区分毎に校舎を有する夕闇学園ナイトアカデミアだ。

 人種も身分も関係無く、学ぶ権利だけは等しく。

 勿論、学ばないという権利もある。

 初等部、中等部、高等部、大学部はそれぞれ広大な敷地内に校舎を持ち、初等部から高等部までは授業料免除。

 大抵たいていの子供達はその権利を余すところなく利用する。

 もっとも、学び以外の目的で来る子供も半分くらい居るのだが。




     ◆ ◆ ◆ ◇ ◆ ◆ ◆




 ミウはぼんやりと、午後の金色混じりの陽光に染まる白い天井を見つめ、清潔せいけつなシーツを敷かれたベッドの上で寝返りを打った。

「……ふぇ!?」

 いや、何故に。

 慌てて飛び起き辺りを見回す。遅れて気づくのは消毒液の臭いと、アンティーク感あふれる古い時計のカチコチ規則正しい音。

「よ。起きたな。ミウ」

「シェルディナード先輩っ?」

 ベッドの横には、背もたれの無い丸イスに腰掛け本を読むシェルディナードがいた。

「やれやれ。許容量を越えたようだな。君は突然倒れたのだよ」

「ケルが大慌てで保健室まで突っ走って運んだんだ。礼いっとけよ?」

 ひょっこりと顔を出すケルの方に軽くあごをしゃくって、シェルディナードがクスクスと笑う。

「さって……。今日は早退だし、帰るぞ」

「ちょ、なんでっ」

「食堂でぶっ倒れた上にケルに運ばれた後だけど、次の講義とホームルームで注目度MAXで過ごしたいか?」

「帰りましょう。問題ありません」

 ミウはすぐさま異議いぎ撤回てっかいした。

 小心者にそれは針のむしろ以外の何物でもない。無理。


 ――――午後からのやつ二つとも予習してあったもん。い、一度くらい休んでも大丈夫! な、はず……。


「えっと、ケルさん、ご迷惑おかけしました」

 運んでくれたというケルに、ミウがベッドから降りてぺこりと頭を下げる。

「いや、良い。まあ、君もこれから大変だな……」

 え。何そのフラグ立てやめて。

 ケルの同情めいた視線にミウの顔が引きつる。

「ケルも帰る?」

「私は次の講義に出る。ではな」

 シェルディナードの誘いに首を横に振って、ケルは保健室を出ていった。

「んじゃ帰るか」

 そうして学園を出てかね一つ分。

 ミウ達は校門を出てすぐの大通りに留まっていた。

「あの……シェルディナード先輩?」

「んー?」

 何だ? と首を傾げるシェルディナードのミウと反対側には半分寝たようなサラがいる。

「まだ食べるんですか!?」

 クレープやら何やら、食い倒れツアーでもやる気かと思うくらい頻繁ひんぱんに立ち止まっては露店の軽食を買って食べてを繰り返している。あれだけランチを食べてまだ入るのか。

 しかもそれだけ食べているのに体型は全然変化していないのが絶許ぜつゆるである。

「これくらいじゃ腹にたまんねぇし。ミウも食う?」

「い、いいです! 遠慮します!」

 太る。確実にえる。

 それよりも、だ。

「しぇ、シェルディナード先輩」

「どうした?」


 ――――頑張れあたし! 言え! 言うの!


 ぎゅっと手のひらを握りしめ、ミウは内心勢いをつけ、実際には、

「ど……どこか、し、しし、静かな、場所、で、お、お話でもっ、……しません、か」

「良いぜ?」

 ニコッと笑ってシェルディナードが了承りょうしょうした事に、ミウはホッと平らな胸を撫で下ろし人心地ついた。その耳許みみもとへ甘く秘密をささやくような声が降ってくるまでの、本当にわずかな時間ではあったのだが。

