第12話 天守閣に猿の三吉がチョコンと






 演目はさらにつづいた。


 恋しいわが子に身をやつした老父が狂い舞う『木賊とくさ』。

 平維茂と戸隠の鬼神の勇壮な活劇を語る『紅葉狩』。

 幼馴染みの木曽義仲を慕う愛妾の哀れを謳う『巴』。


 矢継ぎ早やに「信濃物」の山場を情感ゆたかに語り終えた山吹大夫は、


 ――長すぎるのでは?


 訝しく思われるほど長い間をとったあと、今度は先刻と打って変わった「悲恋物」の出し物で、すでに陶然となっている観客にさらなるゆさぶりをかけて来る。


 まずは、自分に懸想する老人を蔑んだ女御の受難を物語る『恋の重荷』。

 女御の思いつきを命じられた侍臣が、もっともらしく老人をけしかける。


 ――この重荷を持って、庭を百度、千度とまわるならば、そなたの愛しき女御はすがたを見せるであろう。


 恋に夢中の老人は何とか苦役を成し遂げるが、肝心の女御はあらわれないまま。

 それもそのはず、人の心を弄んだ女御は、目に見えないなにものかに足をつかまれて立ち上がることができず、罠にかかった動物のように身悶えしていたのだ。


 ――恋よ恋 わが中空に なすな恋。


 高貴な女御になりきった山吹大夫は、笛のような女声を、高く鋭く噴き上げた。


 ――ハアァー。


 息を詰めて見守っていた女中衆は、いっせいに、切なげな吐息を吐き出した。

 志乃とて、例外ではない。

 いけない、いけないと思いながら、山吹大夫に惹かれる自分を志乃は叱った。


 ――忍の道は「心に刀」。ゆれる心に刀をば、エイッとばかりに袈裟懸けじゃ!


 だが、思えば思うほど、山吹大夫の一挙手一投足から目が離せなくなって来る。


 めくるめくような時間はあっと言う間に過ぎ、早くも春の日は西に傾き始めた。


「では、最後に『土蜘蛛』をお目にかけまする~」簡潔に口上を述べた山吹大夫の声音は、病床の源頼光の枕辺にあらわれた、得体の知れない僧形に変じていた。


 ――わが背子が来べき宵なり ささがにの蜘蛛のふるまい かねてしるしも……。


 含みをもたせた声で、さも恐ろしげに告げると、山吹大夫のかたわらにチンマリと控えている猿の三吉に向け、蜘蛛の糸に模した白い糸の束をパッと投げかけた。


 投げられた三吉も心得たもので、雪を分けるように白糸の束から真っ赤な顔をヒョッコリと覗かせる。観客はヤンヤの大喝采で大団円なり、と見えたそのとき、当の三吉が、全身に絡みつく蜘蛛の糸からスルリとばかりに見事に抜け出した。


 空を仰いだ山吹大夫が、「あっ!」と、ひと声高く叫んだ。

 観客が釣られていっせいにふり仰ぐと、あろうことか、お城の天守閣に三吉がチョコンと座っている。


「あ、それそれっと。猿の三吉がご天守の上で、クルリ、クルリ、クルリと、三度つづけて宙返り。あ、それそれ!」


 すかさず山吹大夫が囃すと、赤いちゃんちゃんこもあざやかな三吉が、天守の上で3回宙返りをして見せたので、ふたたび割れんばかりの大拍手が湧き起こった。


 つぎの瞬間、三吉はもう山吹大夫のかたわらにもどっていた。

 なにやらコソコソッと大夫に耳打ちをする。


「なになに、ご宿老をここにお呼びしろと? ふむ、ご天守から遠く見晴るかした西方浄土のご託宣でござるか。ふうむ、ならば、従うしかあるまいのう」


 ――なるほど、そういう仕掛けだったのか。


 城内の内輪もめの仲介を依頼された大久保長安は、すでに引退して久しい宿老を登場させることで、一件の解決を図ろうとしているのだろう。

 熱狂する群衆のなかで、志乃はひとり深々と合点していた。

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