第2話

 僕は講義を理由に女性と逢う。

 その事実に多少なりとも高揚した僕は、たった二日で読み終え、『来週の月曜にお返しします』と連絡する。

『早いですね!やっぱり先に貸して正解です(^^)』と返信がものの4分でくる。

 一人で居ることが全く苦でないものの、こうして他人と関わるのも嫌いではない。

 むしろ、一人で居ることにを欲しているのではなく、慣れているというのが実際のところなのだろう。

 相手は年上の女性。色恋を望んでいる訳ではない。

 確かに美代子さんは女優に勝るとも劣らない顔立ちで、スタイルも優れている。

 それゆえ、ただ一緒に居るだけで、何となく気分が良かったりもする。

 勿論、たった数分で、彼女の本質を見抜けるはずはない。

 次ぎ合ってみれば、幻滅するかもしれない。

 それでも、僕には、本を返すという大義名分がある。僕には彼女に会う権利、嫌義務があり、多少の交流は必然。

 ……ようするに、僕も少し寂しかったのだろうな。

 まあ、それからの展開は案外早い。

 本の貸し借りをショッピングモールで行っていたのが、喫茶店になり、夕食を共にし、そして彼女の自宅にお邪魔する事となったのだった。


 大学とショッピングモールの近くには団地が立ち並んでいる。『この近くに住んでいる』と言っていたので、てっきりあの中のどれか一室かと思いきや、なかなか立派な一軒家ではないか。

 は単身赴任で、美代子さんはこの豪邸とも言うべき、自宅に一人、暮らしていた。仕事もしていないようで、察するに、彼女もまた、寂しい人なのだろう。

 結婚とは何なのかと思わず僕も考えさせる。とは言いつつも、僕は美代子さんと肉体関係に発展している。

 そんな僕が彼女らの結婚生活を憂いているというのは、大きな矛盾がある。愛などというものは、畢竟ひっきょう、理性たるロゴスではなく、感性であるパトスによって交わされる現象なのに、結婚制度は理性的。そういった点から既に悩ましい存在なのだから、分別のわきまえない大学生が、人妻に手を出すのは、機会させあったなら、往々にして行われるであろう状態なのだ。

 自己正当にさえならない屁理屈。

 それでも、僕は実際に今、美代子さんを抱いている。不思議なものだ。


 毎週一度、僕は社会通念に反した行為を行う。普段はいかにも真面目に読書をして、レポートを仕上げているというのに。この二面性に自分でも思わず笑ってしまう。

 ジキルとハイドよろしく、もはや僕は外部による何らかの圧力が働かぬ限り、しばらくはこの関係を保ち続けるのだろう。


 ママ活という言葉がある。

 性行為の有無はいざ知らず、金銭などと引き換えに、奥方が若い男子とデートをするという、いわば援助交際の類である。

 僕もまた、ある意味ではそれに該当すると思う。

 ヒモ扱いされるのは、何となく気に障るので、出来るだけ金銭的支援は受けないようにしているが、何と言ってもこちらは学生、あちらは潤沢な奥様。

 外食した際には、よく支払ってくれるのだ。哀しいかな、ステレオタイプ的に男が払うという態度は、僕の懐事情から見て、だいぶ先にならないと出来そうにない。

 そんな様子を汲み取ってくれたのか、いつしか夕食は彼女の手料理になった。

 旦那さんが居ないのをいいことに、僕は彼氏、いや事によると、『金を送っている彼よりも、愛を育んでいる僕の方が、もしかすると上位になるのでは』とさえ感じさせる、我ながら良好な仲だった。


 講義を終え、彼女の家に行き、キスをし、ベッドへ向かい、情事の後に彼女の手料理を食べる。

 不倫という一点を除けば、非常に理想的な生活だと言っても過言ではない。

 僕はさも当然のように彼女をハグし、髪を撫でる。

 実際に付き合った人数は少なく、それも長らく彼女がいなかった僕は、溺れるように彼女の愛を一身に受け止め、それを解放していた。

 あられもない恰好で「あの人よりいい」という彼女の感嘆を疑うことなく真に受け、『これほど愛に溢れているのに、人に言えないとは妙な気分だ』と、世間を嘲笑しさえした。


「今日はすき焼きですよ」

「豪華ですね~」

 夕方の内に晩ごはんを作ってくれているので、寝室で致している最中も、この食欲そそる匂いに気を取られ、危うくお腹が鳴るところだった。ムードこそ最重要視される行為なのに、『ぐぅ~』と腹の虫に邪魔されてはトラウマになりかねない。

「今日は一ヶ月記念日なんです、ってはしゃぐのもどうかと思うけど」

「僕はそういうお茶目なところ好きですよ」

「いい歳した大人がって思うでしょ」

「恥ずかしがってるのもいいですね」

「もう、からかわないで」

 これを愛と認めないヤツは、世間の慣習に洗脳された愚か者なのではないか?

「はい、あ~ん」

「流石にそれは」

「そ、そうよねっ!熱っ!?」

 僕に差し出そうとした肉を誤魔化すように自分の口へ運ぶ美代子さん。

 世間はベッドでの彼女はもちろん、今目の前にいる、こんな美代子さんも知ることは出来ないのだ。

 それもひとえに、不倫は悪と意固地になって、性行為をしないのならまだしも、深く関わろうともしないテリトリー制によって、家族という価値が暴落した昨今においてもなお、大切なものだと思わようと躍起なのだ。

「あ~ん」

「もう、恥ずかしがってたくせに」

「美代子さんが食べる姿はこっちまで元気になるからね」

「やっぱりおばさんのことをからかってる」

「おばさんなんかじゃないよ」

「カオルくんはそう言ってくれるけど、世間では立派なおばさんです」

 世間、ね。

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