「初めてだろ? 優しくしてやるよ」

「――――っ※▲×○■!!!!????」

 言葉のていしていない文字通り叫び声がミウから絶叫のごとく発せられ、ずざざざざ! とシェルディナードから物凄い勢いで離れる。

「……っは」

 クックックッ……と。そんなミウの様子にこらえきれないとばかりにシェルディナードが口許くちもとを押さえて肩を揺らす。見たら笑いが止まらなくなるのか、若干俯いていて。

「……! …………!?」

「あはは、悪い。悪かった。ちょ、ククッ……」

 あー笑った。そんな言葉が聴こえそうなくらいツボに入った様子で、シェルディナードは顔を上げるとひらひらと片手でミウを手招いた。

「なーんもしねぇよ。ミウ。来いって。あ、やっぱちょっとたんま。ヤバ」

 笑いの発作が収まるまでひとしきり楽しんだ後、シェルディナードは物影に隠れて警戒心の限界突破した小動物と化したミウに声を掛ける。

「こ、来ないでくださいぃぃぃぃ!」

「わーるかったって。冗談だよ、冗談。ほら、そんな所にいると服汚れんぞ」

「イヤーッ!」


 ――――っこの! セクハラ先輩ぃぃぃぃぃ!!!!


「ミーウ」

「イヤですイヤですイヤですー!」

「んじゃ、俺は良いけど、服ドロッドロで髪もボロッボロの上に、半泣きで歩いてる姿って……どう思う?」

「……………………」

 どう思うも何も、どう見ても……である。

「……ほ、本当に、な、何も、しません!?」

「しないしない。少なくとも、ミウの純潔は保証してやるよ」

 そう言う事をサラッと言わないでくれますかね!? と思うものの、保証して欲しい内容はドンピシャなので言葉に詰まる。

「ほーら、こいこいこい」

「い、犬猫呼ぶみたいに呼ばないでくださいっ!」

「じゃ、ミウ。来いよ」

 しゃがんで、微笑ましそうに見られるとそれはそれでムカつくものがある。何がムカつくって、無駄に顔とスタイルが整っているので絵になるのだ。

 と同時に、現実もしっかり認識する。

 万が一にも無いわ、と。


 ――――この先輩があたしに手を出すとか、それこそ無い。


 かんぜんに、からかわれただけだ。

 むなしい。そうだそんなの、わかってたはず。

 万が一があるなら、そもそも告白させられる罰ゲームなんてやらされずに済んだはず。あれはフラれるの前提なんだから。

 フラれる前提ってことは、どこからどうみても好みじゃないし、釣り合いもしないからそうなるわけで。

「…………」

 緑の瞳がまるで沼のようだ状態のわった目で、ミウは静かに物影から出てすごすごとシェルディナードの側まで戻る。

「シェルディナード先輩……」

「悪かった。とりあえず、こっち行くぞ」

 サラも、と。連れられて移動した先には小さな公園とベンチがある。

 先ほどの件があった後に夕暮れ間近の公園に連れ込まれるなんて、それこそ回れ右して脱兎のごとく逃走案件だろう。普通なら。

 しかし。


 ――――ふっ。……シェルディナード先輩が何かするとか、あたし自意識過剰も良いところだよねあははは…………。


 菩薩ぼさつのごとき微笑を浮かべたミウにとっては、夕暮れ、公園、人気無ひとけない、静か、も食堂の一角となんら変わらない。もはやさとりの境地きょうちと言っても過言ではない。なので。

「すみません。罰ゲームでシェルディナード先輩に告白しました。好きじゃないです」

 なんて事も言えてしまう。

 まあ、ベンチの上で正座して頭を下げながらではあるが。

 貞操ていそうの危機は感じないが、生命の危機は感じる。

「ふーん。で?」

「…………えっと、なので『彼女』は無かったことに」

「んー、どうすっかなー」

 面白がるというか勿体ぶるような口調にイラッとするが、我慢がまん

 頭を下げ続け、不意に「ミウ」と名を呼ばれて顔を上げる。

「別れてやっても良いぜ? ミウが俺に釣り合うようになって、俺を告白と同じように公衆の面前でふるならな」

「…………………………は?」

 なんですと?

