第二話 糸を紡ぐ。

 日当たりの悪い部屋の中、糸を紡いで織るのが私の日課。子爵家から持ち込んだ糸紡ぎ機と織機は、古道具屋が買い取りを拒否する程に古びている。美しく整えられた部屋の中、違和感があるのは仕方がない。


 何も望まなかった私が、唯一持ち込んだ道具がこの二つ。これだけが私の持ち物。

「今日もよろしくね」

 糸紡ぎ機と織機を撫で、挨拶をする。


「何を糸にしようかしら」

 口角を上げて微笑みを作り、棚に置かれた箱を開く。中に詰まっているのは綿花、隣りの箱には羊毛。様々な糸の原料は子爵家では考えられなかった高級品。すでに洗浄されて整えられていて、すぐに糸を紡ぐことができる。


 毎月、夫は私に服を買い与える。それは体裁を整える為であっても、上質で高級な物ばかり。仕立て屋に糸にする為の端切れをもらえないかとお願いしたら、無料で綿花や羊毛をドレスと共に納品してくれるようになった。


「綿の糸にしましょう」

 そう。私は恵まれている。何度も繰り返し、自分に言い聞かせる。


 愛の無い結婚は覚悟していた。この国の貴族は女性が持参金を持って嫁ぎ、子供が生まれると倍額を男性が女性の家へ納めるのが通例。持参金が無い私はそもそも結婚できるかどうかも怪しくて、両親は裕福な商人たちにまで声を掛けていたらしい。


 糸紡ぎ機の前に椅子を置いて座り、足板を踏むと糸車が回る。これも古道具屋が買い取りを拒否した理由でもあった。貴婦人が使う糸紡ぎ機は、糸車の取手を手で回す物が好まれている。足で操作する物は労働階級が使うとされている。


「両手が自由に使えて便利なのに」

 からからと軽やかな音を響かせて、糸車が回る。綿花が私の指で糸に変わっていく。何も自由にならなかった私が、唯一自由に変えられる光景を見ると心が落ち着く。


 時間を忘れて糸車を回していると、糸巻きいっぱいに糸が出来上がった。新しい糸巻きに変えて、また糸を紡ぐ。この糸を染めて、布を織る。何の色にするか、何を作るのか、想像は果てしなく広がっていく。


 私が紡ぐ糸は細くて丈夫。子爵家に居た頃、どうしてもお金が必要になった時に糸を紡いで売ったことがある。織物屋は私の糸の品質に驚き、定期的に買い取るという話まで出ていたのに父母が潰した。貴族が労働することは恥だと決めつけ、二度と来ないようにと織物屋に言い渡した。


「もう過去のことは忘れないと」

 落ちて行きそうな気持ちを建て直し、回る糸車を見つめる。


 私が本当に紡ぎたいのは月の光の糸。光をどうやって糸にするのかはわからない。月の光の糸を紡いで布を織り〝時戻りの衣〟を作ることを目指して、私は糸紡ぎと機織りを覚えた。


 ロブに会えなくなった今では、もう必要がないとわかっている。それでも、いつか完成させてみたい。

 

 淡い初恋の思い出に浸りかけた時、部屋の扉が軽く叩かれた。

「どうぞ」

 声を掛けると俯いたルイーズが部屋に入ってきて挨拶を行った。ルイーズが身に着けているのは、私と同じ上質な絹の服。これでは、どちらが女主人なのか区別がつかない。


「何も用事はないから、部屋でゆっくり休んでいて」

 ルイーズは夫の私室の近く、日当たりの良い場所に居室を与えられている。

 

「はい。ありがとうございます」

 ルイーズが顔を上げる瞬間、何故か嫌な笑顔を浮かべていたような気がした。人を馬鹿にしたような笑い。……そんなことはある訳がない。きっと私の邪な気持ちのせいでそう見えただけ。


