第7話 過酷な生い立ちと信濃巫






 観音小路、袋町、新町と歩きながら、志乃は自分の生い立ちを思い返していた。


 物心がついたときは、山の中の朽ちかけた小屋で、母親の澄と暮らしていた。

 山から山への通り道になっているのか、年中、強風にさらされる峡の里だった。


 冬の北風、春の東風、夏の夕立が運ぶ涼風。

 秋になると、われ先に枝から飛び降りた栗のいがどもが、ひと晩中、カーンカーンと板葺き屋根を打ちつづけ、子ども心にもたまらない侘しさを誘われた。


 沢の水を汲んで日々の煮炊きを営み、温かな季節には、山の猿や鹿と一緒に渓流で沐浴を楽しんだ。水藻のような澄の髪が、澄んだ川底の魚群を驚かせたりした。


 ときどき百姓風の中年男が訪ねてきた。


「こんなところでご不自由かと思いますれども、どうか勘忍しておくんなんしょ」


 そのたびに同じ文言を繰り返し、哀れみをこめた眼差しで、澄と志乃を見た。


 男の目の底に、同情とは異なる熱いものがたぎり始めていることに気づいたのは、志乃が10歳になった春だった。


 ある日――。

 男が来ると、澄は志乃に外で薪割りをするよう命じた。

 以来、母の目を見なくなった娘に困った澄は、初めて真実を打ち明けてくれた。


「おまえの父さは上田城の殿さまじゃ。狩りに来られたとき野良稼ぎのオラに目をつけられた。むろん、いっときの慰みだ。殿さまにとっては女子など手当たり放題だからな。伊兵衛どんに援けを命じられただけでも、よしとせねばならないのさ」


 口惜しさと、いささかの懐かしさを滲ませながら、澄は淡々と事実を説明した。


「けんど、二親を早くに亡くして遠い親戚に引き取られ、天涯孤独だったオラに、おまえというかけがえのない娘を授けてくれた安房守(真田昌幸)さまに、わしはむしろ感謝している。だからな、志乃、おまえも父さを恨むではないぞ。よいな」


 知っている言葉の限りを尽くして所業を正当づけようとする。

 そんな澄が志乃にはひたすら鬱陶しく思われてならなかった。


 ――母さは汚らわしい。


 事実はそんな綺麗事ではないはずだ。


 親しみと蔑みをこめて「ののうさま」と呼ばれる「歩き巫女」信濃巫のひとつ、諏訪巫の一座が母子の里に巡ってきたのは、ちょうどそんなころのことだった。



 武田信玄が上杉謙信と戦った川中島合戦で、信玄の甥・望月盛時が戦死した。


 若き未亡人となった盛時の妻の千代女は、甲賀流忍術を伝える近江国甲賀53家の筆頭、望月家の娘だったので、信玄は女だけの間諜組織づくりを思い立った。

 望月千代女を「甲斐信濃2国巫女の棟梁」に据え、信濃小県しなのちいさがた禰津ねつに「甲斐信濃巫女道」の修練同場を開かせた。それが信濃巫の起源とされる。


 美貌、俊敏な肢体、聡明な頭脳などの美質をあわせもつ巫女候補を探し歩くのも遊行の重要な目的とする諏訪巫に誘われた志乃は、迷わず母の小屋をあとにした。


 堂々と男が訪ねて来るようになった母娘の日常は清流から濁流に変わっていた。


 ――なんでもいい、こんなおぞましい場所から一刻も早く抜け出したい。


 娘が竈拂かまどはらひや口寄せの修業道に入ることを、澄は引き止めようとしなかった。

 諦めながらもどこかで慰留を期待していた志乃は、そのことでさらに傷ついた。


 ――母さは娘より男を選んだのだ。


 紛れもない事実が、志乃の胸にいつまでもさびしい翳を落としつづけていた。

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