第5章 試着

「そういえばさ。結婚式、いつするの?」


ある日のランチ時、美香の素朴な疑問が飛んできた。


「んー。4月にしようかって。」

「え。結構早いね。」

「そう?」


まだ11月に入ったばかりだし私と圭吾さんは同棲しているから、こんなものかと思っていた。


「じゃあ、今から準備とか大変になるんじゃない?」

「そうだねぇ。」

「しかも、4月は新入社員が入社してくる時期ですしね。」

「忙しくなる4月を準備期間に充てる方がかえって忙しいだろうって思ってさ。」

「確かに。結婚式の準備と4月が被る方がしんどいかもね。結納はいつ?」

「来月。」

「わぁっ。なんだか、いよいよって感じですよねぇ。」


夢心地の柚ちゃんは頬を両手で抱えながら、「憧れちゃうなぁ」と続けた。


「いよいよだねぇ。」


“いよいよ”と口にすると、本当にそうだと実感してくる。圭吾さんと付き合い始めてもうすぐ1年。スピード婚ってほどでもないけど、あっという間だった。


「じゃあもうブライダルフェアなんか行ったの?」

「これからだよ。来週に行くことにしてる。」


そう。だからちょっとウキウキする。ブライダルフェアって、要は結婚式のイメージを膨らませるためだもんね。


「私も招待状、出してくださいね。」

「うん。柚ちゃんには余興やってもらおうかな。」

「えー!私、宮本課長のお友達とオトモダチになりたいからはっちゃけるの嫌ですー!」


 抜け目のない柚ちゃんに、私と美香は顔を見合わせて笑った。その様子を見ながら、柚ちゃんは「あー!お二人とも笑わないでくださいよー!」と怒り笑いをしている。


「大変だろうけど、頑張りなよ。私も手伝えることあったらだけど何でも言って。」

「うん。ありがとう。」


結婚式の準備ってきっと大変だけど、でもそれも、圭吾さんとの結婚生活を始めるためだって思ったらワクワクしてしまう。


圭吾さんのタキシード姿を想像しながら、午後はルンルンで仕事を終わらせた。もうすぐ終業というところで、圭吾さんから携帯電話にメールが入った。


<ちょっと遅くなる。でもご飯は家で食べるから。>


午後から取引先に行った圭吾さん。多分、つかまっちゃったんだね。


そこで、いいことを思いついた。圭吾さんがちょっと遅くなるなら少し時間があるし、ブライダルショップのウインドウショッピングをしてみようかな。


ブライダルフェアに行くショップは決めているけれど、色々なショップを覗いて想像を膨らませてもいいよね。お昼に美香や柚ちゃんと話をしていたら、うずうずしてしまった。


よし、覗くだけでもいいから行ってみよう!結婚式は一生に一度だから、色々なものを見ておくのもいいかなって思うんだ。


電車に乗り、目的地の駅に着く。そこから目的地は、目と鼻の先だった。ここら一帯にはブライダルショップが立ち並んでいるのだ。ウィンドウに飾ってあるウェディングドレスは、きらきらと輝いている。


「……わぁ。」


思わず、感嘆の声が漏れる。私も、着ることになるんだよね。小さい頃から憧れだったウェディングドレス。自分も花嫁さんになろうとしているなんて、ちょっとだけ感動だ。


そして、圭吾さんと結婚するんだと考えると、うっすら涙まで浮かんでくる。真っ白なウェディングドレスに身を包んで、私は圭吾さんの隣を歩くんだよね。


お色直しのドレスは、どれがいいかな?そういえば結婚式自体は圭吾さんのご実家の近くの料亭でやることになっているんだけど、衣装はどうするんだろう。


ウェディングドレスのショウウィンドウの前で色々な思いを馳せながら、いつまでも見入っていたい衝動に駆られる。


「あれ?ともみ?」


そんな時だった。


「偶然だな。」


太陽のような笑顔で、こちらに駆け寄ってくる彼。


「陽太。お疲れ。」

「お疲れ。なに?結婚式のドレスでも考えてるの?」


こんなところで張り付くようにショウウィンドウを覗いていたらバレバレだよね。


「うん。まぁ、ね。」


なんだか、気まずい。


「中に入って見ないの?」

「え、中?」

「うん。中に入って色々聞いた方がいいんじゃねぇの?」

「聞けるの、かな?」


その場で契約させられるとかないかな?