 夫が私ではなく、ルイーズを見初めて結婚を申し込んできたと聞いた時、私はルイーズに侍女を辞めて逃げるようにと勧めた。ところが優しいルイーズは、自分が逃げると子爵家が潰れてしまうと言って偽りの結婚を承諾した。


 そう。ルイーズは優しい。女性らしい美しさと心の優しさが夫の心を射止めたのだろう。一方の私はどうだろう。夫に対する恋愛感情は無いにしても、こうして嫉妬する醜い心を持っている。


 作り笑顔でルイーズを送り出した私は、自分の心の醜さに溜息を吐くしかなかった。


      ◆


 太陽が傾き始めた頃、音を立てて勢いよく扉が開かれた。

「あ……」

 そこには冷たい目をしたダグラスが立っていた。白金髪に水色の瞳。黒い絹のタイを結び、鉄紺色のロングコートには華やかな細工が施され、その端整な顔立ちを引き立たせている。


 名前を呼んでいいのか迷う。「旦那様」と呼ぶのは、どうしてもルイーズの顔が浮かんでしまう。


「ル、ルイーズは私室に……」

「……辛気臭い部屋だな。魔法灯ランプくらい点けろ」

 私の言葉を遮って部屋に入って来たダグラスが、織機と糸紡ぎ機を一瞥する。


「何の音かと思ったら、これか」

「も、申し訳ありません。音がご迷惑でしたら止めます」

 外に聞こえるくらいに大きな音ではないと思っていた。響くようであれば、止めるか音を出さないようにするしかない。


「止めなくてもいい。今日は用があったから帰っただけだ」

 ダグラスがテーブルの上に茶色の革袋を投げた。袋の口が開き、金貨がテーブルに広がる。


「金が無いなら言え。私はお前を監禁している訳ではない」

「……お気遣い下さり、ありがとうございます」

 椅子から立ち上がり、貴婦人の礼を行うと溜息を吐かれた。何故かびくりと体が震える。


「仕立て屋に糸の材料をもらっているそうだな。平民から施しを受けるなど貴族の恥だ。これからは正規の金額を払う話を付けた。買い物をしたければ自由に買えばいい。どの店でも代金はフラムスティード侯爵家が払うといえば通じる。……まさか、付け払いをしたことがないのか?」

 眉をしかめる表情が怖い。嫌な音を立てる心臓を押さえながら、気持ちを落ち着かせる。


「あ、あの……いつも現金払いでしたので……」

 借金だらけの子爵家に信用などありはしない。毎年の領地収入もあっという間に使い果たす両親に、付け払いを認める商人がいるはずもなかった。


「……私に恥をかかせるな。毎日、公園へ散歩に行け。専用の侍女と従僕を付ける」

 それは決定事項なのか。行きたくないと思っていても、妻は夫に従うしかない。


「知らぬ間に、私はお前を監禁している極悪人と噂されていた。私はお前と子爵家を十分に援助しているのだから、悪い噂を払拭してもらわねば困る」

 どうやらその噂を聞いて、慌てて帰って来たらしい。不機嫌さを隠すこともなく、また溜息を吐く。

「申し訳ございません」


「買い物にも行けばいい。宝石でもドレスでも好きな物を買え」

「もう十分買って頂いております」 

 半年の間で、広い衣装部屋の半分がドレスで埋まっている。どこにも出掛けることのない私には不要であっても、仕立て屋は毎月納品と採寸に訪れる。


「……それから」

 ダグラスが突然私の手首を掴んだ。手を振り払われることは何度もあっても、手首を掴まれたことはなかった。恐ろしくて体の震えが止まらない。


「夕食しか食べていないそうだな。食事をちゃんと取って、もう少し肉を付けろ」

「は……はい」

 私の手首の細さを大きな手が確認するように動く。……心配してくれているのだろうか。震えながらも、ダグラスを見上げると冷たい視線とぶつかった。溜息と同時に、手が離される。


「見送りは不要だ。陰気な顔を見せるな。うっとおしい」

 扉を開けたままダグラスが出て行き、体から力が抜けた私は椅子へと座り込んだ。

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