第30話片桐先生②

=アルテミ研究所の地下10階=


 ……フロアの薄暗さからその表情までは確認出来ないが、おそらく50代後半だろう。


 この男が片桐総一郎であることは、片桐先生の表情を見れば確認するまでも無かった。


 そして片桐先生はエレベーターから数歩前に進むと、普段の彼女からは想像も出来ないほどの怒りに満ちた表情をしながらおもむろに口を開き出した。


「……父さん、……いえ、片桐総一郎。」


「ふふふ、ははは。……はーっはっはっはっはっはっは!!」


「何がおかしいの!? 父さん、あなたは昔からそうやって人を小馬鹿にして……!!」


「いやいや。すまんね、笑ったのは決して馬鹿にしているからではない。……何も知らない、と良いのはあまりにも滑稽だと思ってね。」


「……何ですって?」


 自分の父を前にして憎悪を増幅させる片桐先生の口調は少しずつ低く、重くなっていく。


 だが、そんな片桐先生の変化にすら興味を示さないまま、片桐総一郎は話を続けた。


「お前は本当に私を自分の父だと思い込んでいるのだな、と思ってね。お前を被験者に選別してからの10年間は本当に楽しませてもらったよ。……お前の父は死ぬ間際まで娘のことを案じていた、理想の父親だったと思うよ。ふふふ、…おっと、笑ってはいけないとことだったかな?」


「な、……何を言っているの?」


「お前は父親に再会したいか? したいのであれば右を見てみるが良い、……笑えるぞ?」


 片桐先生は片桐総一郎の言葉に困惑しながら、視線をゆっくりと自分の右側へと向けた。


 すると、そこには一体の白骨が無造作に置かれていたのだ。


 何年、いや10年以上だろう、正確な年月が判断出来ないほどに古びた白骨だった。


 ……そしてその白骨は自分と同じように白衣を着ている、……この人物は誰?

 