「聞けるだろ。てか、それも店員さんに聞いてみればいいことだし。」


そっか。そうだよね。結婚の準備をこれからしていくっていうのに、聞かないのはなんだか損かもしれない。


「ほら。俺も一緒に付いて行ってやるから。」


陽太はそう言うと、さっさとお店のドアを開けた。昔から陽太は行動派で、高校生の頃から私は、そんな陽太にいつも助けられていた。


「いらっしゃいませ。ご予約でしょうか?」


私と陽太の姿を確認したのか、すぐに店員さんが私達の元に対応しにきてくれた。


「いえ、予約はしてなくて。色々聞いたり見せてもらったりできますか?」

「よろしいですよ。こちらへどうぞ。」


華やかな笑顔を携えた店員さんが、私達をロビーのようなところに通してくれた。


「何か具体的に決まっていらっしゃることはございますか?」


パンフレットを出しながら、接客用のソファに座った私達に店員さんが話しかけてくれる。


「ほら、ともみ。」

「あ、うん。えっと……。」


やばい。こういうところって滅多にこないから、すごく緊張する。


「まだそこまで具体的には決まっていないので、どんな様式だとか、衣装があるのか考える参考にしたいと思っております。」


緊張しいの私の代わりに、陽太が私の考えを汲み取って答えてくれた。こういうときも、いつも陽太に助けられたなって思い出す。


「そうでしたか。じゃあ少し、イメージを湧かせるためにドレスをお召しになってみませんか?今、他のお客様が少ないので特別に。」

「え、そんな……。」


店員さんの突然の話に吃驚する。飛び込みで入ってきただけなのに、試着までさせてもらうのは申し訳ない。


「せっかくですから。こちらへどうぞ。」

「ありがとうございます……。」


有無を言わさない微笑みの店員さんに連れられて来たのは、たくさんのウェディングドレスが立ち並んだ試着室だった。


「わぁっ。」


すごい、すごい!どれもすごく素敵!


「お客様でしたら、これや、これなどお似合いになると思いますが。」


店員さんが選んでくれたのは、ベルライン中心のドレスだった。お姫様みたいで、すごく可愛い。


「うわぁ。どれが一番、私の体型に似合うと思いますか?」


正直、まだ結婚式の雰囲気は決まっていないし、コレっていうものもない。だからまずは、私の似合う雰囲気のドレスを教えてもらいたい。


「そうですねぇ。こちらなんてどうでしょう?お客様はクールというよりも可愛らしいイメージですので、華やかでお姫様のようなものがお似合いにあると思います。」


店員さんが差し出したのは、ベルラインのビスチェでデコルテラインを大きく出すものだった。だけど、とても上品でモダンだけどキュートな、ふわふわの真っ白なドレス。


「これ、着てみてもいいですか?」

「はい。かしこまりました。」


自分の体が、どんどんと純白に身を包む。結婚式に真っ白なウェディングドレスの後にカラードレスを着るのは、純白の花嫁が結婚して相手の家に染まるという意味合いがあるらしい。


私ももうすぐ、圭吾さん色に染まる。宮本家に染まる。私の残りの人生をかけて。


「すごくよくお似合いですよ。」


お世辞とは分かっているけれど、目尻を下げて感嘆のポーズをとる店員さんに、すごく嬉しくなる。


「お連れ様をお呼び致しますね。」


これは店員さんのご好意だって分かっているけれど、ドレスを一番に見せるのは圭吾さんがいい。


「あ、いや……。」


 そう思って店員さんを呼び止めたのだけれど。


「恥ずかしがらなくても大丈夫ですよ。とてもお綺麗ですから。」


店員さんはニコッと微笑むと、試着室から出て行った。一番は主人になる人に見せたいんです、なんて恥ずかしくて言えなかった。


「いかがですか?」


店員さんは陽太を連れて、すぐに試着室に戻ってきた。そして、誇らしげに陽太へと私のドレス姿を案内する。


「……。」


陽太は私を見つめたまま、何も言ってくれない。


「どうなの?」

「あ、あ。うん。」


陽太がこんなに固まってしまう姿は今までに見たことがない。どうしたんだろう?


「すごく、綺麗だと思う。」

「ありがと。」


圭吾さんだったら、何て言ってくれるかな。そう考えると、やっぱり初めては圭吾さんに見せたかったなと思ってしまう。


「お連れ様はどうなさいますか?ドレスに似合うタキシード、お召しになられませんか?」


店員さんのその言葉に、ハッと気付いた。


そうだよ!普通に考えてそうだよ!若い男女が一緒に来たら、陽太が結婚相手って勘違いされちゃうよ!