 幻聴だろうか。シェルディナードがふるのではなく、ミウがシェルディナードをふるのだと聴こえた。しかもシェルディナードに釣り合うようになって。

「すみません。何か幻聴……」

「ミウが俺に釣り合うようになって、公衆の面前でふるなら良いぜ?」

「幻聴……」

「ミウが俺に釣り合うようになって」

「ルーちゃん。……それまだ続ける?」

「仕方ねえだろ、サラ? ミウが幻聴で聴こえねぇって言うんだし。聴こえるまで言うしかないじゃん?」


 ――――っ!!??


「ま、待ってくださいぃぃぃぃ! 先輩、あたしに死ねって言ってるんですか!?」

「言ってねえよ。釣り合うようになって俺をふれって言ってるだけ」

「それ、同じじゃないですかあぁぁぁぁぁ!!」

 何そのどうあがいても絶望しかないやつ。

 十貴族の一つである名家の令息を明らかに何も釣り合わない一般庶民がふるとか、本気で何様のつもりって言われて殺される。

 冗談じゃなく。マジで。

 少なくとも表じゃなく確実に裏で消される。

「ミウ。落ち着けって」

「あ痛っ!?」

 ペチン、と音はしても実際それほど痛くはないくらいの力加減で、シェルディナードはミウの眉間にデコピンを見舞った。

 長い前髪ごと眉間を両手で押さえ、ミウが涙目でシェルディナードを見る。

「今、仮に別れても結局同じ目にうぞ?」

「な、なんで……」

「俺、来るもの拒まず去るもの追わずなんだ」

 つまり、自分からふることはない、と。

「だから、別れたいならどのみちミウが俺をふるしかないんだな。これが」

「そん、な」

 いや、ふって下さいよ。と言えるわけもない。

 格上の相手の信条を格下が変える事は、この世界ではあり得ない事だから。

 ここで相思相愛なら話は別だろうが、実際問題この二人は違う。

「だから、釣り合うようになれって」

「む、無理ですよぉ!」

「大丈夫大丈夫。死ぬ気でやれば大抵の事は何とかなる」

「何とかなりませんんんんー!!」

「心配すんなって。特別に今回ミウにはチートなサポートつけてやっから」

「チートが必要なレベルってわかってるって事ですよねぇぇぇぇぇ!?」

「つーわけで、サラ」

 シェルディナードの横で肩にもたれて眠っていたサラが、その声で目を開ける。

「…………ルーちゃんの、お願いなら」

「お願い」

「わかった……」

「ひっ!?」

 サラが目を開けた瞬間、ミウの背筋に悪寒が走る。

 何と言うか、向けられる視線に眠りを妨げられた系の不機嫌さと、手をわずらわせるの? と言われているような冷たさを感じたからだ。

「…………ルーちゃんに、釣り合うように、すれば良いんだよ、ね?」

「おう」

「…………がんばる」

 頑張らなくて良い。頑張らなくて良いから止めてくれ。


 ――――あたし、どうなるの!?


 これは、あたしが悪女と呼ばれるまでの物語。





 親友には沢山の『彼女』がいる。

 その誰もが、今までは家柄や能力、容姿と親友と比べても釣り合うものが何かしらある者達だった。

 しかし。

(ルーちゃんの、頼みだから……)

 サラはどれも今現在、親友と釣り合いそうもなく、しかも親友を『罰ゲーム』で使用した少女を見た。

 緑の癖があるボブ程度の髪、同じ色の瞳。肌は色白でもなく普通で、身に付けているものは先ほど物影に逃げた為か若干汚れている。背は低め。

 そして親友を見る。

 サラッとした柔らかい白い髪に褐色の肌、鳩の血色をした深い赤の瞳に整った顔。均整の取れた体躯たいくで背も高い。

 程よくつけたアクセサリー類から見ても、センスがうかがえる。

(がんばろ……)

 何気に今までで一番難しい問題を目の前にしたといった面持ちで、サラは密かに溜め息をついた。

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