「あ、ああ……あああ。」


「片桐先生!!」


「片桐、そっちを見るな!!」


 見る見るうちに動揺の色を深めていく片桐先生だったが、偶然にもフロアの空調が向きを変えて白骨が着ている白衣のポケットから一枚の紙が飛んできた。


 そしてその紙は片桐先生の足元に落ち、彼女は自然とその紙を拾い上げると愕然とした表情のまま体を小刻みに震わせ始めた。


「父さん……、どうして!?」


 その紙は写真だった、……とある家族の集合写真。


 中央には幼き頃の片桐先生とその彼女を優しい笑顔で包み込む片桐総一郎が写っているではないか。


 ここから導き出される事実は? ……答えるまでもない。


 ランや沖津の言葉すら耳に届かない状態に陥った片桐先生は、表情を怒りと表現することが可愛く思えるほどのそれに変貌させて片桐総一郎『もどき』に視線を戻していた。


「マズイな、……片桐は冷静さを失っている。ラン、俺たちはサポートに徹するぞ?」


「……沖津さん、俺もブチギレそうだよ。じゃあ、あいつは何者なんだ!?」


「そんなことは知らん。とにかくお前まで冷静さを失うな、俺だってお前と同じ状況なんだよ。」


 沖津が状況の劣悪さを口にするも、時既に遅かったようで片桐先生は片桐総一郎もどきに向かって走り出していた。


「片桐!! くそ、俺はバランサーに徹するからランはあの偽物の隙を見つけて、そこに攻撃をするんだ!!」


「了解!!」


 敵に向かって一直線に走る片桐先生に対して沖津とランは左右に展開した。


 いつの間にか手に数本のメスを手にしていた片桐先生は、低い姿勢のままそのメスを投擲する。


 そしてその投擲速度を遥かにうわ回る身のこなしで、敵にアルテミを集中させた手足を駆使して徒手空拳技で連打を浴びせ始めた。


 その形相は、鬼……、いや、それすらも可愛げがあるように感じれるものだった。


「あああああああああ、せいっ! やあ!!」


 そして連打のトドメに敵の鳩尾に正拳突きを入れてから、その後方に回って羽交い締めにして先ほど投げたメスの標的に仕立て上げた。


 すると敵である片桐総一郎もどきに顔面にサクサクとメスが突き刺さる。


「沖津さん、もしかして決着が付いたんじゃないの!?」


「……俺も判断が出来ん。相手はアルテミドラッグなんてものを開発した輩なんだ、とにかく死亡を確認するまでは油断をするな。」


 沖津は片桐先生が羽交い締めの状態にしている敵を下から蹴り上げて、宙に浮かせた。


 ……空中では身動きが取れないはず。


 敵に対して三人の攻撃を集中させれば確実に仕留めることが出来る、これが沖津の考えだ。


「ラン、片桐!! トドメだ!!」


 沖津の合図を皮切りに片桐先生とランはそれぞれに構えを取り出した。


 片桐先生は先ほどの倍はあろう数のメスを手に取って、アルテミを注入してそれを上空に向かって放つ


 一方、ランは居合の構えから剣身にアルテミを注入して、それを光の刃へと変えて上空に放つ。


 そして、それと同時に沖津はブレードを最大限まで強化してから、大きく跳躍すると上空の敵に対して全力で斬りかかった。


 三人の攻撃が全て命中した、……そして沖津はその様子をゆっくりと観察する。


 だが沖津はその結果に目を大きく見開いて、身動きが取れない空中で体を硬直させてしまった。


 ……戦闘中の硬直は死を意味する。それを分かっていながら、厚い戦歴を有する沖津が思考を停止させてしまったのだ。


「ふはははは、……ははは!! 俺を人間だと思っているからそんな顔をするんだよ!!」


「何だと?」


「俺の正体、……拝んでみるか? 『地球人』。」


 三人の攻撃に晒されながらも、その余裕の姿勢が揺らぐことのない片桐総一郎『もどき』は空中でアメーバの如く形を変え始めた。


 その光景に、……『人間ではあり得ない』光景に三人は一斉に驚愕することになった。


 地球人にはあり得ない毛が一切生えていない体躯にツノが生えた頭部、そして悠に3メートルはあろう巨体に姿を変えていた。


 片桐総一郎『もどき』の正体は……『宇宙からの来訪者』だったのだ。


「何だと!? お前はエイリアンだったのか……。」


「地球人よ、『ドルダーツ人・デバス』の実験を邪魔しよって。その代償はデカいぞ?」


 沖津はデバスと名乗るエイリアンに空中で蹴りを入れて、距離を取りつつ床に着地した。


 だが、その完璧な着地とは裏腹に沖津の精神状態は最悪だった、……まさかエイリアンとは、沖津が全く想定していなかった状況であることはその表情から他の二人にも明白だった。


「エイリアンが実験!? 何の話だ!?」


「頭の悪そうなガキめ、……それを知ってお前に何が残る?」


「散々俺たちを弄んでおいて、それがお前の答えか!?」


「ふん……、まあいい。どのみちお前らは死ぬんだ。教えてやろう。簡単な話だ、同胞にはリスクが高い人体実験を貴様ら地球人を被験者として実行していたのだよ。」


「簡単過ぎるわね……、あなたは人の命を何だと思っているの?」


「おお、我が『愛しの娘・エレナ』よ。そう怖い顔をするでない、……お前の父親は日本政府の上層部からも信頼されていた優秀な研究者だった。あいつと入れ替わればすんなりとこの実験を進められると思ってな、……ふはははは、おかげで日本政府の資金で実験をすることが出来た。」


