第二十四話 王子の紋章。

 月の光の糸は細く、綿や毛と同じように織ることはできない。織機の部品を替え、薄物用に調整する必要があった。夢の中で見ていたので、迷うこともなく無事に変更することができた。


 〝時戻りの衣〟は、長方形で構成された不思議な服。ガウンとも違っていて、畳むと完全に平らになる。必要な幅と長さは計算済み。


 ロブとの夏の思い出、そしてアルテュールの優しさを思い出し、ただひたすらに細い細い糸を打ち込み、織っていく。巻き取る布は七色に光り輝いて美しい。


 いつの間にかテラスで踊ったダンスの拍子で布を織っていた。幻想的な月の光の世界に、二人だけが存在しているようで何もかも忘れて楽しむことができた夢の時間。


 王子の愛人として公式の場所に立つことは恐ろしい。それは王子妃になれない私には仕方のないことで。……私だけを選ぶという言葉を信じるしかない。


 すっと心が冷えそうになって手を止めると、アルテュールに声を掛けられた。

「ただいま」

 近寄ってきたアルテュールの大きな手が私の両肩を抱く。

「おかえりなさい。気付かなくてごめんなさい」

 振り仰いで微笑むと、額に口づけられて鼓動が跳ね上がる。


「見ていても楽しかったから、謝らなくていい。機織りの音で踊れそうだった」

「先日のことを思い出しながら織っていました」


「また二人きりで踊ろう。……今日は一緒に夕食が食べられるな」

「もうそんな時間なのですか?」

 天窓から見える空は、まだ青い。


「夕食を食べたら、また戻らなければならないんだ」

「……アルテュール、お忙しいのなら無理に帰って来なくても……」


「無理に帰ってきてる訳じゃない。私がイヴェットの顔を見ないと落ち着かないんだ」

 背中から抱きしめられると温かくてくすぐったい。寄り掛かって体を預けると、アルテユールが嬉しそうな笑顔を見せる。


「王城で何か難しいことが起きているの?」

「……難しくはない。交渉相手が諦めないだけだ。それに新年の準備もあるから、なかなか職務が終わらない」


「私も何かお手伝いできたらいいのに……」

「イヴェットはここにいてくれるだけで、私の心を支えてくれてる。王子を辞めて逃げ出したくなっても、イヴェットの笑顔を思い浮かべると頑張れるんだ」

 アルテュールが安堵の息を吐き、温かな重みが肩に掛かる。お互いに支え合っているような気持ちになれて嬉しい。


 幼い頃のロブとの思い出は私の心を支えてくれていた。今、私がアルテュールの心を支えられるのなら、良かったと思う。


 アルテュールが私を背中から抱きしめたまま、織機に視線を移した。

「これが蜘蛛の糸なのか? イヴェットが紡ぐと綺麗な糸になるんだな」

「ありがとう。とても綺麗でしょう? 細くても丈夫な糸なの。織って仕立て上がったら、一番にアルテュールに見せるわね」

 これが月の光の糸とは、まだ言えない。〝時戻りの衣〟を完成させてからでないと。


「何が出来上がるのか、楽しみにしてるよ。少し早いが、夕食にしないか?」

「はい」

 アルテュールの差し出す手に引かれ、私は椅子から立ち上がった。


      ◆


 新年が近づくとアルテュールはさらに忙しくなっていく。疲れたような溜息を吐くことも増えてきた。王子の公務や職務のことを聞きたいと思っても説明に時間を割くくらいなら、一緒に過ごせる貴重な時間を大事にしたい。


 雪がちらつくテラスで一曲を踊った後、私は疲れたと嘘をついて部屋に戻った。

「イヴェット、大丈夫か? 足を痛めたのか?」

「いいえ。アルテュール、座りましょう」

 恥ずかしい。とにかく恥ずかしくて、顔が熱くなっていく。


「イヴェット、顔が赤い。熱でも……」

「す、座って下さいっ!」

 心配気な表情をするアルテュールと長椅子に並んで座り、どきどきとする胸を押さえて決意の息を吸う。


「どうしたんだ? いつものイヴェットと違う……」

 こういう時、何と言えばいいのかわからない。無言で腕に抱き着いて、引っ張ってみる。


「イ、イヴェット? 何を……」

 私の力では、腕を引いたくらいではびくともしなかった。恨めしい気持ちで見上げると、アルテュールがうろたえる。


「な、何をしたいんだ?」

 おろおろとされても、まさか膝枕をどうぞと口にすることは恥ずかしい。昨日、ノーマに疲れを取る方法を聞いて、膝枕が効くと教えてもらった。


「……ひ、膝……」

「膝が痛いのか?」

 慌ててドレスをめくろうとした手を止める。


「……ち、違います……」

 このままでは、アルテュールの疲れを癒す前に、私の心臓が破裂してしまう。唇を噛み締めてみても、言葉にはどうしてもできない。どう伝えればいいのか。


 無言のまま、自分の膝を軽く叩く。

「イヴェット? ……まさか……」

 もう一度叩くと、アルテュールは口を片手で覆い、耳が赤く染まった。 


「いや、そ、その、だな。…………ノーマか……」

「……嫌なのですか?」


「違う! そうじゃなくて! あー、その、頭は重いぞ」

「お嫌なら、諦めます」

 せっかく良いことを聞いたと思ったのに。肩を下げた時、アルテュールが勢いよく仰向けに私の膝に倒れ込んできて、手で鼻と口を覆う。


「だ、大丈夫ですか?」

 私の脚は痛くはなかったけれど、かなりの勢いだった。

「……や、柔らか……いや、そうじゃなくて、大丈夫だ」 

 

 最初は耳を赤くして話をしていたアルテュールは、すぐに眠ってしまった。このダンスの時間を作る為に、どれだけ無理をしていたのかと考えると心が痛む。


 白い仮面は着けられたまま。早く呪いを解いて、この仮面を外してあげたい。雪が舞う窓の外を見ながら、私は金色の髪を撫で続けた。


      ◆


 舞踏会が翌日に迫る中、アルテュールによってドレスが持ち込まれた。出掛けていくのを見送って、確認の為に箱を開けると信じられない物が入っていた。


 白地に金糸でアルテュールの紋章の刺繍が施された豪華なドレスは、私の国では妃か婚約者にしか許されていない意匠デザイン


 別の箱には、白い毛皮で縁取りされた青い天鵞絨のマント。こちらも背中に紋章が金糸で刺繍されている。


 私はノーマを部屋に招き入れてドレスを見せた。

『ノーマ、この意匠はフリーレル王国ではどういった意味なの?』

 愛人でも王子の紋章を身に着けることができるのだろうか。


『これは王子妃の為のドレスですよ。伝統を重視しながらも、流行が取り入れられている素晴らしい意匠ですね。これは相当腕の良い職人だわー。誰だろう? ……仕事が細かいなー』

 ノーマの興味は、専ら意匠へと向かう。ドレスの裏側を確認したり、職人のこだわりに感心しながらドレスの作りについて解説してくれる。


 白いドレスの布には花模様が織り込まれ、胸元と立襟は透けるレースで作られている。袖先は優雅に広がっていて、スカートはたっぷりと贅沢に布が使われている。立っている時は優雅、踊っている時にはスカートが広がって美しく見えるだろうと、興奮したノーマの話は止まらない。


 王子妃のドレスを私が着る資格はない。アルテュールに確認しなければと思いながら、私はノーマの話をずっと聞いていた。

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