「僕は結構です。ありがとうございます。彼女がメインですので。」


陽太はスマートに断りを入れた。店員さんもご厚意で言ってくれているだけだから、無駄に話をややこしくする必要もないもんね。それに、このお店で契約するわけじゃないし。


「そうですか。では、お写真はいかがなさいますか?今後のドレス選びの参考にしたらいかがかと思いますが。」

「今日は、いいです。また改めて伺ったときに、撮らせてください。」


今日はあくまでもイメージを湧かせるためだったから、断りをいれた。まず、着る予定もなかったしね。


ドレスを着たせいで、かなり時間をくってしまったと思う。早く帰って、ご飯を作らないと!私の気持ちはすでに切り替わっていて、早く圭吾さんに会いたくなっていた。


「素敵なお相手ですね。」


何も知らない店員さんは、陽太をそんな風に言う。


「……はは。」


私は苦笑いしかできない。陽太と一緒にお店に入ってきてしまったことに、少し罪悪感だ。やっぱり圭吾さんと一緒が良かったし、陽太にも変な空気を味わわせてしまい、申し訳ないと思った。


「じゃあ、今日はありがとうございました。」

「いえ。またのお越しを。」


ドレスから着てきた洋服に着替え終わると、店員さんに丁寧に頭を下げられながら、私と陽太はお店のドアに手をかける。


「今日は付き合ってくれてありがとう。」


陽太にお礼を言いながら、お店を出る。


「いいや。今日を参考に選んでいけばいいんじゃない?」


 そんな話をしながら、ふと外から受けた視線の先へと目を向けた。


「え……?ともみ……?」


心臓が止まるかと思った。


「圭吾さん……?」


このお店に入ってこようとしていたのか、圭吾さんが立っていた。


「宮本課長、こんばんは。」

「こんばんは。森口さん。」


陽太も一瞬驚いたようだったけど、すぐにきちんと挨拶をした。それで私も社会人として挨拶を忘れてはいけないことを思い出す。


「……岩崎さん、こんばんは。」


圭吾さんは、岩崎さんと一緒だった。


「こんばんは、大島さん。あら。彼氏?」


岩崎さんは知っているくせに、陽太のことをそんな風に言う。


「いいわね。2人でウェディングショップだなんて。私達も今から2人で入るところだったのよ。」


岩崎さんの勝ち誇った笑みに、嫌悪感を覚える。なんだかすごく居心地が悪い。


「じゃ。圭吾、早く行きましょう。」


岩崎さんはわざとらしく、圭吾さんの腕を引っ張る。


「……。」

「……。」


私と圭吾さんは見つめあったまま、言葉を交わさない。


「じゃ、僕達もこれで。ともみ、行こう。」


陽太に促されて、足を進める。だけど振り返って、圭吾さんと岩崎さんがお店に入っていく後ろ姿を見つめた。


「……ともみ、やっぱり俺にしろよ。」


駅のホームで陽太と分かれようとしたところで、ボソッと陽太が呟いた。


「宮本課長、浮気してるじゃん。俺にしろよ。」

「圭吾さんは浮気なんかしてないよ。」

「だって見ただろ?」

「私は圭吾さんを信じてるから。」

「信じてるって、女が一緒のところに遭遇しても?」

「うん。」


 私が竹を割ったように応えると、陽太は額を抱えて溜め息をついた。


「俺を選べって……。」


そんな力ない言葉を吐く陽太を、今までに見たことがあるだろうか。


「……ともみと別れてから、ともみがどれだけ俺の中で大切な存在なのか、思い知らされたんだよ。」


渇いた笑いを浮かべて、陽太は自嘲した。


「ごめんね、陽太。だけど。だけど私は、圭吾さんと結婚するの。」


私はこれだけは譲れないという口調で、はっきりと陽太に言った。駅を行き交う人たちには、私達はどんな風に映っているんだろう。


「……じゃあ、一晩だけでもいいから。今夜一晩だけ、俺を選んでくれない?そしたら俺、明日からはともみのこと、綺麗に忘れる。」


それは陽太の最後のわがままなのかもしれない。


「ごめん、それもダメ。私は陽太のために圭吾さんを裏切れない。」


澄んだ声で、毅然と陽太と向き合う。


「なんで?あの2人だって今日、きっとあの後かその前に……。だから。おあいこだろ?裏切ることにはならないんじゃないの?」


「圭吾さんは岩崎さんと何もないから、おあいこにもならない。」

「大人の恋愛なんだから、割り切ればいいだろ。お互いいい社会人なんだし、もうすぐ結婚するんだし。結婚したらこういうこと、もっとあるだろ。」

「結婚したら?」

「あぁ。これまでの人生でも、色んな人好きになってきただろ?これからの人生の方が長いのに、結婚相手だけ好きだってことは無いだろ。」

「だから割り切らなきゃいけないの?」

「俺はそうだと思う。一晩だけの関係とかあるだろうし。大人の恋愛ってそういうことだろ。」


駅のホームに、電車が入ってくる。電車が起こす風が私の髪を乱す。


「……。」

「だから、ともみも割り切ればいいじゃん。今日付き合ってくれたら、今後はもうこんなこと言わないから。それに俺達、知らない仲じゃないだろ?」


いつも明るい笑顔の陽太が好きだった。いつも私をさりげなく助けてくれる陽太が好きだった。陽太と付き合った6年間は、とても大切な青春時代の輝く思い出だ。


「陽太……。」


私は陽太に一歩近付いて、手を差し出した。

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