「……あの優しかった父さんが何故、突然に人が変わったかのように実験に打ち込み始めたかが、良く分かったわ。」


「お前の『優しい父親』が最後に残した言葉を教えてやろうか?」


「…………。」


「『家族だけは、娘だけには手出しさせん』、だそうだ。自分は死ぬと言うのに滑稽な話ではないか。流石は低脳な地球人だったよ、はーっはっはっはっは!!」


「……お前は何を想ってこの実験をしていた?」


「今度はお前か、確か沖津だったな。地球人にしては中々の実力者と見受ける。そんな人物が下らない質問をするものだな?」


「……質問に答えろ。」


「んん? ふはは、実験だぞ? お前たちだってネズミやプランクトンを使って暴露実験をするだろう? それと同じだよ。」


 あまりにもかけ離れた現実が目の前にある、そして、その現実が口にした言葉は到底理性や思考を持った生物とは思えない、残酷なものだった。


 ラン、沖津そして片桐がそれぞれに口にした質問に対する答えは、彼らの表情を一変させるには十分なものだった。


 ……憎悪、憤怒、あらゆる言葉を使った表現の限界を超えた感情が三人には芽生え始めていた。


「お前に! お前なんかに父さんとの思い出を汚された!!」


 三人の中でもはや理性すらも残さない修羅へと変貌していた片桐は、再びデバスに対して突撃の姿勢を取った。


 だが、それは直線的なものではなくアサシンらしい動きを伴っていた。


 片桐先生は壁を疾走していた、……これは片桐先生が足の裏に集中させたアルテミで粘着性を実現しているのだ。


 この技術はアサシン特有のものであり、ランが沖津へ切り札として使ったそれである。


 粘着により固定とその解除、この二つを高速で切り替えることでアサシンは壁の疾走を現実のものとするのだ。


「何だ、思い出などと。そんな抽象的なもので怒りを見せるから地球人は猿だと言うのだ。」


 そして続け様のデバスの失言、この言葉が片桐先生の暴走に拍車をかけることになる。


「あなたは死んですら償い切れないことをしたと思わないの!?」


「償うとは滑稽だな。寧ろ、お前たち地球人にもその恩恵を分けたではないか? 事実、日本政府はこの『アルテミドラッグ』にご執心のはずだ。」


「もはや言葉すら意味が無いのね!? だったら、……これで死になさい!!」


「片桐先生!?」


 片桐先生の優しい一面しか見てこなかったランにとって、この光景は常軌を逸していた。


 どうすれば、あの片桐先生がここまでの言葉を口にするのか? その答えは目の前にいる、それだけでランの心も彼女を共有することが出来た。


 ブレードを握るランの手に考えられないほどの力が宿る、そしてその力をデバスへぶつけろ。


 ランの思考は片桐先生への想いで溢れかえっていた。


「うわああああああああ!! 片桐先生の想いすら理解出来ないってのか!?」


「はあ……、今度はガキの癇癪か?」


 ランはその場から再び、光の刃を放った。


 先ほどは速度重視だったが、今回はブレードに通常の三倍のアルテミを注入して放たれたのだ。


 ランは育成学校の演習で状況に応じて、この二つの性質を使い分けていた。


 先ほどの攻撃で一切ダメージを当てられなかった、と判断したランは躊躇なく技の性質を切り替えたのだ。


 だが、その攻撃すらデバスには届かない、……沖津との戦闘の時と同様にデバスの素手でいとも簡単に握りつぶされてしまったのだ。


「痛くも痒くも、とまではいかんがチクッとしたかな? ふはははは!!」


 それでもランの表情に焦りの色は見られなかった、……それはランがこの攻撃の真意を別のところに見出していたからだ。


 ……片桐先生の攻撃である。


「ラン君、フォロー助かるわ!! やああああああ!!」


 片桐先生はデバスの真上まで壁を疾走していた、そして、そこから先ほどと同様にアルテミを注入したメスを投擲していた。


 一見、先ほどと同様の攻撃に見えるが、片桐先生の放ったメスは不気味な紫色に変色している。


 これは何を意味するのだろうか?


 それは片桐先生がエレベーターの中で白衣のポケットに忍ばせた小型の箱、これがメスの変色の正体である。


 そして、これこそが片桐先生が学校をすぐに去らなかった要因であり、学校の理科室で彼女が調整を行なっていたもの。


 ……猛毒兵器である。

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